2018.09.27
フリークアウトがぶつかった「難題」、本田謙が貫いた正義

フリークアウトがぶつかった「難題」、本田謙が貫いた正義

本田謙さんは「フリークアウト上場後、閉塞感を抱えた時期もあった」と回顧する。マザーズに上場した2014年、開発リソースの大半をモバイルに注ぐも、売上の9割はPC広告によるもの。逆転現象が続いた。岐路は2015年。モバイル広告のあり方そのものを問う「美学」こそ、窮地を脱する鍵となったーー。

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本田謙の迷いと決断 - 事業スタンスの転換 -
日本で最初にリアルタイム広告取引(RTB)を仕掛け、市場を開拓したフリークアウト社。2014年6月にマザーズ上場を果たす。2014年から2015年にかけて事業の「次なる一手」を模索。それまで広告主=バイサイドに立つスタンスを貫いてきたが、2016年より広告媒体=セルサイドとの連携も本格的に強化。そこには、「ユーザー体験を損なわないモバイル広告の正しいあり方」を問い、広めていくべきといった「大義」があった。そして2017年9月期の連結売上120億円超。シンガポール、タイ、インドネシア、ベトナム、マレーシア、フィリピン、中国、台湾、香港、インド、トルコ、イランに展開し、海外事業も加速。今期も過去最高の連結売上を見込む。

本田謙さんの写真

【プロフィール】本田謙(ほんだ・ゆずる) フリークアウト・ホールディングス 代表取締役社長 Global CEO
2005年、コンテンツマッチ広告事業を展開する株式会社ブレイナーを設立、設立 2年半で Yahoo! JAPAN に売却。IT ベンチャーなどへのエンジェル投資を本格的に始め、2010年に株式会社フリークアウト設立。 創業3年9ヶ月でマザーズ市場上場。2017年1月、ホールディングス体制に移行し、株式会社フリークアウト・ホールディングス代表に就任。代表取締役社長 Global CEO として、国内外含めたグループ経営統括。

日本初のリアルタイム広告取引、スピード上場の舞台裏

2010年に創業し、3年9ヶ月というスピードで上場を果たしたフリークアウト社。日本で初めてリアルタイム広告取引(RTB)を仕掛けたパイオニアだ。起業の経緯について本田さんが語ってくれた。


もともと1社目を起業し、ヤフーに売却後、エンジェル投資家として活動をしていました。フリークアウトは二社目。いきなり1社目でRTBをテーマに起業していたら失敗していたと思います。シリアルアントレプレナーとしての経験が活きました。特に会社設立前の「仕込み」がかなり大きかったと思います。

まず、フリークアウトを立ち上げる前、エンジェル投資を続けていく中で、アメリカで起きた新しいイノベーションとしてRTB(Real-Time Bidding)に衝撃を受けました。人を介さず、機械と機械がネット広告の売りと買いを行う。広告枠の流動性を高めることで、健全な売買を行なうことができる画期的な仕組みだと思いました。

ただ、アメリカから仕組みだけを持ってきても成功しない。2008年から10年頃にかけ、まだまだ日本ではネット広告の取引やマーケットが成熟していませんでした。RTBのマーケットそのものがない。作れる人が誰もいませんでした。

そこで考えたのが、自分自身でRTBによるバイサイド(広告買付け)の仕組みを作りつつ、一方で広告枠を扱うセルサイドにも呼びかけて、RTBマーケットそのものを立ち上げていくこと。それこそ良いセルサイドの会社があれば、エンジェル投資をしてでも、協力をしていきました。

RTBのマーケットが立ち上がり、バイサイドのプレイヤーが増えれば、広告枠を提供する媒体側(セルサイド)のプレイヤーも自ずと育っていく。こうして上場までの3年間で一気に突っ走ることができました。結果的にはトントン拍子に伸ばすことができました。

+++フリークアウト創業当時の本田さん。小さなオフィスを、高校時代の同級生でもある松山太河さん(East Ventures)と借りていたという。同オフィスにはCAMPFIRE家入一真さん、Coiney佐俣奈緒子さん、みんなのマーケット浜野勇介さん、Fond福山太郎さんなどがよく集っていた。佐俣アンリさんを介し、佐藤裕介さんと出会い、共同代表へ。「10歳以上年下でタフに働ける若手を探している」といったオーダーだったそうだ。

自分たちの「正義」をどこまで押し通すか

創業後、順調に上場にまで漕ぎつけたフリークアウト。しかし、上場後には順調な売上とは裏腹に「難題」にも向き合うことに。


2010年から2015年にかけ、スマホの普及率が一気に高くなり、モバイル広告の波が一気に来たタイミングでもありました。

フリークアウトでもモバイル広告へと舵を切り、開発リソースの大半をモバイルに注いでいった。ただ、売上でみれば、PC広告が9割、モバイル広告が1割と、開発と売上において、逆転現象が起こっていた。どうするべきか、ずっと頭を抱えていました。

首を締めていたのは、媒体側(セルサイド)と深い関わりを持たず、創業以来ピュアに専業のバイサイド(買付側)プレイヤーを貫いていたこと。

もともと、フリークアウトは広告代理店・広告主(バイサイド)専業のテクノロジー会社として立ち上がりました。マーケットの創生を引っ張るという意味で、あえてバイサイドの単独事業のみをやる。そうすることで、RTBマーケットそのものの存在意義を出していきたかったんです。

日本で最初にRTBをやってきたという自負もあり、「私たちはセルサイドはやりません。両方やっている会社とは違い、役割は明確です。顧客第一に考えています」という見せ方をしてきた。それが正義だと思っていました。

ただ、モバイル広告側の売上を伸ばしていくためには、セルサイドのプロダクトもつくるべきなことは明白でした。大きなスタンスの変更になるので、最初は踏ん切りがつかなくて。

いま考えれば小さなことかもしれませんが、自分たちの正義や美学に背くことになるのではないか、と。当時はまだ現場も見てましたし、その痛みが想像できてしまい、それ故に、動きづらかったというのもあります。

本田謙さんの写真

邪悪なモバイル広告フォーマットを変えていくために

バイサイド専業で広告プロダクトを提供し、媒体側とは取引をしない。そんな信念を貫いてきたフリークアウト。より大きな問題意識から、事業スタンスを変えていくことになる。


セルサイドのプロダクトもやるべきかどうか、その方向性を模索するなか、ひとつ大きな問題意識が生まれていきました。

それは、モバイル広告が隆盛を迎えるなか、広告枠を買う側として「買わされるもの、そのものが大きく間違っているのではないか?」ということでした。

2015年前後、モバイル広告の主流は「とにかく踏ませればいい」というバナーでした。浮かび上がらせたり、酷いものだとファーストビューを占有し、コンテンツの邪魔をする。

広告主は、お金を払ってユーザー体験を損ねるようなものに加担させられているわけです。果たして本当の満足がそこにあるのか。憤りにも近かったかもしれません。

邪悪ともいえるモバイル広告のフォーマットが蔓延るなら、セルサイドのプロダクトも開発し、「いまのモバイルの広告フォーマットは間違っている」ことを見せていく。と考え方をシフトし、踏ん切りがつきました。

ちょうど時を同じくして始まった、イグニスさんとのジョイントベンチャーM.T.Burnを佐藤が率いていたこともあり、ここにDSPのコアを開発していた優秀なエンジニアを多数移して、一気にサプライサイド事業を加速。この事業が後にLINEさんと一緒にやれることになって(※1)。これに乗る形でDSPもモバイルをさらに強化し、収益がついてきた。軌道に乗せていくことができました。

(※1)2016年1月、フリークアウトが開発・提供するDSP「FreakOut」が、LINE広告プラットフォームにRTB接続し、広告枠買い付けを行う国内唯一の認定DSPベンダーに選定。『M.T.Burn』はコミュニケーションアプリ「LINE」をはじめとした、LINEが提供するサービス内で展開される広告プラットフォームの開発、運用、またその販売を担う提携を終結した。

本田謙さんの写真

合理的判断か、信念かーーその葛藤を経て

事業スタンスを大きく転換させる。本田さんが重視したのが「なぜ、我々がそれをやるのか」という本質だ。


もともと、私たちはDSPで広告を買うことしかやってこなかったので、広告代理店や広告主などお客さんは、我々の価値を容易に理解していただくことができました。同時に必要以上に「バイサイド側のプロダクトしかやらない」といったスタンスを大事にしなければいけなくなってしまった。完全に支配されていたと思います。

…かといって、安易に反対のスタンスに取り、誰かを裏切るようなことはすべきではなかったとも思っています。どちらも選べない状況のなか、意思決定の決め手は「なぜ、我々がそれをやるべきか」ということ。理由こそが大事だったと思います。

私自身、気づかせてもらったことも多くありました。特に自分が行うべき大きな決断、その目を曇らせないためにも、自分以外のメンバーができる仕事はどんどん渡していく。

採用は最たるもので。じつは社員が10人くらいの時から、ほぼ現場に任せています。一緒に働くことになる幹部は自分で直接口説きにいきますが、その彼らが音頭を取る採用なら100%信頼して任せ切る。

「真っ白なキャンバスを用意したから、好きに絵を描いて」というのが、私のマネジメントスタイルです。自分は自分で、次のことを考えていく。2017年に立ち上げたインド拠点も、3年ほど前から現地に飛びつつ、情報を得て、一人で仕込んでいきました。インドってなかなか難しいマーケットでもあるから、自分の目で見て、現地を学ぶほうが早い。

会社として何をしていくべきか。いかに自分の手を軽くした状態で、事業の種を探っていけるか。これが今の私の役割なのだと思います。

本田謙さんの写真


文 = 野村愛
編集 = 白石勝也


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