2021.02.10
スタートアップも、家族も、しなやかに。hey 佐俣奈緒子の生き方

スタートアップも、家族も、しなやかに。hey 佐俣奈緒子の生き方

子育て、病気、介護...人生にはさまざまな変化が待ち受けている。そのなかで、どうすれば「働くこと」と健やかに向き合えるのだろう?今回お話を伺ったのは、hey 副社長であり、3人のお子さんを持つお母さんでもある佐俣奈緒子さん。「働くこと」とどう向き合ってきたのか、赤裸々にお話いただいたー。

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30代をどうすれば健やかに過ごせるだろう?

「もしも子どもが生まれたら、今まで通りの働き方ができるだろうか」

社会人になって5年が過ぎ、30歳という年齢が近づくにつれ、筆者(女性)はそんな漠然とした不安を感じるようになった。

友達同士の話題も、仕事のことや恋バナだったはずなのに、いつのまにか結婚や子育てへとシフトしている。仕事場では年齢の近い同僚が妊娠して、思うようにパフォーマンスを出せずに悩んでいる姿を目の当たりにした。

妊娠や子育てに限らず、病気、介護...これから人生にはさまざまな変化が待ち受けている。その分岐点に立ったとき、どうすれば「働くこと」と健やかに向き合うことができるのだろうか。

キャリアの分岐点を迎えた少し先を歩く先輩方にお話を伺い、変化と向き合うヒントを得たい。こう考えたとき、真っ先に頭に浮かんだのが、佐俣奈緒子さんだった。

何事もなく、当たり前のようにいつも仕事して、すぐに復帰して、バリバリに働いてるみたいな感じに捉えられると、それはそれで実態と異なるし、これから経験していく人にとっても歪むだろうし。いろんなケースあるし、みんな大変だよね!私は、家族も仕事も両取りしたいため、とにかく正しい意思決定を長期で繰り返すために、自分自身のメンタルをいかに安定させるかに常に重きをおいて生活してるので、その辺は回数経てうまくなってきた気はします。

hey 副社長であり、3人のお子さんを抱えるお母さんでもある佐俣さん。noteに綴られた内容を拝見すると、一筋縄ではない困難に幾度となくぶち当たってきたことがひしひしと伝わってくる。

そのたびに、佐俣さんはどんなことを考え、向き合ってきたのだろう。佐俣さんの人生チャートをもとに、お話を伺った。

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28歳で決断した「起業」という選択

いま、私(筆者)は29歳なのですが、佐俣さんが30歳前後、どう仕事、人生と向き合っていたか、教えていただいてもよろしいでしょうか。

当時の状況からお話すると、27歳で結婚して、28歳のとき、立ち上げから担ったPayPalを退職したんですよね。それから、Coineyを立ち上げるために起業準備をしていました。

将来的にいつかは「子どもがほしい」とは考えていましたが、当時は自分の中でそこまで優先度が高くなかったんです。どちらかというと、まだまだ仕事に打ち込むぞ!という気持ちでした。

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なぜ、転職ではなく、起業する決断を?

28歳のときは2011年で、東日本大震災を経験したことが大きかったと思います。東京にいたので大きな被害があったわけではありませんが、「いつ、なにが起こるかわからないんだ」とそのとき強く思ったんです。

突然災害で命を落とすことであるかもしれない。災害に限らず、事故に巻き込まれるかもしれないし、大きな病気にかかることもあるかもしれない。

そう考えたとき、「このままでいいのか?」と自分に対して大きな疑問が浮かんで。当時、PayPalの仕事はとても楽しくてやりがいにあふれていたけれど、この先もずっとやっていきたいか?というと胸を張ってそうだと言い切れませんでした。

学生のときから、ずっと「起業」という選択肢が頭の片隅にあって。あまり考えすぎずに、やりたいなら、今やってみたほうがいいんじゃないかと思ったんです。

とはいえ、何をやるかって、震災のタイミングだと決められていなかったんですけどね。いろいろと考える中でたどり着いたのは、「中小のお客さんが、インターネットの力を持ってキャッシュレス決済を簡単に受けられる」こと。これは当時のPayPal ではできないことだったので、「ならば自分でやるしかない」と腹落ちしたんです。幸いに10年経った今でも、その思いは変わっていません。

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想定以上に困難だったサービスインまでの道のり

半年間の起業準備期間を経て、2012年3月にCoineyを創業していますね。

はい。ただ、リリースさえままならないほど、大変でした。まず事業をゼロイチでつくること自体はじめてのことだったので、右も左も、何もよくわかっていなかったんですよね。すべてが手探りの状態。

事業ドメインとしても、決済領域は難易度としてめちゃくちゃ高いことにやりはじめてから気づいて...(笑)当時はまだ「決済」の領域のデジタル化が日本で浸透する前でしたし、同時に決済端末を自分たちで作るために、ハードウェアの製造もしていて。その掛け算で日々バタバタしていました。

しかも、難しいことに挑戦していると、なかなか応援してくる人が増えなくて。逆に「難しいよ」とか「無理なんじゃない」という声の方がやっぱり多かったんです。一緒に働く仲間を見つけるのも、事業を応援してくれるパートナーを見つけるのも本当に苦労しました。

1年目はすべてがカオスで辛いことも多かったけど、いま振り返ると本当に楽しかったですね。

+++Coiney 創業時のオフィス

創業2年目、第一子を妊娠

2013年、1年半の歳月を経て、Coineyを無事にサービスイン。同時に13億円の資金調達も完了しています。

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ホントにバタバタだった立ち上げから、事業としてほんの少し先を見通せるようになって。

そこから、創業2年目、第一子の妊娠がわかったんです。授かったこと自体は、めちゃくちゃ嬉しくて後ろめたさはなかったんですけど、「仕事」を掛け算した時はやっぱり不安もありました。

そもそもはじめての妊娠で体調がどう変わるのかわからない。妊娠によって一体どういう風に仕事に影響するのか、働き方がどう変わるのかもよくわからなかったから。この先、大丈夫かな...って。漠然とした不安はありましたね。

全社に伝えるまえに、まず取締役や株主に伝えたんですけど、最初一体どのタイミングで妊娠を伝えるべきか、どういう風に伝えるといいのか全然わからなくて。「取締役会 妊娠報告」ってググっても、全く事例が出てこないんですよね。

もうこれは答えがないなと思って、当時Coineyの取締役だった西條晋一さん(現 エキサイトの代表取締役社長)に伝えました。

なんて思われるか、正直不安だったんですけど、西條さんが「めちゃくちゃおめでたいことじゃん!おめでとう!」って一緒に喜んでくれて。ほっと安堵したのを今でも覚えています。

他にも当時の株主だった、Gunosyの木村新司さんとか、現ジェネシアベンチャーズで当時サイバーエージェントベンチャーズにいらっしゃった田島聡一さんに報告したときも、「おめでとう!」って声をかけてもらって。ものすごく心強かったです。

この経験は、今の自分のスタンスにも大きく影響を受けていて、社員から妊娠報告を受けたら必ず最初に「おめでとう!」って全力で祝福するようにしています。そもそも妊娠はめでたいことですし、一緒に喜びあえる存在でありたい。また、会社としてできる限りサポートできるようにしたい。この思いは、自分が応援してもらった経験からきています。

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ギアを上げすぎた妊娠生活

妊娠中も仕事は並行されていた? そこはうまくいったのでしょうか?

もともと「メンタルは強いほうだ」と自負していたのですが、ぜんぜん思うようにいかなくて。私の場合は「吐きづわり」といって、寝ても覚めてもずっと気持ち悪くなるタイプで。毎日ずっと二日酔いみたいな感じ。いままで通りのパフォーマンスは全くできなくなると、気持ちが沈んでいました。

その頃の働き方といえば、体力が尽きたらその日は終わりといった感じで時間管理などなかったですし、夜に用事があっても22時までに終わればオフィスに戻って、再び働くみたいな。そのため、働きすぎで妊娠高血圧の疑いとなり、途中管理入院させられるも、病院でビデオ会議しすぎて、早めに退院させられたりもしましたし、結果何事もなかったからいいものの、そろそろお休みに入ろうかなという時期に1日13面談いれて負荷をかけたせいか、翌早朝に破水してしまい、緊急帝王切開で出産となりました。つまり、どこまでギアをあげるとどうなるか、全然わかっていませんでした。ただただ妊娠とかに甘えずやるしかない、みたいな。
引用)note 「妊娠・出産のリアル」

創業2年目のアーリーステージ…大変なタイミングが重なったんですね

資金調達後でキャッシュは潤沢でしたが、全く余裕などなくて。体調と、メンタルが落ちていても、やらなければならないことは山のようにありました。

組織サイズも小さいですし、事業も立ち上げたばかりで不安定な状態。自分が頑張らないと全部駄目になっちゃうかもしれないって、強迫観念に似た気持ちがあったんだと思います。

妊娠中に100%のパフォーマンスできないことは頭では理解してたんですけど。だからといってパフォーマンスを出せないことを許容しすぎて、コミットメントが低くなるのは違うよなって。

今の状況で、妊娠とかそんな甘いことを言ってて成果出るんだっけという思いが常に自分の中にありました。株主や取締役に応援してもらっているからこそ、期待を裏切れない。

本当は他の人に任せたり、任せられる人を採用するべきだったと、今になっては思うのですが、当時は「自分が頑張る」ことしか頭が回っていませんでした。

産休中に、組織が崩壊

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2014年、無事に第一子を出産されています。そのあとはしばらく産休に入られたのでしょうか?

当初、数ヶ月の産休を予定していたのですが、急遽前倒しで復帰することにりました。出産のため1ヶ月ほど休んでいた間に、組織が立ち行かなくなってしまったのが理由です。

産休に入る前、自分がいなくても回るように準備をしていたつもりだったんですけど、何一つできていなかったんです。創業3年目、社員数は30名超えたタイミングでした。

たとえば、指示系統だったりとか、戦略だったりと。日々のこまごましたものが衝突していて。早く整えなければ、事故がたくさん起こってしまう状態に陥っていました。

いま振り返ると、とくに権限委譲の準備不足でした。権限を渡すだけになっていて、権限を渡したあとにちゃんと機能する土壌までつくれていなかったんです。浅い状態でぽんっと渡してしまったことは大きな反省点です。

仲間からの叱責に、救われた日

壊れてしまった組織の立て直しと、はじめての子育て、noteにも当時の状況を赤裸々に書かれていましたが、当時はどんなことを考えていたのでしょうか?

同時期に母乳とミルクの混合でいけてたこどもが哺乳瓶すら受け付けなくなり、直接母乳一択に。自転車で10分くらいの距離の家と会社を1日最低3往復し、それでも胸が張るので、ミーティングの合間をぬって会社で搾乳。今振り返ってもこの時期が一番辛かったです。
引用)note 「妊娠・出産のリアル」

もう自分が経営をするなんて無理だ。辞めたほうがいいのではと、この時期は本気で悩んで。はじめての子育てということもあって、一体いつまで大変な状態が続くだろうって、全く先が見えない不安がありました。

そこで、改めて西條さんに相談したんです。そしたら、「真剣に考えたのか」って本気で怒られたんですよね。

「ほんとに辞めたいと思っているのか」って、すごく問いかけられて。そのときはじめて、「辞めたい」という言葉の重みにハッと気付かされました。

会社を創業し、私は「社長」であって、社員もそうですしパートナーもそうですし株主の人たちも含めて、いろんな責任を負っている。その立場で、「辞めたい」というとき、強い意思と覚悟がなければ、いろんな人たちを無下にしているのと同じなんだと。西條さんは、私の社長として負うべき覚悟を問うてくれたのだと感じています。

一晩考えて思ったのは、いま辞めたら絶対後悔するということ。やっぱり辞めたくない。ここで諦めたくない。もう一度踏ん張ってみようと気持ちを奮い立たせることができました。

もちろん大変な状況は変わらないのですが、周りのサポートしてくれる人たちの手をかりていったり、社内で権限移譲をしていったり。時間が少しずつ解決していくところも大きかったですね。1年くらい時間はかかりましたが、状況はだいぶ楽になりました。

仲間からの愛のある言葉に救われて、今があります。

ネガティブなときは、極端な意思決定をしない

気持ちの浮き沈みとは、どのように向き合っていたのでしょうか?

メンタルが落ちてるときは、一時的にでも極端な意思決定は取らないようにしようと心がけてきました。特に大きな意思決定、不可逆ものは意思決定しない。意思決定を数ヶ月伸ばしてても、死なないんだったら間違えない方が重要です。

妊娠してから産後って、ホルモンバランスが崩れやすく、メンタルもネガティブに倒れがち。そんな状況では、思考のコントロールもうまくできません。たとえ「気持ちが沈んでいる」という自覚がなくても、何かに引きずられやすくなっていて、結果ブレてしまうんですよね。

とにかく「自分をあまり信用しすぎちゃいけない」と、自分に言い聞かせていました。

子育てをしていると働く時間にも制約が出てくると思います。佐俣さんは、パフォーマンスを発揮するためにどんなことを心がけていましたか?

自分にしかできないこと、もしくは自分が最もパフォーマンスできることだけに集中する。当時の状況を冷静に見つめ直したとき、もうそうするしかないという結論に達したんですよね。当時は「採用」や「組織づくり」にフォーカスしていました。

子どもが生まれたことで働ける時間も短くならざるを得ないし、いままでのように体力尽きるまで働くのは無理。全部はできない、やれないから、絞るしかないと諦めがついたんですよね。

それに、大体のことは私がやるよりも他のメンバーやチームにまかせたほうが上手くいくのかもしれないなって思うようになって。

むしろ、任せられるメンバーと一緒に働くべきですし、自分ができないこと、 自分が得意じゃないことを誰かが得意でいられる状態じゃないと、チームがワークしない。改めて「誰と働くか」ってとても重要だと気づいて、当時は「採用」や「組織づくり」にフォーカスしていました。

「仕方ない」と受け入れると、健全でいられる

メンタル的にも体調面でも不安定な中で、少しでも健やかにいられるために佐俣さんが心がけていることはありますか?

誰かからアドバイスをもらったわけではなくて、これは自分で思った事なんですけど...。考えても仕方ないこと、どうしようもないことに時間を使わないようにしようっていつも思っていて。

たとえば、妊娠して子どもが生まれるまでって、めちゃくちゃ不安になるんですよね。無事に生まれてくるかな、健康に生まれてくれるかなって。

出産したあとも、日頃気にならなかったことが気になったりとか、体調が悪くなったり。メンタルがぶれる要因がすごく多いんです。

でも、頭の中を占めてくる大体のことって「考えても答えのでない」ことなんですよね。つまり、「どうしようもない」ということ。

だったら、「仕方ない」って割り切ちゃったほうが、本当にやりたいことだったり、やるべきことに時間に使えてハッピーだと思うんです。なにかしらアクションに落とせるのであれば落とした方がいいと思いますし、できないのではあれば「気にしてもしょうがない」と割り切るようにしています。 

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人生の岐路に立たされたとき、キャリアの選択肢を狭めないように

これまでのご経験が、いまの仕事や会社づくりに活かされている部分はありますか?

そうですね、たくさんあります。hey では、女性に限らず、結婚、進学、介護など人生におけるいろんな岐路においてメンバーに寄り添うような福利厚生を用意したいと思っています。現段階で充実できているのは、子育て向けです。具体的には、Fun for Kidsという取り組みで、お祝い金や各種特別休暇の取得を可能とするものです。

▼こどもが生まれるまでFun for Kids概要
・産休お祝い金:お祝い金として30万円

▼こどもが生まれるとき
・キッズウェルカム休暇:10日間の特別有給休暇(育休取得は別途可能)

▼こどもが生まれたあと
・出産お祝い金:お祝い金として3万円
・育休お祝い金:お祝い金として30万円
・キッズサポート休暇:小学校6年生まで毎年5日間の特別有給休暇を支給

詳細)note [hey] 福利厚生の指針について

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heyは現状ほとんど中途入社のため、ライフステージが変わっていくタイミングの人も多くいます。なので、こういう安心して働ける体制はできる限り整えていきたいです。

特に首都圏では、共働きで働いてる人が70%を超えてきています。子どもを育てながら、女性が働き続けていく社会が当たり前になっていることを前提に考えると、ライフイベントが岐路でキャリアが損なわれてしまうのはすごくもったいないと思うんです。

妊娠・出産に限らず、親の介護、病気など、人生を長い時間軸で考えたときにさまざまなライフイベントが起こります。最適な選択肢を自分の中に持つことができるように支援していきたいです。

(終わり)


写真提供:hey


取材 / 文 = 野村愛


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