三陸の漁師たちと、水産業に変革を起こそうとしているアートディレクターがいる。それが安達日向子さん(26)だ。漁師の働く姿に惚れ込み、漁業の未来のために奔走してきた。彼女が大切にするのは対話を重ね、デザインに落とし込むこと。誰かのために自分を磨き、できることを増やし、活かす。真摯な生き方が、そこにはあった。
「もう惚れ込んだとした言いようがないんですよね」
漁師たちのカッコよさ、その魅力について語る彼女の目は輝き、語れば語るほど言葉は熱を帯びていった。
2年前に乗せてもらった漁船。夜明け前の海の美しさ。漁師たちが教えくれたユニークな漁法。そして、海に懸ける想い。
この一日が、安達日向子さんを変えたといっていい。まさに人生の舵を大きく切ることに。何か漁師たちのためにできないか。そして、彼女はアートディレクターとしての道を歩みはじめた。
漁師たちに惚れ込んた彼女が所属したのは「フィッシャーマン・ジャパン」。2014年に宮城県の若手漁師たちとヤフーの復興支援室の長谷川琢也さんが立ち上げた一般社団法人だ。漁業のイメージをカッコよくて、稼げて、革新的な「新3K」に変えていく。そのために、さまざまなプロジェクトに取り組んでいる。
今でこそ、アートディレクターとしてプロジェクトに携わる安達さん。東京から石巻に飛び込んだものの、もともとは先を歩くロールモデルもなく、最初から特別なスキルがあるわけでもなかった。
自身のキャリアやスキルに葛藤しながらも、奮闘してきた6年間。
そこにあったのは、三陸漁師たちへの愛をデザインに込め、日々、自分にできることを重ねていく直向きな姿だった。
ー まず安達さんがはじめに石巻を訪れたきっかけから教えてもらってもいいでしょうか。
大学時代、2011年にボランティアとして宮城県の各地を訪ねたのがきっかけです。東京の大学でグラフィックデザインを専攻をしていたので、何かデザインという切り口で関われないかと考えていました。
しかし、はじめからかっこよくデザインで何かできたわけでも、現地のみなさんに受け入れられたわけでもありません。ボランティアセンターで、「なにかお手伝いさせてください」といっても、「大体そういうふうに来る若いやつは、仕事が雑だから」と冷たく対応されたこともありました。
なんとか被災した家の泥かきの仕事を見つけて。黙々と取り組んで、隅々までキレイにしたら、最後に笑って「よく頑張ったね」って声をかけてもらえました。そのときに、気づいたんです。「これがやりたい」と言う前に、まずは現場に参加することが大切なんだなって。
まち対自分というよりも、人対人。石巻に何度も足を運ぶなかで、知り合いができて、現地の人たちとの信頼関係ができたように思います。それから、だんだんと「じつは、こういうことやりたいから、一緒にやってくれない?」って、まちの人から声を掛けてもらえるようになったんです。
それで、商店街のお店のポスターやお祭りのメインビジュアルをつくりました。
呉服屋の社長に「あのポスター、ヒナちゃんでしょ。すごくいいね」って声を掛けてもらえたのがすごくうれしかったですね。もしかしたら、この頃から、「自分の目の届く範囲で、リアルな反応を実感したい」、そう思っていたのかもしれません。
なにしろ、お祭りの当日、まちの至るところに自分のデザインしたものがあって(笑)「まるでわたしの展示会みたい」って感激して泣きそうになったことが、今でも忘れられないんです。
― 学生時代から石巻に関わっていたんですね。そのまま石巻に?
いえ、じつは一度、大学を卒業してすぐ、2013年には東京でフリーのデザイナーとして広告制作の仕事をしていました。自分がやりたい仕事をやるためにも、まずは経験を積んでスキルを磨こうと思っていたんです。
東京でも仕事をもらうことはできたのですが…ずっともどかしさがあって。
なんでだろうと考えたとき、つくったものが、誰に、どういうふうに使われていくのか、ほとんど見ることができていないことに気づいたんです。身近な人たちに喜んでもらえるためにデザインをしたい。それが私にとっての幸せなのかもしれない。そう気付いた時に「石巻に帰ろう」と決めました。
― 誰かのために何かをしたい。そのひとつがデザインだった?
そうですね。デザインは、思いがあると大きなチカラを持つものだと思っています。
最初は…もしかしたら少し傲慢な考えを持っていたのかもしれません。たとえば、地元の問題をデザインのチカラだけで解決できるんじゃないかと思っていたんです。でも、石巻に足を運び、現状を目の当たりにするなかで、自分の考えが全く見当違いであることに気づきました。
原体験としては、6年前、宮城県の山元町という場所を訪れたとき。津波の被災地域に、防潮林の黒松が1本だけ残っていて。多くの家や木々が流されたなか、その黒松だけはそこに立っていたんです。しかし、津波で潮をかぶってしまったので、いつか倒れてしまうのは目に見えている状態でした。
その黒松は、まちのひとたちにとって復興の希望となる大切な木。この木をなにかしらのカタチで残さないといけない、と強く思いました。
でも、自分にはその木を再生させることも保存することもできません。一体、自分自身になにができるんだろうと考えて、その木の絵を描いてみようと思ったんです。ただありのまま描くというより、みんながその木に思いを寄せていることが伝わるように。
完成した絵を渡したら、まちのひとたちが涙を浮かべて喜んでくれたんです。その木に寄せていた思いを、今、カタチにして残すことがどこかで求められていたのだと思います。
そしてもうひとつ、どうしても忘れられないエピソードがあります。
ボランティアをしていて、瓦礫が片付いていくなか、被災された方が「こんなにきれいに片付いちゃって寂しいね」とおっしゃったんです。その一言でハッとしました。わたしは早くきれいにするのがいいと思ってたけど、現地の人にとってはもしかしたら違うのかもしれない。震災が風化されてしまうんじゃないかと不安を抱えていました。
知らない間に、自分の価値観、ものの見方を押しつけていることがある。そうならないためにも、一緒に過ごして、気持ちに寄りそっていく。石巻が、私に教えてくれた大切なことの一つですね。
― もともとグラフィックデザインを専攻していたのですよね。アートディレクションの知識はどこで?
幸いにも3年前、著名なクリエイティブディレクターの岩井俊介さんや、Gino Wooさんなど、世界の第一線で活躍している方々に出会う機会がありました。当時から、世界の最先端の考え方を、石巻にいる私たちにインストールしてくれています。
ロゴやチラシなどは一つのアウトプットであり、もっと高い視点から考えるように常にアドバイスをいただいていて。まだまだ未熟なところばかりですが、藁をもつかむ気持ちでフィードバックをいただいているうちに、ディレクションをする考え方が身についてきたように思います。
しかし、デザイン以前に、いち社会人として分らないことだらけなんです。メールの出し方ひとつ、プレゼンテーションの資料の出し方ひとつ。仕事していく上での基本がないままに、石巻に飛び込んでしまった。だから失敗もたくさんします。落ち込んでばっかりですよ(笑)
でも、スキルや実績ではなくても、自分のできることを真摯に積み重ねていけばいい。そう思えるようになった部分はあるかもしれません。
難しいことにばかり目を向けなくても、自分が素敵だなと思うことにも目を向けてみる。五感でいいなと感じるものから、自分の選択肢を広げることもできます。
とにかく惚れ込む体験をしていく。私にとってそれが何よりも大切です。なんか愛が芽生えるというか(笑)
わたしの場合、2年前に一度漁船に乗せてもらった経験から、漁師に惚れ込みました。漁師にくっついて現場を見て、仲良くなる。またそこから「あ、水産業ってこんな一面があるのか」と発見があるんです。
最近は、勉強のために魚図鑑をかばんに入れて持ち歩いています (笑)
フィッシャーマン・ジャパンの若手漁師たちは、震災による津波で船や加工場が流されている人がほとんどです。漁師を続けることがどんなに困難でも、立ち上がった。水産業は衰退したら駄目だって。海の男としても、一人の人間としても、ものすごいカッコいい。彼らの生き様や真摯な姿勢を、素直に、これからもたくさんの人に伝えたいですね。
― デザインのためというより一人の人間として、心揺さぶられる経験をする。奥深さを学ぶ。そうすることで生活の見方も変わるのかもしれませんね。安達さんの仕事への向き合い方にとても感動しました。本日はありがとうございました。
文 = 野村愛
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