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高校生でドワンゴのエンジニアに!?山中勇成氏の人生を変えた、14歳でのプログラミングとの出会い。

2013-05-29

高校生でドワンゴのエンジニアに!?山中勇成氏の人生を変えた、14歳でのプログラミングとの出会い。

若い世代の活躍が目立つWEB/IT業界。その中でも特に際立った活躍をしているのが、最年少で未踏スーパークリエータに選ばれた山中勇成さんだ。注目を集める彼が、インターネットと生放送のサービス分野で活躍はじめるきっかけとなった出来事とは。

高1でドワンゴにスカウトされ、17歳で最年少未踏スーパークリエータに選ばれた男。

WEB/IT業界は他の業界に比べて若い世代の活躍が目立つ。大学生が起業して、WEBサービスを立ち上げるというのも、特段珍しい話題とは言えない業界だ。

今回話を伺ったのは、弱冠17歳・史上最年少で未踏スーパークリエータに選ばれた山中勇成(鳥居みゆっき)さん。実は山中さん、数年前に「ドワンゴがユーザーの高校生をエンジニアとして雇った」と話題になった張本人なのだ。

今春、大学に入学したばかりながら、一流のIT企業でのエンジニアリング、そして未踏プロジェクトの研究開発を経験した山中さんにこれまでのキャリアと今後を伺った。

憧れから始めたプログラミングで、いきなり挫折。

― まずはじめに、山中さんがプログラミングをはじめたきっかけは何だったのでしょうか?


よく「当時は中2病だった」と言っているのですが、中学2年生の時に放映されていたドラマ「ブラッディ・マンデイ」の影響です(笑)

天才ハッカーが主人公のドラマなんですが、テキストエディタに表示されたコードがカラフルでめちゃくちゃ綺麗に見えたりインターネットの中で敵と闘ったりするのをみて、「ああ…かっこいい!」とプログラミングにすごく興味を持って。

プログラミング言語に何があるのかもよくわからない中、C言語のテキストを買って勉強し始めたのが最初です。



― プログラミングは最初からうまくいったんですか?


いえいえ。ポインタあたりで難しくなって、一度プログラミング自体挫折しました。


― 後にスーパークリエータになる人でも、プログラミングで最初は挫折するんですね…改めて勉強し直すきっかけは何だったんですか?


作りたいものを見つけたんです。僕はインターネットと同じくらい「ネットの生放送」が大好きなんですね。

当時、ニコニコの生放送サービスが始まっていたんですが、まだ録画したものを見るという機能が無かったんです。そこで生放送をアーカイブできて、内容がすぐ分かるものを作ってみたいと思い今度はPerlの本を買って勉強し始めました。

その時は挫折することなく《nicolivelog》というサービスをつくりきることができたんです。例えば30分の放送ならば1分間に1枚、合計30枚の映像のキャプチャを取って、その時間にユーザーから発せられたコメントとセットにして表示させるというものです。


― 2回目の挑戦で挫折することなく、サービスを作りあげることが出来たのはなぜなんでしょう?


やっぱり、自分が欲しいと思うサービスをつくるという目的があったからだと思います。C言語の時のように、ただテキスト通りに進めるだけではモチベーションが続かなかった。

やりたいことができるようになっていくプロセスの達成感を得ることで、サービスを立ち上げるまでいけたんだと思います。勉強再開から2週間程度で作れた最初のWEBサービスですが、自信も得られて、そこから小さなものから少し大きめの《ニコキャスト》というライブストリーミングサービスまでいろいろなものを作っていきました。


ニコキャスト

ドワンゴで “アルバイト”して分かったこと。

― 山中さんは高校1年生の時にドワンゴにエンジニアとしてスカウトされ、アルバイトされていたそうですがこのきっかけは何だったんですか?


僕は鳥居みゆっき(@toriimiyukki)というハンドルネームでTwitterをよく利用していたんですね。そこでニコニコ動画の脆弱性について、例えば本来有料会員にならないと使えないサービスが、無料会員でも使えるやり方などをバンバンつぶやいていたら目をつけられたんです(笑)

ある日突然ドワンゴの方から「一度オフィスへ遊びにきませんか」とメールが届いて。大好きなサービスを手掛ける企業に行けるのはちょっと嬉しい半面、Twitterでのつぶやきについて怒られるんじゃないかとびくびくしながら行ったんです。

すると会長席に通されて、川上会長から「ウチで働いてみない?」とお誘いいただいて(笑)Twitterでのつぶやきや、《ニコキャスト》などのニコニコ動画関連のサービスをいくつか立ち上げてきたことに興味を持ってもらったんです。


― どんなことをされていたんですか?


開発の後方支援やサーバーの運用、イベント用の管理システムの構築とかですね。入社してまず「嫌いな言語はなに?」と聞かれ、「Cです」と答えたら「じゃあCの動画サーバー担当で」ということになって(笑)

ドワンゴには、まず嫌いな言語を聞いて、答えた言語の担当にさせられるという伝統があるみたいなんです。食べられないのに食えって言われてる感じでツラかったんですけどね(笑)

ドワンゴでは、個人で開発していただけではなかなか触れられないようなところも経験できたし、優秀なエンジニアの方に囲まれて刺激的な職場でした。何より大好きなインターネットと放送を手掛ける会社の中に入って、発信者と視聴者を繋ぐサービスのほんの一部分とはいえ、自分が責任を担っていることにワクワクしていました。

そうしてドワンゴには1年半ほど在籍していたのですが、そのうちに自分には向いていないかもなと思うところがみつかったり、改めて自分自身でやりたいことが見えるようになってきました。


― 例えばどんなところでしょうか?


言い方が難しいんですが、人から言われて開発することが自分にはちょっと合ってないなと感じたんです。言い換えると、自分がやりたいと思って開発するのが一番だということでしょうか。

受託制作の経験もしてわかったことですが、発注側の仕様の変更などに、そのつど応じて開発することに、ちょっと苦痛を感じてしまっている自分がいたんですね。

もちろんお仕事としてやってる以上は、きちんとしたものをつくりますが、その開発に対して、ポジティブな気持ちでやれているかと言えば、そうではないのかなと。

そこで、以前から気になっていた未踏プロジェクトに自分がやりたいテーマで応募してみることにしたんです。



(つづく)
▼最年少未踏スーパークリエータ・山中勇成氏の取材レポート第2弾
ドワンゴを辞めた高校生エンジニア・山中勇成氏は、なぜ最年少未踏スーパークリエータに選ばれたのか。



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