編集者、原田優輝。彼の周りにはいつも面白い化学反応が起きている。川田十夢などのクリエイターがインタビューアーとして登場するインタビューサイト「QONVERSATIONS」。地域間交流をテーマとしたメディア『〇〇と鎌倉』。仕事と暮らしを緩やかに繋いでいく。その自然体な生き方に惹かれ、鎌倉へと訪ねた。
多くのクリエイターたちが、彼の鋭い編集者眼に惚れ込んでいる。
原田優輝さん。
現在フリーランスの編集者として活躍している原田さんは、もともとWebマガジン『PUBLIC-IMAGE.ORG』の編集長。2007年の創刊から5年間に渡り、デザイン、音楽、ファッションetc...幅広いカルチャーを独自の切り口で取り上げてきた。
『PUBLIC-IMAGE.ORG』の休刊後、サイドワークとしてインタビューサイト『QONVERSATIONS』を立ち上げる。
『QONVERSATIONS』は、ただのインタビューサイトではない。主宰の原田さん自身は取材せず、クリエイターや文化人たちが「いま、本当に話を聞きたい人」にインタビューをする。これまでインタビューアーとして登場したのは、開発ユニットAR三兄弟の川田十夢さん、音楽家の蓮沼執太さんなど。各分野の先端を走る彼らの問いに、現在進行形の視点や本音が浮き彫りになる。この活動をはじめてすでに4年余り、原田さんがライフワークとして活動を広げているのも驚きだ。
そんな原田さんは、10年以上住んできた東京を離れ、1年半前に暮らしの拠点を鎌倉へと移した。
東京とちょっと距離を置きたかったんです
社会人になってからの十数年間、人、モノ、情報が集まる東京で働き、暮らしてきた原田さんは、次第に東京と適度な距離が保てる場所に拠点を移すことに興味を持つようになったのだという。
鎌倉に移り住んで1年と半年。原田さんは地域間交流をテーマとしたローカルメディア『〇〇と鎌倉』をスタート。毎回フリーペーパー名が変わってしまう、とてもユニークなプロジェクトだ。
鎌倉移住、リトルプレス『〇〇と鎌倉』の発行、インタビューサイト『QONVERSATIONS』の運営…原田さんを見ていると、自分の価値観や大切にしたいことを軸に、仕事と暮らしを緩やかにつないで、ユニークなプロジェクトへと形にしているように感じる。その自然体な生き方に惹かれて、鎌倉に住む原田さんのもとを訪ねた。
【プロフィール】
原田優輝 Yuki Harada
1981年生まれ。編集者。「DAZED&CONFUSED JAPAN」、「TOKION」編集部などを経て、Webマガジン「PUBLIC-IMAGE.ORG」編集長を務める。2012年にインタビューサイト「QONVERSATIONS」をスタート。また、フリーの編集者/ライターとしても、カルチャー、デザイン系媒体の企画編集・寄稿、ムック制作、クリエイターのコーディネート、トークイベントの企画・司会進行などを手がけている。2016年11月に地域間交流をテーマにしたイベント連動型のペーパーメディア「◯◯と鎌倉」を創刊。
― 原田さんはフリーの編集者として働きながら、ライフワークとしてご自身の活動にも力を入れていらっしゃいますよね。そのきっかけから教えていただけますか?
5年間編集長をしていた「PUBLIC-IMAGE.ORG」というWEBマガジンでは、アート、デザイン、音楽、ファッションなどあらゆる分野のクリエイターにインタビューを続けてきたのですが、それが更新終了になった2012年頃には、僕にとってインタビューはライフワークに近いものになっていました。自由にインタビューができる場をこれからも持ち続けたい。そう思って、『QONVERSATIONS』というインタビューサイトを、個人的なプロジェクトとして立ち上げました。
ただ、今までと同じことをやっても面白くないなと思ったので、僕が今までインタビューをしてきたクリエイターたちに、こんどはインタビュアーになってもらうことにしました。『QONVERSATIONS』では、クリエイターや文化人を聞き手に招き、彼らに話を聞きたい相手を選んでもらっています。
― とてもユニークですよね。編集者がインタビューしないというのは。
それぞれの分野で先端を走るクリエイター、文化人の方々は優れたインタビューアーでもあることが多いんです。それは、彼らが考えている現在進行形の「問い」の中にこそ、刺激的な未来のタネが隠されているから。実際に取材の現場では、こちらがハッとさせられるような刺激的な質問が次々と飛び出し、クリエイターたちの示唆に富んだ問題意識や視点を垣間見ることができるんです。
― 普段の仕事と並行しながらサイドプロジェクトを続けるのは大変じゃないですか?
そうですね、大変な時もあります。
週末を「QONVERSATIONS」の原稿執筆に費やしたりしていると、何やってんだろう・・・と自分で思ったりもします(笑)。でも、特に人から頼まれたわけでもない、「本当に自分がやりたいこと」を形にするからこそ新鮮な発見があったり、新しい関係性が生まれたりもするんです。
普段のクライアントワークでは、誰にどんなテーマで取材をするのか決まっていることも少なくないので、得られる経験やスキル、人とのつながりは限られたものにとどまってしまいます。だからこそ、クライアントワークとは一線を引いたところで、自由に関係を広げていける場を常に持っていたいんです。
― 2015年には「QONVERSATIONS」から2冊の書籍も生まれましたね。
はい。この2冊の本は同じ体裁をしていますが、実は1冊は出版社から、もう1冊は自費出版で出したものなんです。出版社から支払われた印税を、そのまま自費出版の費用にしたというわけです(笑)。
― どうしてわざわざ自費出版を?
自分で本づくりを経験するなかで、いろんな発見があるんじゃないかなと。普段の仕事では営業や流通はおろか、価格や発行部数の設定に関わることはありませんが、自費出版では、これらもすべて自分で担う必要があります。まず、一言に発行部数1000部と言っても、それが直接自宅に送られてくるまではどの程度の物量なのかもわからなかったので、それだけでも新鮮な体験になりました(笑)。そこからは、この本を置いてもらいたいと思う全国の書店1軒1軒に営業の電話をかけていって、配送の手配も自分たちでして。
利益という観点から考えると、このプロジェクトで儲けはほとんど出ていませんが(笑)、本づくりの一連の工程を経験したことで色んな発見があったし、それが後の仕事などにもつながっていきました。
― 記事制作や編集の仕事をしたり、イベントやワークショップを開いたり。ひとつの枠にとらわれることなく幅広く活動されていますが、原田さんはご自身のことを何者だと捉えていますか?
僕自身は自分のことをやはり「編集者」だと思っています。
自分でも最近やっと見えてきたことなのですが、僕は、普段であれば交わらないであろうもの同士が出会うきっかけづくりを、メディアを通してやっていきたいのだと思います。人、モノ、情報、体験などさまざまなものの関係性を見つめ直し、再構築していくことで、新しい視点やものの見方を提示していくということに興味があるのかもしれません。
「QONVERSATIONS」にしても、「〇〇と鎌倉」にしても、偶然の出会いや新しい関係性の構築がテーマになっています。
たとえば、SNSというのは、もともとつながりのある人たちの情報はタイムラインに流れてきますが、自分の関心の「外」にある情報にはなかなか出会えません。どこかで情報が遮断されてしまい、新しいものと出会えない状況はおもしろくないですよね。
もちろんSNSは便利なツールだし、僕も使っていますが、SNSでは出会えない情報や体験を何かしらの形で提供するということは、いま編集者としてやるべき仕事のひとつなのかなと思っています。
― 「偶然の出会いをつくりたい。新しい関係性をつくりたい」。そう思われたきっかけなどはあったのでしょうか?
いま振り返ると、2011年に起きた東日本大震災がひとつのきっかけになっているのかもしれません。あの出来事があった時に、東京以外の地域で起きていることにほとんど目を向けていなかった自分に気付くと同時に、さまざまな情報やモノが東京に集中しすぎている状況に危機感のようなものを覚えて。
当時の東京は、あまりにコミュニティが細分化され過ぎていて、コミュニティ間の交流があまりないように感じたんです。一方、東京以外の地域に足を運んでみると、そこには東京とは違うコミュニティのあり方、コミュニケーションの濃密さがあって。そういう自分が肌で感じたことを、東京の人たちにもっと知ってもらいたいと思うようになっていきました。
― 震災後、ローカルへの世の中の関心は高まりましたよね。地域をテーマとしたメディアも増えているように思います。
そうですね。震災以降、ローカルにスポットを当てたメディアやイベントが続々と生まれましたが、そこにはどうしても「中央と地方」、「都会と田舎」といった二項対立的な構図が見え隠れして、違和感がありました。
その不自然な関係性を作り直していきたいなと思って立ち上げたのが、『〇〇と鎌倉』です。
地域の魅力的な人や場所にスポットを当て、広く紹介することはメディアのひとつの役割ですし、まだそれを知らない人たちにとっては有益な情報になり得ます。でも、ローカルというものが、メディアの都合によって切り取られている側面は少なからずあると思うし、それは、その地域に暮らす人たちの存在や営みが、コンテンツとして消費されてしまっていると言い換えることもできるかもしれません。
もっとフラットな地域と地域の関係性をつくることで、何か面白いモノやコトが生まれるんじゃないか。よそ者としてその地域を見るのでもなく、地元の人間として魅力を発信するのでもなく、その中間に立つからこそできることがあるんじゃないか。そんな思いが、このプロジェクトの発端になっています。
―『〇〇と鎌倉』という名前もユニークですよね。
ありがとうございます。じつは〇〇のところには毎号異なる地域の名前が入る予定で、発行するごとにタイトルが変わっていくんです。
初回のパートナーは長崎県の五島列島だったので、『五島と鎌倉』になりました。発行したフリーペーパーでは、「地域の食堂」をテーマに、それぞれの街にある食堂やカフェのスタッフをSkypeでつないだ対談企画や、地域密着型ミュージシャンをテーマにした取材記事など、ふたつの地域をつなぐさまざまなコンテンツをつくりました。
また、イベント開催時には、鎌倉の作家さんたちに、五島の特産品である椿を使って作ってもらったオリジナル商品を販売したり、鎌倉のいくつかの飲食店では五島の食材を使った特別メニューを提供してもらったりしました。そして、五島の食材を使ったケータリングや島の新酒を楽しみながら五島と鎌倉のことについて話すトークイベントや交流会も開催しました。この後、今度は鎌倉の人たちが五島に行ってイベントをすることにもなったり、関係性は今も続いています。
「◯◯と鎌倉」は、メディアを作ること自体が目的ではありません。メディアを作る過程で、新しい関係性や交流の場が生まれることが大切なんです。最終的なアウトプットは、フリーペーパーでも、イベントでも、ウェブコンテンツでも、プロダクトでも何でもいい。そのアウトプットに行き着くプロセスの中で、いかに新しい出会いや関係性をつくれるかということが、僕にとっての「編集」なんです。
― どこで暮らすのか。ここも原田さんの活動が広がっていることに影響があるように感じます。どうして鎌倉に移住されたのでしょう。正直、東京にいたほうが仕事はしやすいように思うのですが?
もともと好きな場所だったというのもありますが、鎌倉に行った時にフラッと入った不動産屋で物件を見せてもらったら、すごく良い場所と出会ってしまって。そこからはトントン拍子で話が進み、気付いたら移住していました(笑)
フリーランスだったこともあり、交通の便についての心配はあまりなく、むしろ、東京と適度な距離が置けることはプラスになるんじゃないかと漠然と思っていました。先ほど、「中央と地方」「都会と田舎」という話をしましたが、面白いことにどこかに出張に行ったときに「東京から来ました」と言うのと、「鎌倉から来ました」と言うのでは、現地の人の反応がちょっと違ったりするんです。東京に対しても、それ以外の地域に対しても、独特の距離感が取れることで、東京にいた頃とは少し違うコミュニケーションが生まれる。そこにも面白さを感じています。
― 地元に暮らすということで共感が得られるということもあるのでしょうか。実際、暮らしてみて変化はありましたか?
鎌倉で暮らし始めてから1年半。少しずつ仲間が増え、この街の魅力も見えてきました。その中で、鎌倉という街と、編集者である自分がどう関係していきたいかをリアルに考えられるようになってきたことで、「◯◯と鎌倉」も自然な形でスタートできたのかもしれません。
鎌倉には個人経営のお店が多いこともあって、近所のカフェでコーヒーを飲むとか、行きつけの肉屋で食材を手に入れるというようなことに自覚的になった気がするし、そうしたシンプルな日常の行動によろこびを感じるようになりました。
働く場所と暮らす場所が一緒だったからか、東京にいた頃は、働いてお金を得ること、モノやサービスを消費すること、日々の暮らしを営むことなどが、漠然と一緒くたになっていたような気がします。鎌倉に来たことで自分と、「仕事」「地元」「暮らし」それぞれの距離感というものを意識するようになり、またそれらが緩やかにつながり、循環しているような感覚を持てるようになりました。
「〇〇と鎌倉」はまだスタートしたばかりのプロジェクトですけど、ゆくゆくは自分の拠点である鎌倉という場所で実践したことを、違う地域にも展開していきたいと考えています。だから、最終的には「〇〇と鎌倉」じゃなくて、「〇〇と〇〇」でいいんです(笑)。今この場所で暮らしているからこそできることを、まずはしっかりとカタチにしたい。そして、それを他の地域にも展開していくことで、活動を広げていきたいと思っています。
「◯◯と鎌倉」にしても、「カンバセーションズ」にしても、お金をもらえるからやる、やらないというジャッジではなく、自分だからこそできることというのをまずは大切にしたい。これらは、いわゆるライフワークと呼ばれる類のものなのかもしれませんが、決して単なる趣味や遊びではないんです。だからもちろん、経済的な価値も生み出したい。それは、働くことと生きることを地続きにして、循環させていくことでもあるのだと思います。
― 単に取材してメディアで取り上げるのではなく、新しい関係性をつくっていく、生活と結びつけていく。編集のあり方、編集者の暮らし方を考えるときにもすごく参考になるお話でした。これからの『〇〇と鎌倉』の展開、そして原田さんの取り組み、とても楽しみにしています。本日はありがとうございました!
文 = 野村愛
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