2017.09.28
コネもスキルもない。無名だった青年が、わずか1年で一流クリエイターと仕事するまで|なかむらしんたろう

コネもスキルもない。無名だった青年が、わずか1年で一流クリエイターと仕事するまで|なかむらしんたろう

ラジオアプリ『radiko』のUI/UX設計などに携わった注目のデザイン会社「SCHEMA(スキーマ)」。そこに一風変わった経歴のディレクターが在籍する。なかむらしんたろうさんだ。もともと物流会社の人事出身。Webとは無縁だった彼は、なぜ業界で名が知られるようになったのか?その軌跡を辿ってみたい。

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物流会社人事からWebディレクターへの道のり|なかむらしんたろう

伸ばしっぱなしのひげと、自画像のイラストTシャツがトレードマーク。何かしらの集まりで見かけたり、どこかしらの記事で名前をみたことあるひとも多いかも知れない。

今でこそWeb界隈で知り合いの多い彼だが、ほんの1年前まではビジネススーツに身を包む、物流会社の人事マンだった。

コネもパイプもスキルもない...まったくゼロからのスタート。26歳の頃、4年にわたって培ってきた人事のキャリアを捨て、名古屋から上京。右も左もわからないままクリエイティブの世界へと飛び込んだ。

彼の名は、なかむらしんたろう(28歳)。1年経たずして、名だたるクリエイターたちと交流を深める存在へ。

エンタメ・カルチャーメディア『Qetic』でアーティストtofubeatsのインタビュー撮影を担当したり、フリーのPR編集者・塩谷舞さんが運営する話題のメディア『milieu』でもインタビュー撮影を担当したり。

デザイン会社「SCHEMA(スキーマ)』でWebディレクターとして働く傍ら、フォトグラファーとしてもその名が知られはじめている。

Webやデザインとは無関係だった物流会社の元人事は、いかにしてWeb業界の扉を叩き、仕事の幅を広げていったのだろう?

もしもいま、本当に目指したいところがあって、辿り着く道のりが見えていない人、今の環境から、なかなか一歩踏み出せずにいる人がいたら、ぜひ読んでいただきたい。彼が辿った軌跡は、自らきっかけをつくり出すヒントが詰まっている。

クリエイティブ業界を諦め切れなかった、人事時代

― もともと人事をされていたと伺いました。ウェブ業界とはまったく接点はなかったのでしょうか?


そうですね。地元の名古屋にある商社系物流会社で、4年間、採用や教育を担当していたので、全くといっていいほど接点はありませんでした。

当時の僕は、上司や後輩とも良い関係がつくれていて、それなりにやりがいを持って仕事をしていたんですけど、心のどこかで「本当にこのままでいいのだろうか」と、ずっと自分のキャリアに不安がありました。

じつは、もともと大学生のころから、趣味で写真を撮っていて、漠然と広告やデザインに興味があって、就職先もクリエイティブ業界を志望していたんです。いま思うとホント恥ずかしいんですけど、当時の僕は「クリエイティブなことがしてみたい」ってフワッとしたことしか考えてなくて、結局、全部不採用だったんですよね。

同時進行で「人事」に絞って就職活動をしたのは、人事業は大きな会社であれば大抵どこにでもあるので、実務として身に付けておけば、他業界でも転職しやすいかなと思って。まずは3年間、人事の仕事を続けて経験を積み、転職するまでに今後やりたいことへの勉強をしておけば遅くないと、先延ばし作戦を頭で描いていました(笑)


― 同じように業界への憧れはあるものの、どうしていいかわからないという人は多そうです。


私も同じような状況でした。ただ、どうしても諦めがつかなくて。プライベートで、入社3ヶ月目から宣伝会議主催の「コピーライター養成講座」に通い始めて、そこで出会った仲間と一緒に広告賞の応募をしたり。社会人2年目では、第二新卒枠を狙って、広告代理店に履歴書を送ったこともありましたね。

社会人3年目を迎えたときは、少し諦めの気持ちもあったかもしれません。正直「このままこの会社にいてもいいかな」って思ってたんですよね。そのときは職場のことも好きだったし、好きなことは趣味で続けていったらいいかなって。

なかむらさんの写真

前職・人事時代のなかむらさん(写真・中央)。社会人2年目に、コピーライターの養成講座で出会った仲間と一緒に「第30回読売広告大賞」に応募し、入賞


ただ、友人たちがやりたいことを仕事にして、必死になって頑張っているのをみたとき、「いったい自分はなにしてんだろう」ってすごくモヤモヤして。「もしこの会社がなくなったときに、いったい自分にはなにができるんだろう」と。

いま自分が彼らみたいに仕事に必死になれてないことも、これといった武器も持てていないことも、すごく嫌だったんです。

結局、なんだかんだ言い訳にして、一歩踏み出せずにいる自分に気づいて。26歳という年齢を迎えて、もうチャレンジするなら今しかないんじゃないかと腹を括りました。

僕にWeb業界へのきっかけをくれたのは『カメラ』だった

なかむらさんの写真

― 人事から、Webディレクターへ。業界も、業種も全く異なるなかで、どのようにきっかけをつくっていったんですか?


業界が全然違うので、まずは「ひととのつながり」をつくることに注力しました。

社会人1~2年目のときはコピーライターに興味があったので、Twitterの検索窓に「広告」や「コピー」などを入れて、情報発信をしているひとのアカウントを片っ端からフォローしていたんです。それで、コピーライターの方が主催していたイベントをたまたま見つけて、ひとりで参加していって。

そこから、Web界隈の人たちが集まる「ねじ山(※)」にも参加して、多くのつながりをつくることができました。一緒に山登りして、ビールを飲むだけなんですけどね(笑)

ただ、クリエイティブの第一線で仕事をしているひとたちと雑談して、仲良くできるのは本当に刺激があって、今でも毎年参加しています。ちなみにそこで出会ったのが、いま働いている『SCHEMA,Inc.』のパフォーマー 橋本健太郎でした。

※ねじ山...AR三兄弟川田十夢さん、佐藤ねじさん、森田哲生さん、SCHEMA,Inc、が主催する山登りイベント


― 知らないひとたちが内輪で楽しんでいるなかに入っていくのは、さすがに勇気がいりますよね・・・


めっちゃ勇気いりましたよ(笑)

僕は物流会社の人事ですし、Webの知識も全然ないし。完全に場違いなので、変な目で見られるんじゃないか、すごい不安でした。しかも、人見知りも相まって、かなり緊張していました。


― それでも一歩踏み出せたのは?


不安よりも好奇心のほうが勝っていたんだと思います。変なプライドを一旦捨てて飛び込んじゃう。その一歩が踏み出せたら、きっと面白いひとたちとつながれる。会いたい、知りたい、そういう純粋なミーハー心のようなものが、すごく大事だったのかもしれません。


― イベントで人とつながっても、一回きりで終わってしまうこともよくあると思うんです。つながりが広がっているのはどうしてなんでしょう?


僕の場合、「カメラ」の存在が、ひととのつながりを生むきっかけになったと思います。頼まれてもないのにイベントの様子を撮って、「よかったら使ってください」って終わった後に、お会いした方にプレゼントしてたんです。単にカメラを持っているだけでも声をかけてもらえることも多くて。

ねじ山でも同じように写真を撮っていたら、いつのまにか”公式カメラマン”という都合のいい称号をいただき(笑)、それからAR三兄弟主催のAR忘年会というイベントにも声をかけてもらったり、とにかく写真を撮る打席を増やすことで、多くの人とのつながりを持つことができたのだと思います。

僕にとってのカメラは、商売道具というよりはコミュニケーションツールであることが多いです。撮影をすることで、SNSにあげることで、たくさんの「きっかけ」に恵まれているなぁと感じています。

今でもディレクターだけではなく、カメラマンとして覚えてもらっていたり。撮影中に本業のWebディレクターの仕事について話す機会もあるんですよね。


― そういった意味では、カメラマンとしての活動は営業にも近いのでしょうか?


全く自分の営業とは思っていませんが、いつのまにか自分の名前を知ってもらえるきっかけになっていて。仕事につながっていることは多いかもしれません。そう思うと、カメラによって出会えた人、機会は本当に多い。カメラを持たなかったら、いまの自分は考えられません。

「つくる人」に幸あれ

― Web業界にきて1年経たずして、複数のメディアでアーティストや女優さんの撮影を担当したりと、カメラマンとして仕事の幅を広げているのも驚きです。


きっとみなさん、たくさんつながりがあるなかで、僕に声を掛けてくれるのは「フットワークが軽い」からだと思います。

もともと知り合いだから頼みやすい部分もあると思うんですけど、「しんちゃん、いける?」って聞かれたら、基本的に「いきます」っていっちゃう。仕事でも、飲み会も、誘われたら断らない。先約があるときは難しいですけど、自分で調整できる範囲だったら、睡眠時間は削ってでもスケジュールは調整してます。

SNSを使うのも最初は自分の写真を見てもらうことで覚えてもらうことが狙いではあったのですが、それだけでなく、少しでも周りの宣伝の足しになればと思っておせっかいの気持ちも大きくなっちゃって。

特に「つくる人」を愛してるので、きれいごと抜きに「みんな幸あれ!もっと売れろ!」という思いで彼らの写真をあげていることが多いです。なまじ色んなことに手を出した器用貧乏だからこそ、なにかつくることに頑張れる人たちのことを本当に尊敬しています。

自分の好きなものから、見える世界が変わってくる

なかむらさんの写真

― もし、まったくの異業種からウェブの業界で働きたいと考える人にアドバイスがあるとしたら?


僕の場合は「カメラ」をきっかけに、Web業界の人とのつながりを広げてこれたんですが、それは必ずしも「カメラ」じゃなくてもよくて。「好き」をとっかかりに、ひとりひとり自分の特性や好きなものに合わせて、できることがきっとあるはず。

たとえば、プログラミングを勉強してサイトをつくって、SNSで発信してみるのでもいいし。ブログで発信するでもいいし、イベントに足を運んで覚えてもらえるようにコミュニケーションを工夫してみるのもいいと思います。僕は『ぐる娘』という美女コンテンツの運営にも関わっていたので、よくその話を織り交ぜたりしていましたね(笑)

一番よくないのは、変なプライドを持って一歩踏み出せずにいること。まずは自分の好きなもの、興味のもてるものに自分のやり方で近づいて、動き出してしまうのがいいと思います。


― ありがとうございました。最後に、なかむらさんが今、関心を持たれていること、これからのチャレンジについても教えてください。


最近だと、気軽につながりをもてる場やコミュニティづくりにもチカラを入れるようになりました。たとえば、同世代のクリエイターを集めて交流を深められる飲み会は毎月開いています。僕の知り合い、10〜20名を集めて、スケジュール調整や参加してもらえるように声かけしたり、当日も参加者同士が交流を深められるような場づくりをしています。

なかむらさんの写真

なかむらさんが主催している同世代のクリエイターの集まり『男会』の写真。『女会』という集まりも開催している。


― …毎月飲み会とか、調整や場所取りなど面倒に思えてしまいそうです(笑)


たしかに大変です。でも、僕の好きな「つくる人」たちに本当に幸せになってほしい、その気持ちだけなんです。彼らにとってなにかしらメリットになることをしたいというか、お手伝いしたいというか。言い方はよくないけど、多くの人に会っている僕を上手く利用してもらいたいんです。ここを心の拠り所にしてもいいし、今まで考えもしなかった可能性を見つける場にしてもいい。

参加メンバーの悩み事もここで解決できるようになるのが理想です。だって、依頼者も自分も参加メンバーもすべてがハッピーじゃないですか。

だから、最近は「今後も長く付き合っていきたいな」と感じた新しく知り合った人には
「じゃあまた」と社交辞令で終わらせないようにしています。もったいないですもん。

タイミングやその人の立場等も考えてたりはするので、全員ではないですが、1回しか会ったことない人でも、失礼承知でここに誘っちゃっています(笑)

僕自身もいずれは自分の知識とつながりで依頼者の悩み事を解決できる人間になりたいという野望はあります。そんな自分だからこそできる「”つくる人”が今後も幸せになれるような場づくり」をどんどんやっていきたいですね。

(おわり)


文 = 野村愛


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