絶え間なく変化するWEB・IT業界において、長く活躍し続けるには何が必要か?そのヒントを探るべく話を伺ったのは、ヤフーで10年以上活躍してきた「日本のアドテクの牽引者」明石信之氏。2014年からフリークアウトの執行役員も務める彼は、どのように業界を生き抜いてきたのか。そして今、何を見ているのか。
大きな盛り上がりを見せるアドテクノロジー業界において、ひときわ注目を集めるスタートアップ企業・フリークアウト。RTB(リアルタイム入札)によるDSP事業やDMP(データマネジメントプラットフォーム)事業を手掛ける同社が、2014年1月、新たな執行役員を迎えた。2000年よりYahoo! JAPANの広告テクノロジー開発を牽引し、CTOやテクニカルディレクターを務めてきた明石信之氏である(※現在もヤフーにはシニアフェローとして在籍)。
猛スピードで変化するインターネット業界の「今」を見続け、ヤフーの広告・ビッグデータ・マネタイズなどの基盤を作り上げてきた明石氏。今日に至るまでの10年以上、日本のアドテクの最先端を走り続けてきた人物といえる。彼はなぜ今、スタートアップへの転身を決意したのか?そのキャリアを紐解くことで見えてきた、エンジニアの目指すべき未来とは。
― まずは、簡単なご経歴から伺います。ヤフーに入社される前は、システム会社にいらっしゃったとか。
そうです。子供の頃から電子機器に興味があったのでエンジニアになりました。ソフトを真面目に学んだのは会社に入ってからですけどね。孫請け的な会社で、ひたすらプログラミングをしていました。
― ヤフーへの転職を決意されたのはなぜですか?
当時、コードを組むことにかけては自信があったんですね。一晩で1人月分のコードを書いたりとか。そうして腕を磨いていくうちに、「自分は世界でどれぐらいのレベルなのか?」という疑問が湧いてきたんです。シリコンバレーというすごい場所があって、じゃあその中で自分はどれだけできるんだろうと。それが知りたくて、当時200名規模のヤフーに転職しました。2000年のことです。
― ご自身の中の基準を、すでに世界に置いていた。それまでインターネットに携わられた経験はあったのですか?
本格的にインターネットに携わるのはヤフーに入ってからが初めてでした。システム会社にいたのでデータベースは扱えましたが、広告分野のバックグラウンドも特になかったですし。そんな状態だったのですが、入社1ヶ月ぐらいで米Yahoo! Inc.へ行くことになったんです。インターネット広告の新しい入稿システムができたので、日本でのローカライズに向けた調整をしてくれと。よく分からないまま一人でサンタクララに行ったのですが、自分の英語力のなさを思い知りましたね(笑)。通訳もいませんでしたし。
― かなりハードな環境ですね。
コンピュータ用語とコードで語って、何とかなったという感じです(笑)。結局3ヶ月ほど向こうにいて調整を終え、日本に戻ってシステムを導入しました。インターネット広告分野でのキャリアがスタートしたのは、ここからですね。その後も、Yahoo! Inc.のサービスをローカライズする際の見立て役をやっていました。どのサービスを持ってきて、どうやって日本で使えるようにするかという。
― 当時は米Yahoo! Inc.のサービスを日本に持ってくるのが主流だったんですね。
いわゆるタイムマシン戦略ですね。ただ、ある時期から限界を感じたんです。このままだと競合差別化が難しくなるぞと。そこで立ち上げたのが「インタレストマッチ(※現YDN)」でした。ここからYahoo! JAPANも大きく変わりましたね。タイムマシン戦略じゃダメだと。
― 今では日本独自のサービスを次々と立ち上げていますよね。明石さんはCTOやテクニカルディレクターとしてその礎を築かれてきたわけですが、もともとマネジメント志向はあったのでしょうか?
最初は全くありませんでしたね。生涯エンジニアでいたいと思っていたんです。「僕に変な肩書をつけたら辞める」とまで言っていました。
― それは意外です。考え方が変わったきっかけは何だったのでしょうか?
周囲のエンジニアたちが、「あなたが偉くなると嬉しい」「自分にもそういう道があるんだと思える」と言ってくれたんですよね。エンジニアも上にあがっていけるんだと。それなら自分がモデルケースとして旗を振っていこうと思い、マネジメントの道に進むことにしました。周りに背中を押してもらった形です。
― ヤフーのマネジメントラインでキャリアを積まれた明石さんが、フリークアウトの執行役員になられたのはなぜでしょうか。
ヤフーに関しては、ある程度のところまで育てたという感覚があります。後継者も育ってきました。じゃあ次に何をするかと考えた時に、今度は他の会社を育てたい、日本のインターネットを育てたいと思ったんです。
アドテク分野は最先端技術の集大成です。今注目されているビッグデータの活用なども、アドテクの世界では10年前からやっていたことだったりする。常に最新技術が集まる分野なんです。フリークアウトに来たのは、その楽しさをもっと知ってほしいから。また、グローバルを目指している会社なので、世界をちゃんと知ってほしいというのもあります。そこにヤフーで培ってきたものが活きるんじゃないかなと。僕自身、唯一経験していないのが「日本から世界へ出ること」なんですよね。ヤフーはもともと世界に出ていましたから。
― 世界に照準を合わせながら、日本のアドテク分野を切り開いてこられた明石さんならではの理由ですね。フリークアウトがどうなっていくのか、とても楽しみです。
これが実現できたら会社がすごいことになるぞ、というワクワク感がすごくありますね。やりたいことは常にあるので、飽きないです。フリークアウトにいながらヤフーを手伝うという働き方自体も、すごく自分らしいと思っていて。そんな経験も活かしながら、エンジニアのワークスタイルもいろいろ考えていきたいですね。
― 最後になりますが、活躍し続けるエンジニアの条件とは何でしょうか?
企業のビジネスを理解すること、会社の利益に貢献できるかを判断して動くこと、だと思います。事業であるからには稼げないといけないですから。もちろん技術力がないと周りのエンジニアはついてきてくれませんが、企業の将来を見越した上でテクニカルな提案ができる人は強いです。経営のわかるエンジニアが増えれば、日本から世界へ広がるサービスがもっと出てくるはず。事実、ヤフーは前社長の井上さんが技術の分かる人だったから、ここまで大きく成長できたと思いますし、フリークアウトの経営陣はみんな技術畑出身です。
あと大切なのは、恐れず前に進むことですね。私もそうですが、いくつになってもチャレンジはできます。エンジニアの皆さん、頑張っていきましょう。
― エンジニア一人ひとりが変わっていくことで、日本のインターネット業界はもっと面白くなっていきそうですね。本日はありがとうございました。
[取材] 松尾彰大 [文] 星野香
編集 = 松尾彰大
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