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夜逃げ、ヤミ金、改名…理不尽スパイラルから救ってくれたのはインターネットだった。徳谷柿次郎の原点

2015-11-16

夜逃げ、ヤミ金、改名…理不尽スパイラルから救ってくれたのはインターネットだった。徳谷柿次郎の原点

"日本一ふざけた会社”ことバーグハンバーグバーグの徳谷柿次郎さん。10代から極貧生活を送り、26歳まで新聞配達と牛丼屋のアルバイトを掛け持ちして家計を支えてきた過去はあまり知られていない。彼のルーツ、そして生き方から理不尽やトラウマをはねのけるヒントが見えてきた。

大阪。借金返済に奔走していた青春時代。

"日本一ふざけた会社”ことバーグハンバーグバーグの一員として、メディア運営に携わる徳谷柿次郎さん。

今やメディアやイベントに引っ張りだこの柿次郎さんだが、10代では家庭の事情で極貧生活を強いられ、新聞配達と牛丼屋のアルバイトを掛け持ち。借金を返済しながら暮らしてきた過去はあまり知られていない。

「10代・20代の頃は、劣等感の塊でした」

こう笑顔で話す柿次郎さん。フツーであればそのままズルズルと泥沼化して、いろいろとこじらせてしまいそうだが、いかにして自ら生きる道を切り拓いてきたのか。そして、柿次郎さんが今日のように活躍するまでにはどのようなストーリーがあるのか。逆境をはねのけるためのヒントを探るべく、彼のルーツに迫った。


【Profile】
株式会社バーグハンバーグバーグ メディア事業部・部長/WEB編集者
徳谷 柿次郎(とくたに かきじろう)

1982年生まれ。大阪府出身。高校卒業後、アルバイトに明け暮れる日々を過ごす。26歳のときに上京し、有限会社ノオトへ。2011年に株式会社バーグハンバーグバーグへWEBディレクターとして入社する。「分かりすぎて困る!頭の悪い人向けの保険入門」「au × デアゴスティーニ『週刊スマホを作る』創刊!」などのサイト制作を担当。現在はWEB編集者として、どこでも地元メディア「ジモコロ」の編集長業に注力している。

理不尽が劣等感を、劣等感が理不尽を生む。

― 実はすごい波乱万丈な人生を歩んできているということを知り、とても驚きました。同時に今日の活躍を語るうえで、当時の経験は無視できないのではないか、と考えています。そこでいきなりなんですが、貧乏生活を送ることになった経緯から教えてください。


そこまで波乱万丈だとは思っていないんですが、カンタンにいうと親父の借金ですね(笑)。

家庭環境が少し複雑なんですが…小学2年生のときに両親が離婚して、僕ら三兄弟は父親についていったんです。ただ、継母みたいな女性とその息子2人と7人暮らしになるから、と4LDKの新築マンションを買ったんですよね。その後バブルが弾けて、親父は仕事がうまくいかなくなったストレスからか、パチンコにのめり込んでしまって。転がり落ちるように借金まみれになったんです。そういう時代だったんでしょうね。

借り先が親戚や知人から、消費者金融になり、そして最終的にヤミ金になっていきました。よく「トイチ(10日で1割)」って聞くじゃないですか。親父の借金は「トゴ」、10日で5割の利息がつくところまでいっちゃったんです。3万円×3軒と考えればすぐに返せそうなんですけど、その日の生活費もなかったので、10日後には9万円の元本に対して利息が4万5千円…。スーツ姿のチンピラが自宅によく上がり込んできてましたね。

22歳くらいのときに「さすがにコレはマズイ。シャレにならん」と、僕の名義でクレジットカードをつくってキャッシングで40万円借りて「コレで全部返せ」って渡しました。でも、結局焼け石に水で、またパチンコしちゃう。なんとか金は稼がないといけないので、朝夕の新聞配達をしていました。そのお金も翌日にはパチンコに消えるんですけどね(笑)。


― なぜ新聞配達だったんですか?


新聞配達って早朝や夕方の限られた時間帯で、話す相手はおっちゃんやおばちゃんだけだから、気がラクだったんですよね。時給も悪くないし。

じつは友だち付き合いも、当時、全然うまくできませんでした。思春期の頃のトラウマがあって、体育祭とか友だちの母ちゃんがすごくウマそうな弁当をつくってくるお披露目会みたいなもんじゃないですか。でも、僕は継母がつくった小さい弁当箱にご飯が9割、残り1割の隙間に4等分のコロッケが縦列駐車しているという画期的な内容で(笑)。とにかく恥ずかしくて、誰もいない教室で泣きながら食べていました。

そもそも継母は自分の息子だけを特別扱いする昼ドラに出てきそうな存在で、平成とは思えない食生活だった。その影響で屈折した感情を持っていた気がします。そんな環境だったので、既定路線からはズルズル外れていって…。だから、20歳くらいのときは基本的に引きこもっていましたね。勝手な劣等感で地元の誰にも会いたくないというか。そのときに借金問題が深刻になりすぎて、夜逃げしたこともあるんです。親父がいきなり「明日引っ越すぞ!」って言い出して、自分たちで荷物まとめて…。ただ、引越し先が道路向かいのマンションで。木は森に隠せって例えがありますけど、「借金取りから逃げるのもそういうことなのか?」って複雑な気持ちでしたね(笑)。あぁ、俺の人生、本当に理不尽なことだらけだなって。

今では笑い話ですけど、となり街の十三(じゅうそう)という歓楽街にある牛丼屋でバイトしてて、「こんな辛いカレーに、こんな熱々の味噌汁つけたら食われへんやろ!」ってブチ切れられたり、夜中にチンピラが店頭の窓ガラスを体当たりで突き破ってきたり、飲食店バイトの理不尽もたくさん経験しましたね。あ、あと昼間のピークタイムにボロボロの女の子が「さっきまでホテルに監禁されていたんです!助けてください!」ってキッチンまで入ってきたり。


― ありがとうございます。もう充分です。


牛丼の盛り付けって、時計の12時から3時にかけて手首をクイクイって動かすんですけど、トラブルの度に手が震えて正確な時を刻めなくなりました。肉、玉ねぎ、タレで110グラム(±5グラムは許容範囲)きっちり盛りつける世界で、これは致命的でしたね。4時まで動かすと肉が入りすぎちゃう。


― 牛丼屋の話はもう充分です。

徳谷柿次郎

一枚の折り込みチラシが導いてくれた場所。

― 本題に戻ります。その環境から抜け出すキッカケってなんだったんですか?


いま振り返ると、配達してた新聞の折り込みチラシが運命を分けたのかもしれません。「パソコン分割48回払い」ってチラシを見て、「あ、コレ買わなきゃ」って思ったんですよ。冗談みたいですけど本気で。

「PCさえあれば人生逆転できるんじゃないか。何かできるんじゃないか」と思って、親父に頼み込みました。超貧乏だったし、パソコンの価値なんてわからない親父がなぜか買ってくれた。たぶん父親なりに子どものことを考えてくれたのかもしれません。

最初は現実逃避だったし、逃げ場所だったんですけど、どんどんインターネットにのめり込んでいきました。テキストサイトという文化のなかで日記サイトを毎日更新したり、自分にない強さを求めてハマった日本のヒップホップカルチャーを伝える『COMPASS』というWEBメディアを立ち上げたり…自分の過去を一切知らない世界で情報発信する気持ちよさを知ったんです。地道に続けることで少しずつ人気が出て。いわゆるオフ会に参加したり、MSNメッセンジャーで毎晩会話したり、mixiに没頭したりして。インターネットをキッカケに友だちが増えていって…ようやく居場所を見つけた感覚がありました。

…ただ、逆にコワいヒップホップのアーティストに目をつけられたり、2chのスレでボロクソに叩かれたり、ネット発信の怖さを知ったのもこの頃です。日本語のラップのメディアは、好きな音楽を守りたい一心で取り組んでいたんですが、結果的にその業界のコワい人たちに潰されたのはヘコみました。


― 怖すぎる。


あ、でも、一つだけ教訓を得て、父親がやらかしたヤミ金のトゴ問題は逮捕歴のあるラッパーに相談して一旦解決したんです。「元本返しているんだったら、脅しは全部無視してええよ。リスク取ってまで踏み込んでこないから」って。こんなに説得力のあるアドバイスはないですよ(笑)。ヒップホップでいうストリートの問題は、ストリートの人に相談するのが解決の近道だ、という教訓です。

今はもう、戸籍を「徳谷柿次郎」に変えてもいい。

― 常に理不尽に付きまとわれる人生だったわけですね。


そうですね。この世で一番理不尽な人で現バーグハンバーグバーグ代表の「シモダ」っていう人がいて、その出会いでやっぱり人生がガラッと変わりましたね。

約12年前、日記サイトをやっているときに知り合ったんですけど、ある日突然「オモコロの運営を手伝ってくれ」って言われたんです。

ただ、オモコロって当時からおもしろいモノをつくれる人ばかりが関わっていたんですよね。4コマ漫画が描けたり、ぶっ飛んだ企画の記事をつくれたり。でも、僕はコレといった才能がなかった。まわりから「面白くもないのに、なんとなくシモダに気に入られているからオモコロやれてる」みたいな空気も感じてて。

そんなとき、シモダに「今日から柿次郎って名乗れ。柿次郎って名前のやつ、この世の中におれへんやろ?」って。要はただの嫌がらせなんですけど、本気で半年間くらいずっと嫌がっていたら、他のスタッフも便乗してくるんですよね。さすがにめんどくさくなって、名刺の名前を「徳谷洋平」から「徳谷柿次郎」に変えて、ネット上でも「柿次郎」を名乗り始めました。

そうしたら、どんな場所でも「柿次郎?え?本名??」みたいになって、いろんな人に覚えてもらえるようになったんですよ。名刺交換のときに会話が必ず生まれる。想像以上に改名のメリットを感じ始めて、「いっそ、この名前を一生背負っていこう!」と決心し、背中の肩あたりに「柿」の文字の刺青を入れたんです。引く人がいるかもしれないですし、自分の親にもまだ言えてない。自分の感覚が正しいとも思っていないんですけど、元々ヒップホップのカルチャーが好きだから、あまり抵抗がなかったんですよね。当時のテンションでは、後戻りできない状況にこそ“覚悟”が宿るはずだと思っていて。結果、軽い気持ちで名付けたシモダもさすがに驚いて、オモコロスタッフのみんなの僕への接し方も変わった気がします。あだ名の頭文字を一生背負うって、あんまり聞かないですからね(笑)。

そこで気づいたことがあって、どんなコミュニティにも自分にとっては受け入れがたいノリってあると思うんです。そんなときこそ怯まず、噛み付いてきたワニの喉元にあえて拳を突っ込むような感覚で「オラー!!」って行動することが大事なんじゃないか、と。動物の世界と同じで、人間関係もナメられたら終わりですからね。だから、今はもう戸籍上でも「柿次郎」に変えていいと思っています。


― 「柿次郎」への改名で、理不尽を乗り越える力を身につけたわけですね。


イヤ、厄介なのが、名付け親のシモダが「おい、洋平」って本名で呼ぶんですよ。こんな理不尽なことってありますか?

徳谷柿次郎

― やっぱり理不尽とは付き合っていかなければいけない運命なのでしょうか。いずれにせよ、シモダさんと出会い、「徳谷柿次郎」として生きていく覚悟を決めたわけですね。後半では東京でのエピソードについて聞かせてください。引き続き、よろしくお願いします。



※インタビュー後編はコチラ
生い立ちが壮絶でも、才能がなくても、「おもしろい人生」を歩んでいける。徳谷柿次郎の生き方



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