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takram 田川欣哉に学ぶ、《デザインエンジニア》の仕事と思想。[後編]

2012-07-20

takram 田川欣哉に学ぶ、《デザインエンジニア》の仕事と思想。[後編]

「デザインエンジニア」が中心となって活動しているデザインエンジニアリングファーム《takram design engineering》。代表の田川欣哉さんへのインタビュー後編では、歴史的な観点からみたデザインエンジニアの存在意義について語っていただいた。

[前編]から読む

産業史における、デザインエンジニアの存在意義。

田川さん大

― 本来、効率よくモノづくりをするために「デザイン」と「エンジニアリング」が分断されたはずなのに、今それがボトルネックになってしまっている。デザインエンジニアというのは新しい考え方だと思っていたのですが、お話を伺っていると、かつてのHONDAやSONYのような古き良きモノづくりに似た印象を受けます。

ある視点ではそのように考えることもできるかもしれません。日本のモノづくりは戦後に急速に立ち上がりましたが、初期の現場の人たちは自分がデザイナーとかエンジニアとか分からずに仕事をしていた。1950年代から60年代は有象無象の状況っていうのが会社の中にあって、人数も少なかったからみんな何でもやっていたんです。

それが70年代に入り始めた頃、もう少しちゃんとした方がいいんじゃないかという話になってきました。大量にモノが売れ始めたことで、次々とモノをつくる必要が出てきたとき、とにかく人が足りないしアウトプットも足りない。何でもやれる人を育てるとなると時間がかかるから、大学の学部をできるだけ細分化して専門特化し、美大なんかもどんどん作って人が育つ時間を短くしようとしたわけです。

そうしたレールが70年代に引かれ始めて、日本が一番強かった80年代に入ります。80年代というのは、50~60年代に現場で何でもやらされていたマルチな人たちが企業の中でリーダーとしての立場を担うようになり、効率性重視の教育で育った専門家集団を率いていた時代です。複数の現場を肌感覚で熟知している視野の広いリーダーたちが専門家を率いるというのは、組織として抜群に強いんですよね。

オフィス1

ただ90年代の後半になると、そうしたマルチな人たちが定年で退職し、専門職としてキャリアを積んできた人たちがリーダーとして、企業を率いるようになった。企業を全体的視点で引っ張っていく人たちが少なくなっている状況が、遺産として今なお残ってしまっています。

僕らみたいなタイプが出てきているのは、そういう状況に対する社会の反動だと思うんです。専門家だらけの組織になったことで創造性や効率性が落ちていることにみんな気づき始めている。どうしたらそのギャップを埋めることができるのか考えているから、僕らみたいな考え方の人間が出てくるし、その仕事が、今の時代の持つ欠落の埋め合わせとしてとてもよく機能する。いつか僕らのような人たちが増えると、ある程度のところで反転して、今度はまた専門家が増えていくんでしょうね。

仕事の現場の究極形は、物事を抽象化して大きなビジョンを描く人と、そういう人たちでは入っていけない深いところまでやれる専門家と、共生している状態が理想なんだと思います。理想のバランスを企業なり社会の中できちんと実現するためには、そういう状態を長い目で意識的に作っていかないといけません。

ですが今の学校教育をみると、60~70年代に専門家育成のほうに振りきったまま、失われた20年の間に修正されずそのまま残っている気がします。国が教育サイドや企業を巻き込んでもっと議論していいはずの問題なのに、現場を体感してない人にはその感覚が分からないんでしょう。

だからというわけではないですが、僕らがハイブリッドな仕事をして、それを世の中に問うていくことで、この手の話題を社会の共通課題として認識してもらえるようにしていかなければとも考えています。

古い職業観を捨てるところから、イノベーションが始まる。

田川さん左

― モノづくりを歴史的な観点からみてみると、また新しい発見がありそうですね。

そうですね、世の中やっぱり“流れ”があるんだなと思います。モノづくり全般においても歴史の流れが脈々と続いていて、元々はハードウェアを作れる企業や国が強かった時代が、2次大戦前くらいまであったわけです。それが第1世代。だけど2次大戦直前くらいに電子回路や真空管ができて、大砲を電子制御フィードバックかけると必ず当たる世界になった。パラダイムシフトです。

それで電子制御が出てきて、ハードウェアだけの世界にエレクトロニクスが加わってきました。その第2世代は、40年代~70年代と結構長く続きました。その30年で王者だったのが日本だったんです。なぜなのかは分かりませんが、ハードウェアとエレクトロニクスの融合に関して、日本人は天才的な才能を持っているんですよ。今でも一眼レフをつくれるのは日本くらいのもの。カメラはメカとエレクトロニクスの融合ですから。

けれども、次にハードウェアとエレクトロニクスの上にソフトウェアが出てきた。その3つで製品を作るという第3世代の世界になったときに、王者になったのがインテルですよね。マイクロソフトもそう。ソフトウェアがハードウェアとエレクトロニクスを単なる乗り物にしたことで、ハードとエレクトロニクスでは全然もうからなくなってしまい、富が全部ソフトウェアに集まるようになった。それが2000年くらいまでですね。

その次に出てきたのが、Yahoo!やAmazonといったネットワークサービス。彼らはハードウェアだけでなく、ソフトウェアまでを乗り物化して、サービスのほうに重点を移してしまったんです。それが第4世代。ただその世界も意外に短くて、5年くらいしか続かなかった。

2005年くらいから、ハードウェア・エレクトロニクス・ソフトウェア・サービス・ネットワークというこれまでに出てきた5つの要素すべてを含んだモノを作れる企業と国が、覇権をふるうようになりました。それが現在、第5世代です。Appleはその世界にハードウェアの側から入っていって、AmazonやGoogleはサービスの側から入っていって、両者が同じフィールドで戦っているわけです。

おそらく、次はデータの勝負になります。データを一手に集めることで、先ほどの5要素を陳腐化するかもしれないといわれているのが、FacebookやTwitterといったプレイヤーです。

オフィス2

残念なことに、日本の企業プレイヤーは、多くの場合ハードウェアとエレクトロニクスという第2世代で止まっています。だから個人的にDeNAやGREE、楽天といった、第4世代の企業には是非どんどん活躍をして欲しいと思いますし、将来的には、ハードウェアとエレクトロニクスを融合して、第5世代として発展していってほしいと思います。

少し話がそれましたが、産業史的にそういった流れがある中で、国や各企業はパラダイムシフトに対応した考え方ができているのかと問われると、正直疑問です。教育もそうだし、会社の採用なんかもなぜかバブル時代につくられた制度がわりと大事に守られていたりする。

僕自身は、どんどん変えていけばいいと思うんですけどね。極端な話、企業の部門なんかも毎年変えたっていいと思う。その方が健全だし、そもそも日本は戦後から何十年、そうやって変化を続けてきたはずなんですよ。高度成長でどんどん会社の規模が変わっていく中で、去年のルールが今年はもう通じないということが頻繁にあったはずです。

職業というものは、進化しつづけるべきだと思います。自分よりも前の世代の人たちの職業観を、現代の僕らは壊して再構成していかなくてはいけない。職業観の固定化によって、アウトプットまで固定化されてしまうというのもわりとよくある話です。だから「デザイナーなので」とか「技術屋だから」という話から、一歩進んでいきましょうと。何か新しい名前をつけてもいいし、役割そのものをどんどん変えていってもいい。そうやって変化することが当たり前のカルチャーとして根づいていくことと、産業のダイナミズムは必ず連動していると思います。takramのデザインエンジニアという方法論は、まさにそういう態度の表れなんです。

エントランス



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