2019.02.26
ありがとう、バーグハンバーグバーグ。シモダテツヤが「笑い」と歩んだ14年間

ありがとう、バーグハンバーグバーグ。シモダテツヤが「笑い」と歩んだ14年間

Webメディア「オモコロ」を生み、株式会社バーグハンバーグバーグの創設者でもあるシモダテツヤさん。予期せぬ電撃退任から1ヶ月後。節目を迎えた今、過ごした14年の歩みを振り返ってもらった。当時では語りにくかったであろうオモコロの戦略。そこには生み出すコンテンツからは想像もつかない開拓者精神があった。

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14年間、背負い続けたプレッシャー|シモダテツヤ

「あっ、そうか、今、名刺ないんでした。えーっと、ただのシモダです」


僕らが名刺を差し出すと、ばつが悪いような表情で、シモダテツヤさんはそれを受け取った。でも、その挨拶は、たしかに正しく名刺交換だったのだと思う。きっと今しかない「ただのシモダテツヤ」という人に、話を聞くための。


「退任発表が出たときに、体からシュー……って蒸気が出たように力が抜けたのを覚えてます。勝手に自分だけで背負ってたプレッシャーから解放されたのかもしれないですね。変な話、もうボケなくていんだなというか、スベっちゃいけないみたいに、考えないでいいんだって」


京都出身だけれど、関西の強い「笑い」よりも、シュールな芸風が好きだった。暇を持て余す芸人志望だった大学生は、インターネットと出会い、人生を変えた。彼はいつしか、好きな「笑い」でメシを食うという、当時では誰も考えなかった挑戦へ乗り出す。自ら市場を切り拓いた14年間は、日本のインターネット史にとっても特異点になっただろう。

社長を退任し、一つの役目を終えた今だからこそ、話せる当時の舞台裏。「ゆるく笑えるコンテンツ」からは窺い知れないポリシーは、どこか今のインターネットに“欠けつつある”、大切なピースのように光った。

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【プロフィール】シモダテツヤ
1981年、京都府生まれ。家入一真氏のスカウトにより2004年にpaperboy&co.に入社。2005年にWEBサイト「オモコロ」を立ち上げ、2010年ににバーグハンバーグバーグを創業。2019年1月に退任。同社ホームページにて、「まさに僕の青春はオモコロとバーグハンバーグバーグと共にありました。振り返るとしんどいことも悔しいことも沢山ありましたが、それ以上に笑うことのほうが多かった14年でした。」という言葉とともに退任が発表された。

ネットにダサいものがあふれていた頃

まだスマホもなかった2000年初頭。20歳の大学生だったシモダ青年は暇を持て余していた。ネットに出会って、その日々が大きく転がり始めた。


実家にパソコンがあったんですけど、親が「それはワープロとして使うんだよ」っていってたんです。ネットにつないでなくて。だから、ネットとの出会いは遅かったです。ADSLが入って、ネットに常時接続するようになったのが2000年あたり……僕が20歳くらい。のめり込みました。趣味も打ち込めるものもなくて、暇な大学生活を送っていた自分の人生が、おかしな方向にちょっと転がったな、と感動しましたね。それまでの毎日はずっと暇だったから。

その頃のネットは、今みたいに環境も雰囲気も整っていなくて、まだ「無法地帯」とか「アンダーグラウンド」と呼べる時代でした。「ダサいもの」や「ナンセンスなもの」があふれていて、だからこそ発展途上なんだって思える状況だった。

今のネットで「ダサいもの」って、あんまり見かけないじゃないですか? ダサいものがあるうちが、ちょっとアングラな面白さがあるはずなんです。ダサい中にもカッコいいものがあったり……そういう文明のレベルがいっぺん下がったところから、もう一回積み重ねていくようなところが面白かったし、参入障壁も低かったんでしょうね。

自分のホームページをつくって画像でネタを見せるとか、画像すら「重い」と文章力だけで勝負したりとか。歌手が節回しを工夫するように、自分の文章にクセを付けて、いかに個性的な武器を磨けるかに熱を上げたり。そういうテキストサイトの全盛期は2004年くらいまであったように思えます。

それで僕も、小学生のときに描いてた4コマ漫画のタッチで、画像と文章でネタを見せたら面白いかもっていう思いから、「ゴブリンと僕」というサイトを始めたんです。

+++するりとビールを頼んだシモダさん。

ネットは「シュールな笑いの世界」と似ている

「ゴブリンと僕」は人気サイトの一角となり、当時のネットを賑わせた「テキストサイト」ブームの真っ只中にいた。一方でシモダさんの心には、あるモヤモヤが渦巻いていた。それが次へのステップになった。


今風に言えば「ネットはめちゃめちゃブルーオーシャンだな」と思っていました。当時、これから絶対に波が来ると分かっていたから、今からやればライバルが多くいる芸人さんの世界よりは「“笑い”でご飯を食べられるかもしれない」とも、当時は考えたことがありました。将来の職業を考える上で、とにかくお笑いに関わっていたかった頃ですね。

当時の僕は、お笑いでもシュールなほうが好みで。シュールって「ツッコミがない世界」だと思うんです。ツッコミ不在の中ずーっとボケが続いていく。見る人が勝手に心の中でツッコむ。それってインターネットと一緒だなと思ったんです。おかしなことを言っている人へ、インタビュアーがちょっと一言足すだけで笑いが起きたり。振り返ると、今もそこからはブレずにいたかもしれませんね。

この時期は「やっと趣味が見つかった!」って、本当に楽しかった記憶しかないです。まぁ……「ゴブリンと僕」は人生の転機にもなりましたしね。これがなければバーグハンバーグバーグを立ち上げることもなかったでしょうし、人生の全部が本当に自分のサイトを持つということで変わったんです。

オモコロを始めたのは2005年。その時代、個人で面白いことをやるサイトは多かったんですが、運営者はだいたいが大学生やフリーター。就職後は閉鎖したり更新を停止したり……あれだけ光る才能があったのにもったいない、と残念で。だから、僕は「更新を続ける言い訳」を作りたかったんです。一人では無理だけども、根っこのところで書いたり作ったりする「みんな」で集まっていたら、続ける理由になるんじゃないかなって。

世の中的には「ネットでお金をもらう」なんて考えられない時代だったから、オモコロを作るときは「ちゃんとしてる雰囲気」を意識しました。僕はその頃、「ゴブリンと僕」をきっかけに、paperboy&co.(※現在のGMOペパボ)に勤めていたんですが、会社がサポートしてくれる中、サーバー代をタダにしてもらったり、企業が後ろ盾にある風に見せたり。といっても、当時、業界最安値のサーバーを謳っていた会社ですから、毎月250円くらいが無料になるだけなんですが(笑)。そうやって騙すように見栄を張って、執筆メンバーのスカウトを始めたんですね。

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広告の制作クレジットは、絶対に必要な手法だった

オモコロは愉快なライター陣を得て、テキストサイトでもない、あるいは当時隆盛してきたブログでもない、確かなメディアとして存在感を発揮し始めていた。一見は問題も見当たらないが、シモダさんの胸には葛藤と覚悟があった。


丸5年経った2010年に、バーグハンバーグバーグを起業しました。それは「このまま続けても趣味の限界値が来てオモコロがなくなるな」って思ったから。素人が考えるような願望は、この5年でやりきれたような気がしたんです。雑誌で紹介してもらえる、どこかで連載を持てる、企業と組んで企画が打てる、トークショーにお客さんが来てくれる、DVDを作って販売する……そういう基礎的なところですね。

「あ、このままいくと、ここで満足してまう。そうなると、あとは満足した人が辞めていくのを見るだけになるな」と。組織を崩壊させない次の一手を考えた結果が、起業しかないかったんです。そこで「この仕事で100%食っていく」と覚悟を決めてスイッチしたのが、この14年間で一番の冒険だったけれど、大きな転機でしたね。まずはしんどい思いで貯金をして、資本金を積んで、5年先くらいまで計画立てて……1年後に起業すると決めてからの1年間が最高にしんどかったかも(笑)。

+++創業期のバーグハンバーグバーグ

貯金していたのは、食える食えないを考える以前に、この業界には僕らの「市場」がなかったからです。先輩メディアだと思える存在はデイリーポータルZさんくらいだけれど、当時はマネタイズとは異なる印象のメディアでしたし、他にもガチンコで挑んでるところはなかった。

最初から考えていたのは、バーグハンバーグバーグはBtoB企業として、まずは発注主に僕らを理解してもらわないと成り立たないことです。「営業を置かない会社」も決めていましたから、自分たちの作品を見てもらって、次の案件につなげないといけない。だからこそ、企業の広告ページであっても“Produced By バーグハンバーグバーグ”と自社の名前を明記するのが絶対条件でした。

制作途中で「やっぱりクレジット入れられないんです」なんて言われたら、「それなら撤退します」というくらい。でも、明記するから「絶対に当てないと!」と思えるし、当たるならお客さんにも得になる。それで、自分たちの名前も上がって、次の仕事につながっていくわけです。広告ページにクレジットを載せるのは、バーグハンバーグバーグが取り組む以前にはあまり見なかったはずですが、結果的にこの方法をとって良かったと思いますね。

誰もが知るようなカタい企業が僕らの企画に「OK」を出してくれれば、「赤信号みんなで渡ったら怖くない状態」になって、他の企業も一気にOKになっていくはずだと目論んでいましたから。でも、世の中って、そうやって変わっていくんですよね。例えば、いきなり企業の公式Twitterアカウントがふざけるはずはなくて、たぶん他所を見て、自分たちもふざけていいんだって感じて動くという流れがあったはず。それこそが「浸透」だと思うんで。

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800匹目のドジョウを目指していないか?

大企業とのタイアップも成功させ、そのクリエイションは成果も、人々の心も掴んできた。笑いというブルーオーシャンを拓いてきたからこそ、昨今のインターネットには複雑な思いもある。


バーグがやってきた広告手法やオモコロが浸透して、世の中が緩和していく様子は嬉しくもあったんですけど、それに「負けないでおこう」ってライバル心もすごく強かったかもしれません。その後はメディアも増えて……今の立場なら正直に言えますけど、「二匹目のドジョウ」でうちがやってることにシンプルに寄せてきてるメディアなんかは、やっぱり好きにはなれなかった。最初に僕らが苦労して道を作ったのに、すーっと歩かれているようなモヤモヤ感もあったし。

僕は好き嫌いが明確なタイプで、嫌な仕事はクライアントであっても伝えるようにしていました。社員からすれば、ワガママでやりにくかったんじゃないですかね……でも、嫌いなことを「嫌い」と言っておくと、その後の面倒くさいこともなくなるわけですよ。『HUNTER×HUNTER』でミトさんが「その人を知りたければその人が何に対して怒りを感じるかを知れ」って、とても良い言葉でいってますけど、勝手に忖度できるほうがお互いに楽だと思うんで、たぶん。

でも、そういう他のところから後追いされる動きもないと市場が膨らまないこともわかっていました。だから悶々としながら、でも頑張らないといけないとも思っていた時期でした。会社を作って4年目、2014年ぐらいですかね。

これは今でもそうなんですけど、僕はトレンドを意識するっていうことがあまりなくて。どうせなら「最初を作る側」になりたい気持ちが、ずっとある。例えば、Twitterで言葉だけ変えて流行るテンプレツイートとか、僕も乗っかりたいはずなんだけど、やっぱり抵抗が出ちゃう。もちろん乗っかって楽しむのは、ツイッターの正しい使い方だと思いますよ!だけど、僕は職業柄、それが「自分のひらめきで見つけたことじゃない」というのが、発明できないことを自ら示しているようで、楽しみきれないんですね。

最近は、ちょっと「乗っかる」という流れが多すぎるような気もします。「800匹目のドジョウ」みたいなものをよく見かけるなと。Vtuberがわかりやすくて、毎月1000人ずつ増えていったりとか。それ見て「わざわざレッドオーシャンへ行くのもな……」とも感じますし、本当にもう一度、ちゃんとブルーオーシャンを探していけば、見つかるはずだと思うんです。

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ギャップを作るのが難しい時代でも、カウンターを狙う

バーグハンバーグバーグの社長を退任。次なる野望は、未確定だが、彼は新たな「ギャップ」を見つける旅を始めると言う。


でも、今って、ギャップを作るのが難しいですよね。僕らが起業した頃なら、「え?あの会社がバーグハンバーグバーグと組むの?器デカすぎない?」って反応だったけど、今では別に驚きもないじゃないですか。

この5年間で比べても、みんなの頭が柔らかくなっているし、色んなものを受け入れる時代になりつつある。それこそ働き方も含めてね。企業も頭が柔らかくなっているから、YouTuberや個人の作家ともコラボしますし。

極端な話、このまま柔らかくなった状態がもっと固定化すると、今度は逆に真面目すぎるのがウケるかもしれないですよね。ゆるさが成熟してきたからこそ、新たなカウンターカルチャーが生まれてくるだろうし。バーグハンバーグバーグの初期って、それこそ反体制というか、世の中にアンチテーゼを出す会社だったと思うんです。でも、そこを自分らで切り開いちゃった後は、逆に体制側の存在に置かれたりもしがちなのかと。

慣れが増えるほどに減っていくのが驚きというものだから、「次のギャップ」をもっと考えないといけない時代なんでしょうね。いかに見つけて、カウンターを打っていくか。それでまた注目してもらえたら、世の中を変えていくことができるかもしれません。今の時代らしい新たなギャップは絶対あると思うんですね。視点を変えたり、視野を広げたりすれば、ギャップは世の中にいっぱいあるはず。僕もこれから、また探していかないと。

今は、いろんなことを探す時間ができたと思っています。今まではバーグハンバーグバーグを経営している手前、会社の仕事につながることや、会社がずっと続いていくこと、少しでも笑いに関係していることを考えないとダメだ、という変なプレッシャーもいっぱいあった。そこから解放されて、今までの自分だとあんまり出会えないものと出会えたらいいかな、と思っています。

それこそ選択肢としては就職も面白いとは思ってますし、海外移住したい場所や出資をしてみようと思える会社が見つかったりもしています。今は本当に、期待しかないですね。

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文 = 長谷川賢人
編集 = 野村愛


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