2019.04.18
休日は全てデザインに費やす。販売員だった田中研一が続けた個人練習

休日は全てデザインに費やす。販売員だった田中研一が続けた個人練習

国際的なWebデザインアワード「AWWWARDS」をはじめ数々の受賞実績を持つ、田中研一さん。彼のファーストキャリアは、雑貨屋の店員さん。デザインとは程遠いところから、いかにしてデザイナーに?「環境のせいにせず、自分で学ぶ」スタンスがあった。

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悩んでいる時間がもったいない

田中研一さんは美しくて洗練されたデザインを手がける、業界内で評判のデザイナーだ。

直近では、BAKEが展開する新ブランド、ガトーショコラ専門店「Chocolaphil™(ショコラフィル™)」ブランドサイトのデザインを担当している。

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ロゴデザインやパッケージデザインなど、幅広い領域でデザインに携わることができるのも彼の強みだ。

+++業務用ヘアカラー剤ブランド『THROW』。田中さんは、コンセプトメイキングからBIデザイン、プロダクト・パッケージデザイン、ブランドサイト、ブランドブックなど全て制作物においてディレクション及びデザインを一貫して担当。

いまでこそデザイナーとして忙しい日々を送る彼。しかし、最初のキャリアは「雑貨屋さんのスタッフ」だった。デザイナーとして採用されたものの、研修として1年間店舗に配属にされたという。

研修とはいえ、希望ではなかった仕事をするのは少なからず葛藤はあったのでは?そんな疑問をぶつけると、不思議なくらいに淡々と、彼はこう語った。

「店舗の仕事をしているとき、辞めたいと思ったことは一度もありません」

迷っている暇も、悩んでいる暇もない。周りと比べず、ただ自分を信じて、やるべきことをやる。

「デザインの仕事はプライベートにして、スキルと経験を積めばいい」

彼が新人時代に貫いた、揺がない姿勢に迫る。

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【プロフィール】田中研一 Super Crowds Co founder / CCO
1987年生まれ。広島県出身。2010年岡山県立大学デザイン学部卒。メーカーのインハウスデザイナーとして家電製品、雑貨などを中心にプロダクトデザインを担当。2014年よりSuper Crowdsに参加。CIやWebサイトのデザイン・実装まで、ブランディングに関わる幅広い範囲に携わる。

誰かと比べて落ち込んでいる暇はない

ー デザイナー志望でありながら店舗に配属されたと伺いました。望まない配属先...嫌じゃなかったですか?


たしかに最初に「店舗配属」と聞いたときは、正直びっくりしましたね。メーカーのインハウスデザイナーとして採用されて、最初からデザインに携われると思っていたので。ただ、「嫌だな」とは全く思わなかったです。

そんなにショックを受けたり、落ち込んだりはしませんでした。デザイナーになるための大事な研修期間として、店舗での仕事から学べることは学びとる。残業がほとんどなかったので、退勤後や休日の時間をデザインの勉強にあてたらいい。そんなふうに考えていました。

というのも、会社の同期のつながりで、ロゴやウェブサイトのデザインをお願いされていて。数十人いる同期の中で、デザイナーが僕ひとりで、頼みやすかったんだと思います。そこから紹介でデザインやウェブの仕事を副業でいただくようになりました。


ーデザインの経験は休日にする。そういう風にデザインと向き合える状況は、精神的にも良かったのかもしれないですね。


たしかにそうかもしれません。

とはいえ、副業としてお金をいただいている仕事。レベルの低いクオリティは一切許されません。

大学時代はプロダクトデザインを専攻していて、グラフィックデザインやウェブサイトのデザインの経験やスキルはほぼゼロ。CSSの画面を見て、最初は何が書かれているのかさっぱり分からなかったです...(笑)

実際に手を動かしながら、寝る間を惜しんで勉強しました。わからないところは検索したり、本を読んだり、素敵だなと思うサイトを真似して自分でサイトをつくってみたりしていました。

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店舗で学べた"映える"デザイン

ー 店舗での接客業務は、デザインとは程遠いように思います。目の前の仕事に対して、どのように向き合われていたんですか?


たしかに店舗は希望の配属ではなかったけれど、純粋に楽しかったです。

たとえば扇風機を売りたいと思ったときに、お店のどこに配置して、どんな陳列にしたら「ほしい」と思ってもらえるのか。どの時間帯にどんな客層がくるのか。お客様がより商品を見やすく購入しやすい売り場をつくるための「VMD(ビジュアルマーチャンダイジング)」という概念もそのとき初めて知りました。

いまは空間やパッケージのデザインをすることもあるんですけど、「こんな色やデザインは店舗で映えやすい」というのがわかるので、そのときの経験が活かされています。

ミッドタウンにある店舗だったので芸能人のお客さんが多くて、田舎から出てきたばかりの僕にはすごく新鮮でした。石油王みたいな人が「ここからここまでください」という大人買いをするのも初めて見ました(笑)。

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雑務から学んだスキル

ー 店舗勤務を終えて、無事にデザイナーに?


そうですね。ようやく希望が叶って、デザイナーになれたのは1年後でした。

ただ、振り返るとデザインとは関係のない業務も多かったと思います。説明書やパッケージのデータ作成、指示書の作成、配送手配、書類作成、撮影のお手伝い...なんでもやりました。

当時は少なからずネガティブな気持ちもあったと思います。だから、雑務は「いかに効率的に終わらせるか」を意識して、タイムアタック的に取り組んでいました。副業の時間をつくりたかったので。

一番最初の仕事は確か、壁掛け時計のデザインだったと思います。文字盤や針のデザイン、色の指定...やっとデザインできることがうれしくて寝る間を惜しんで夢中で取り組みました。

店舗勤務も、雑務も、振り返るとあの頃の経験が全て今に活きていると思います。例えば、当時撮影データをひたすら加工する業務をやっていたんですけど、そのときに学んだことがいまCIデザインをするときにすごく役立っているんですよね。撮影スキルも身についたし、UIデザインに使う挿絵をつくるスキルも身についた。大きな会社ではなかったのでやるべきことは多かったですけど、その分学んだことはたくさんあります。

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周りを気にせず、自分の信じた道をいけばいい

ー 最後に、当時の自分に向けてメッセージを送るとしたら、どんな言葉をおくりますか?


「周りを気にせずに自分を信じて突き進んでほしい」と伝えたいです。

いまはSNSで著名人や同世代の活躍が目に入りやすくて、焦ってしまうこともあると思います。でも誰かの「これがいい」「これがダメ」というより、「自分がどうしたいか」を大切にしていいと思うんです。そのほうが精神的にも楽だし、自分が本当にやりたいことにもつながっていくと思うから。

僕はもともと大学時代の頃からWebやプロダクトに関わらず、幅広くデザインができる人になりたいと思っていました。僕は客観的にすごく絵が上手いわけでもないし、すごいCGが描けるわけでもない。いろんなところで平均点以上を出せるタイプ。常にイチロー選手みたいに高い確率で高いアベレージのものを出していくことを目指していて。あらゆる分野のデザインで世間一般的な100%のクオリティに到達することが僕の理想なんです。

いまでこそ領域を越境して活躍するデザイナーの人が増えてきましたが、当時は自分のロールモデルにする人もいませんでした。最初に入社した会社でプロダクトデザインを学びながらも、副業でウェブデザインの勉強もしていると、周りからみて「あれもこれも手を出して、中途半端」と見えていたかもしれません。

ただ、全てが中途半端にならないように人一倍努力することは心がけています。限界の1歩先までやりきること。新人時代のときは本業終了後や土日に副業をしていたので、ほぼ休みなく働いている感じでした。自分に言い訳ができないところまでやりきることで、スキルもキャパも広がっていくと思います。

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文 = 田尻亨太
編集 = 野村愛


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