2019年10月、ヤッホーブルーイングを退職したでんみちこさん。生死の境をさまよう事故、そして独立…と怒涛の1年を過ごしてきた。彼女の再出発、そこに至るまでの思いについて伺った。
でんみちこさん。
インターネット界の「カリスマ広報」といえばでんさん。そう私は勝手に思っている(本人はきっと謙遜するだろうけれども)。
約5年前、当時まだ従業員10名ほどだったトレタの名物広報として活躍。2018年には広報コミュニティ『でんこラボ』をスタート。とくにスタートアップを中心に「広報」という職種のアップデートに貢献してきた。
そんなでんさんだが、2018年12月には『よなよなエール』で知られるヤッホーブルーイングに入社。さらなる飛躍を…という矢先のことだった。彼女は、スキーによる大事故を経験する。
「この1年は自分でもびっくりするくらいいろんなことがありました」
そして選択したのが、ヤッホーブルーイングの退職。
「当時は本当に大変で。でも、事故に感謝している自分もいます」
キャリアの節目、人生のターニングポイントに立つでんさん。
彼女の「再出発」に立ち会いたい。
取材に伺うと「今は…明るい無職ですね!」と、場を和ませるように弾ける笑顔で語ってくれたでんさん。まずは彼女にとっての「2019年」を振り返ってもらった。
2019年は…ずっと全力で動かしていた足を、初めて止めた年になったと思います。社会人になって16年、「ちょっと休む」が初だったかも(笑)
じつはこの3月、長野でスキー事故に遭ってしまって。5ヶ月くらい入院と自宅療養をしていました。幸い、体調は入院後2ヶ月ほどで順調に回復して。すぐ復職もできました。働くことも、会社も、大好き。また働けることが楽しみだったんです。
ただ、いざ会社に行ってみたら、ぜんぜんダメだったんですよね。それは体調が、というよりも、心がついていかなくて。
想像以上にまわりの動きが「速い」と感じるようになりました。その流れにどうしても乗ることができない。なんだか、自分一人がおいてけぼりになったような…。事故に遭う前と、遭ったあとで、何かが大きく変わってしまったのかもしれません。
気持ちとしては、情けないとか、恥ずかしいとか。そういった感覚だったように思います。
正直、仕事人間だったから「心を病んでしまって休む」という感覚がよくわからなかったんです。「自分には当てはまらないだろう」とさえ思っていた。まわりから「弱い」と思われるのがすごく嫌だったんです。悔しい、というか。
そんな時、病院の先生から「でんさんは今、休むときかもしれませんね。ちょっと休んでみてもいいんじゃないですか」と言ってもらって。
その言葉が、スッと自分のなかに入ってきました。
「2、3ヶ月くらい休むといいと思います。長いと思うかもしれないけど、人生、もう100年時代って言いますから。何十年も働くと考えたら2~3ヶ月なんて本当に一瞬ですよ」と。
人生の9割が仕事だったというでんさん。はじめに感じたのは喪失感。そこから少しずつ「自分と向き合う」ということを実感していったといいます。
もともと生活の9割くらいを仕事に注いできたので、休みに入ってすぐは、喪失感みたいなものが強くありました。
自分は何も生み出せなくて、誰の何にも役立てない。そのことが悲しくて悔しくて、泣き叫ぶような日もあったんです。仕事が自分のアイデンティティとして大きくなりすぎていた。
ただ、数週間経つと状況を受け入れられるようになっていって。きっと今の私にとって「休むこと」は「余暇を楽しむ」ではなくて、「自分自身ときちんと向き合うための時間」なんだって。
働くことは大好きだし、夢中になれることの一つ。でも、もう仕事はあくまで自己表現の一つであればいいって考えに、自然と変わっていきました。
そこからは、とにかく目の前にある時間をめいっぱい丁寧に過ごそう、と決めました。
朝は毎日明治神宮を散歩して、夜は入浴剤を入れたお風呂にのんびりつかる。寝る前には、大好きな香りのお香を焚いて。SNSも一度やめてみました。
ちゃんと生活をする。近づきすぎていたものから少し離れてみる。自分との対話を重ねてみる。その時間を過ごすことで、逆に「自分にとって何が価値のあることなのか」を強く意識できるようになりました。
とくに自分の心が向いたのは「衣食住を大切にして自分らしく生きる」という、すごく単純なこと。おいしいご飯をつくる、友だちとじっくり話す、大好きな野球に夢中になる。こんな何気ないホクホクを、しっかり抱きかかえて生きていきたい。
ちょっと立ち止まってみたら、仕事に固執する必要なんてないし、自分は生きてるだけで十分なんだって思えた。時間が解決してくれることも、あるんですよね。
人生、本当に何が起こるか分からないもの。一日一日を大切に過ごしたい。そう思っていても、毎日はすごいはやさで過ぎていく。そんな「当たり前の日常」について、でんさんは自身の体験を重ねてお話をしてくれた。
私の場合たまたま事故でしたが、「当たり前が当たり前じゃなくなること」って、たぶん誰にでも起こりうるだろうなって。
私、もともと料理が大好きだったんです。でも、事故で脳がダメージを受けたあと4ヶ月くらいは、料理もまったくできなくなっていました。料理って難しいんですよ。たとえば、オムレツを作ろうと思ったら、卵を割って、少し牛乳を入れて、火加減を調節する。すごく頭を使うから、脳が拒否してしまった。
なにも料理だけではありません。入院中に友だちが送ってくれたメッセージさえ、長文だと読むのが億劫になっちゃって。
こんな毎日が続くと思ったら、悲しくて。事故に遭ったという事実より「自分が自分じゃなくなっていく」ことのほうがつらかったです。
いつ、目の前の「当たり前」がなくなるか、誰にもわかりません。そう思うと、今この瞬間、気持ちを押し殺したり、やりたくないことを我慢してやったり、そうする必要は本当にあるだろうかと思う。
たとえば、毎日、満員電車に乗って通勤したり。以前の私なら、嫌だな、おかしいなと思いながらも仕事のためだと思ったら頑張っていた。
でも、今はもう考えられない。変な話、この瞬間、人生が終わっても「良かった」と心から思えるか。イエスを出せることだけを選んでいく、それが理想だと思うんです。きっとそれは「わがまま」ではなく、「自分の人生を、ちゃんと自分で選択して生きる」ということ。
これからの仕事は、求められることと、自分がやりたいと思えることを選んでいければなと思っています。じつはスタートアップの支援だったり、地方創生だったり、おもしろそうなご相談もいただいていて、次の自分がどんな選択をしていくのか、すごく楽しみ。
もう後遺症もなく、心も体もめちゃくちゃ元気で。このところ、昔からの知り合いに会うと「エネルギーに溢れてたあの頃より、表情が柔らかくなった」「いい感じに肩の力が抜けた」と言われることもあるんです。
事故は本当に大変で…でも、事故に遭って良かったと思っている自分もいる。これからも自分の声に、耳をすましていけたらいいなって思います。
編集 = 白石勝也
写真 = 宮藤大樹
取材 / 文 = 長谷川純菜
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