2015.12.08
37歳からプログラミングを学び、GitHub日本法人を設立。堀江大輔が第一線で活躍し続ける理由。

37歳からプログラミングを学び、GitHub日本法人を設立。堀江大輔が第一線で活躍し続ける理由。

Amazon、Yahoo!Japan、Six Apart、クックパッド、スタートアップの起業などを経て、GitHubの日本法人設立の立役者となった堀江大輔さんにインタビュー。WEB業界の第一線で活躍を続ける彼のキャリアの転機、そして後進に贈るアドバイスとは。

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GitHub Japan設立の立役者のキャリアとは?

2015年6月に開設されたGitHub初の海外支社「ギットハブ・ジャパン」。開設後は全国各地のオープンソースコミュニティ活動への参加、導入企業へのサポートを拡充するなど、WEB・IT業界やプログラマ、デザイナーたちへの存在感を高めている。

今回お話を伺ったのは、ジェネラルマネージャーとしてギットハブ・ジャパン設立のキーマンとなった堀江大輔氏。現在はプログラムマネージャーとして、サポートチームの構築と各コミュニティへの参画に邁進する彼のキャリアはなかなか興味深いものだ。

中学生の時に単身アメリカへ渡り、以後大学卒業まで過ごす。そのままアメリカで社会人になるかとおもいきや、「日本(人)がアメリカ以外の国からどう見られているのかを知りたかった」との理由で2年近く南京、上海へ語学留学に。

日本帰国後は、日本通信、Amazon、Yahoo! Japan、Six Apart、Peatix、COOKPADなどの企業でプロジェクトマネージャー、プロダクトマネージャーとして活躍。2012年に起業し、後にイグジットも経験。2014年にGitHubにジョインしている。

いま業界の第一線で活躍する人材は、どんなバックグラウンドを持ち、経験から何を学び、いかなるキャリアを歩んできたのか。長らくWEB・IT業界に身を置き続けている堀江氏のいまを支える転機を伺った。

転職回数は7-8回。最初の転機となったのはAmazon

― 堀江さんは10年以上、WEB・IT業界に身を置かれています。もともとネットに興味があったんですか?


いえ、大学も文系でしたし、どちらかと言うとベンチャー気質があるかどうかで最初の会社を選んだと思います。実際、社内スタートアッププロジェクトにも若い時から携わることができました。

社会人としてはこれまで「通信とインターネット」「グローバライゼーションとローカライゼーション」の領域で主にプロジェクト、プロダクトマネージャーとして働いてきました


― 自身のキャリア選択において大きな転機となったのはどんなタイミングだったんでしょうか?


私は7-8回転職しているんですが、最初の転機となったのは2003年に入社したAmazonだったと思います。

世界中のチームと連携を取りながら、議論して調整して、サービスをローンチしていくプロジェクトマネジメントはその後のキャリアを歩む上で本当にいい経験でした。また、テクノロジーの進化がとてつもなく速い会社だったので、毎日が刺激的でしたね。

ですが、突然クビになったんです。当時所属していた自分のチームが海外のチームに集約されると決まって。常に合理性、最適化、そういう理由であっという間にチームが消える、そういうことが起きていました。結果的に1年ちょっとしかAmazonに在籍していませんが、かなり濃い時間でした。

プログラミングスキルは誰しもが持つべき

ギットハブ 堀江大輔

― それからはグローバル企業やその日本法人、国内企業の国際事業部などでご活躍されます。


一度会社をクビになると開き直ってポジティブになれるんです。その後はどの会社も1-2年のスパンで移って、ほぼプロジェクト単位で仕事をしてきました。

一方で、個人的に挫折を繰り返していたのがプログラミングです。自分のスキルやキャリアの幅を圧倒的に広め、深められる可能性があるのはプログラミングだと確信していても、なかなか身にならなかったり中途半端で終わってしまっていたんです。

エンジニアたちとずっと仕事をしてきて、技術の概要くらいは把握できていたんですが、本質的な理解や自分の手を動かして何かを開発できないことに強いコンプレックスも持っていて。

私にとって2度目の大きな転機は、そのコンプレックスを払拭するきっかけとなったクックパッド時代でしょうか。当時わたしは37歳でしたが、もう今やらないとダメだと。幸いなことに同僚のエンジニアたちにも恵まれ、Ruby On Railsを中心に学び始めました。


― 遅すぎた、と思うことは?


それはありませんね。社会人を10年以上経てからプログラミングを学んだことで、自分のキャリアの幅は一気に広がりました。事実、2011年にテレフォニーAPIの開発を手掛けるFullCourt社(2014年7月に株式会社MARIMORE、現株式会社 Xoxzoに売却)を共同創業した際は、自分の手でサイトを開設できましたし、APIの開発も手がけました。

プログラミングが起業につながり、共同経営者としての仕事も経験できた。500Startupsにメンターとして関われて投資を受けられたのも貴重な体験でしたね 。さらにプログラミングを学んだ事がGitHubに就職できた事につながったと思っています。

GitHub入社、日本法人立ち上げ、GM降板の背景とは

ギットハブ 堀江大輔

― GitHubには2014年に入社されます。


起業した会社でもプライベートでも大きな出来事が続いて、自分が本当にやりたいことについてすごく考える時間があった際、GitHubのテクニカルサポートという職種を知りました。GitHubのテクニカルサポートとは開発者自身がお客様のサポートを行なう仕事です。

自分自身もGitHubのユーザーで、開発者を最も大事にする会社というのはすごく感じていましたし、プロジェクトマネジメントという自分の強みも活かせる。そして募集要項に載っている【Empathy(共感)】という言葉を信じることができました。


― GitHub日本法人のGMではなく、テクニカルサポートとして入社されたんですね。


そうです。わたしがGitHubに入社する前後から国内のGitHub利用が急速に進みまして、初めて行なったイベントチケットは即完売、個人開発者やスタートアップだけでなくエンタープライズ向けのサービスやオープンソースコミュニティにも積極的に活用いただき、利用が拡大していきました。

しかし当時は英語のサポートのみで満足な支援を行なうことができなかったのです。そこでより一層サポートを強化しようということで日本法人の立ち上げが決まり、わたしが臨時でジェネラルマネージャーを務めました。

いま一段落して、自分が本当にやりたいことは、やっぱりサポートとコミュニティだと思いまして、ジェネラルマネージャーという役職は相談の上で返上しました。現在は、プログラムマネージャーとして、サポートチームの強化と各コミュニティと様々なかたちでコラボレーションすることをミッションにしています。


― ジェネラルマネージャーの職を自ら降りることに未練は?


全く無いですね。所詮タイトル(役職)、名前の問題です。本来自分がGitHubでやりたかったことをやる立場に戻っただけです。


― 堀江さんにとって、キャリアを選択していく上での軸とは?


3つあります。

ひとつは「誰と働くか」。自分が働きたい人と一緒に働けるか、能力があったり、才能があったり、性格もよくて、モチベーションの高い人と働きたい。もっとも重要なポイントです。

2つ目は「会社の事業、理念に共感できるか」。これは以前からも思っておりましたが、GitHubでの経験でより強く再認識できました。

そして最後の3つ目は、「自分が貢献できるかどうか」。この点については「自分は貢献できる」と信じこむことでもいいのではないかと思います。私の場合、Amazonに応募した際はまだまだキャリア的にも浅く誇れる実績もありませんでした。しかし、ダメ元で恥を捨てても自分をアピールしたら受かり、その後のキャリアを歩むきっかけとなりました。企業が求めていることに自分の経歴が100%合致していなくとも、「自分は合っている、貢献できる」と信じ込んで受けるべきだと思います。


― ありがとうございます。最後の質問です。業界のいち先輩として一言後進にアドバイスがあるとしたら?


「自分の軸を探す」ことでしょうか。4-5年でこういうスキルを伸ばしたい思ったものを見つけて実践する。具体的なアドバイスは、開発ができないならば、プログラミングを勉強すること。開発ができてもできなくても、オープンソースプロジェクトなどに関わって、いろんな人と出会うことですね。


文 = 松尾彰大


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