都会と田舎の二拠点生活。憧れを抱く人が多い一方で、その実態が語られるケースは少ない。今回、週4日は八ヶ岳の麓でシェアオフィス運営、週3日は都内でUXデザインに関わる津田賀央さんのもとを訪ねた。二拠点生活を始めてまもなく2年。二拠点生活を成功させるためのヒントとは?
長野県諏訪郡富士見町。諏訪湖の南西部、山梨県との県境にある小さな町。ここ八ヶ岳の麓にてシェアオフィス『富士見 森のオフィス』を運営する津田賀央さんの生き方がおもしろい。
津田さんは、週4日は『森のオフィス』の運営、週3日は都内の大手メーカーでUXデザインに関わっている。つまり、富士見町と東京の二拠点生活を実現しているのだ。このユニークな暮らしをスタートしたのは、2015年の夏。約2年間にわたって、富士見町と東京の二拠点生活を続けている。
二拠点生活といえば、近年注目されている生き方のひとつ。テクノロジーと個々の創意工夫によって物理的な距離によって生じるギャップを埋め、「平日は都心で働き、週末になると地方で過ごす」という“いいとこ取り”なライフスタイルを選ぶ人が少しずつ増えてきている。
しかし、まだまだ成功事例は少ない。これから始めようとしても、場所探しや現地での人間関係構築、さらには移動手段…想像するだけでも乗り越えるべき課題は多くある。
「憧れの二拠点生活を、“憧れ”のまま終わらせないためにはどうすべきか」。
こんな疑問を胸に、津田さんの待つ『森のオフィス』を訪れた。なぜ津田さんは富士見町を選んだのか。どういった毎日を過ごしているのか。そして、二拠点生活の魅力とは。津田さんへのインタビューを通じ、二拠点生活を成功させるためのヒントを探ってみたい。
<Profile>
Route Design合同会社 代表社員
津田賀央 Yoshio Tsuda
神奈川県出身。2001年より東急エージェンシーにて、デジタル領域のコミュニケーション戦略に携わる。約10年の勤務の末、大手家電メーカーへ。クラウドを用いたサービスやプロトタイプの開発、サービスのUX開発などを手がける。もともと「都心と地方を行き来しながら生活すること」に興味があり、2015年に家族とともに長野県諏訪郡富士見町へ。Route Design合同会社を立ち上げ、『富士見 森のオフィス』を運営しながら、移住相談や地域の仕事づくりといったコミュニティーデザインから、地域の商品やサービスの企画などのサービスデザインまで手がける。1週間のうち、火曜から木曜は東京、金曜から月曜までは富士見町で働く二拠点生活者。
― どのようにして二拠点生活がスタートしたのか。また、なぜ「富士見町」だったのか。そのあたりからお聞きしてもよろしいでしょうか。
もともと東京で暮らしていたのですが、今住んでいる富士見町の人たちに心を掴まれたんです(笑)。
もともと3年ほど前、雑誌で特集されていた原村(はらむら)を旅行で訪ねたのですが、それが実は富士見町の隣村でした。
友だちから「隣町の富士見町には、津田と近い世代の人たちが移住しておもしろいことやっているよ」と。で、その人たちの話を聞いてみたらすごく刺激をもらって。
具体的には、移住者の方たちがセカンドライフとして田舎暮らしをしているわけじゃなかったことが大きかった。志を持って移住して、富士見町を仕事の拠点にしている。でも、全然人生に焦っていなくて、誰でも受け入れるような寛容さがあって…会食や交流会とかで知り合うような都会的なカタチとは違って、オーガニックにつながっていけそうな感覚があったんです。
― ご家族の反対はなかったのでしょうか?
それが、僕ら家族が抱えていた漠然とした不安もすぐに解決してくれたんですよね。たとえば、妻は「もし富士見町へ引っ越しても、何をしていいのかわからない」って言ってたんですよ。それに対して、彼らは「ここでは何もしなくていい。食べ物もあるし、家賃も安い。時間もいっぱいある。暮らしながら何かを始めたくなったらやればいいんだ」と。夫婦揃って「あ、そういう感じでいいんだ」って(笑)。
「田舎に住みたい」というよりも、「富士見町に住みたい」という気持ちが芽生えてきた瞬間でした。
― その後すぐに移住されたのですか?
移住に向けて動き出したのは、その数ヶ月後くらい。でも、”移住”が先にあったのではなく、富士見町のWebサイトを見て、とある提案をしたことがキッカケです。富士見町の空き家を首都圏の企業にオフィスとして活用してもらうという『富士見町テレワークタウン ホームオフィス計画』の企画書がサイトに載っていたんですけど、「この企画書ではもったいない!」と…(苦笑)。思い切って企画書をつくって送ってみたんです。「何か手伝えませんか?」って。
すると意外なことに、トントン拍子で話が進み、1週間後には富士見町役場の人と打ち合わせして、2週間後には町長に直接プレゼンするという…。町長からは開口一番「何人連れてこれるの?」「いくらほしいの?」「やるなら津田さんも富士見町に来ないとね」って…なかなかのスピード感で移住が決まりましたね(笑)。
― プロジェクトを手伝う。そのために移住する。自然な流れで移住が決まるっていいですね。でも、東京での仕事もありますよね?
東京での仕事が好きだったので、辞めるつもりはありませんでした。だから、当時の上司に自分の想いを伝えて説得したんです。前例がなかったのでかなり驚いていましたが、きちんと受け止めてくれて。雇用形態を替えて、一週間のうち火、水、木が東京、金、土、日、月が富士見町という二拠点生活がスタートしました。
― 二拠点生活をスタートしてこれまで、ツラかったこととか辞めようと思ったことはなかったんですか?
強いて言えば体力面での大変さはありますね。特に『森のオフィス』は土曜も営業しているので、しっかり休めるのは日曜だけ。おかげさまで、かなり忙しい毎日を過ごしています。
東京との行き来は特急あずさを使うんですけど、火曜日に行くときは始発で6時49分発。木曜日に帰ってくるときは終電が新宿を21時発で、富士見町に到着すると23時15分です。正直、朝はもう30~40分出発が遅い電車があるといいなと思いますね(笑)。
細かい話だと、都内のWebやクリエイティブのイベントって金曜開催が多い、土日で花見に誘ってもらっても行けない…挙げればキリがないですね。あと、みんな「富士見町行くよ」って言ってくれるけど、全然来てくれないとか(笑)。
― なるほど…(笑)。東京での仕事で苦労したことは?
仕事に関してはそれほどないんですよ。業務量や関わる範囲は減らしてもらっていますけど、物理的にムリなときは周りのメンバーがフォローしてくれる。それは本当にありがたいです。
― 周囲からの協力を仰ぐためにどんなことを意識しているんですか?
なるべく火曜から木曜の3日間で終わらせるようにしています。業務量も、仕事の依頼が来る度に上司と「3日間でどのくらいいける?」「達成できそう?」みたいな相談をして。曖昧なタスクをなくして、自分の役割を明確にすることを心がけています。そのうえで、徹夜しなければいけないなら徹夜する。ベストを尽くしたうえでどうしても間に合わないようならサポートをお願いしていますね。
あと、粒感の大きい話だと、なぜ自分がこんな挑戦しているのかをみんなに話して、心情的な部分に共感してもらえるように働いているつもりです。よく「実際に行動に移していることがすごいよね」って言われるんですけど、結局行動を見てくれているんですよね。たぶん周りもみんな、社会の変化と自身の働き方に何らかの葛藤を抱えていて、そのなかで自分と重ねたり、理解しようとしたりしてくれているのかもしれませんね。
― 津田さんにとって二拠点生活の魅力とは?
“楽しい”。これに尽きると思います。
たとえば、木曜の夜に帰ってきてふと見上げると、星空が一面に広がっているんです。美しさに力が抜けてしまいますよ。そして、金曜の朝は、八ヶ岳の美しさや空気の美味しさにビックリする。都会のように騒音はないし、毎回爽快感がありますね。
火曜、水曜で都会の刺激もほどよく受けて、木曜は特急あずさに乗る前に新宿で買い物して、都会の良さにも少し触れながら…。月曜の夜は少し面倒に思うこともあるけど、それは都会のサラリーマンが日曜の夜に憂鬱になるのと一緒なので。
仕事の話をすると、特に富士見町での仕事は地域社会をデザインすることには貢献できてきているのかな、と。街のいろいろな人たちとも仲良くなれたし。東京でもたくさんの人に出会えるけど、自分が住んでいる地域の人たちを触れ合う機会って少ないじゃないですか。出会いの一つひとつに幸せを感じています。
八ヶ岳で運営している『森のオフィス』も少しずつ成果が出始めていて、それもモチベーションになっていますね。
小さな一歩かもしれないけれど、農家さんから「Webサイトをつくりたいんだけど誰かつくってくれる人いないか?」という相談が来たとき『森のオフィス』の利用者を紹介したり、パソコンの使い方がわからないっておばあちゃんの相談に乗ったり…。少しずつだけど、芽が出てきた感覚があります。
『森のオフィス』って単なる作業場としての機能だけでは運営している意味がないし、移住にもつながらないんですよね。これからも、仕事を見つけられたり、ビジネスが生まれたりする環境をつくっていきたいと思っています。それが、里山と都会をつなぐことであり、結果として文化になるのかな、と。
― 津田さんの人生の目標について教えてください。
大きく2つあります。1つ目は、自給できるところは自給して、お金に頼らない生活をつくりたいと思っています。お金に縛られて生きる必要はないんだよって。そのためにも、今は仕事やお金をつくることに取り組んでるんですけど、一方で自給できる割合を増やしていきたいですね。
たとえば、ロボットやAIに仕事をしてもらいながら自分は別の仕事をするのも一つの手だし、色々なカタチの自給が今後出てくると思っています。その方法を富士見町にいながら模索していきたいですね。
2つ目は、社会のなかで新しい選択肢をつくっていくことです。二拠点生活もそうなんですけど、自分で実際に実践して周りにも実践者を増やしていきたいな、と。
元々二拠点生活に興味があったのも、子どもが父親の通勤圏に必ず住まなければいけないという暗黙の了解をなくしたいなと思っていて。会社に通勤や職場のルールを変えていけるということを示していきたいですね。
― 二拠点生活をすることも、富士見町という地域に貢献すること、会社のルールを変えることもカンタンなことではないと思います。津田さんがそこまでがんばれる理由って何なんですか?
僕自身帰国子女で、ずっとオルタナティブな生き方をしてきたことが根底にあるかもしれません。
アメリカの小学校時代、友達とアメフトをやろうとしたら「ヨシオはアメリカ国民じゃないからアメフトできないよ」って言われたことがあったんですよね。もちろん冗談なんですけど、ものすごく印象に残っていて「自分はマイノリティーの側なんだな」と感じました。
日本に帰ってきたからは漢字も書けない。社会人になってからも同期がTVやラジオといったマス広告に関わるなか、当時は花形ではないデジタル部署に新卒で初めて配属される。平日はガッツリ働くけど、週末はクラブでVJ活動に明け暮れる。広告代理店のプランナーだったのが、メーカーに転職してエンジニアだらけのセクションに配属される…。自分の居場所がいわゆる本流に完全に属していないという経験が多くて。ハイブリッドにやる環境を自然と求めるようになってしまったというか。“二兎追う者は一兎も得ず”なのかもしれないですけどね(笑)。
最近は、富士見町という山々に囲まれた地域で暮らしているので、もっと山に関わることがしたいと思い、仲間と一緒に『山の日サミット』というイベントを企画しました。山の日が制定されたので、山についてみんなで考える機会にしたいな、と。
今後も自然やアウトドアに関わる機会はつくっていきたいですね。自然のなかにいる自分だからこそ発揮できる価値を発信していきたいと思っていますよ。
― 当然大変さもありますが、それを上回る楽しさがある。津田さんのお話をうかがい、二拠点生活のリアルが具体的にイメージできました。津田さんの視点や行動が、これから二拠点生活を始めようという人にとってヒントになると思います。貴重なお話をありがとうございました。
文 = 田中嘉人
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