自分なりの作品づくり、表現方法をどう探求するか。その糸口を手繰るべく、太田真紀さんのもとを訪ねた。彼女は『Takram』で働く若手デザイナー・イラストレーター。今回注目したのが彼女のオリジナルワーク『10 SECOND POETRY』だ。彼女と一緒にアイデアと出会うための旅に出てみよう。
いいアイデアを生み出し、人々の心を揺さぶる作品づくりのために、クリエイターは、普段どんなことを見たり、感じたりしているのだろう。彼ら、彼女らのユニークな視点に触れてみたい。
そう考えた私たちは、デザイン・イノベーション・ファーム『Takram』で働く若手デザイナー 太田真紀さんのもとを訪ねた。
特に注目したのが、彼女が過去に手がけた『10 SECOND POETRY』というオリジナル作品だ。ロンドン留学中、街に繰り出し、行き交う人々を観察。映像とイラストレーションと組み合わせ、作品としてまとめたもの。
ありふれた日常、ふいに訪れるわずか10秒間。紡がなければ、発見されなかったであろう物語。決して有名な作品ではないが、そこには多くの示唆が含まれている。
「10 SECOND POETRY」作品群としては「DEPATURE」「SHORT BREAK」「MUSEUM SELFIE」という3つに分類される。
たとえば、「DEPATURE」というシリーズ。舞台は「駅」。描かれるのは家族、恋人同士、友人など「別れ」のシーンのみ。彼女は作品の制作プロセスをこう振り返る。
舞台となっている場所は、パリや、ブリュッセルとも繋がっているセントパンクラス駅です。駅にはカップル、親戚、友達同士などさまざまな別れのシーンがありました。下地となる映像を現地で撮影し、家に帰ってコマを見返してみると色々な発見があって。カップルの別れの場面では男性の方がつないだ手を寂しそうにひっぱっていたり、親戚同士では手を振るお姉さんに対して、小さな女の子は携帯電話をいじっていたり。ちょっとした仕草や行為からもそれぞれの個性が立ち上がってくることが、すごく演劇的でおもしろいと思いました。
太田さんはどうのようにして、このような作品を制作するに至ったのか。そして、クライアントワークも手がけるようになった現在、どう「ものづくり」と向き合うのか。オリジナルワークから得たものとは。
彼女との対話で見えてきたのは「人々の心が揺れる瞬間」をとらえるためのインプット、それを「ものづくり」に落とし込むヒントだった。
<プロフィール>
太田真紀|Maki Ota デザイナー
アニメーション、イラストレーション、ブックデザインなど、平面を中心としたビジュアルデザインを専門とする。武蔵野美術大学の基礎デザイン学科を卒業後、2015年に英国セントラル・セントマーチンにおいて修士号を取得。クルミド出版のメンバーとして、装丁を担当。2016年にTakramに参加。デザインリサーチやプロトタイピングとイラストレーションの手法を組み合わせ、グラフィックデザイナー・イラストレーターのバックグラウンドを生かせる新しい領域の開拓を目指している。
ー『10 second poetry』を見させていただきました。たった10秒ですが、たくさんの物語が詰まった作品だと感じます。
そういった感想をいただけてうれしいです。なんだか救われた気分というか(笑)ロンドンに留学していた時、通っていた大学院の卒業研究で提出した作品でもあって。じつは作品のテーマ選びから実制作まで、かなり苦労しました。
卒業研究のすすめ方は「自分の興味のある事柄に”問い”を立て、その問いの仮説を、自分の持つコミュニケーション手段によって検証する」というものでした。世界中から集まった同級生たちが社会的な問題、ソーシャルグッドな作品に取り組むなかで、私は世の中に強く訴えたいこともなく「興味の中に社会とのつながりが見出せない」と葛藤したこともありました。やりたいことはあっても、それをやる大義名分が見つけられなかったのです。
ある時、ロンドンでの私は「一時的な滞在者」であり、その視点があることに気が付きました。多様な人種・民族が住むロンドンという街は「人」を見ているだけで本当におもしろくて。
たとえば、最寄り駅のベンチに座って人々を眺めていると、多様なんだけれども、普遍的な瞬間がたくさんある。その瞬間その場所にて「詩情」を発見した喜びが『10 second poetry』の原点にあると思います。一度その試作をクラスで見せたら意外にも好評で、そのころから立派な根拠を探すことを諦めて、個人的な視点を人に伝わる形にするという方向にシフトしていきました。
この作品は社会的な問題提起というより、自分自身は透明人間になってスケッチしながらも、自らの内情、感じたこと、感じ方、見ているものが写し取られてしまう「詩」に近いものです。言語化の難しい弱い存在でありながらも、ある人の行為を集中して写しとり、同じ数秒間を他の誰かと共有することができるのか。こういったパーソナルな問いと向き合った作品といってもいいかもしれません。
ーもうひとつユニークなのが「ロトスコープ」という手法を使っていることですよね。撮影した映像をコマごとに線でなぞり、アニメーションにしていて。
はじめは自分のスタイルを確立したいと、フリーハンドのドローイングのような試作もしたのですが…結局写真をなぞったもの、「ロトスコープ」が一番評価されました。
写真を「なぞっているだけ」なのですが、自分の手のクセが入り込まず、伝えたいことが伝わる。自分のアイデアを確実に伝達するために、手法を探していったという方が近いかもしれません。
もし「絵」に苦手意識があっても根本的なアイデアがあり、画面をコントロールできれば、ちゃんとビジュアルコミュニケーションが可能になる。ここは大きく学べたことでもありました。
あとは時間軸のあるスケッチをしたいと思ったときに、ぴったりの手法だったという理由もあります。ただ、実際に完成させるのはかなり大変で。フレームごとに絵を描いているので時間がかかって、1つのアニメーションをつくるのに2週間以上かかることもありました。
―そこまで「時間軸のあるスケッチ」にこだわった理由とは?
私が注目したのが、日常生活のなかでふいに訪れる「演劇性」だったんです。二度と再現ができない、一回きりの体の動き。それを定着させて観察することにスケッチの価値があると思って。
人って相手や状況に合わせて態度や行動が自然に変わってしまいます。体そのもの、動きそのものも、コミュニケーションの一部ですよね。人々の動き方は、時代や場所などのコンテクストによっても大きく変わるだろうし、今しか見られない風景として記録するべきなんじゃないかと。
その頃、ちょうど私のなかで「イラストレーション」が果たせる役割や意義について考えてみたいという時期でもありました。
英語でイラストレーションと言うときと日本語で「イラスト」と略されるときと、大きくニュアンスが違っているんです。「イラスト」だと、場合によってはスペースを埋めるための「絵」だと思われてしまうこともある。イラストレーターという職種についても、私の見てきた世界では、流行やテイストを求められはするものの、それ以上の価値について語られることが少なく寂しく感じていました。
ただ、本来「イラストレーション」には、難しい内容を分かりやすく伝える、言葉と組み合わせることで言語以上の意味を伝えるなど、「コミュニケーション」の役割がある。写真が生まれる前、イラストレーションは物事を伝えるための手段でもありました。こういったイラストレーションにおける可能性の再発見も作品を通じて模索したかったんです。
…ただ、私の力不足もあって学問の一部分になれるような体系的な作品群にはできなかったですし、プライベートで詩的な作品として成立させるにせよ満足のいくクオリティには、まだなっていません。もっともっとこれから磨きあげていきたいですね。
―こういったオリジナルワークを経て『Takram』に入社されたわけですが、手がけられる仕事の幅も広くなりますよね。自身のアイデアを枯らさないためにもインプットが大事になるかと思います。現在、どのようなインプットを心がけていますか?
偶然をあえて生み出してみる。これはけっこうおもしろいと思います。たとえば、本屋さんで何も考えず、ただ直感で一冊手にとって買ってみる。大切なことは「有名だから」とか「役立つから」とか理由は一切考えず、自分が手に取ってみたいものを選ぶこと。
普段それを繰り返していると、偶然手に入れた知識、経験、興味…ランダムな「点」と「点」が増えていって、また別のどこかで繋がったり、誰かが話している内容に突然ピンときたり、世界が線でつながっていく感覚を楽しめます。手に取った以上、それらは自分とかけ離れたものではないはずだし、むしろ興味があると考えていた枠の外にあるものを見つけられたらラッキー。長い目で見れば、そこから新しい視点が生まれることもあるのでは。
―たとえば、ニュースやトレンド情報とはどう向きあっていますか?
私は一度に多くの情報を処理することが苦手なので、あえて自分から情報の海に飛び込むことができません。ちなみに家にはテレビがなかったりもします(笑)
ただ、まわりにアンテナの高い人たち、毎日多くの情報を浴びている人がいるので、彼ら、彼女たちからそれぞれの解釈や考察を聞くのは好きですね。信頼できる人たちの言葉は深く心のなかに残りますし。
同じニュースや情報、事象でも見る人によって見方が違っている。自分ひとりで世の中の全てを知ることは頑張っても出来ないけれど、たくさんの「断片」を信頼できる人たちから伝え聞いていく。その人たちの考察や意見も含めて聞くのが好きです。全体像は想像で補っています。ニュースやトレンド情報のインプットについてはその程度にしておいた方が、自分にとって本当に考えるべき問題と向き合える気がしています。
―情報元を「信頼できる人たちから」としているのはとてもおもしろいですね。
そういった意味だと、誰かとの会話そのものがインプットだと捉えている部分があるのかもしれません。より広く言うと「自分で体験したことがインプット」でしょうか。
ものづくりをする人たちはみんな、知識や情報だけではなく、「経験的に体を通して学ぶ」ということを大切にしていますし、私も同じ考えを持っています。
『Takram』でもプロジェクトによっては事前リサーチとして、すぐに役立つかわからないけど、とにかく試してみることがありますね。例えば始まったばかりのシェアリングサービスを利用してみたり、完全栄養食を食べ続けて気付きをレポートしてみたり。まわりから見たら遊んでいるようにも見えるかもしれませんが(笑)何かを考え始める前にはとても大切なプロセスだと思います。
作ってみる、食べてみる、触ってみる。泥臭いレベルでのインプットこそが忘れないもの、自分のものになっていく。早いうちから遊びと学びを横断し、習慣にしていく。こうすることで、大人になっても意外と豊かでユニークなインプットにつながっていくのかもしれませんね。
(おわり)
文 = まっさん
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