2018.09.14
荻原由佳が新人時代に自分と交わした約束ーー不器用でも、下手くそでも、立ち向かおう

荻原由佳が新人時代に自分と交わした約束ーー不器用でも、下手くそでも、立ち向かおう

荻原由佳さんは、雑貨・家具など「暮らし」をテーマしたデザインに定評があるデザイナーだ。フリーで活躍する彼女が、新人時代に課したルールは「不器用でも、下手くそでも、立ち向かおう」というもの。得意なこと、好きなことがわからなくてもいい。デザイナーとして生きる、強い意志がそこにあったー。

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【連載】ぼくらの新人時代
「新人時代をどう過ごしていましたか?」テック業界のトップランナーたちに、こんな質問を投げかけてみる新企画がスタート。その名も、「ぼくらの新人時代」。知識もスキルも経験も、なにもない新人時代。彼ら彼女らは”何者でもない自分”とどう向き合い、いかにして自分の現状と未来を定め、どんなスタンスで学んできたのか。そこには私たちにとって重要な学びが詰まっていた。

デザイナーとして、生きていく

「苦手なことから、逃げたくなかったんです」

自分のデザインを人に説明するとき、彼女は常にもどかしさを感じていたといいます。震える声、うまく話すことができないから笑ってごまかす自分、支離滅裂なロジック…。自分のデザインを人に説明するとき、彼女は常にもどかしさがあったといいます。

「うまく話せない自分がイヤだったし、すごく苦しかった」

そう語ってくれた彼女。苦手なことはやらず、得意なところを伸ばす…というのは「得意なこと」がわかっているからこそできること。

彼女が選んだのは、とにかく猛特訓すること。できることを一つでも増やしていく。

プレゼン前、必ず何度もリハーサル。先輩にチェックしてもらい、ダメ出しをもらう。何回でもやり直す。こんな体験が、今の「デザイナー おぎゆか」を形づくったのかもしれません。

「あの経験が、今もすごく役立っています」

シンプルでありながら「逃げない」を続けるのは大変なこと。そこには「デザイナーとして生きていきたい」という、おぎゆかさんの強い意志がありました。


【プロフィール】荻原 由佳(おぎはら・ゆか)デザイナー / アートディレクター
1991年 長野県生まれ・埼玉県育ち。デジタル広告会社の制作、女性向け自社アプリを運営するベンチャー企業を経て、2016年よりフリーランス。CI・WEB・DTPなどグラフィック領域を中心としたビジュアル戦略を担当。「灯台もと暮らし」「にっぽん てならい堂」など、ライフスタイルの分野を中心とした、WEBメディア・サービスなどの運営に携わり、店舗のブランディングや商品企画なども行う。暮らしをデザイン・編集するクリエイティブチーム「白梟」としても活動。2018年12月よりドイツ・ベルリンで生活予定。インターネットと散歩と手作りがすきです。Twitter : @ogiyk_

普通の学生だった私が、デザイナーになるまで

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大学で学んでいたデザインを仕事でもやりたいと思っていました。ただ、本当にデザイナーとして仕事をしていくのか、いまいち自分のなかでもはっきりしてはいなかったんです。

昔からWebサービスやアプリが好きだったし、ウェブは表現の幅が広い。なので、まずはIT業界に身を置いてみようと思ったんです。大学3年生のころにnanapi(現:supership)で、たまたま募集されていたウェブ記事の編集アルバイトとして働きはじめました。

これはちょっとしたエピソードなのですが…じつは、nanapiのデザイナー募集は編集のアルバイトで在籍しているのに、WEBのデザイナーの求人をみつけて求人から応募したんです(笑)

翌日、部長が私の席にやってきて「おぎゆか、直接伝えてくれていいんだよ」と言われました。

確かに「デザインの仕事がしたいです」って直接伝えればよかったのですが...そんな勇気も自信もなくて。せめてもの意思表示が「応募する」ことでした。周り道かもしれませんが、やっとデザイナーとしてのキャリアがスタートできました。

「笑ってごまかさない」という言葉に救われた

nanapiでは、バナーをつくったり、ウェブサイトを更新したり、デザインの基本が学べました。

がんばろう!という気持ちだけはあったのですが…とくに苦労したのが、「自分のつくったデザインの意図を人に説明すること」でした。

「これじゃ何を一番伝えたいのかわからない」

「もう少し深く考えてたほうがいい」

「デザインは意味を説明できないとだめ」

…毎回、こんなダメ出しばかり。

デザイナーの先輩に自分のつくったデザインをではじめて説明したときも、うまく自分の伝えたかったことができずに大失敗して...。

先輩に「人に伝えたいときは笑ってごまかさない」と言われたことを、いまでも覚えています。少なくとも真剣にやるべきなのに、態度から間違っていて。うまく伝えられないから、

その場しのぎの雰囲気や、曖昧な表現で逃げようとしていたんです。悔しかったというより、もどかしかった。考えているし、伝えたいことがあるのに…どうしても言葉にできない。それは「伝わらなければ、無いものと一緒」と気づくことができました。

とにかく喋るのが苦手だったので、社内の勉強会のプレゼンも、ミスをしないように事前に猛特訓していました。「プレゼンはあの人が上手だから、聞いたらいいよ」と教えてもらった上司に、夜な夜な練習に付き合ってもらって。

ロジックは通っているか。自分の話を飽きずにどう聞いてもらうか。声の大きさから間、笑いの要素まで、徹底的に練習して自分のモノにしていく。

そこで学んだのは、プレゼンに限らず、とにかくフィードバックをもらうこと。

デザインにしても、「こういうのを作っていて、どう思いますか?」とか「ここを教えてください」とどんどん聞いていく。

何が得意か?なんてわからないから、一つでもできることを増やしたい。できないことを減らしたい。そんな風に必死になっていたような気がします。

デザイナー1年目のときの写真

「暮らし×デザイン」を名刺代わりに

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フリーとして働くなかで『灯台もと暮らし』『にっぽん てならい堂』のデザインを、すごく褒めていただく機会があって。ただ、「暮らし」をテーマに手がけてきたのは、本当にここ最近なんです。

フリーランスとして働きはじめた当初も、特にコレの領域といったテーマを決めずに何でもやっていたんです。ホントにいろんなトーン、表現のデザインを手がけてきました。

ただ、ここ数ヶ月で、やっと「私の得意なデザインは“暮らし”」と言えるようになってきた気がします。名刺代わりといってもいいかもしれません。

+++『灯台もと暮らし』の立ち上げ当初から、ロゴやバナーなど、デザイン全般を担当してきた。

きっかけはお仕事のご依頼をいただくなかで、「これは私じゃなくてもいい仕事なのかもしれない」と感じることが多くなったこと。たとえば、モバイルゲームのデザインなら、私よりも上手な人がいるし、やりたい人もいる。

じゃあ私は何が得意なんだろう?と考えたとき、社会人1年目のときからお手伝いしてきた『灯台もと暮らし』のような、自分が好きな分野が「暮らし」の分野だったことに気づきました。こんなに近くにあったのに「得意」とも「好き」とも思ったことがなかったから…鈍感なんでしょうね(笑)

ただ、それで良かったと思うんです。いい意味でも、わるい意味でも「好きなことがわからなかった」からこそ、気になることにはどんどんチャレンジする。気になるイベントに飛び込んでみたり、仲間と一緒に週末にプロジェクトをやってみたり。そうすることで、自分の視野をどんどん広げていけたのかもしれません。

やってみたいことに自分で勝手にフタをして、あとで文句を言いたくない。ただただ後悔したくないだけなのかもしれないです。


文 = 野村愛


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