2019.09.11
吉藤オリィが見据える、2020年以降の人生戦略|人類には「体を失った後」のロールモデルが足りない

吉藤オリィが見据える、2020年以降の人生戦略|人類には「体を失った後」のロールモデルが足りない

分身ロボット「OriHime」や、視線や指先で意思を伝える「OriHime eye」などを開発するオリィ研究所の創設者、「吉藤オリィ」こと吉藤健太朗さん。彼らが定義し、解消に取り組む「障害」や「孤独」は誰にとっても起こり得る。決して一部の当事者だけでない、2020年以降、誰もが向き合う必要のある“人生戦略”とは。

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▼連載『AFTER 2020』2020年からの「10年」をどう生きるか。記事一覧はこちら

吉藤オリィ

吉藤オリィ|1987年生まれ。小学校5年~中学2年まで不登校。中学時代に「ロボフェスタ2001」関西大会準優勝。高校時代には車椅子開発で「JSEC」で文部科学大臣賞、世界大会「ISEF」でエンジニアリング部門3位を受賞。2009年より「孤独解消」をテーマにした分身ロボット開発に取り組む。2012年に株式会社オリィ研究所を設立。青年版国民栄誉賞「人間力大賞」、スタンフォード大学E-bootCamp日本代表、フォーブス誌「30 Under 30 2016ASIA」などを受賞。2019年には、遠隔コミュニケーションロボット『OriHime-D』による分身ロボットカフェ『Café DAWN(β)』を実験的にオープン、大きな反響を生んだ。

《目次》
・寝たきりになってからの人生戦略
・「体が資本」から「心が資本」の生き方へ
・「運命的な出会い」さえもハックしたい
・身体至上主義からの脱却
・考えるべきは、「できない」という障害をどう突破するか。
・サイボーグ化する生き方で、適材適所を求める
・身銭を切り、時間を投資し、未踏の景色を見にいこう

寝たきりになってからの人生戦略

「2020年以降の10年」がテーマということですが、そもそも、みんなで未来へ足並み揃えて一斉に向かっているかといえば、すでにバラバラですよね。現在でいえば、ガラケーを使っている人もいれば、最先端のAI技術に詳しい人もいる。2030年を考えてみても、「2010年」の状態が延長しただけという人もいるでしょう。

そういった前提のなか、私から見た「2030年」でわかっているのは、高齢者が増え、寝たきりの人もさらに増える、ということです。ただ、「寝たきりになった後」の人生戦略を考えている人が少ない。だからこそ、私が考えなければと思っています。

体が動かなくなる人にとっての「孤独」の解消法もまだありません。私が定義する孤独は「一人ぼっち」という意味ではない。「誰も自分のことを必要としてくれていない、どこにも居場所がないと自分で感じている状態」だと、私は定義しています。

私は小学5年生から中学2年生まで、不登校で引きこもっていたときには、天井のシミばかりを見続け、時計の針が進む音を聞いて生きていました。半ば発狂して死にたくなるような体験です。もし、老後にあれが待っていると考えたら、生きるのがつらくなる。でも、その状況をすでに経験した人、寝たきりの人たちにこそ、作れるものがあると思っているのです。

本当に今、困っている人は、その道の専門家といえます。だから、私は「寝たきりの患者」とは呼ばず、「寝たきりの先輩」と表現します。

筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者で、国会議員になった舩後靖彦さんがいます。寝たきりになってからでも実現できることを僕らに見せ続ける彼は、まさに開拓者です。彼らの開拓した道を使えば、私たちは課題をショートカットできるかもしれません。

未来は、寝たきりの先輩から教わればいいのです。それに「体が資本」と言っている人ほど、その体を失った後のことを考えていないものですからね。

「体が資本」から「心が資本」の生き方へ

吉藤オリィ

2018年に急逝し、オリィ研究所で秘書も務めた番田雄太という親友がいます。彼は4歳で交通事故に遭い、「寝たきりの先輩」のひとりでした。

番田は「これまでは『体が資本だ』と言われてきたが、そこに何の意思もなければ、体が動いたところで意味がない」と語っていました。番田には強い意思があったし、意思がある限り人間なのだということでしょう。そして、これからの時代は「心が自由であること」が大事になり、「心が資本」の時代が来るとも主張していました。

ただ、意思の有無と「やりたいことを持つ」というのは、必ずしもイコールではないし、真理ではないはずです。私の持っている真理が一つあるとすれば、「常に選択肢があること」だと言っています。自分が何かをやりたい時だけでなく、何もしたくないという時に「何もしなくていい」選択肢が取れることも大事です。

周囲からは「俺はこんなに苦労して働いているのに、楽しそうでいいな」と言われてしまったとしても、「何もしていなくて辛いから働きたい」と自分が感じたときに、働けない状態は良くないわけです。かといって、休みたくても、さまざまな事情で休めない人たちもいる。でも、本人が働きたくても働けない、休みたくても休めないのだとしたら、本来はそこに障害があるわけで、意思通りにできるようにした方が良い。

いずれにせよ、常に選択肢を持てることに、私は価値があると思っています。

「運命的な出会い」さえもハックしたい

吉藤オリィ

もし、「やりたい」という意思につながる転機を求めるのならば、私の体験しかり、多くの人を見てきた共通点からいっても、誰かに会ったほうが良いですね。自分と気の合う人と会った瞬間に、ガラッと人生が変わることはよくあります。進む道に迷ったり、あるいは自分が何を求めているのかもわからないときに、誰と会い、何をしたかが、とても重要です。

そして、私はこの「運命的な出会い」もハックして、コントロールできると思っています。世の中にこれだけの人間がいるのに、ゲームみたいに「すれちがい通信」をしていないのは、もったいない。

たとえば、すれちがう人々の間に「おせっかいなおばちゃん」みたいなAIがいて、「ほら!あなたたちは同い年で同郷だから、共通の友達がいるかもしれないわ。Facebookを見たら50人もいたわよ!」みたいなことを教えてくれたら、話しかけるきっかけになるかもしれない。

私自身がもともとコミュ障なのもあって、これまでの出会いは、気合と根性と我慢で乗り切ってきました。でも、それって本来は良くないと思っていて。そうやって乗り切ってきた人は、次の時代でも同じ方法を提供するでしょう。それでは文明が進化しません。コミュニケーションテクノロジーの仕組みは、もっと出来うることがあると考えています。

身体至上主義からの脱却

吉藤オリィ

「誰かに出会う」という経験は、そこから5年や10年、何なら一生に及ぶ影響を与える価値だと思っています。だからこそ、人間は満員電車であろうが、飛行機が必要な距離だろうが、大金を払ったりしてでも、外出をし続けるのでしょう。

しかし、寝たきりだった番田のように、外出ができない人もいます。仮に「友人になれる確率」が1000分の1だとしたら、私たちは年間1万人に会えれば10人の友人をつくれるかもしれない。でも、1週間に1回しか外出できなかったり、そもそも人が少ない場所に住んでいたりして、年間に100人としか会えなかったら、10年間出会い続けてようやく友達が1人できることになる。この確率を高めるために、もっとできることがあるとは思っています。

それにこれまでは、出会った人と友情を育み、思い出をちゃんと残しながら、死ぬ瞬間に悲しんでくれる人が近くにいるようにしたり、「自分の人生は楽しかった」と思えたりする状態に持っていくのでさえ、人間は「体が資本」だったのです。

体が自由に動かないと、私が今言ったことのほとんどが難しくなります。それを「身体至上主義」と呼ぶなら、私たちは身体至上主義から脱却し、寝たきりになった後のロールモデルをどう作るか。それが今の人類に足りていない人生戦略ですから、私たちは「寝たきりの先輩」たちと共に考えているわけです。

さらに日本は、高齢者が圧倒的に多く、寝たきり先進国。これから「1億総寝たきり社会」が来るかもしれない。それほどの「ヤバい国」だから、研究する価値があるんです。

考えるべきは、「できない」という障害をどう突破するか。

吉藤オリィ

現段階では、体が動かなくなったとしても、OriHimeを使って学校へ行けたり、OriHime eyeで言葉を伝えられたりする。肩に乗せて身体機能をシェアするロボットの「NIN_NIN」のように、誰かの役に立って、感謝し合えたりする体験も作れました。

さきほどの「出会い」でいえば、今後はVR空間も可能性の一つですが、OriHimeを通じて恋人や友人と会話しながらリアルな街を歩くのとは、価値が全然変わってきますよね。「いいなぁ、俺も行きたいな」と思えたら、リハビリテーションのモチベーションにもつながります。OriHimeを通じて外に出ることによって、外へ行く理由なんてないと思っていた人にも意思が生まれるわけです。

まだプロトタイプですけれど、「視線で操作できる車椅子」も開発しています。自動運転と組み合わせていけば、自分の意思だけで安全に外出することだって可能になります。

つまり、考えるべきは、意思があっても「できない」という障害をどう突破するか。そこでようやく手段を生み出すなり、選択肢を検討したりする段階に進めるんですよね。これから大事なのは、障害となる壁をまず発見し、その壁に自らぶち当たれること。そして、何かしらの失敗を経験することです。

「できない」があるから、「できるようにする」という次のプロセスが生まれます。

サイボーグ化する生き方で、適材適所を求める

吉藤オリィ

たとえば、私は「障害者」の定義を、身体障害の有無ではなく、「本人が困っているかどうか」だと考えています。そして、「困っている」とは、自分の意思に対しての選択肢がない状態といえます。そこには「障害」があるわけですよね。

障害があるのなら、テクノロジーでいかに取り除くかを考えなくてはいけません。その解消にテクノロジーを使っていくことで、初めて「ツール」になるのです。ハンマーというツールがあったところで、石を壊したいという意思がなければ、何の役にも立ちませんから。

私も身を置く福祉の領域は、とにかく障害だらけです。今まではこれらを、人間の我慢、努力、根性によって突破……というよりも、半ば諦めてきました。そこで、適切なツールを誕生させていくことによって障害を取り除き、人間の文明を正常に進化させていくのが、私の考えている「サイボーグ化」としての生き方ですね。

サイボーグ化とは、「やりたい」という意思に基づき、テクノロジーがその人の能力となって、生活や人生となめらかに融合することです。その点では、人間はすでにサイボーグ化していると言っても過言ではないはずです。私たちはすでに、パソコンやスマートフォンがなければ仕事ができない世界を生き、それらのツールを当然に使っていますから。

ただ、ひとつ気をつけなくてはいけないのが、サイボーグ化によって人間が万能化するのではなく、適材適所を実現できる社会が実現するということです。みんなが何かしらの役割、もしくは自分が必要とされている状態を作り得ることで、孤独というストレスは解消されると思っています。

身銭を切り、時間を投資し、未踏の景色を見にいこう

吉藤オリィ

外出が困難な人でも、OriHime-Dを活用して「分身テレワーク」で働けるカフェを開いたときに、「新しい世界が始まろうとしている面白さ」を感じられました。お客さまからのフィードバックを受けて、リアルタイムにバックヤードで開発をしているときには、その世界に挑戦していく面白さ、その当事者になっている面白さを覚えたんです。

言い換えると、未来をつくるトライアンドエラーの現場に参加している面白さですね。ベンチャー企業の面白いところは、自分たちのつくっているものが、少しずつ世界を変えようとしていると体感できることにあります。そこに、お金をたくさんもらえる以上の価値があると考える人も、結構いるはずですよね。

私は未だに、貯金が50万円をぜんぜん超えないんですよ。オリィ研究所からの毎月の収入も、印税も、講演でいただく費用も、全て開発などに投資してしまうんです。初めて「人型の分身ロボットカフェをやろう」と番田と思い立ったときも、発砲スチロールを削り出してモックを作り、その後に3Dプリンターで出力したパーツを張り合わせてFRP製のボディを仕上げたりする過程で、持ち出し150万円以上かかったでしょうか。でも、もとは番田と思いついた遊びのプロジェクトでしたから、会社の資金は使いませんでした。

クリスマスから年明けまで、OriHimeでそばにいた番田らと共に、ガレージで開発しながら正月を過ごしました。このような開発は、VCのような資本主義的な観点や価値観では、手を出せないこともわかっています。ただ、対価としてのイノベーションを起こせ、というのが私は好きじゃないし、モチベーションが続かない。

確実性がなく、再現性もわからないけれど、自分がとにかく面白いと思うことへ、ポケットマネーと全時間を突っ込んで「やる」。そこに極めて生きがいを感じるタイプの人間で。明らかにお金を費やす対価としては、その実感にこそ価値があります。身銭を切りましょう。身銭を切って、自分の時間を火にくべる薪のごとくバンバンと投資すると、他の人がまだ見えないひとつの未来の景色が見られます。

先日も、寝たきりの子どもがストレッチャーごと乗れて、OriHime eyeの視線入力で自分の意思のままに走れるカートを開発しました。その子は、人生で初めて目だけで移動できたわけです。そのとき、その子とお母さんの中に生まれた「未来図」は、たぶん無限大でしょう。「もしかしたら、将来はもっとこんなこともできるかもしれない」と。


文 = 長谷川賢人
取材 = 白石勝也


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