2019.09.30
博報堂の下積み時代、そして独立の苦悩…広告業界変革に挑むコピーライター、奮闘の記録

博報堂の下積み時代、そして独立の苦悩…広告業界変革に挑むコピーライター、奮闘の記録

博報堂出身、尖ったクリエイター 牧野圭太さんを取材!7万いいねを集めた『コピーライターの目のつけどころ』で一躍話題。現在は「Oisix クレヨンしんちゃん」や「選挙に行ったらタピオカ半額」など注目のプロモーションを仕掛けるクリエイティブ集団の代表を務める。そんな牧野さんにも、独立後に苦悩の日々が?会社の看板に頼らず、自力で広告業界変革に挑む奮闘に日々に迫る。

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突き抜けられなかった新人時代。Facebookが突破口に

─少し昔の話になってしまいますが、牧野さんと言えばFacebookページの『コピーライターの目のつけどころ』が有名ですよね!たくさんファンがついていて、すごいなと。

ありがとうございます。じつは、あれは本当に何気なくスタートしたものなんです。博報堂に入社して3年目に入った頃で、文章がちょっと書けるようになってきたなという小さな自信が生まれ始めて…それを広告世界でなく社会で試してみよう、ということでスタートしました。

当時、Facebookが日本で少し広まりはじめた時期で。もともとSNSに興味があったFacebookページでやるのも面白そうだなと。

で、気になる広告コピーの裏にある思考のプロセスを読み解いたり、文章という切り口でお勧めの書籍を紹介したりする『コピーライターの目のつけどころ』を立ち上げたんです。正直、今考えると恥ずかしい名前ですね(笑)

2012年頃に7万以上のいいねを集めたFacebookページ『コピーライターの目のつけどころ』。広告業界を目指す学生やクリエイターなど、多くの人が参考にした。立ち上げ経緯や運営方法についてはこちら

毎日コツコツ投稿していると、だんだんページにいいねがつくようになって。半年ほど経った頃、気づくとフォロワーが7万人くらいに…自分でも驚きました。もともと「半年間つづける訓練だ」と思っていたので、そこからあまり更新していないのですが…。

─会社での仕事と並行して、毎日更新されていたんですね。

そうですね、結構大変でしたが、あれは自分にとって大きな転機になったと思います。

僕自身は、入社1~3年目の頃は本当にパッとしない新人だったんです。必死にアイデアを出してもすべてつまらないと言われ、丸一日かけて作った企画書も、上司が手直しすると断然よくなる。毎日夜中まで仕事をし、量は人一倍やっていたのですが、「これは自分がつくった仕事だ」と思えるような仕事はほとんどありませんでした。

でも『コピーライターの目のつけどころ』をたくさんの人に話題にしてもらえたおかげで、社内、社外問わず「牧野のFacebook、よく見てるし、面白いよね」と言われるようになりました。それがとても小さいのですが「自分だけの武器」になったような気がして。そこから少しずつ、仕事を任せてもらえる機会も増えていきました。

「自分の武器」をつくるには、与えられた仕事をしているだけでは難しいように思います。会社や上司が予想もしていないところで、結果を出すことはとても重要なんだなと。

Facebook以外にも、『旬八青果店』を仲間とゼロから立ち上げたり、『PANDA BLACK』という“黒染めリサイクル”のプロジェクトを京都の黒染め専門企業と立ち上げたりしていました。そういったアクションは、「自分の仕事」となり、独立へのきっかけになったことは間違いないなって思います。

【プロフィール】牧野 圭太(34)
早稲田大学理工学部卒業。2009年に博報堂に入社し、コピーライターに配属。3年目でFacebookページ『コピーライターの目のつけどころ』を立ち上げる。HAKUHODO THE DAYなどを経て2015年7月に独立。デザイン会社「文鳥社」を立ち上げ、文鳥文庫などを出版する。その後、プロモーションを軸に事業を展開する「エードット」のグループ傘下に「カラス」を設立。現在は文鳥社・カラスの代表、エードットの取締役を務める。

満を持して博報堂から独立。しかし・・・

─その後、入社7年目で博報堂を退職されたんですね。

そうですね、6年と少し働きました。博報堂はきっと大企業の部類に入ると思うのですが、大企業には大企業の魅力があると思っていて、会社メンバーのレベルは高いですし、仕事も安定的に良質なもので溢れている。

でも同時に、物足りなさもでてきてしまった。既存のビジネスを中心に会社がまわっているので、「もっと新しいことにチャレンジしたい」と思って行動を起こしても簡単ではありませんでした。

それに、5年くらい働いていると、自分のやりたいことも見えてくる。僕で言えば、マス広告に依存しないクリエイティブだとか、事業開発に寄り添ったチームづくりとか、より「社会性」のあるコミュニケーションだとか…やりたいことが見つかってきたので、それを外にでて挑戦しようと思ったんです。

─実際、独立してどうでしたか?

それが、最初はあまりうまく行ってなかったですね(笑)

完全に独りで、ゼロからはじめました。博報堂からの仕事は引き継がなかったので、何もないところからのスタートです。人との繋がりで仕事をしていましたが、やはり博報堂のような安定した仕事はなかなか作れず…。100万円ほどで受注した案件で納品後に先方と連絡が取れなくなることもあったり、いろいろありましたね(笑)

もちろん会社を辞めた後悔はありませんでした。遅くても「ちゃんと自分の足で立って、少しずつ前に進んでいる」という実感はあったし、苦しくても楽しくやっていた。『文鳥文庫』という作品を作るなど、博報堂時代にできなかったことも実現できました。

でも、目指している場所へはほど遠かった。少しずつ仕事は増え、ひとり、ふたりと人を雇いはじめてはいるものの、会社の成長スピードが遅いことに危機感がずっとあったんです。

仲間と漕いだほうが、船は早く進む

─コピーライターとして活躍されていた牧野さんにも、独立後そんな大変な時期があったんですね…そこから、どうやって這い上がることができたのでしょう。

僕の場合、「人との出会い」が大きかったです。

自分独りでやることの限界を感じ始めたころ、コピーライターの長谷川哲士の紹介で「エードット」というセールスプロモーションの会社をやっている伊達(現 代表取締役社長)に出会ったんです。当時エードットは創業3年、10人ほどの会社。伊達は、営業と経営に強いがクリエイティブは弱いという課題を抱えていました。

一方、僕はクリエイティブはできるが営業力と経営力が弱い状況。パズルのピースがカチッとハマる感覚がありましたね。そこで、エードットの中に「カラス」というクリエイティブの会社を作ることに決めたんです。

─ふたたび「組織」に入ることに対し、抵抗感みたいなものは?

やはり少しは悩みました。会社を辞めたころは、「自分の会社をつくる」という目標がありましたから。

だけど、どちらかと言うと「目指している未来に1日でも早くたどり着きたい」という気持ちのほうが強くありました。つまり、 「電通や博報堂の代替」となるような「あたらしい広告会社」をつくることです。僕独りよりも、伊達と一緒に漕いだほうが早いだろうと確信したし、そこから3年たった今も変わらずそう思いながら、船を動かしています。

カラスを立ち上げて3年とちょっと。最近現場のメンバーが中心になって「選挙に行ったらタピオカドリンク半額」というプロモーションを仕掛けたんですが、Twitterで指原莉乃さんに投稿していただいたり、テレビでもいくつも取り上げてもらうくらい話題になりました。

また最近では、Oisixさんのブランドコミュニケーションで、クレヨンしんちゃんとコラボレーションして夏休みに大変なお母さんを讃え、感謝する広告をつくりました。「かあちゃん、楽しい夏休みをありがとう。」という言葉とともにお母さんへの感謝をコピーにしたのですが、これを見たお母さんがシェアしてくれて、それが10万リツイート。その話題性がニュースとなり、ヤフートップに掲載され、テレビでも多く紹介されました。

これらの仕事も、当たり前ですが僕一人じゃ絶対にできなかったことです。エードットやカラスには伊達をはじめ本当に素敵なメンバーが集まっている。少しずつ自分たちの実現したい世界への道ができてきたような気がするし、この仲間となら、「広告業界をアップデートする」という壮大なビジョンも可能だろうと思っています。

会社を辞めて4年、カラスを立ち上げて3年。エードットは3月に上場しました。会社も、僕自身も、まだ何一つ成し遂げられていないのですが、前に進んでいる実感があるし、広告業界をアップデートするビジョンに向かって、これからもみんなで船を漕いでいこうと思います。


取材 / 文 = 長谷川純菜


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