2015.03.06
スタートアップ成長請負人・山口豪志がクックパッド、ランサーズを経て得たキャリア[前編]

スタートアップ成長請負人・山口豪志がクックパッド、ランサーズを経て得たキャリア[前編]

クックパッド、ランサーズを急成長に導いた山口豪志さんへのロングインタビュー。前編では、クックパッドへジョインした背景からランサーズでの経験までを伺いました。

0 0 48 0

クックパッド、ランサーズの急成長を支えた男

クックパッドの14人目のメンバー、そしてランサーズの3人目のメンバーとして、両社の成長に大きく貢献してきた山口豪志さんへのロングインタビュー。

まさに、「スタートアップの成長請負人」とも呼べる彼は、エンジニアリングやデザイン、経営ではなく、ありとあらゆるビジネスサイドの役割を担い、常に高い成果を残してきた。

現在は、インキュベーション施設のマネージャー、エンジェル投資家、スタートアップのコンサルタントという複数の顔を持つ山口さん。自らのキャリアを振り返ってもらうとともに、営業や広報といったWEB・IT業界ではあまりフォーカスを当てられることの少ない職種で、圧倒的な存在感を発揮するために必要なことを伺った。

世の中のビジネスモデルをとにかく知りたかった

私のいわゆるビジネスマンとしてのキャリアのスタートは、人材企業でのインターンでした。それが2006年の4月です。当時はビジネスモデルこそ、ビジネスにおいて一番重要だと捉えていました。しかし、大学で昆虫分類学を専攻していた私はビジネスの「ビ」の字も知らなかったんです。

なぜ人材会社に入ったかというとシンプルで、世の中のビジネスモデルをいろんな形で知れると思ったからです。人材会社の営業は全ての業種業界のマネタイズのポイント分かるんです。どんな会社にも、人が必要なので、まさに全てに接することができる。こんなにいいスキームはないなと思って。人材会社にお世話になって、あれこれ知ることができました。

山口豪志


そのインターンシップの営業先で声をかけられたのが、新卒で入社することになるクックパッドです。当時社長を務めていた佐野さんに営業をかけたところ、「お前はいくらもらっているんだ」といきなり質問をされて。「週4日勤務で12万です」と答えたところ、「うちに来い。15万出すから」と(笑)。

その誘いに乗って、まずはインターンの営業として入社するわけですが、様々なビジネスがある中で、クックパッドに惹かれた点は2つです。

一つはやっぱりインターネット。私は旅好きでよく海外に行くのですが、学生時代にタイからエジプトまで半年かけてユーラシア大陸を横断した時に、どこでもインターネットを通じて日本国内の友人などとコミュニケーションをとれることに衝撃を受けました。その体験がずっと頭の片隅にあったのです。

もう一つは「食」という領域です。インターネットで家庭のレシピを流通させているという話を聞いた時に、これだけ人の生活を豊かにできる可能性を持ったテーマはなかなかない、母や姉など身近な人も喜ぶ、幸せにできる領域だと思ったんです。

インターネットは世界中ですごく流行っているし、人々の生活を支える衣食住の食が掛け算になっているこのビジネスは、とんでもなく爆発する可能性がある、めちゃくちゃ面白いと。

それからクックパッドにインターンの営業としてジョインしました。仕事は純広告の販売です。まず当時の上司に言われたのが、「1か月1千万売り上げろ」ということ。まだ学生だった私は、その値段感もよくわからずがむしゃらに働きました。すると、1か月で800万ちょっと売れたんです。2か月目で1千万、3カ月目で1千3百万ぐらい売れて、トータル3千万以上販売しました。

ある程度成果を残すと、正社員として採用したいというオファーをいただきました。一度インターンを辞めて今度はバイクで日本一周する経験をして、2007年の3月にクックパッドの14番目のメンバーとしてジョインしました。

入社してからは、営業としてとにかく売上げをあげていきましたね。1年目で1.8億、2年目で3.2億、3年目で3.7億くらい売って。会社の売上の8割を自分が担っている状況まで成長しました。クックパッドがIPOしたのは私が入社3年目の2009年7月のことです。まさに会社の成長とともに自分も成長していた時期ですね。

クックパッドを辞めてランサーズにジョインした理由

私はクックパッドを2011年2月に退職しました。その理由は、「外貨を稼ぐビジネスを生み出したい」という欲求が私の中に在り続けていたからです。日本は資源が少ない国です。そして人口も減っている。だから知恵やビジネスモデルを絞りに絞って外貨を稼いでいかないといけないと強く感じていました。

クックパッドでそれができないと思ったから退職したのではありません。広告とユーザー課金の両軸で急成長してきたクックパッドでも、外貨を稼ぐにはまだまだ時間がかかると思ったのです。営業マンとして居続けるよりは、海外と勝負できるような新しい事業を別の切り口で自ら実行した方が良いのではないか、そう考え独立を前提に辞めました。

とは言え、事業プランやアイデアがもともとあったわけではありません。そこで私はまた旅に出ました。目的は2つ。未だ見たことがない世界を見ること。そして、事業プランを練ることです。今度は約半年かけて南米を周り、南極にも向かいました。

いろんな物事を見て考えて、南極に降り立ったのが、2011年の3月11日でした。南極にいるときはほとんどニュースに触れられずにいたのですが、大陸に戻った時に、日本でとんでもないことが起こったと知りました。すぐに帰国するかとても迷いましたが、今、自分一人が日本に帰っても何もできない、まだ旅の目的を達成していないと、留まることにしました。

その時に考えたのが、場所と時間に囚われない働き方を可能にすることを軸とした事業。ババっと一気に最初の事業企画を練り上げてました。それが、私の最初の起業のアイディアです。それがまさに、クラウドソーシングという事業のスキームだったんです。

帰国後、事業プランのブラッシュアップを繰り返しながら、起業の仲間集めをはじめました。そんな時に、クックパッド時代の同僚に、同じようなことをもう実行しているサービスがあると聞きました。

それがランサーズです。当時はまだ鎌倉で、社長の秋好さんが自ら開発していたサービスでした。私はすぐに問い合わせ窓口から直接会いたいという旨のメールを送り、彼に会いに行ったのです。それが2011年の11月ですね。私はブラッシュアップした企画書を彼らに出して、「こんなこと考えているんだけどどうだろうか?」と聞いてみたわけです。すると、「あながちこの数字なんかは間違ってないよ、こんな感じこんな感じ。良い線いってるよ」みたいな感じの反応で。そして、「これ俺は3年前に作ったよ」って言われたんです(笑)。少しムカっとしましたが、彼らはずっと前に思いつくだけでなく行動に移して着実に成長していました。その点は本当にすごいなと。

山口豪志

当時山口さんが秋好さんに見せた事業企画書の1ページ。


そんな出会いから、秋好さんとはよく意見交換する間柄になりました。実家のある岡山に帰って起業するかどうするか非常に悶々としていた時に、わざわざ岡山まで来て相談を受けるというようなこともありました。そんなことを続けていると、私自身はランサーズの一員として目指している社会を実現したいと思いはじめたんです。秋好さんはテクノロジーに強みを持っている一方で、私は営業や事業アライアンス、広報なら自信を持っていました。お互いに強みを活かして弱みを補完しあえるということです。

当時はクラウドソーシングという表現ではなく、「オンラインのお仕事マッチング」のような位置づけでしたが、絶対に必要になるサービスだ。これから新しい働き方がどんどん出てくる中でも、それをリードするサービスであるべきだと。まさに好きなこと得意なことで、他者を助け、能力が価値化されて、循環する社会、マーケットを作りたい。一緒にやろう、と。私がランサーズ3人目のメンバーとして入社したのは2012年3月のことです。

一切光の見えない暗闇をひたすら走り続ける感覚

入社前に実績を出そうと思ってやったことが、メディア露出の種まきです。最も影響力のあるTECH系メディアの記者とつながり、運良くランサーズの記事が掲載されました。

ただ、一記事出たところで事業に大きな変化はありません。私はそれから文字通り休むことなく働き続けました。駅から近いビルに入居する企業に一軒一軒訪問していく「ビル倒し」に、ほとんどガチャ切りされるテレアポを1日に数百件など、できることは全て手をつけました。しかし、いくら頑張っても一向にスケールしないんです。なまじ、クックパッドでの成功体験があったので、非常に悩みました。

そんな時に、営業行動というゴリゴリの方法でなく、広報的な視点から価値を生み出せないかと考えるようになりました。よりマスにリーチしたいとテレビに出ようと思ったんです。どうやったらテレビに取り上げられるかなんてわかりません。しかし噂話で、とある新聞に載ると同系列の影響力あるビジネス番組にピックアップされるという話を聞いて、少しづつアプローチをはじめました。ランサーズ内の成功事例を集めてメディア側に情報提供を進めて行ったんです。

その仕事が実ったのは約半年後の秋でした。新聞に載ると噂通りテレビ番組から取材依頼があり放送されたんです。すると、面白いように仕事が回り始めて成長軌道に乗りました。

「すげえ、これはやばい」心からそう思いました(笑)。それから、メディアリレーションも重視した仕事に切り替えて、カマコンバレーというキーワード生み出して発信したり。クックパッドとは違った成長をする企業を目の当たりすることが出来ました。

いま振り返っても、2012年は私の中でも非常に大きな転機でした。誇張なく365日ずっと働いていましたし、当時はずっと真っ暗なトンネルの中を全速力で走っている感覚です。基本ポジティブで、前向きに発想するタイプなんですが、半年も成果でないと、まあへこみますよね(笑)。

退職したクックパッドの急成長もいい意味でプレッシャーを与えてくれました。上場後も、会社・メンバーともに成長し続けていることを知ると、「自分は本当に成長しているのか、立ち止まっているんじゃないのか」「全然やれてないじゃないか」と、不安とフラストレーションが溜まりすぎて、成長欲求が満たされず、自分が悔しくて泣くみたいな夜もありました。

自分が持っているコアのスキルや経験はほとんど同じなんだと思いますが、サービスが違うと当然切り口が異なります。企業にどう提案したらいいか、どの部署にあたればいいのか、直接的なアプローチよりも間接的にプロモーションした方がいいのではないかなど、動き方から考え方まで一気に変わるんです。単に営業といってもすごく工夫が必要だし、知恵を絞らないといけない。2012年はそんな1年間だったなと今では思います。

苦労は買ってでもしろって言う人がいますが、本当に大変でしたね(笑)。結論としてはすごく人に助けられました。

[取材・文] 松尾彰大

▼後編はこちら
スタートアップ成長請負人・山口豪志がクックパッド、ランサーズを経て得たキャリア[後編]


編集 = 松尾彰大


特集記事

お問い合わせ
取材のご依頼やサイトに関する
お問い合わせはこちらから