2021.09.16
なぜ、ナイキは「売上に直結しないアプリ」を強化するのか。アフターデジタル時代のUXグロースモデル戦略

なぜ、ナイキは「売上に直結しないアプリ」を強化するのか。アフターデジタル時代のUXグロースモデル戦略

「アフターデジタル時代のビジネスにおいて、製造販売モデルからUXグロースモデルへのシフトが最重要」と語ってくれた、シリーズ17万部突破『アフターデジタル』主著者である藤井保文さん。UXグロースモデルとは何か。なぜ重要か。その実例とは。2021年9月16日に刊行された『アフターデジタル』続編2冊を主軸に伺った――。

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※記事の最後に藤井さんご本人による書籍解説・コメントをご紹介しています。ぜひご覧ください。

シリーズ17万部を突破した『アフターデジタル1・2』続編として、実践編となる『UXグロースモデル』と、トップランナー33人が語る『アフターデジタルセッションズ』が2021年9月16日に同時刊行された。『アフターデジタルセッションズ』が世の中のビジネス・カルチャーの潮流、UXの観点から眺めた「今起きている進化とリーダーたちの思想」を知る内容となっている。もう一冊の『UXグロースモデル』はそれを成し遂げるために必要なUXドリブンな組織と技術の話となっている。

作ったのに、育てるつもりがない...?

あらためて「アフターデジタル時代の重要となるビジネスの考え方」がどういったものか、その概要から伺ってもよろしいでしょうか。

そうですね、私たちは「UXグロースモデル」と言っているのですが、育てていく前提、UXドリブンでサービスを提供していく、そういった考え方へのシフトが重要だと考えています。

たとえば、「ウチの会社、新しいアプリやサービスをどんどん立ち上げているのに何ひとつ上手く行っていないな…」みたいなこともありますよね。もし、陥っている罠があるとすれば、従来の「製品販売モデル」の考え方から脱却できていない、そこに大きな原因があると思います。

つまり、育てていくつもりが無いのに作っているのでリリースして終わりになる。ものづくりのマインドセットから抜け出せていない、育てていく考え方・手法がインストールできていない、と言い換えることもできます。

100点じゃなくてもいいから出す、市場の中で絞っていく、育てていく。「サービスは育てていくもの」「顧客と関係性を作っていく」というのは、ずっと言われてきたことでもありますよね。ただ、実際に落とし込めているケースは多くありません。

たとえば、従来の「製品販売モデル」では製品の販売・成約がゴールなので、購入後のフォローは「アフターサポート」の扱いになり、できるだけコストを抑える力学が働いてしまう。つまり「売れる」につながる以外のところは「コスト」という考え方ですよね。

ただ、「UXグロースモデル」にシフトするというのは、使われ続けることをゴールとするため、そこにも適切に投資をする、ということでもあります。

「Nike Run Club」に見る、UXグロースモデル

UXグロースモデルのわかりやすい事例などもあるのでしょうか。

たとえば、ナイキのアプリ「Nike Run Club」は、わかりやすい事例のひとつだと思います。

“ランニングをサポートする無料アプリ”なので、極端にいえば、全身をアディダスで揃えたとしても使えるわけです。これが「製品販売モデル」のロジックで考えていくと、そんなアプリは無駄だ、となってしまう。ただ、ナイキはそうは考えません。アプリを使ってもらうことで、多くの人たちの運動が習慣化する、その先の世界を見ています。

すごく単純化しますが、


▼ランニングが習慣になる
▼ランニングイベントに出てみようとなる
▼ナイキ主催のイベントを知る
▼そのイベント参加にナイキ製品で参加する
▼イベント当日にトレーナーやユーザーの着こなしなどに感化される

といったジャーニーを描くことができます。しかも、このジャーニーはあくまで一例に過ぎず、無料アプリを起点にいくつものジャーニーが並行して走っていく。無料版のジャーニーから得られた行動データや行動習慣をもとに、さらに手厚いサポートや有料版のジャーニー、新たな課金へと自然とつなぎこめるわけです。つまり、ナイキは「使用体験」に投資しており、そこが勝てるモデルにつながっていると言えます。

※シナリオや行動データの利用度合いはあくまで話者の憶測です。

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要するに言葉としても「アフターサポート」や「アフターサービス」という位置付けではないのです。よく「LTVを上げていく」と言われますが、そもそもランニングを習慣とする人が増えれば、市場も拡大していきます。

もうひとつの視点として、オンライン・オフラインが融合するアフターデジタル時代において、こういった「行動」を引き起こすサービスに価値がシフトしていくと言うことができます。

たとえば、「ダイエットの方法」という情報は検索したり、SNSを見たりすれば、いくらでも入手できるわけです。情報そのものの価値はもうほとんどありません。ただ、「それまで3日坊主だった人が、継続してダイエットができる」といった“行動”を可能にするものは価値になる。この価値のシフトを理解することも重要だと思います。

これまでの「ユーザー理解」は間違っていたかもしれない。

そういった意味では、自社の顧客、ユーザーをより深く理解していくことが重要になりそうですね。

その通りだと思います。ただ、よく言われる“心理・ニーズ”を追求するようなユーザー理解は、そもそも間違いなのではないか?と新著でも伝えていて。いわゆる「心理探究型」のユーザー理解には矛盾や限界がある。そこで「メカニズム解明型」のユーザー理解にアップデートしていくことが大切だと考えています。

たとえば、「プレミアムビールを買って飲む」という購買行動があったとして。これまでの「心理探究型」だと「ビールを飲む人」に焦点を当て、その人の価値観や嗜好、心理をリサーチ・分析し、掘り下げていくアプローチでした。ただ、そういったいわゆるペルソナを分析したとしても、その人は体調によって気分が変わったり、日々のストレスから解放された瞬間にだけ飲むかもしれない。じつは非常に動的なんですよね。そこで、置かれている状況、周辺環境、相互に影響するステークホルダーの関係性・力学を含め、その行動自体が合理的な選択となるメカニズムを紐解いていく。そういった体験づくりが鍵になるはずです。このあたりは『UXグロースモデル』3章に詳細がありますので、ぜひ読んでみていただけるとうれしいです。

「UXドリブン」な実践型の組織をいかに構築するか。

最後に、ここまで伺えた「UXグロースモデル」を実践していくためにより重要になる部分があれば伺わせてください。

まずUXドリブンな組織になるために認識を揃えることだと思います。そのためには、関わる人たちに共通のビジョンが必要になります。もう一冊の新著『アフターデジタルセッションズ』の原型となったオンラインフェス「L&UX2021」で、最先端をいく方々にお話を伺ったのですが、共通する部分でした。

たとえば、MaaS Globalのサンポ・ヒエタネンさんは「ジョイントビジョン(つなぎ合わさったビジョン)」と表現されていました。さらにデータ駆動の社会DXを進める慶應義塾大学医学部 医療政策・管理学教室の宮田裕章教授も近しい考え方として「シェアードバリュー(共有価値)」といった言葉で表現されていた。

そして最も“実践”で気になる部分として、宮田教授に「共有価値を設定するといっても、多様なステークホルダーがいるなか、誰が、どう設定していくか」と質問しました。その答えとしては「たとえば、“癌をなくす”など、みんなが合意できる、わかりやすいところを掲げ、とにかく市場に投げつつ、基本的には練り上げていくものである」と。冒頭の話にもつながっていて、とにかく早く世に出し、ユーザーからのフィードバックがデータとしても蓄積されることで形になっていく。それがさらに濃い共有価値になっていく、というわけです。

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2021年5月17日~28日まで開催された世界最先端のUX・DXの議論を行う大規模なオンラインフェス「L&UX2021」無料公開版。「共鳴するビジョンが創る社会のDXとUX」データ駆動の社会DXを進める宮田裕章教授と、宇宙開発から社会システムまで、人が経験的・感覚的におこなっていることを体系化する研究者である慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科の白坂成功教授と藤井さんが議論を交わした。※You Tubeはこちら

完璧なものを出さないといけない、というのは、やはり時間がかかりますし、誰も巻き込めず、実現のハードルも高くなります。まさに「製品販売モデル」の呪縛だと思うのですが、そうではなく、もっと柔軟に、そしてみんなを巻き込むプロジェクトとして動かしていく。みんなが共有できるビジョンを掲げつつ、不完全なものかもしれないけど、勇気を持って世の中に出す。そしてユーザーのフィードバックを受けて絶え間なく磨き、実装し続ける。ここに尽きるのだと思います。


今回刊行された『UXグロースモデル』『アフターデジタルセッションズ』は、それぞれ異なる流れが合流した形ですが、前提としては「その時々で自分らしいUXを選べる社会」を作っていくべきではないか、という考え方が通底しています。ここでは、それぞれの書籍の概要、見どころを解説していければと思います(藤井保文)

▼『UXグロースモデル アフターデジタルを生き抜く実践方法論』解説

『アフターデジタル1・2』に対し、大きな反響をいただいたのですが、「このUX型DXを実践したいが、何を学べばいいか分からない」という声も多くありました。そこに応えていく書籍でもあります。UXドリブンな社会に近づけていく、そのための実践者をさらに支援していきたい。そういった思いから、2020年末より企画しました。


1〜3章が理論編、後半4〜7章が実践編です。前半はマネジメント層の方々に読んで頂いても価値があるよう、「製品販売モデルからどう脱却すればよいか」「どのように人間理解をすべきか」など、本質的な議論を展開しています。後半は特に中間管理職から現場のメンバーが、ユーザーインサイトに基づいてより良いUXを提供し続けるために書かれた方法論です。革新的なのは「よく言われる『心理・ニーズ』を追求するようなユーザー理解は、間違いなのではないか」というメッセージかと思います。後半の実践方法論が一般的に見えるかもしれないのですが、これを理解すると一気に違った景色に見えるかと思います。

たとえば、大学などでも学べる教科書的なもの、手元に置きながらチームで目線を合わせて取り組んだり、実践で試してみたり、UXの考え方を組織にインストールしていくものとして想定しています。

デジタルマーケティングに携わる方はもとより、セールス、カスタマーサクセス、PM、エンジニア、バックオフィス…あらゆる職種において、業務にUXの技法を取り入れていく一助になるものですし、ぜひ組織横断の共通言語になるといいなと思います。

ご自身のインプットに役立ていただくことはもちろん、UXドリブンな組織作りにも役立てていただけたらとても嬉しく思います。

▼『アフターデジタルセッションズ 最先端の33人が語る、世界標準のコンセンサス』解説

オンラインフェス「L&UX2021」を開いたことが背景にあります。『アフターデジタル1・2』単体では、世の中のムーブメントがこれ以上大きくならない、そういった感触があり、『アフターデジタル』で紹介したような海外サービスのリーダーと、日本のリーダーとの議論を通して、「UXを重視しない、ユーザーインサイトから始まらないビジネスはもはや生き抜けない」といったコンセンサスを打ち出したい思いがありました。

結果的に、そのメッセージ以上に密度の濃いコンセンサスが得られ、多くの方にお届けしようと書籍化に至りました。

実際に「L&UX2021」では14本の対談がありましたが、全文記載したのは8つになります。全部を通して見えてくる大きなコンセンサスが4つあります。


(1)ビジネスにおける価値の源泉がUXに移行していること
(2)オンラインとオフラインの融合時代になっていることで、イノベーションの起こし方やリーダーの資質が大きく変化していること
(3)体験価値を高めるためには、如何に縦割りの企業構造を打破し、ユーザーのためのベネフィットを優先できるかにかかっていること
(4)ビジョンもUXもイノベーションも、世の中にまずは打ち出し、ユーザーや市場からのフィードバックを受けて育てていくべきであること」

最先端をいくリーダーたち、それぞれの視点からこのエッセンスに迫っていくことができ、解像度が高まっていくはずです。

また、Tencent、DiDi、Instagramをはじめ、海外で成功しているサービスに携わる方々と、日本で最先端をいく方々の視点が交差していく部分もぜひご注目ください。

「日本は遅れており、海外を見習うべき」といった単純な構図ではなく、違いはありつつ、むしろそこまで大きな差がない、日本の可能性や希望が感じられたり、浮き彫りになるセッションも多くありました。日本のトップレベルにいる皆様の肩を借りる形で、世界との距離がそう遠くないものに見えてくる。本書を通じて、そのわくわくするようなプロセスを追体験していただければうれしいです。


取材 / 編集 = 白石勝也


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