2021.03.31
ある日突然、妻が産後うつに。90億円調達のベンチャーCEOの葛藤と、働きすぎない決断

ある日突然、妻が産後うつに。90億円調達のベンチャーCEOの葛藤と、働きすぎない決断

グループ累計で90億円を調達し、金融領域のDX化に取り組んできたスタートアップ、Finatextホールディングス。創業6年目、CEO 林良太さんが保険会社の立ち上げに奔走していたあるとき、奥様が重度の“産後うつ”を発症。社長としてありたい自分と、家族を支えたい自分、その狭間で葛藤した林さんの約9か月間を伺った。

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Finatextホールディングス(フィナテキストホールディングス)...2013年創業のフィンテックベンチャー。「金融を“サービス”として再発明する」というミッションの元、クラウド型の金融基幹システムとデータ解析基盤の提供によって、金融機関のDXならびに非金融機関による金融サービス提供を支援。2018年にはKDDIなどから60億円という巨額の資金を調達。これまでにグループ累計では90億円を調達している。

妻が重度の産後うつに。仕事は正念場だった。

病気や介護...いつ、どんな「人生の困難」がやってくるのか、私たちは前もって知ることができない。もしその局面に立たされたとしたら、いまの仕事や働き方は、一体どうなるのだろう。

キャリアを重ね、部下を持ち、責任あるポジションで、さらなる重要ミッションに挑む。そんなタイミングで、自分が「仕事」にフルコミットできなくなってしまったら。

Finatext ホールディングスCEOを務める林良太さんも、まさにその一人だった。

2013年にFinatextを創業。グループ累計で90億円を調達し、創業6年目。林さんの状況は一変する。第一子の出産をきっかけに奥様が重度の産後うつを発症した。

「一番に考えたのは、妻に寄り添い、夫として少しでもチカラになれることです。ただ、そうなると必然的に仕事の進め方、働き方を変えていく必要があります。約9か月間、一日6時間の時短勤務に切り替えることにしました。社長としてありたい自分と、家族を支えたい自分と、両方の狭間で常に葛藤していました。」

回復の兆しが見えないなか、どんな葛藤を抱き、どう向き合ってきたのだろうか。当時の状況をひとつひとつ振り返りながら、お話いただいた。

産後、妻は一睡もできなくなってしまった。

2019年6月、奥さまが第一子を出産後、「産後うつ」を発症されたと伺いました。当時の状況から詳しく伺ってもよろしいですか。

もともと「産後うつ」という言葉は知っていたものの、まさか自分の妻がなるとは全く予想もしていませんでした。妻は明るくて、活発な性格で、うつ病とは無縁の性格ですし...本当に最初は一体なにが起きているのか、信じられませんでした。

奥様は具体的にどんな状態だったのでしょうか?

第一子が生まれて2日目くらいから、妻が一睡もできなくなりました。

もともと里帰り出産で妻は福岡にいて、その時僕は東京にいたんですけど、「全然眠れない」と電話で聞いていて。僕は心配しつつも、出産によってホルモンバランスが崩れているから、そのうち不眠は解消されていくだろうと思っていたんです。

でも、2週間経っても眠ることができなくて。妻の疲労は蓄積して、精神的にも限界の状態が続いていきました。そこから、出産した病院の先生から心療内科をおすすめされて、通院するようになって。睡眠薬とか向精神薬を処方してもらったものの、すぐに眠れるようにはなりませんでした。

当時はコロナ禍の前で、仕事はオフィス出社がメイン。会社のオフィスを東京に構えていたこともあり、妻をそばでサポートするため一緒に東京に連れて帰りました。

+++【プロフィール】Finatextホールディングス 共同創業者 / 代表取締役CEO 林良太   東京大学経済学部卒業。ドイツ銀行ロンドン投資銀行本部 グローバルマーケッツ、ヘッジファンドを経て2013年Finatextを創業。

回復の兆しが見えない日々

東京に戻られてからは、奥様の状態は回復に向かわれたのでしょうか。

2~3時間は眠れるようになったのですが、他にもさまざまな症状が出てくるようになりました。たとえば、動悸がでてきたり、呼吸困難になったり、メンタルがめっちゃ沈んだり、全く味が感じらなくなったり。

いまだから言えますが、もう一歩というところまで追い込まれていました。ひとりにすることは危なくてできない。ずっとそばで誰かが見ていないといけない状態でした。

運が良かったのが、僕の母が子育てを中心に行ってくれたこと。でも、それはそれで妻もしんどかったと思います。自分の子供なのにお義母さんに任せないといけない。自分で自分のことを責めてしまっている妻の姿はとても辛そうでした。

6時間しか働かないなんて、ベンチャーの社長としてありえないと思っていた。

創業して6年目、2018年には60億の大型資金調達もしています。2019年には、従業員の人数も100名以上に急拡大し、新しい事業の立ち上げ準備もされてたとのこと。当時は仕事と家庭との両立はどのようにされていたのでしょうか。

働き方としては、午前中は家で妻のそばにいて、お昼すぎに僕のお母さんに家に来てもらって、僕は出社して仕事をする。18時には退社して家に戻る。一日約6時間の時短勤務になりました。

この働き方を選んだ理由としては、妻に寄り添い、サポートしたかったからです。妻のことを愛していますし、命に代えられるものはありません。妻を支えるのは当然だと思っています。

ただ、仕事において、社長という責任あるポジションについていて、資金調達をして事業も組織もさらに伸ばしていかなければならない重要なフェーズにいました。

仕事にフルコミットできない状態になることで、会社の仲間たちに与える影響は大きい。家族のことも大切だけれど、会社の仲間も大切に思っているので、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

「社長としてありたい自分」と、「家族のためにありたい自分」と葛藤があったと...。

そうですね、僕は「社長たるべきもの、最先端で一番走るものだ」とずっと思ってきたんです。だから、誰よりも働いて、頑張って、みんなに背中を見てついてきてもらいたかった。口だけの経営者には絶対なりたくなくて、僕は一緒に泥にまみれたいタイプなんです。それなのに...これはもう社長失格だなって...。

でも、どう頑張っても、仕事にフルコミットするのは無理だった。6時間勤務するしか選択肢はありませんでした。

+++

全社員に家族の事情を打ち明けた日

社員の皆さんには、ご家庭のことを伝えていたのでしょうか。

最初は伝えてしまうとみんなを不安にさせてしまったり、心配させてしまっても良くないなと思って、言わずにいました。

でも、みんな僕の事情をなんとなく察知していたみたいで、なるべく午前中にミーティングを入れないようにしてくれたりとか、そもそもミーティングに出なくていいようにしてくれたりしていました。

そんな風にして2~3か月、言わずにいたんですけど、ある日、CFOの伊藤祐一郎から「全社に発表した方がいい」と言われたんです。

社員からの連絡に返信が遅れることも多々ありましたし、意志決定のスピードは明らかに下がっていました。とはいえ、僕らの事業はまだまだ成長しなければいけないフェーズで、スピードが事業の鍵を握る。「はっきり事情を言ってもらったほうがいい」と率直に伝えられました。

本当にその通りだなと思って、すぐに毎月全社で開催している定例MTGで伝えることにしました。

いままで言えなかった分、社員の皆さんへの伝え方も悩む部分だったと思います。どんな形で伝えられたのでしょうか。

そうですね、どう伝えるべきか、かなり悩みました。「辛いから助けてごめん」という話だけでは、自分の中でどうしても折り合いがつかなくて、役員報酬をカットすることにしました。社長として責任を感じていること、社長だから特別扱いじゃなくて、ちゃんとフェアでありたいということ、そのスタンスがちゃんと伝えるのが大事だと考えていました。

自走していく「仲間」の存在が、心強かった

正式に皆さんに伝えられて、林さんが第一線から退いたとき、社内のなかで混乱だったり、社員同士の衝突などはありましたか?

もともと僕が先陣を切っていくタイプだったので、最初のほうは何名かの社員から戸惑いだったり、動揺する声も聞いていました。ただ、幸いにも組織的に大きな問題が生じることはとくにありませんでした。

いま振り返ると、すでに権限移譲がされていたことが大きかったと思います。創業して6年経っていて、各サービスごとに子会社化し、組織がある程度形になっていた。僕がいるときから、いなくても組織が回るようになっていました。

あとは、CFOの伊藤の存在も大きかったと思います。イメージとしては、僕が「よし、いくぞ!」って旗を振っていくタイプの人間で、伊藤が実際に体制だったりしっかり固めていく役割でした。なので、彼がいたから大丈夫っていうのはひとつあったと思います。

リーダーシップを発揮して、率先して意志決定してくれるメンバーも増えました。チームづくりも進んでいて、僕がいなくなったことで会社として一皮むけたなと思います。

制約がある中でも成果を出すために。隙間時間に猛勉強した

社員が自走して、組織としても強くなって、林さんとしても安心してご家庭に向き合うことができたのではないでしょうか。

そうですね、本当に会社のみんなの存在がありがたかったです。自分がいなくても会社として回っていたのでホッとできた反面、社長として自分はどう価値を発揮するといいのだろうかと悩みました。

いままでは現場に出て、社員と一緒にワークハードしていくようなやり方をしていたのですが、限られた時間のなかでそれができない。

このままでは何も価値が発揮できないなと思い、自分の武器を増やすことに注力しました。妻のそばにいたり、子育てをしながら、隙間時間を見つけては本を読んでいて。一日大体3時間くらいは、本を読んだり、会社の決算書を読み漁っていました。

仕事量はできないんですけど、武器を増やして仕事の質をあげていくことが少しずつできていったと思います。経営者として一皮むけたなと思う一年でしたね。

妻の体調も少しずつよくなってきて、約9か月後くらいから仕事にも集中できる状況になりました。

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原体験から生まれた「新サービス」

これまでのご経験が、いまの仕事に活かされている部分はありますか?

そうですね、たくさんあるのですが、ひとつは、「母子保険はぐ」というサービスをリリースできたことです。

「母子保険はぐ」は出産前後の母子を対象に保障を受けられるサービスなのですが、その保障のひとつに「産後うつ」を含めています。

+++妊娠に関する保険に入る場合、一般的には医療保険の特約に入るが、妊娠後には加入できないものも多い。「母子保険はぐ」では、妊娠後からも加入可能。妊娠から出産後までそれぞれの時期に応じた保障を受けることができる。

もともと、妻が妊娠したタイミングから母子保険を企画していて、実際に妻にヒアリングして悩みや不安を聞いていました。当初は産後うつを保障の対象には含めていなかったのですが、妻が産後うつになって絶対に必要だと思ったんです。

調べてみると、産後ママの6人に4人が精神的につらい状況を経験していました。実際に「産後うつ」を発症している人は17%もいる。

産後うつへの保障を保険を通じて提供することで、病院に受診することのハードルを下げ、ひとりでも多くの方のつらい状況を少しでも和らげることができたらと考えています。

制約は「機会」とも捉えられる。

最後に、様々な事情で仕事にフルスイングできない状況にいらっしゃる方に向けて、メッセージをいただきたいです。

人生における困難は予想できるものでもなければ、自分でコントロールできるものでもありません。僕がいままで多くの時間を捧げてきたビジネスの世界は頑張れば結果が出せる世界ですが、とくに病気は頑張っても結果が出せないこともある。妻の産後うつを通じて、そのどうにもならない辛さを目の当たりにしました。

人によっておかれている状況はさまざまですし、こうすると良いと断言は言えないのですが...。ひとつ、僕がこの経験を通じて得た大きな気づきを共有すると、「制約は機会として捉えられる」ということです。

僕の場合は、家庭を優先するために働く時間が短くなるという「制約」がありましたが、いま振り返るとこの「制約」があったからこそ、猛勉強して仕事の質を上げることができました。組織としても僕がいないことで強くなった。

起きてしまった状況は変えられないけれど、その状況下だからこそ自分の働き方や生き方を見つめ直し、さらにレベルアップしていけるチャンスでもあると思います。

画像提供:Finatext ホールディングス


取材 / 文 = 野村愛


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