大ヒット記事を連発!『新R25』編集長の渡辺将基さん。じつはかなりハードな新人時代をおくってきた人物。営業マン、ウェブディレクターを経て、ウェブメディアの編集長に。その後も波乱万丈なキャリアが。そんな渡辺さんの成長の原動力になったのは「あえて自分にプレッシャーをかけるような仕事をする」という姿勢だった。
Career Summary
2007年9月…新卒で人材会社のセールス
2008年12月…モンスター・ラボ 創業期に約3年 受託開発のセールスとディレクター
2011年11月…カカクコムにて9ヶ月 ウェブディレクター
2012年9月…サイバーエージェント 社長室 UI / UXディレクター、メディアのプロデューサーを経て、新R25編集長に。
新R25編集長、渡辺将基さんの新人時代は「営業マン」からスタート。人材会社の営業を経て入社したのは創業期のモンスター・ラボ。マンションの一室で、同社初の営業マンとして孤軍奮闘することに。泥臭く、地味な作業も多かったそうだ。
当時すごく印象に残っているのが、開発の見積りを出す作業が山のようにあったことですね。…もうね、ネット音痴で全然ついていけない(笑)ITについてはド素人だったんです。クライアントのやりたいことを機能分解し、どのような開発が必要か、どれくらい工数がかかるか、見積りをつくらなきゃいけないんですけど…本当にちんぷんかんぷんでした。
エンジニアから「とりあえずこれ読んでおいて」と言われた本も全然意味が分からなくて。なにせ「ブラウザ」という言葉でさえ、よく分かってませんでしたから…(笑)。
ただ、渡辺さんには今にもつながる「こだわり」があった。
受験勉強にはじまり今もそうなんですけど、自分なりにちゃんと仕組みや構造について、理解したり、納得したりできないと、次にいけないんですよね。モヤモヤを残しては動けない。だから、無理やりにでも、必死にまわりに聞くようにしていました。
ただ、そうやって立ち止まって考えてばかりいたので仕事の処理は遅くて、どんどん見積もりがたまっていく。目の前にある仕事量に鬱になりそうでした。
はたから見ると過酷にも見える働き方。当時のことを、渡辺さんはどう捉えている?
…いや、本当にずっとしんどかったです(笑)ただ、どれだけしんどくても、いつかはプラスになると信じていた。このツラさを乗り越えることで、もう一つ上のステージにいけるんじゃないかって。そう思えなかったら続かなかったですよね。
実際、とくにモンスター・ラボ時代に得たことも多かったそうだ。
とくに代表である鮄川(宏樹)さんからはすごく影響を受けました。鮄川さんって「それ、本当にそうなの?」ってよくいうんですよ。
たとえば「今回の案件はこの金額で請けるのは厳しそうです」というと「本当に厳しいの?」「こういう方法があるんじゃないの?」と、良い意味で1回1回“当たり前”や先入観を疑うんです。
ちょっとめんどくさいなと思ったこともありますけど(笑)、そうやって普通の人が諦めそうなところを突破しようとするマインドこそが競争力なんですよね。今はそれがわかります。
営業としてアイデアを顧客に提案するうちに「自分でもモノ作りがしたい」と考えるようになった渡辺さん。ディレクターにキャリアチェンジするも…くすぶる日々が待っていた。
自分でサービス作りがしたいという気持ちが大きくなり、泣きながら転職したいという気持ちを鮄川さんに相談したことを覚えています。辞めるときに「渡辺ほどの人材は本当にいないと思う」って言ってもらったのがめちゃくちゃ嬉しかったですね。
その後はディレクターとしてカカクコムに入社したんですが…おとなしい社風というか、僕には環境がホワイトすぎたんですよ(笑)。ちゃんと残業代が出るし、仕事のフローも整理されている。
大きな規模のサービスばかりを運営していたので、1つのサービスに関わる人数が多くて、正直自分ができる仕事のサイズは小さかったです。
もっと自分の考えていることをどんどん試してみたいのに…という気持ちで、モヤモヤしていました。
その頃からブログをはじめていろいろなアプリのサービス設計やUIの考察を発信するようになっていて。
いろんなアプリを見て、「自分ならこうする」って改善案を出すのがすごい好きだったんです。サービスの成功要因や、流行しているアプリのUIを分析したり。だんだんそのブログが読まれるようになっていって、当時はTwitterの反響などを見るのに夢中になってましたね。
仕事では相変わらずくすぶる日々が続いていていたが、ちょうどそのタイミングで見つけたのが、サイバーエージェントが主催する「社外向けのアプリアイデアコンテスト」だった。
普段そういうのに出るタイプじゃないんですが、UIだけを作ってプレゼンできるコンテストだということで、なんとなくのノリでエントリーしてみたんです。そしたら、運良く優勝することができて。
そしてそのコンテストがきっかけで、サイバーエージェントへの転職につながったんです。
ちょうどそのときに藤田自身がたくさんのコミュニティサービスのクオリティチェックに力を入れていて、それをサポートする役割で社長室に配属されました。「あの“藤田晋”の近くで働けるなんて!」とテンションがあがりましたね。
そのときの経験を振り返って思うのは、「人生ってこんなきっかけで変わっていくんだな」ってこと。ちょっとした意思決定かもしれないけど、動けば予想外に人生は変わることがある。今は本当に応募してよかったなと思っています
こうしてサイバーエージェントに入社した渡辺さん。個人ブログが注目されていたこともあり、「UIの専門家」として認知されるようになっていったという。
ブログにUIのことを書いていたこともあって、勝手に「あの人はUIの専門家だよ」と認知してもらえて。ブログも反響があると「いろいろな人が見てくれているな」って自分にプレッシャーがかかる。そうすると、よりアウトプットの精度が上がっていく。だから発信していて良かったと思います。
ブログでの発信って、良くも悪くも「実態以上の自分を見せられる」と思うんですよね。自分もどちらかといえば、少し背伸びをして発信していた。だから「たいしたキャリアもないのにエラそうに語るのはどうなんだ?」と、ちょっと自分のことを疑問視している自分もいて。
でも、自分で自分のハードルをあげるとプレッシャーがかかるじゃないですか。そうすると、理想と現実のギャップを埋めよう、まわりの評価に追いつくために成長を加速させようと思ってがんばれるんですよ。
自らで自らのハードルをあげ、それをクリアすることで自身を成長させてきた渡辺さん。『Spotlight』立ち上げ・編集長を経て、『新R25』の立ち上げを任されることに。ただ、今でこそヒットを連発している『新R25』も、リリース数ヶ月は鳴かず飛ばずだったそう。
サイバーエージェントに入社したあとは、社長室で複数のコミュニティアプリのアドバイザー的なポジションで仕事をしていました。ただ、自分でもサービスのプロデュースをしてみたいという思いが強くなり、立ち上げを任せてもらったのが「Spotlight」でした。
「Spotlight」を約3年運営したのち、「R25」とメディア統合をする形で「新R25」として再出発することになったのですが、はじめは『新R25』の看板となるような記事が出せず…かなり苦しみました。
試行錯誤しながらメディアの方針を決めてメンバーに共有しても、どうもチームがまとまらないし、インパクトのある記事も出せない。当然、編集部の空気も重い。今だからお話すると、統合して間もない状況にも関わらずメディアを閉鎖するという最悪のシナリオもチラついていました。
ただ、当時の上司に言われたことが転機になって。「もう、これだと思うものを自分で書くしかないよ。渡辺が100%満足できるものを作ってダメなら、潔くメディアを畳もう。俺はお前に賭ける」と。
この言葉で目の前が晴れました。もともと自分のなかでの「編集長」の仕事は、メディアの大きな方針を決めたり、編集部員からあがってくる企画をレビューしているようなイメージ。自分ではあまり手を動かさないというか。
ただ、それでうまくいかないのであれば、まずはひとりのプレイヤーとして自分で突破口を開拓するしかない。とにかく一度、自分が信じるものを全力でやってみようと思えたんです。
そうして取材から執筆までこだわり抜いて書き上げたのが、藤田に取材した「マネ凸」の記事です。SNSでも大きく拡散して、これまでにない反響がありました。
そして、これを期にチームの雰囲気もガラリと良くなったんです。「こうすればうまくいくのかも」という希望が見えたのかもしれません。結果的に、この記事が今の「新R25カラー」のベースになりました。
“ひとつの記事を書く”という点にも思える動きがチームに影響を与えることができるというのは、自分のなかで大きな発見でしたね。
同時に大ヒットが出ると、まわりからの期待値はさらにあがる。渡辺さんはいつもその「恐怖」と戦っているのかもしれない。
僕だって別に期待値を上げたいわけではないですよ(笑)「マネ凸」の連載にしても、いつ飽きられるか、一番不安なのは僕で。…正直、もう打ち切りにしたい(笑)ただ、その感覚があるから、下手なものは絶対に出せないですし、飽きられないように新しいことにチャレンジしようという気持ちが出てきます。憂鬱ですけど、個人の「成長」のことだけを考えたら、プレッシャーはプラス要素でしかないんです。
今自分のキャリアを振り返ってみて思うのは、とにかく何をするにしても異常なまでにこだわり抜いてきたということ。これだけは胸を張って言えます。そして、そうやって仕事をしていると、それが大きな成果を生むタイミングが必ず来ます。そこでまわりからの期待値が作られて、プレッシャーがかかり、一気に成長する。
だから少なくとも、「ここは自分のターニングポイントになる仕事だ」と思った時は、全力でやり切るべきなんです。そこで市場や社内からの評価を獲得して、自分のステージを変える。惰性で仕事をしているだけでは、こういったキャリアの“山”は作られません。
…とカッコいいことを言いましたが、こだわりが強すぎる性格はやっかいだなとも思います。仕事の優先順位を間違えて目の前のことに熱狂してしまうことも多くて、編集長としてはまだまだ未熟です。
今自分がやるべきことは、大きなチャレンジを先導し、その成功イメージをチームに浸透させることだと思ってます。コンフォートゾーンに入りかけたときに、いかに先手を打って新しいチャレンジを仕掛けられるか。ここで宣言したことでまたプレッシャーがかかったので、がんばるしかないですね(笑)
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