2020.01.17
「希望を持てる脳」を育てるために|脳神経発明家・青砥瑞人と考える、AIと2020年以降の世界

「希望を持てる脳」を育てるために|脳神経発明家・青砥瑞人と考える、AIと2020年以降の世界

高校を中退後、フリーターを経て、脳分野の面白さにのめりこんだ青砥瑞人さん。アメリカの大学「UCLA」神経科学学部を飛び級で卒業。脳への知見とAI技術をかけ合わせ、創設したDAncing Einsteinでは教育機関や企業とのコラボレーションを担う。幾つもの特許ホルダーである稀代の「脳神経発明家」が、脳と学びから未来を語る。

《目次》
・人間の脳は、希望を持ちづらい
・学習で「希望を抱ける脳」になれる
・不確かな未来に、囚われすぎてはいけない
・根性論ではなく「新・精神論」を知る
・「3つのインテリジェンス」を掛け算する
・「ハッピー」と「ウェルビーイング」の関係性を知る
・ハッピーを人に伝えて記憶を促す
・テクノロジーに頼り切らず、心的反応をモニタリングする
・シンギュラリティに振り回されない
・学びのスタイルを大きく変えていく

人間の脳は、希望を持ちづらい

企業とぼくらのコラボって「新しいことをやりたい」とよく始まるのですが、話を進めていくと、前例や事例、データを求められるんです……これ、矛盾してないですか?

最初はわくわくしているのに、いつからか現実を見始めて、リスクばっかり取るようになるわけです。この現象は「未来」について考えるとき、とても重要になります。

「未来」について「新しいことをやろう」と行動する時、リスクを感じて不安を覚えたり、回避したりするのは、生命を維持する上では欠かせません。だから、多くの人はデータや根拠のないことにネガティブになりやすい。人間の脳の仕組みで捉えると、実は仕方がないこと。この前提を踏まえておくのは重要です。

「新しいことをやる」って、事例をつくっていく立場になることです。根拠があるなら、もう誰かに試されているわけですから。つまり、「新しさ」に対するマインドセットを知ることは、これからの時代とりわけ大切になると思います。

それは、簡単に言うと「希望を持てるか否か」。ただ、人間の脳は希望を持ちづらい。これが真実です。希望は「不確かなこと」、すなわちその時点ではどう転ぶか分からないことに対しての、脳の働きです。

脳にはこの希望探索を担う部位があり、「不確かさドリブンの探索機能」と呼ばれます。『RLPFC(吻側外側前頭前野)』といって解剖学的に見ると脳の最先端部分に当たります。

前頭前皮質と呼ばれる脳の前側には、「カスケードモデル」というものがあり、前頭葉の前側に行けば行くほど高等な処理をしていることで知られています。なぜなら、前側に行けば行くほど、後ろ側の情報も処理対象になるからです。そして、RLPFCはその中でも最先端に位置しているので、極めて高等な処理であるといえるでしょう。

さらに、本当の意味での希望は、RLPFCより後ろ側にある島皮質などが行うリスクジャッジメントの情報処理も考慮に入れている。リスクも見た上で、それでも前を向く脳の機能といえるのです。

学習で「希望を抱ける脳」になれる

希望を持つ能力は、天才だけに備わる機能ではありません。ぼくは間違いなく後天的だと考えます。

脳の学習はすごくシンプルで、“Use it, or lose it.”が原則。使われれば、神経が細胞分子レベルで変化する。使われないと、構造を担保するエネルギーが無駄ですから無くしていく。「プルーニング(刈り込み)」と呼ばれる適応反応、脳の整理整頓が行われます。

よって、希望を抱ける脳になるためには、簡単に言ってしまえば、普段から希望を抱くことです。

希望というと何だか尊大な感じがしますが、脳からしてみたら、いかに不確定要素の高い情報、どうなるのかがわからない状況において「何とかなるのでは」と思う。そんな経験を繰り返すことです。

不確定要素というのは、あくまで自分にとって「自分の脳がどうなるかよく分からない」と判定しているのがミソです。誰かにあって自明であるかどうかは、その当人の希望を抱ける脳の育みにおいては無関係です。

新しい学び、新しい環境は、自分の脳にとっては不確定要素で溢れた宝の場といえるでしょう。通常、そのような状況に相対すると、人はストレスを多く溜め、その場を回避したくなります。

そして、できていない部分や足りない部分への認識、あるいはリスクジャッジメントがぐるぐると働き、そこに眠るワクワクする希望の種には盲目になってしまう。

現代は「変化の時代」といえるでしょう。VUCAという言葉に表されるように、コミュニケーションのありようだって急速に変遷しています。小学校の頃は駅の伝言板で連絡していたのが、いつの間にかピッチ、携帯電話、そしてスマートフォン。きっと500年前も600年前も、遠く離れた人とは「文通」が一般的なコミュニケーションで、その変化はあまりなかったでしょう。やはり、現代は科学技術の進展により、大きく変化したのです。

こんな時代だからこそ、不確定要素とどう向き合うのか、という能力は極めて大切になると考えます。

当然、これまで通りに不確定要素のリスクジャッジも大切です。しかし、それだけでなく、その中にも楽しみや素敵な要素を見出し、リスクヘッジしつつもそれらを最大化していく目線を育む。これからの時代、とりわけ重要な能力に感じられます。

そして、もう一つ大切なことがあります。希望を見出す、何とかなるんじゃないかと思わせてくれる脳は、特に根拠を必要としないのです。根拠なしの自信ですね。

新しいことって、まだ誰にもやられていないわけで。あるいは当人にとって経験してないことなので、根拠なんてありようがない。繰り返しになりますが、「新しい」とは根拠を作っていくことです。そのことを少し意識して、不確かなことにぶつかった時は希望を持って前に進む。その経験を繰り返すことで、希望を抱ける脳は育まれるはずです。

希望を持てる能力は、これからの人材育成や子供たちの教育といった文脈においても、とても大切になるでしょう。今後も、本質的に重要となる能力だと思っています。

不確かな未来に、囚われすぎてはいけない

とはいえ、わからない先のことを考えるって、難しいですよね。

脳が未来を考えるのは、基本的には「目の前にある情報」か「脳内にある記憶」をもとにした予測でしかありません。最終的には自分の記憶と照らし合わせて、「報酬予測」か「リスクジャッジメント」の反応性を見ます。多くの場合は、リスクジャッジメントが強いです。それに引きずられて意思決定し、行動することがほとんどだと言われています。

では、脳内の情報や記憶って、どれだけ確かなものだと思いますか? そもそも記憶は曖昧に保存されていて、「あったように感じている」だけなんです。言わば、物質と物質の掛け合わせにおいて、統合的に共通性のあるところを発火させて、ぼやーっと引き出しているにすぎない。そんな未来予測が実現するかといえば、多くはそうならないでしょう。

未来に対して想像を働かせることで、自己の行動を誘導してくれるようなパワーを引き出すのは、確かに重要な感覚だと思いますけれど……それに引きずられるようにネガティブな反応も起きがちなので、自分の行動を制限しかねないとも感じます。だから、未来に囚われすぎてもいけないし、今だけに集中するのも考えものなんですね。

ぼくの立場から言うと、人間の脳は未来のことを考えられますし、今この瞬間にも集中できて、過去も振り返れます。全部が脳にとって、重要な機能です。どれかを重視するのではなく、それぞれの意義や役割を理解したほうがいいかな、と思っています。

根性論ではなく「新・精神論」を知る

これからの時代において、ぼくは「精神論」を正しく捉え直さなくてはいけないと考えます。一部のリーダーと言われる方々が、心や精神をないがしろにしているようにも感じるからです。しかし、本当に大きなことを成し遂げている人は、心や精神の大切さを強く説いていますし、それを通り越して魂というお話をされることも。これは単にスピリチュアルと捉えるのでなく、それだけの人が注意を向けるからには、きっと何かあるはずなのです。

「人間の心なんてどうしようもない、それよりも行動だ」という人もいますね。ぼくは心も行動も、どちらも大事だと思っています。しかし、心を伴わない状態で行動し続けることが脳に与える悪影響も推定されるので、一概に行動先決を主張するのは、ナンセンスです。

心や精神は、歴史から見ても奥深いもので、人間に大きな影響を与え続けてきました。きっと「根性論」と間違えられているのかな?「脱・精神論」とかも聞くんですけど、僕は真逆だと思っていて。これまで科学が入りづらかった領域ですが、神経科学の進化によって脳を含む神経系のアクティビティが細胞分子レベルでわかり始めているんです。「新・精神論」の幕開けとなりそうです。

精神や心の議論を回避しようとするのは、その言葉が、抽象的でよくわからないからです。議論しても仕様がないとなる。しかし、それは思考停止状態の何者でもありません。

深淵で、尊い問いであることは間違いないのです。ただ、実際にぼくらが日々、自分たちの心の動きや精神の状態を感じ取っている以上に、その現象は体内で実存しています。

そして現代では、その心や精神が「物理的な現象」として捉え始められているんです。神経科学という学問によって、体内や脳内の細胞・分子レベルの挙動と、心や精神に繋がりが見えつつあります。

もちろん完全解明なんてできていませんが、脳を可視化する技術の進展に伴って、指数関数的にその解明が進んでいるといえるでしょう。神経科学の発表論文数の推移を見ても、2010年以降に伸びているのを見ると、非常に新しい学問といえます。

2008年に「GFP」というタンパク質に対してノーベル賞が与えられました。このタンパク質によって、生きた細胞にマーカー、標識、カラーニングができるようになり、脳の可視化がますます進んだことが影響しているかもしれません。

神経科学は、化学、生物、物理学などの自然科学の上に成り立つ学問です。人の心や精神に関与することを、単なる概念や机上の話ではなく、かなりミクロな世界から、実際の物理や物質現象として捉えていく。だから、「新・精神論」の幕開けとなりそうなのです。

まだまだ神経科学の観点からは分からないことだらけですが、言い換えれば、これから分かってくることばかり。ぼくは勝手に、知のブルーオーシャンと思っています。

「3つのインテリジェンス」を掛け算する

ぼくが設立したDAncing Einsteinは「世界最先端の理論と技術で、学びとウェルビーイングのあり方をアップデートします。」と掲げています。神経科学が取り扱う脳は、学びや成長、ウェルビーイングに関与しているから、きっと使えるはずだと考えて会社を作りました。まずはボランティア的に学校の教職員からサービスを活用いただき、次第に学校経営のサポートにも入るようになっています。

そうするうちに、神経科学と人工知能がぼくらの軸になっていったんです。脳の海馬にある細胞数を測るためのプログラムを組んだりするので、勉強したら興味が湧いて。今では、ぼくらが定義する「AI・BI・RI」の掛け算で、コアなアイデアの創出が強みになりました。

人工知能の「アーティフィシャル・インテリジェンス(AI)」に倣って、ぼくらは神経科学を「バイオロジカル・インテリジェンス(BI)」と定義しました。もうひとつは「リアル・インテリジェンス(RI)」です。学校現場はそれぞれ異なるがゆえに、研究室でアルゴリズムを組むだけではリアルにつなげられない。だから、ぼくらは現場にどっぷり入ります。

AIによる情報処理で特許がいくつも取れるようになり、その文脈で企業からコラボレーションの依頼が来たりもします。ただ、ぼくらとしては自由に、未就学領域から学校、さらに60代以上の経営塾にいたるまで、脳にも違いがあるヒト科ヒト属ヒトという生物種と向き合っていきたい。だから、経営方針はカオティックで、サービスは絞りきっていないです。

「学び」と「ウェルビーイング」に資する軸だけはぶらさずに、自分たちの力を掛け合わせられるパートナーと一緒に事業を進めています。設立から5年が過ぎましたが、様々な業種との関係性が持てているので、やっぱりカオティックに進んできてよかったですね。

「ハッピー」と「ウェルビーイング」の関係性を知る

ぼくもどんどん学習しているので、最近、ウェルビーイングについてアップデートしたことをお話しましょう。「ハッピー」と「ウェルビーイング」の関係性についてです。

ハッピーは、その瞬間に幸せを感じる反応性であって、脳内にいろんな伝達物質が放出された状態です。嬉しい、気持ちいいといったポジティブな情動を、ハッピーと総称しているわけですね。

なぜ、脳にこの一過的な反応が起きるかというと、実は記憶の痕跡として残すためなんです。ぼくらの記憶は「何が起きたか」をもとにする「エピソード記憶」だけでなく、それに紐づく「感情記憶」もセットで保存しています。ぼくなら9カ月ほど前に、出産に立ち会ったときを思い返すと、今でもこみ上げてくるものがある。これはエピソードを引き出しているだけでなく、感情が同時に発露しているからです。

ウェルビーイングは、ビーイングな「状態、ありよう」という意味合いがあります。Wellな状態ということですね。状態は、先ほどのハッピーの一過的な反応とは異なり、実存です。ウェルビーイングは、ハッピーな反応を記憶化した状態といえます。

我々の行動や思考は、意識によって影響を与えられると議論されることが多い。それも事実ですが、意識よりも記憶に影響を受けます。

記憶とは、勉強的なことを指しているのではなく、実際的な言動やこれまでの振る舞いなどの実績です。やったことが脳に記憶として残る。あなたの振る舞いは、あなたがこれまで振る舞ってきたようになることがほとんど。意識や理想通りとは限らないのです。

ですから、様々な場面で嬉しい、楽しい、ワクワクした、恋した……いろんなポジティブな心が動いていると思いますが、それはハッピーで一過的な反応として終わってしまうこともあれば、それを記憶として脳に定着させるのも可能ということ。そして、脳に積み重なったハッピーな記憶の蓄積が、ウェルビーイングな状態と言えるでしょう。

そんな脳の状態は、ぼくらの普段の言動、振る舞いにも影響を与えてくれます。つまり、ウェルビーイングな脳の状態は、人の粗よりも得意や素敵な点に気づくことにつながる。できない理由よりもできる理由を探しやすくなりますから、不確かな世の中にも適応的であるといえるかもしれません。

ハッピーを人に伝えて記憶を促す

ウェルビーイングは、ハッピーな反応の記憶痕跡化の集合といえます。ということは、記憶化させる営みが、ウェルビーイングを高めるとも言い換えられます。

我々の脳は、なんでもかんでも覚えてはくれません。記憶化させるためには、その体験を思い返すしかない。そこで、有効な2つの方法を紹介したいと思います。

まず、ハッピーな体験を振り返り、書き出すこと。とても一般的なやり方ですが、ポイントは「その時にどう感じたのか」と感情的要素も記すことが大切です。

ワクワク、ドキドキ、などでも良い。心の動きは非言語的で表すのが少し大変ですが、書くことで感情記憶にも作用させるようにしましょう。そして、書いている時に心を込めることも大切です。心を込めるとは、書きながら出来事を思い返し、その時の感情を改めて脳内や身体の反応として再表現するということです。そうすることで、記憶定着化の効率が高まります。

そして、もう一つは、人に伝えるという方法。これも一般的かもしれませんが、ハッピーな体験を他者と分かち合う価値は計り知れません。

書く行為と話す行為は、違う脳の仕組みを使うので、話しているとそれだけで記憶を引き出され、記憶を強固にします。さらに聞いてくれる人が一緒に喜んでくれたり、共感してくれたりすると、話した内容がさらに強固に記憶化される。なので、分かち合う相手も大切。一緒に喜んで、楽しんでくれるパートナーや仲間が重要ですね。

そして、分かち合う仲間からもハッピーを共有してもらう。それを喜べることは、自分のハッピーの表面積が広がっていることを意味します。自分のことだけでなく、他人のことでも自分がハッピーになるのです。

きっと誰しも、自分の好きな人のハッピーニュースは嬉しいはず。そんな時間を積極的に人生に組み込むことで、ウェルビーイングは育んでいくことが可能だろうと推察されます。

この分かち合いをする上で、大切にしたいことがもう一つ。大きなハッピーだけでなく、ささやかなハッピーや当たり前化してしまったハッピーにも注意を向けるということです。

ウェルビーイングは普段の心がけの賜物でしょう。ハッピーなことに気付ける表面積が広い人がウェルビーイングな状態になりやすいのはそのままですが、それが生物の、生命の、物理の法則でしょう。

ささやかなハッピーに気づく習慣を身に付けるためには、朝起きて「太陽が気持ちいいなぁ」と感じたり。何気ない通勤の道に咲く花に楽しみを見出したり。そんな習慣が大切ということです。

最初は進んで意識を向けないと気づけないから、仕組みも必要です。そういった脳を育んでいくのが重要だし、世界的にも「アウェアネス」が大事と言われていることにも通じているんじゃないでしょうか。

テクノロジーに頼り切らず、心的反応をモニタリングする

なんでもかんでも自動化するのは、人間の能力を弱めると思っています。本来なら脳を使って、「ドキドキ、わくわく、もやもや」といった心的な反応や内部環境をモニタリングする能力は、非常に重要なんですよ。

“Use it, or lose it.”の原則の通り、使わなければ神経は刈り込まれます。本質的に大事な能力は、自ら脳にエネルギーをかけてでも使うのを促さないと、人間として弱まってしまうな、とは思っていて。ただ、テクノロジーによって全てが便利になればいいわけじゃないんです。それが育まれるべき内容だとするならば、脳を使って意思決定し、判断することを促す方向に、教育分野や学びも持っていかなきゃいけないだろうな、とは考えています。

一方で、マインドフルネスをGoogleやゴールドマン・サックスが取り入れていたり、自己と向き合う大切さを語るのがスティーブ・ジョブスやビル・ゲイツだったりするのは面白いですよね。

世の中が便利になっているからこそ、人間の注意は圧倒的に魅力的な「外側」へ向きやすい。でも、ぼくらの大事な情報って、自分の「内側」にもいっぱい眠っています。ぼくも離島みたいな電波がつながらないところへ仕事で行き、現地の人とのんびりと釣りの浮きを見つめていたりするうちに、自分のことを結構考えたりするんですよ。

便利だから全て良いとか、情報をいっぱいあふれさせるだけではなく、今後はアナログな部分にも帰っていったりする方向にも行くんじゃないかなと、ちょっと思っています。世の中には、内側へ向かうアクティビティが広まり始めてもいますよね。

シンギュラリティに振り回されない

2020年以降の10年間は……考えていないです。どうなるかわかりませんし。

よくシンギュラリティの話が上がりますが、そうなるかもしれないし、そうならないかもしれない。きっと、そうならない可能性の方が高いでしょう。

なぜなら、シンギュラリティの推定根拠があまりに一面的であるからです。そもそも人の知能が何たるかを理解できていないのに、どうやって知能を比較できるのでしょうか?

計算が得意なのは事実ですね。それはもう、とうの昔に電卓が抜いています。囲碁で人工知能が勝つのも、計算の延長でしかない。それで人工知能が「人間の知能を超えた」だなんて議論は、飛躍も甚だしく感じるわけです。

人間は、囲碁はそれほど強くなくたって、道端に咲く花を楽しめたり、隣の魅力的な人にドキドキしたり、お魚を捌けたり、水彩画が得意だったり、いろんなことができちゃうわけです。囲碁だけがどんなに強くても、その知能と、あまりにマルチな人の知能を比較する意味はあまりないように感じます。互いの強みを、掛け合わせていけばいいだけの話です。

そもそも無機物由来の人工知能と、エネルギー効率などで有効な有機物由来の人の脳は、生成される成分がそもそも違う。できること、得意なことは異なって当然です。

もちろん、人間と人工知能で似たような能力に関しては、一部は乗り替わっていくところはあるかもしれない。でも、ぼくらは、それぞれの強みを掛け算して、新しい時代をつくっていくことを考えたい。人間と人工知能の共存、あるいは共進化していく時代ですね。

危険性を説くほうが人間は注意を向けやすいので、マスコミから不安が醸成されていってしまうことも多いです。でも、これまでにも「DNA鑑定」のように悪用を議論される手法でも問題が起きていないケースはよくありました。結局、新しい科学は、善いほうにも悪いほうにも使えるから、いかに世の中が善いほうへ持っていき、人のために使うのかが肝心で。

医療診断の現場でいえば、過去の病歴から照らして判定を返すのであれば、圧倒的に人工知能が得意です。けれど、人間のドクターは「どこか今日はいつもと違うな」と感じられちゃったりするんですよね。そういった感覚を始め、非陳述記憶の領域のように言語化できてないことは機械に学習させようがないわけですから、人工知能で再現するのは困難です。

いろんな要素を同時に扱えるのも人間の強さです。今、ぼくが目を閉じたら、いきなり宇宙に出て、カップラーメン食べて、踊って歌って……と、動作から味覚や聴覚まで複合的に、一気にイメージできちゃいます。こんな自由な展開が可能なのは素晴らしい機能だし、もし機械にもやらせようと思ったら、とっても大変なんですね。

最近、創造性やイマジネーション、クリエイティビティの大切さが説かれるのは、人工知能では一面的な情報処理かつ先例、事例を学習することが前提となる人工知能には扱いづらいからというのが発端じゃないでしょうか?

学びのスタイルを大きく変えていく

今の教育環境は、当たり前に用意された「学ばなきゃならないこと」を学ぶスタイルのままです。確かに大量生産・大量消費が必要だった時代においては、統一的な学習で効率よく回していければよかったかもしれない。けれど、それは基本的に機械や人工知能が代わってくれる領域ですから、これからの時代には必要のない学習スタイルだと、ぼくは思うんです。

ぼくは高校を中退していて、その後で5年くらいフリーターをしてから、脳に出会って、勝手にいろいろ学び始めて、今に至っています。ぼくの実体験も含めて、人間って自分の好奇心や興味を持ったことに対しては学びが強くなると科学的にもわかっていて、それは脳からもいくらでも説明できます。

「私には特別の才能はない。ただ、好奇心がとんでもなく旺盛なのだ」とアインシュタインが言ったように、それがパワフルに働くことを知ってもらって、寄り添えるように教育を設計し、好奇心が湧きやすくなる仕組みが必要です。

そうすれば、一人ひとりが強みを持てる時代になっていくだろうなぁ、と。多様性の受容や、それを生かし合うような文化的背景を、日本はもっと待たなきゃいけないとも感じますね。ちょっと違うと「異質」と見て、マイナスに捉えてしまう。自分の意見を言おうとすると、他人と違うと排除しようとする、みたいなことはやめて。

「違い」を受け入れて、高めていく。その方向へ持っていけるような学びのシステムに変えていけるといいですね。ぼくらも、その仕組みづくりに入っていきたいです。だって、時代と環境が変わっているのに、教育を作っているのは、だいぶ古い人ばかりですからね。ぼくはそもそも教育なんて、現場にいる人が自分たちでつくればいいと思っているくらいです。

大人でも一緒ですが、「何を学びたい?」という最初の自分の気持ちを、いかに知れるかどうか。すぐ答えがでなくても、そこを本質的につき詰めて、意義のある学びにつなげるためには、どんなサポートが必要なのか。それを本気で考えていかなければいけないんです。

実はこれって、何千年も前から言われていることだったりします。「汝自身を知れ」と。時代ごとに人々が価値を認めてきたことには、本質的な意味があります。自分と向き合って、自分のことを知って、それに伴う学びを得ていく。どんな時代の人間にとっても、変わらないことなのかなって思いますね。


取材 / 文 = 長谷川賢人


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