2013.08.28
転職、フリー、起業…いつでも飛びこめる準備を―元Twitter技術アドバイザー山本裕介氏のキャリア論

転職、フリー、起業…いつでも飛びこめる準備を―元Twitter技術アドバイザー山本裕介氏のキャリア論

OSSデベロッパーとして知られ、二児の父でもある山本裕介さんは、4回の転職を経てTwitter社にジョイン。現在は独立し、会社を設立している彼は、この立ち位置をいかに確立したのか。そこには山本さんが実践した「成長のための転職」と「セルフブランディング」にキャリア形成のヒントが隠されていた。

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5回の転職、フリーランス、起業…すべての経験を糧に。

日本では未だに「ジョブホッピング」に対して、マイナスのイメージを持たれることは多い。

一方で、年功序列型の給与制度や終身雇用はもはや昔話。これからの時代、いかにキャリアを築いていくべきか。ロールモデルの少ないWEB・IT業界において、そのヒントを探るべく、多くの転職、働き方を経験された山本裕介さんにインタビューした。

山本さんは新卒で国内SIerである新日鉄情報通信システム(現新日鉄住金ソリューションズ)にSEとして入社。その後、ミドルウェアベンダ『BEAシステムズ』、エンタープライズ向け検索エンジンベンダ『ファストサーチ&トランスファ』、オープンソースソフトウェアベンダ『Red Hat』と矢継ぎ早に転職。

フリーランスを経て、2011年には、Twitter社において開発者の技術サポートを担うデベロッパーアドボケイトに就任。

2012年、Twitter社を退職した後は独立し、開発や執筆、講演活動などをする傍ら、主にIDE製品の販売を手がける「株式会社サムライズム」の経営も行なっている。また、個人でもTwitter APIにおけるJava向けライブラリ『Twitter4J』等を開発する、注目のオープンソースソフトウェアデベロッパーだ。

山本さんの歩んできた道のり、キャリアに対する考えを伺うことで、WEB・IT業界におけるキャリア形成のヒントを探る。

成長のための転職に、躊躇はいらない。

― 現在、山本さんは36歳ということで、失礼かもしれませんが、一般的に転職5回は多いですよね。


おもしろそうな会社を転々としていたら、結果的に多くなっていった感じですね。

新卒の時から「一生同じ会社で働き続ける」という考えはなくて。刺激があって、成長できる場所があれば、いつでも転職するつもりでいました。

ただ、「やりたいことだけをやりたい」という気持ちで仕事を選んでも、成長はできません。単に、上司が自身の評価を上げるためだけにアサインしてくるような仕事は全力で避けてきましたが(笑)自分に経験やスキルがないからこそ、気が進まない仕事や、中長期的に考えて自分の成長につながりそうな仕事であれば積極的に選んできましたね。

山本裕介さん(36歳) 5回の転職、フリーランスを経て株式会社サムライズムを創業。
プライベートでは、『Twitter4J』などを開発する傍ら、我が子の育児にも積極的。


だから、職種にしても、テクニカルサポート、コンサルタント、トレーナー、開発者の技術サポートなど様々な役割をこなしてきました。

私のことを知っている方だと、Javaのプログラマとして少なからず認知してもらっているかもしれませんが、じつは、Javaプログラマとして働いたことは一度もないんですよ。


― てっきり開発中心に携わってきたと思っていました。


いろいろとやってきましたが、どの仕事も「顧客やエンジニアに、技術的なアドバイスと説明をする」といった役割は共通していましたね。自分で作れる、直せるというだけではダメで、わかりやすく伝えて、理解してもらう。安心してもらって、気持ちよくなってもらうところまでが自分に期待される仕事だったと思います。この「説明できる力」が私のコアバリューかもしれませんね。

会社で働くからこそ得られる「ビジネスマインド」。

― 転職を繰り返すことで、他にどのようなスキルが身についたと?


いわゆる「ビジネスマインド」は、会社に勤めたことで身についたと思います。

たとえば、無駄なペーパーワーク、ワークフローといったものはいくらでもあります。エンジニアは効率性を重視する生き物ですから、「こうやればもっと効率的ですよ!」と言いたくなるところですよね。でもそれが、ワークフローを決めた人のメンツをつぶす事にもなる。

純粋なエンジニアにとってはストレスとなる部分ですが、根回しをしたり、相手が受け入れやすいような提案の仕方を考えたり、ビジネスを成立させるために何を優先すべきか、そういったことを考えるマインドが持てるようになりました。

プログラマとして、コーディングに没頭する職種を選ぶこともできましたが、こういったマインドは色々な会社で様々な役割をこなしてきたからこそ身についた部分だと思います。好きなプログラミングは夜でも土日でも一人でできますしね。



― 「エンジニアリング」の領域に関していえば、どのようにスキルを磨いていったのでしょう?


もちろん業務を通じて学んだことも多くありますが、もっと大きかったのは、一個人としてソフトウェアを開発し、アウトプットし続けたことだと思います。

何かをいじったら自己満足して終わらせるのではなく、成果をブログやGitHubなどで公開してフィードバックをもらいながら、ブラッシュアップを積み重ねることで効率的にスキルアップ出来ています。

さらに、アウトプットをし続けることで勉強会などで話す機会が増えていき、開発や執筆の依頼などがくるようにもなりました。

例えばTwitter APIの本『Twitter API ポケットリファレンス』(技術評論社)を書かせていただいたり、TwitterからオファーをいただいたりというのもTwitter APIのJava向けライブラリ『Twitter4J』を公開して、積極的にアップデートを重ねていったことがきっかけなんです。

このような体験があるので、今でもブログやQ&Aサイトでの情報発信を続けています。


― 社会人になった当初から、セルフブランディングを意識してアウトプットしてきたのでしょうか?


いえ、そこまでのことは全然考えていなかったですね。

単純に、自分でツールを作って公開したら、たくさんの人に使ってもらえただけ。自分が困ったことを解決するツールならば、同様に困っている人も助けられると思ったんです。再利用性の高いツール、コードをオープンソース化する試みは非常に重要と考えており、寄稿記事などを通じて啓蒙活動にも取り組んできています。(※参考:オープンソースコミッタへの道「使う」から「公開する」へ|アットマーク・アイティ

無償でツールを公開するという文化は今でこそ当たり前ですが、GitHubもTwitterも登場していない10年前、ブログや口コミを通じて少しずつ世の中に広まって「助かりました」とフィードバックをいただけてとてもうれしかったです。

またツールを公開するだけでなく、自分の強みであるJavaは、入門者にとってはまだまだ敷居が高いんです。プログラミングのコミュニティでは「何が分からないのか、分からない」くらいの入門者が掲示板やメーリングリストで質問すると、「ググれ」「それFAQ」みたいに言われてしまい萎縮してしまうことが良くあります。私はそういったトピックにも出来る限り平易な言葉で質問者のスキルアップへ導けるよう回答をし続けてあげることで、 少しでもエンジニアコミュニティに貢献していきたいと思っているんです。

そういったツールの公開やコミュニティでの活動が結果としてセルフブランディングにもつながっていったことになりますね。

(つづく)▼山本裕介氏へのインタビュー第2弾
起業も、プライベート開発も、“子育て”も。元Twitter技術アドバイザー山本裕介氏の生き方。

[取材・文]白石勝也 [撮影]松尾彰大


文 = 白石勝也
編集 = 松尾彰大


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