「はてなブックマーク」の開発者であり、GREEにてソーシャルメディア開発を指揮した経験も持つ伊藤直也さんへのインタビュー。後編では、ソーシャルメディアの本質的な存在価値とは何か、そしてインターネットがこれからどのように変化していくのか、考えを伺った
― 伊藤さんご自身も、創成期の頃のインターネットのほうが良かったとお考えなのでしょうか?
少しはそういう所もありますけど、100%そう思っているわけでもないです。僕は1996年くらいに大学ではじめてインターネットに触れたんですけど、そこからしばらくネットゲームしかしてなかった。オープンソースのムーブメントとかLinuxとか、いわゆる90年代のインターネット革命の時はただのユーザー…というより、ゲーマーだったんですよね(笑)
結局僕がインターネットで仕事するようになってそれ以外の部分に多く触れるようになったのは、ニフティに入った2002年、創成期の勢いがある程度落ち着いてGoogle検索が伸び盛りで、ブログなんかも出てきはじめた頃でした。そういう時代のずれもあるからか、僕自身は同世代の人に比べてそこまでインターネットに期待しすぎていないところもあります。「道具」が変わったからといって人間の精神が変わるわけないだろうと、少しはそういう考えを無自覚にも内面化できていた。
当時はブログも普及してなかったしソーシャルネットワークもなくって、まだまだ「道具」が足りない、最低限の「道具」が必要とされていた時期だった。だから開発者としては「道具」を作るのが正義だと思えたし、何の疑いようもなくブログを作ったり、ソーシャルブックマークを作っていたというのはありましたけど。
― 一歩引いておられますが、実際に作っておられた時は野望のようなものもあったのでは?
それはもちろんそうです。作っているときはそれに集中しているし、夢中だったので。当時だったら「ソーシャルブックマークが世界を変える」って、普通に語ってたと思います(笑)。ただ冷静に考えてみると、当時も一番はじめはそこまで大きな野望を持って作ったわけではないですからね。最初から「将来これこれこういう影響力を持つだろう」と思ってサービスを作ったなんてことは全くなくて、ヒットしたらいいなあとか、結果的に何か見返りがあったらいいなあとか、極端な話そんな感じで。
ただ実際に作ってみてユーザーが使い始めたら、なるほど自分が作ったサービスに、自分でもきづかないこんな側面があるんだっていうのが見えてきたりもして。はてなブックマークを作ってみて一番面白いなと思ったのは、一つ事件が起きたときにいろんな記事や発言が集まってきて、事件を多角的に捉えることができたことでした。もちろん能動的に、新聞をはじめ複数の情報を比較すればできたことなんだけど、その能動的にエネルギーを使っていた部分をサービスが面倒みてくれたというか。で、それが何か特定のニュースだけを見て理解したつもりになっていたのに比べると、随分まともな視点で物事を捉えることができるように感じた。
今でこそTwitterやSNSでそういう経験する人が増えたと思うんですけど、ソーシャルブックマークもその役割を果たしていたんですよ。そこがサービスのすごく良い部分だと分かったので、以降はその一面を伸ばそうという意識して作っていきました。
最初はあまり多くのことは考えていなかったけれども、サービスを作っていくうちにだんだんとそういう野心というのかな…そういうものができていったと、そんな心の変化はあったと思います。
― これからのソーシャルメディア、ひいてはインターネットそのものは、どう変化していくとお考えでしょうか?
それが分かれば、あんまり苦労しないんですけどね(笑)。未来予測は苦手です。
そうですね…ここ数年でいえばFacebookの映画《ソーシャル・ネットワーク》が公開されて、猫も杓子もFacebookだという雰囲気になりましたよね?そうなった時、僕自身がやや匿名性のあるサービスを作っていた立場にいたこともあって、「自分の思っていたインターネットはそうでなくなる」と感じたんです。自分の作ったものが否定され、「これからはリアルグラフのインターネットだ」というような雰囲気すら感じた。「これから、あのFacebookの写真の人たちがインターネット上にあふれていくのか…」って、なんだか個人的に妙に感傷的になって落胆していました。
でも、いざ大勢の人がFacebookを使っているという状況になってみて、そんなFacebookが果たしている役割も実はすごく限定的で、言うほどインターネット全体を覆っているわけでもないんだなって、それが分かってきました。Facebook、Twitter、mixi、はてなもそうですけど、SNSが一通り出揃ってようやくすべてが相対化される状況が整ったんだと思います。これからは、その一通り出揃ったものを踏まえて「じゃあ、あなたはどのインターネットが良いですか?」とか「この場面ではどのサービスが良いですか?」という議論ができるようになっていくのかなと思っています。
Facebook以前というのは、実名前提のWEBサービスというものが存在しなかったので、何かネット上でトラブルが起こると「実名を使っていないからこういう問題がおこるんだ」と、すぐにそういう議論になったりもした。2ちゃんねるが諸悪の根源みたいな言い方をする人なんかもいてね。「リアルなインターネットがあれば、炎上もないし議論も建設的になるだろう、他人に石投げるヤツも出てこないだろう」って。
で、いよいよFacebookが登場して、どうなったか。確かに目に見えた炎上はFacebookのアカウントを前提にすると少ないのかもしれません。でも中身…そこから抽出された主張なんかを見てみると、社交辞令的なものだったり妙に格好つけたものだったりが多くて、ものすごく違和感があるわけです。こういう状況になってみて、自分の作ったものを含め、改めて全てのWEBサービスがそれぞれにそれなりの役割を果たしていて、またそれぞれ毒をもってるんだと理解できるようになりました。
Facebookが出てこようと、結局2ちゃんねるもブログも必要とされているわけです。ブログなんて今「第3次ブログブーム」なんて言われていますよね。FacebookやTwitterを経て「やっぱり長いテキストはブログに書きたい」という人がまた増えてきている。それっていろんなWEBサービスを相対化してみて、改めて「ブログも良かったよね」という認識に落ち着いたということなんじゃないの、と思います。そういう流れが、今後もおそらく起こるんじゃないでしょうか。
Twitterが出てきたらしばらくはTwitterブームになるし、Facebookが出てきたらFacebook一色になるし、新しいものにすぐ飛びついてワーワー騒ぐということもまた起きると思うんですけど、そのたびそれが落ち着いて前のものが見直されて。そういうふうに一つひとつのサービスが相対化されていって、良いところと悪いところを認識できるようになって、ようやくフラットな視点で見れるようになっていくんだろうと思います。ある意味、健全になってきたと言えるのかもしれませんね。
― それでも「ソーシャルメディア最高!」という論調で語られたり、「どのSNSが一番いいか?」という議論がなされることもまだまだ多いですよね?
個人的には、そういう話はもうそろそろ止めたほうがいいのになあと思いますけどね。普段ソーシャルメディアを絡めた企画をやってらっしゃる方ならご存知だと思うんですが、ソーシャルメディアって「それだけ」では言うほど効果ないじゃないですか(笑)。ソーシャルメディアマーケティングとか、ブログマーケティングとか、「ソーシャルの要素を絡めないともう広告じゃない」みたいなことを言われて、でも実際にやってみたらお客さん10人しか来ませんでしたとか…そんな苦笑いするしかないような事例がたくさんありますよね。
― ソーシャルメディアがあるから何かができるようになる、ということではないと?
僕、吉本隆明が好きなんですが、彼の本に「コンピュータサイエンスをやってる人間と話すと、あいつらヘンなんじゃないかと思う時がある」っていう一節があるんです。コンピュータサイエンスの学会や教授が、「コンピュータサイエンスがこのまま発展していくと、人間自体が素晴らしくなっていく」ようなことを言っている、と。でもそれはおかしい。確かに「感覚」は発展していくかもしれない、それ自体はよいことだけど、道具で「精神」は変わらないんだ。人間なんてそんなものだ、と。さっきの道具が精神云々というのはこの吉本隆明の受け売りです。
今、分からないことがあればGoogleでいつでもすぐに調べられる。昔の友達ともFacebookですぐにコミュニケーションできる。それ自体は素晴らしいこと。でも、それはあくまで感覚が発達したということでしかない。Googleで調べている人間自身が賢くなったわけではない。インターネットをやっていれば心が成熟していくとか、そういうわけじゃないんです。そこを取り違えてしまうと、「ソーシャルメディアがすべて」みたいな論調になってしまうんじゃないでしょうか。どんなにFacebookで「いいね!」をつけあっても、精神的に成長はしない。むしろ、退化していくかもしれない。
いきり立ってソーシャルソーシャルと言っても、なかなか夢のようなことは起こらないんですよ。そんなに儲かるわけじゃないし、思うような結果が得られるわけでもないし。もっと地に足をつけて考えていくべきだと思います。
― 地に足をつけて考えたとき、ソーシャルメディアにはどのような価値があると思いますか?
それこそ15年前からあったことと根っこは変わらないんです。物理的制約を超えたところで人とコミュニケーションできるということに尽きる。そこに過度の期待感を込める必要はない。
一方、コミュニケーションの手段としては非常に優れていて、だからFacebookとかLINEとか、そういうものが広く多くの人に使われる。Facebookに関していえばFacebookメッセンジャーとグループ機能は、離れた友達と連絡しあうという本来の目的を上手に叶えてくれるので、自分も便利に使っています。最近メールを送ってくる人が極端に減って、ほとんどFacebookメッセンジャーで送ってくるようになりました。
ただそれって別にFacebookがなければできなかったことではなくて、それこそメールでも良かったんだけどって話で。それはできなかったことができるようになったというよりも、「よりカジュアルにできるようになった」ということだと思います。使いやすさの面である一定のレベルを越えると、みんなが使うようになって、それで以前より総合的には価値が高まった…そういうふうに思います。
― ソーシャルメディアというプラットフォームが確立したおかげで、そこで流通する「コンテンツ」に改めて光が当たるようになるのでは、とも思えるのですが?
例えば小説とか、何かものを書くっていうこと全般に言えることだと思うのですが、どういう読者がいるかとか、紙や電子含めどういうツールで読まれるかとか…それが書く人の態度にも、ものすごく影響を与えると思うんですね。小説も紙じゃないと出てこない作品があるはずだし、2ちゃんねるじゃなきゃ出てこない言説もあるはずで。そういう意味では、ソーシャルメディアがあったからこそ出てくる新しいコンテンツというのは膨大にあると思いますし、それがソーシャルメディアの価値だと言うことはできると思います。だからといって、そこでまた「ほらやっぱりソーシャルメディアはすごいでしょ」って、すぐに極端な礼賛をする必要はない。
先ほどお話した「第3次ブログブーム」もその一つだと思うんですけど、今のソーシャルメディア一辺倒の流れに対する「揺り戻し」というのが必ず出てくると思います。インターネットって大体そうなんです。一時期すごく火がついて手放しでもてはやされて、でもだんだん炎上とかネガティブな側面が表出してきて、どこかの時点で「揺り戻し」が起こって、カウンターのように新しいものが作られる。その繰り返しなんです。PathやLINEといったクローズドなネットワークサービスというのも、Facebookが大きくなってプライベートでなくなったことに対するある種のカウンターアプローチで出てきているものですよね。今後も、そういう流れは続くんじゃないでしょうか。
僕個人としては、もしもう一度インターネットのメディアを作るのであれば、Facebook的なものとは真逆にあるやっぱり半匿名的なところにフォーカスしていくだろうと思いますね。完全な匿名までいくとちょっと行き過ぎな気がするので、半匿名くらいのスタンスで。リアルグラフに基づいたサービスでは起こり得ない、もっと“インターネットっぽい話”ができるメディアのほうが個人的には面白いんじゃないかと思っています。
(おわり)
編集 = CAREER HACK
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