「佐藤ねじ、カヤック卒業」というニュースが飛び込んできた。アートディレクター/プランナーとして実績を残してきたねじさん。なぜツワモノ揃いのカヤックを辞め、独立を決意したのか。ひとりのクリエイターの分岐点に迫る。
2016年7月。あるひとりの男が面白法人カヤックを巣立つ。
男の名は、佐藤ねじ。カヤックのアートディレクター/プランナーとして、そして個人のクリエイターとしてさまざまな作品を世に送り出してきた男だ。得意技は“スキマ表現”の探求。カヤックでクリエイターたちのマネジメントを手がけながら、自ら提唱した「空いている土俵を探す」という考え方のもと、Webやアプリ、デバイスの領域で作品づくりを行なってきた。
代表作であるハイブリッド黒板アプリ『Kocri』ではグッドデザイン賞 BEST100/未来づくりデザイン賞を、『しゃべる名刺』ではYahoo! Creative Award 個人部門グランプリを受賞するなど、これまでも数々の賞を獲得してきたねじさん。輝かしい実績を見ていると、
「カヤックにいたほうがいろいろ楽しいことができるのでは?」
という疑問が生じてきた。なぜ彼はカヤックを辞め、独立する決意をしたのか。ひとりのクリエイターの新たな一歩に迫ってみたい。
<Profile>
アートディレクター/プランナー
佐藤ねじ
1982年生まれ。愛知県出身。名古屋芸術大学デザイン科卒業後、上京。セールスプロモーションの会社を経て、デザイン事務所へ。デザイナーとして働く傍ら、「佐藤ねじ」名義で作品も発表。社外活動を通じてカヤックのメンバーと知り合い、入社する。2016年7月に独立し、株式会社ブルーパドルを設立。
― 本題に入る前に、ブログにも書かれていた「空いている土俵を探す」という考え方について教えてください。この考え方は、いつ確立されたのですか?
高校時代から大学時代にかけて、ですね。
高校時代のイケてるグループってありますよね。完全に僕の主観ですが、美大へ進学する人って、そのイケてるグループにはいないんです。とはいえスクールカーストの最下層でもない。中の上から下くらいをさまよっているんだけど、絵が上手だから存在が認められているみたいな人が多いんじゃないかと思っています。勝手に。主観ですよ。
僕もそのひとりだったんですけど、美大へ進学するとみんな絵が上手です。さらに当時はグラフィックデザイン全盛だったので、周りはカッコいいデザインをどんどんアウトプットするわけです。僕は「これは勝てない」と思い、演劇やコントをつくっていました。商店街の空き店舗とかをつかって披露して…と誰もやる人がいないことばかりやっていましたね。
― 「佐藤ねじ」という名前もその頃から?
大学時代、ベトナムから留学してきた友だちが僕のことを「Neji!Neji!」と呼ぶんですね。「なぜ僕のことをねじと呼ぶの?」と聞いたら、「ベトナム語でやさしいという意味なんだよ」と教えてもらって…。
― へぇ。ベトナム語に由来しているんですね。
いや、全部ウソです。ウソなのに、みんな結構信じてくれるから罪悪感がすごくて。
― …ちゃんと説明してもらえますか?
本当は、実家の近所に「ネジの佐藤」っていう看板があって、なんとなく名乗ったら定着しちゃったという。本名は嘉彦(ヨシヒコ)です。なんかすみません。
ただですね、「ねじ」を名乗るようになってから不思議と活動の幅が広がっていったんですよね。独学でWebを勉強して、個人ワークも本格的にスタートして。カヤックの仲間たちと知り合ったのも、個人ワークがキッカケです。
― ねじさんのキャリアを語るうえで個人ワークの存在って大きいと思うのですが、カヤックに勤めてからも個人ワークにも精を出していたのはなぜだったんですか?
アウトプットしないことに危機感を覚えたからです。カヤックに入社して2年くらいは仕事漬けの毎日で、2012年の夏に体調を崩して3週間ほど入院してしまったんです。でも、やることがないから、これまでメモ書きしてきたアイデアを整理しまくったんですね。
そこで、ストックしているだけじゃ永久にアウトプットできないことに気づかされて。僕が土日をつかってプライベートで作品づくりを始めたのはそれからです。“アウトプットしないと死んじゃう!”と思って。だから結果としては入院してよかったですね(笑)。
― ズバリ聞きます。なぜカヤックを辞めるんですか?
念のため言っておきますと、ケンカ別れしたわけではありません(笑)。カヤックのことは大好きだし、最高のメンバーがそろっています。たくさんのことを学ばせていただいたので、感謝もしています。
ただ、カヤックでの仕事や個人ワークを通じて、自分の手が届く範囲で完結するような数人規模の仕事が好きだと気づいたんです。カヤックの仕事は、当然規模が大きい。意思決定に関わる人も多いので、エッジの効いた仕事をしようにも角が丸くなっちゃう感覚があるんです。自分にとっておもしろいものをつくることがカンタンではなくて。
― ねじさんにとって“おもしろい”ってどういうことなんですか?
人の心に残るってことだと思います。短期的なバズではなく、長期的なバズというか。
インターネットの世界でSNSって通知表みたいになってましたけど、最近はTwitterのスコアも表示されなくなって、「バズればいい」という考えもなくなってきている印象を受けます。仮に20いいね!だったとしても、誰がどういう気持ちでその「いいね!」を押してくれたのかというところにはこだわる仕事がしたいな、と。
― 人の心に残る仕事をするために、考えていることってありますか?
これからは、もっと規模の小さい仕事にも挑戦していきたいと思っています。それこそ「空いている土俵を探す」ということなんですよね。
デジタルでおもしろいものをつくれる一流クリエイターってたくさんいるじゃないですか。いわば「混んでいる土俵」だらけなわけです。僕が飛び込んでも、二番煎じ、三番煎じになるだけ。わざわざ僕がやらなくてもいいかな、と思ってしまうんですよね。
僕はデジタル領域のクリエイティブの可能性を信じているからこそ、もっともっといろんな分野で活用されるべきだと思っています。たとえば、田舎の蕎麦屋さん。お店の雰囲気はすごい良くて、ポスターやメニュー表とかは味があって、でもWebサイトには味がなくて、ただイケてないサイトになっていることってありますよね。デジタルになると、急に「らしさ」がなくなる店ってまだまだあるんですよ。だから、田舎の蕎麦屋に、最高のクリエイティブを注いでみたいですね。
たとえば蕎麦屋にAppleっぽいUIを適用しても、店の良さが損なわれてしまうと思うので「雰囲気の良さ」を活かしつつ、UI的にも見やすいサイトとか。あるいは、蕎麦屋とテクノロジーの絶妙な交差点を見つけるのもおもしろそうですよね。VRやAIのような先端の技術を、蕎麦屋に注ぎ込むクリエイターはあまりいなさそうですし。今まで培ってきた高密度なクリエティブを、普通は注がれない場所に思う存分注いでみたいです。「この蕎麦屋なんなのw」みたいな感じで。
― お話をうかがって、とてもステキな野望だと思いました。
立ち上げるのは、「水たまり」という意味の《ブルーパドル》という会社なんですが、社名のとおりブルーオーシャンではなく、小さなブルーオーシャン、つまりブルーパドルを見つけたいと思います。案件の大小ではなく、試行錯誤を通じて世の中の次のテーマになるようなものと出会えればいいですね。
香川県による「うどん県」のプロモーションがありましたよね。あのプロモーションを通じて、世の中に"地方自治体がおもしろいことをやってもいいんだ”という流れが生まれたと思うんです。実際、「うどん県」を参考にする自治体も増えたし。常識の枠を突破して、分岐点になるようなアイデアを生みたいと思っています。マルセル・デュシャンが、新しい現代アートの世界を提示したように、僕もニッチな世界におけるデュシャンになれたら最高ですね(笑)。
― それで言うと、今どんなことに興味を持っていますか?
たとえば、プロジェクションマッピングやブログパーツ。プロジェクションマッピングが出てきたのは5~6年前なのに、少し古くなってきている風潮ってありますよね。ブログパーツに至っては、完全にオワコン扱いされています。
不思議なことに、デジタルの分野って見限られるのがすごく早いんです。アートの世界であれば数百年以上前からある日本画や油絵の手法は現代でも新しい表現が模索され続けているのに、デジタルの世界では数年前に体系化された表現がすぐに「もう終わった」と言われる。でも、よーく目を凝らして、いろんな組み合わせやパターンを考えればまだまだ無限に可能性はある気がするんです。
だから僕は、今こそプロジェクションマッピングやブログパーツのブルーパドルを探してみたいと思っています。ドラゴンボールでナメック星の最長老さまが孫悟飯のポテンシャルに気づき、秘めたる能力を引き出すシーンがありますが、まさにあんな感じ。《ブルーパドル》は、限界と思われた表現・ジャンル・人・企業の、まだ隠れた可能性を引き出すナメック星人のような存在になりたいと思っています。
ただ、もちろん同時にAIやVRなどのこれからおもしろくなるジャンルでも、何か新しい表現には挑戦していきたい。特にバイオアートには強い興味を持っていますし。
― 33歳での独立。ご結婚もされていて、お子さんも小さいとなると、いろいろ考えちゃう気がするのですが…。
ありがたいことに、特に家族からの反対はないですね。子どもがもうすぐ小学校に入るので、都内の学校へ通うなら引っ越さなきゃいけない…まぁそういうタイミングだったのも独立の後押しになったかもしれません。
あと、実は僕、部分入れ歯なんですよ(笑)。でも、33歳で、部分入れ歯で、デジタル業界にいて、デザイナーで…ってフィルターをかけていくと、僕しかいないんじゃないかなって。たとえば入れ歯を使ったおもしろいデバイスをつくるときに、おじいちゃん・おばあちゃんのところへ行って「入れ歯を使わせてください」って頼むことも僕ならやりやすい。タイミングや巡り合わせに必然性を求めるわけじゃないけど、前に進むキッカケになればいいですよね。
― 最後の最後で入れ歯エピソードにはビックリしましたが、ねじさんの視点と考え方があれば、これまでデジタルに触れる機会のなかった人たちがより暮らしやすい世の中になるんじゃないかと本気で思います。独立、おめでとうございます。これからのご活躍を心から願っています。歯は大事にしてくださいね!
文 = 田中嘉人
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