2014.03.11
恥をかけ、挫折せよ|PARTYが考えるクリエイターという存在[1]

恥をかけ、挫折せよ|PARTYが考えるクリエイターという存在[1]

国内外、数々のクリエイティブアワード受賞実績があるPARTY。広告、WEBという枠組みで語れないほど、活躍シーンが多岐にわたっている。ファウンダーでありクリエイターである伊藤氏と中村氏は、クリエイターの役割をどう自認しているのか。クリエイターの存在意義を問う。

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伊藤直樹・中村洋基の考えるクリエイターという存在

広義の『クリエイティブ』に関心を持つ人であれば、注目する存在のひとつにPARTYの名を挙げるだろう。カンヌ国際広告祭や文化庁メディア芸術祭など、国内外の主要アワードで輝かしい功績を挙げていることは、あまりに有名だ。

彼らの作品をみると、時代の時々における驚きと新鮮さに溢れている。先鋭的なテクノロジーを用いて、新しい体験をもたらしてくれるのだ。それでいて、懐古的であり人間味も感じられる。



例えば『OMOTE 3D SHASHINKAN』。家族写真を撮影し、3Dフィギュアが成形される。3Dスキャナと3Dプリンタという最新機器を使いつつ、「家族」という普遍的なテーマが根底に据えられているように感じる。

広告やWEBなどいわゆる「職業クリエイター」の枠組みでは、彼らの活動を語ることはできない。PARTYは自分たちを、いかなる存在だと考えているのか。それに求められる素養は何なのか。

PARTYのファウンダーでありクリエイティブディレクターとして時代を席巻する、伊藤直樹氏と中村洋基氏に話を伺った。

トップクリエイターの考える存在意義と資質を知ることで、クリエイターのあり方と未来のクリエイティブの行き先をおぼろげにでも見据えてみたい。

テクノロジーを日常に根付かせる存在

伊藤直樹氏

伊藤直樹氏


― PARTYさんの活動を見ていると、もう広告という枠も、既存のクリエイターという枠も大きく越えていこうとしている、と感じています。OMOTE 3D SHASHINKANなど自社プロジェクトも大きな話題になりましたよね。


伊藤:OMOTE 3D SHASHINKANの時は、3Dスキャナと3Dプリンタっていう、圧倒的に世の中を変えていくモノがあり、やっておく方が良いと思ったんです。みんな同じように嗅覚で感じているじゃないですか。

だから世間は「3Dプリンタ、3Dプリンタ」って言ってる。でも値段の問題もありますが、すぐには浸透しないですよね。テレビだって10年、20年かかって普及していった。それと同じで、3Dプリンタも人々の生活に根付くまで時間がかかるでしょう。僕たちは、その先鞭でいたいという思いがありました。

誤解を恐れずに言うと、デジタルってどこか「人肌感がない」とか「チカチカして目に悪い」って心理的な部分で思われてる。それが「人肌の温もり」や「キレイになった」みたいな本能的に感じられるようになると、一気に広まると思うんですね。


― だから、テクノロジーを駆使しながら、でもデジタル、デジタルしてないんですね。すごいことなのに自然というか。


伊藤:つくられていくプロセスはデジタルだけど、アウトプットはとても本能的だっていう。そこに介在したり、「技術」と「生活」の媒介者になれるのはクリエイターという存在なのかもしれません。

結局は僕なんか、根がふざけた人間なんですよ。子どもの頃にピーキャー言ってたことが、大人になった今でも楽しくて。それをテクノロジーで実現していく。テクノロジーが前に出すぎると不自然になりますよね。そこのバランスは大事にしたいところです。

「恥」の経験から生まれるクリエイティブ

― 以前、講演会で「クリエイターにとって大切なことは?」という質問が出て、「恥をさらすこと」と語られていましたよね。それはどういうことなのでしょう?


伊藤:『宇宙兄弟のムーンジャンプ』っていうアプリがあって。世界中で同時にジャンプして「地球にいなくなる」という体験ができるアプリなんですけど…これ、洋基くんの子ども時代の思い出がヒントにもなっていて。「恥」から生まれていてすごい好きなんですよ。


宇宙兄弟 iPhone App「地球にいませんでした MOON JUMP」


中村:じつは、子どもの頃、年越しの瞬間はカウントダウンに合わせて、必ずジャンプしていたんですよ。「その瞬間、おれは地球にいなかった」みたいな状況を作りたくて。この活動を続ければとんでもないことが起こるんじゃないか?と。

それだけじゃ飽き足らず、高校生になって、年越しの瞬間に外へ出て全裸でジャンプするようになりました。何かが起こるんじゃないか?とワクワクしながら飛んだのに…結局、何も起きなかったんですよ。もうガッカリしちゃって。

家に帰って親に「裸でジャンプしたけど何も起こらなかった」と話をしたんですよね。そうしたら逆にすごいガッカリされたんですよ。親は「なんてバカな子だろう」と思ったんでしょうね。しまいには親同士で「誰だこいつを育てたのは」「お前が育てたんだ」「あなたが育てたんでしょ」とケンカを始めた。

子どもの頃、こう見えて結構夢見がちな少年だったんです。バカなことばっかりやっていて…ただ、まわりから見たらバカでも、自分なりにはちゃんと意味があった。


― 子どもの頃って、確かに「自分ルール」とかつくりましたよね。「この小石を蹴りながら家まで帰る」とか「横断歩道の白い部分からはみ出したら負け」とか。こういう話をすると意外と色々な人に共感してもらえる。


伊藤:この『ムーンジャンプ』はなんで滑稽なんだろう?って思った時に、「子どもながらに大切にしてやっていたこと」に対する共感だったりするわけじゃないですか。それを洋基くんが告白してなかったら、あのカタチにはなってなかったなと。

世の中の人たちは作品が生まれた背景を知らないけど、それぞれ自分の中にある幼心と結びつけて「なんか皆で飛ぶと楽しい!」というところにつながっていく。つくられていくプロセスにちゃんと温度のある体験があって、それがユーザー体験にもつながる。こういう部分ですごい好きなんですよね。


― そういった「思い出」や「恥」から、みんなの原体験や心理に刺さるクリエイティブが生まれるということかもしれませんね。ある意味でクリエイターの人間味が問われるというか。


中村:僕が伊藤を見ていても…なんか変なところで、変なサービス精神があったりしますよ。変なところで服を脱ぎだしたり、部下を脱がせようとしたり。「大丈夫かこのおっさん」みたいなことはよくあって(笑)。まぁ場を盛り上げるというか。

仕事だけで面白いことをやろうと割り切るよりも、サプライズが好きとか、サービス精神があるとか、意外と大切なのかもしれないです。

自分の欠落感を自覚して乗り越える力

中村洋基氏


― 先ほどの話から、クリエイターが個人としてどう生きてきたか?何を感じてきたか?という部分もアウトプットや表現する行為に影響するのかな、と感じました。


中村:直接関係するかわかりませんが、僕は昔から運動が苦手だったんですよ。人と結果を競う、もしくは自分の失敗が他人に迷惑をかけるのが嫌いで。つまりほぼ全てのスポーツがダメ(笑)。


頭がズバ抜けて良かったわけでもないし、このコンプレックスを何かで埋めなくちゃいけないな、と。だから子どもの頃はおどけて面白いヤツみたいなキャラでいたり。

色々と試しながら大学生の頃には、他の多くの人と同じように「俺って何なんだ!?」みたいに悩んでいました。自分の中でやりたくないことをやってみると、当たり前ですけど、必ず並みの人以下。「これだったら自分にできる」というものに出会わないと、どうしようもないまま死ぬと思ってたんですね。

その後、電通に見習いで入って、「あ。俺のがんばりポイントはここかもしれない!」と思えるものに出会えた。それまで色んなコンプレックスを抱えていて、恥もたくさんかいて。それはもうすごい怨念ですよ。怨念パワー。


― なるほど(笑)。そういった意味で「恥」と「挫折」はすごく近い感覚ですか?


伊藤:超近いです!いいですね、それ。自分ができないからこっちに行こうとかする、コンプレックスが表現に活かされることがすごく大きくて。できないことを乗り越えようとしながら、隙間を縫いながら一番自分らしい道を探していく。そうすると表現の尖った部分が見えてくるというか。

徹底的に自分のできないことを自覚する。例えば絵が描けない人は、徹底的に絵を描かないクリエイティブを追求するわけじゃないですか。でもそれが、その人の強さだったり、才能を磨くことにつながっていく。

本人がコンプレックスに思っている部分が才能の場合もありますし、まったく違う部分の場合もある。そもそも、コンプレックスを自覚していない可能性も高いですよね。自分の欠落している部分と向き合って、認めるって大事で。

僕は自分に対して欠落感をすごく感じていて…きっとPARTYのみんなもそうなんじゃないかな。欠落感を自覚しているからこそ高みを目指せる。そういうところが素敵だったりするんですよね。


▼PARTY伊藤直樹氏・中村洋基氏インタビュー第二弾
気持よくさせて、裸にする|PARTYの育成論考[2]


[取材・文]城戸内大介・白石勝也



編集 = 白石勝也


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