2020.04.14
『注文をまちがえる料理店』の仕掛け人、小国士朗と考える「これからの企画屋」にできること

『注文をまちがえる料理店』の仕掛け人、小国士朗と考える「これからの企画屋」にできること

元NHKの番組制作ディレクターを経て、ソーシャルグッドなプロジェクトを仕掛けてきた小国士朗さんを取材。先行きが不透明な時代。それでも、少しずつ世界の風景を書き換えていくために「これからの企画屋」にできることを考えました。

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みんな、ワクワクしたがっている

NHK時代から異端児としての道を歩んできた小国さん。認知症の人がホールスタッフをつとめる「注文をまちがえる料理店」のプロデュースするなどいわゆるソーシャルグッドなプロジェクトの発起人として知られる存在になった。ただ、本人の認識は少し違うようだ。

じつは「誰かのためにやる」という発想はないんですよね。まして「社会課題を解決したい」もない。それだと長続きできないし、僕個人としてしんどくなってしまうので。

NHKで『クローズアップ現代』の番組制作に携わっていた時、取材を通じて様々な課題に対峙してきて、ある種の無力感もあったんです。報道にはもちろん意義がある。でも、課題は山積みで次から次へと積み上がっていく。同時に希望をつくっていくことも必要だと感じるようになりました。

誰もが、ワクワクするような、思わず身を乗り出してしまうようなプロジェクトを。おこがましいかもしれないけれど、そんな希望をつくりたいと思っているんです。

【プロフィール】小国士朗 小国士朗事務所 代表取締役/プロデューサー。2003年NHK入局。「プロフェッショナル仕事の流儀」「クローズアップ現代」「NHKスペシャル」などの情報系のドキュメンタリー番組を中心に制作。2013年に9か月間、社外研修制度を利用し大手広告代理店の電通で勤務。その後、番組のプロモーションやブランディング、デジタル施策を企画立案する部署で、ディレクターなのに番組を作らない“一人広告代理店”的な働き方を始める。200万ダウンロードを記録したスマホアプリ「プロフェッショナル私の流儀」や世界1億再生を突破した動画を含むSNS向けの動画配信サービス「NHK1.5チャンネル」の編集長の他、個人的なプロジェクトとして、世界150か国に配信された、認知症の人がホールスタッフをつとめる「注文をまちがえる料理店」などをてがける。2018年6月をもってNHKを退局し、現職。

 

だから、アイデアの発想も「こんなの出来たら超おもしろくない?」「世界の風景をこんなふうに書き換えられたらおもしろそうかも!」が基本スタンスなんです。

僕はこれを「Vision Hack(ビジョンハック)」と呼んでいます。思わずみんなが触れてみたい!って思うようなワクワクする一枚の絵=ビジョンで、これまでの常識とか、暗い現実や未来、そういったものをぶわっと書きかえる=ハッキングしたいなぁっていつも考えています。たぶん誰の心の中にも、そんな「いたずらっ子」精神が隠れているはずです(笑)

小国さんが企画した『注文をまちがえる料理店』も「ビジョンハック」のひとつ。「認知症というと「忘れていく」というネガティブなものとして捉えられてしまいます。でも、「間違えちゃったけど、ま、いっか」と許容できる世の中っていいですよね。そんな風景=ビジョンをつくれたら、一気に捉え方がポジティブになると思うんです」

「妄想記者会見」をやる

もうひとつ、小国さんが企画を考えるとき、大切にしていること。それはゴールから逆算して、「企画の穴を埋める」「取り上げてもらえるようキャッチーにする」という部分だ。

僕は何かプロジェクトを立ち上げる時、いつも「世界の授賞式の記者会見」を妄想するんです。

海外の授賞式、レッドカーペットをタキシードで歩く。記者に取り囲まれ、こう聞かれるんです。「小国さん、なぜこんなに素晴らしいアイデアを思いついたんですか?」と。バカみたいですが、けっこう真剣に記者とのやり取りを妄想します。

この「妄想記者会見」をやるとプロジェクトの穴がわかります。記者会見だと、

なぜこれをやったか?
この後どうしていきたいのか?
どんな仕組みなのか?

全て語らなきゃいけないですよね。語れないところは、つまり考えきれてないところ。

しかも、取り上げてもらうにはキャッチーにしないといけない。みんなが「おー!」って思えるように語れるか。世界中のメディアが面白いねこれって言うぐらいのものから逆算していったほうが視点も変わると思うんです。

もしかすると自分がメディア出身だからかもしれませんが、「自分が取材したいと思うぐらいのネタか」は問うクセがついている。どんなに素敵な世界を作っても、おもしろい番組をつくっても、人々に届けられなかったら、それは存在しないのと同じですよね。

ちなみにこの妄想記者会見のポイントは「世界」の授賞式だということです。なぜなら普遍的な価値まで考えることができるから。ヨーロッパだろうと、アメリカだろうと、オセアニアだろうと、アフリカだろうと「おー!」となるぐらいの普遍的なメッセージングが必要。だから、妄想するなら世界の授賞式がいいんです。

あとは、どうでもいいですけど、こういうことを考えていると単純に気持ちがいいんですよね、たとえ妄想でも(笑)想像している時は最高にハッピーだから。「俺、めちゃめちゃ賞賛される!」と思えると凄く燃えてきます。

「?」「・・・」「!」の法則

小国さんは「プロジェクトを仕掛け、世の中に違った視点を与えるプロフェッショナル」だ。彼が大切にしている発想の流儀とは?

僕が考えるプロジェクトは、いつも「?」→「・・・」→「!」の順番で成り立っています。これは、「なんだろう?」→「じつは・・・」→「なるほど!」という意味なのですが、これが体験できるように設計するようにしています。

たとえば、『注文をまちがえる料理店』というプロジェクトでいうと、「?」の部分はプロジェクトの名前です。

『注文をまちがえる料理店』って聞いたら、「なんだろう?」って思ってもらえるかなぁと。やっぱり、ぱっと人の心をわしづかみにするような名前がいいよなぁと思ってほしくて命名しました。

で、じつは「認知症状態の方がホールスタッフを勤めるレストランなんです。だから間違えることがあるかもしれないけど、その間違いを受け入れて楽しみましょう」と詳細が明らかになると「なるほど!」となる。「あー、だから注文をまちがえる料理店なんだ」と気付けると腹落ちします。

この法則ってすごくシンプルなのですが、意外と「なんだろう?」「じつは…」「なるほど!」がかちっと噛み合うものってむずかしくて。街中に巨大なモニュメントが突然出てくる広告キャンペーンを実施しても「え?なんだろうこれ?」と目立ちはするけども、多くの人は「あれって何だったんだろうね」で終わってしまう。「じつは・・・」が近い距離で伝わる必要がありますよね。

あとは「じつは…」と「なるほど!」しかないものもよくないと思っています。ロジカルで理屈は通っているので「なるほどね」とはなるけど心が揺さぶられない。人の心をわしづかみにするようなワクワクがそこにはない。だからこそ、まずは「なんだろう?」のとっかかりがあってこそ、興味を持ってもらえるのだと思います。

違和感は宝物

どのようにすれば「なんだろう?」となる興味のトリガーがつくれるのか。小国さんは「素人でありつづけること」「一番最初の興味のなかった自分」をふりかえることが大切だと語ってくれた。

「興味のなかったころの自分」をふりかえることは、とても大事だと考えています。がんとか、認知症とか、多くの社会課題って、どうしても「遠い存在」になりがちですよね。だから、全く興味の無い人の心や行動を変えたいなぁと思ったら、そういう人でも知りたい、触れてみたいと思えるポイントを探す必要があります。

そのときの手がかりは「自分が違和感を抱いた瞬間」にあると思うんです。たとえば、昨年ラグビーワールドカップ開催に際し、オフィシャルスポンサーの三菱地所さんと一緒にお仕事をさせていただいて。じつは…それまで僕はラグビーに全く興味ありませんでした(笑)

人生で初めてラグビーの試合に連れて行ってもらった時、お恥ずかしながら…僕の第一声は「どっちが日本代表ですか?」だったんです。あまりに外国人の選手が多く、純粋にどっちのチームが日本代表か分からなかったから。

で、この感覚、すぐメモしたんですよね。そこから「あ、ラグビーってダイバーシティの象徴だ」と捉えたらおもしろそうだと着想していきました。

日本の多くの企業が課題としている「ダイバーシティ」が、じつはラグビーのチームでは既にできちゃっている。ダイバーシティの最先端がここにある。そう見立ててみると、ラグビーがいきなり自分にとって身近に思えたんです。それで、ラグビー選手にビジネスパーソン向けにTEDトークのようなトークしてもらったんです。企業の人たちに向けて。「ラグ・ビズ・ショー」とネーミングし、実施したらすごく盛り上がりました。選手の皆さんが語る言葉がどれもすごい示唆に富んでいて、中には胸を打たれて涙を流すお客様もいらっしゃいました。

こういった「純粋な違和感」ってすぐに忘れていってしまう。だから、できるだけ書き残すようにする。とくにファーストインプレッションが大切だと思います。素人だった時の自分の疑問を思い出せるようにしておく。

これは、『プロフェッショナル 仕事の流儀』という番組制作をしているときに身に着けた考え方です。この番組では、40日間ほどプロフェッショナルの方に差から晩まで密着取材するのですが、ずっと一緒にいて、一挙手一投足をひたすら観察しているもんですから、だんだんと相手のことが分かった気になってくる。

でも、それが危ないんです。そんなに簡単に相手のことがわかったり、理解できるわけがないんです。だいたいそれはわかったつもりでしかない。だから、大切なのは一番最初の取材ノートのページ。一番最初のページなんで、書いてあることは疑問や違和感だらけ。相手が何をやっているのか、その意味が分からないわけですから、頭の中は?マークばっかりなんです。それを書きなぐっておくことが大切で、それをある程度時間がたって、「自分はだいぶわかってきたぞ」って思うときにノートを見返すと「あれ?俺、この最初の疑問に答えられないな」と気付くことがあります。だから、最初に抱いた違和感、疑問は宝なんです。

そもそも僕はいろいろなことに「興味がない」のかもしれない。そこから「あれ、これっておもしろいかも」と思ってしまう瞬間が好きなんですよね。「え?この人のことって僕は好きだったっけ?」と恋に落ちるみたいな感じ(笑)誰よりも、そういう瞬間をおもしろがってより多くの人と共有して届けたいのかもしれません。

「何の専門家にもならない」も意識してきたことと語ってくれた小国さん。会社の名前も「小国士朗事務所」で名刺には肩書きはない。それは「素人のプロフェッショナル」だあるため。素人目線からの疑問や、興味のフックポイントを大切にしていく。

「お前の中に答えがあるんだ」

一見すると突飛なアイデアを形にしていっているようにみえる小国さん。彼は何よりもまず「自分の深堀り」を大切にしているそうだ。

じつはアイデアを考える時、あまり人の意見は聞かないんですよね(笑)もちろんたくさん本を読んだり人と話したりすることはありますし、それはとても大切な時間です。だけどそれはあくまでも参考意見。

アイデアを考える時は、ずっと自分と対話をしている感覚です。自分が確信できるまで考えられているか。自分が信じられていないもので、相手を説得しにかかっても大体が失敗します。

本当に優れたアイデアって、伝えた瞬間、相手の目の色が変わる。そういった案の多くは「これしかないよな」と自分の中に章かな確信があるものです。それを思いついたときは、カチッてすべてがきれいにはまったなという音が頭の中ではっきりと聞こえます。もし、それがないときは、そもそもいい「アイデア」ではないと思っています。「ああ、自分に嘘をついているな」とか「自分で理屈を組んでいるけど、ムリがあるよな」とか、自分でわかるんです。

これって振り返ってみると『プロフェッショナル 仕事の流儀』の番組制作に携わっていた時から、プロデューサーに言われていたことなんですよね。

「俺は、取材現場に行ってないし分からないよ」って。「答えはお前にしか分からないんだから」「どう伝えたいのか、お前の中に答えがあるんだ」とずっと言われていたんですよね。

ひょっとしたら、取材させていただいたご本人でさえわかっていないことだってたくさんあるわけです。だから、何をどう伝えるべきかは、僕にしかわからないんだ。ここを放棄しない覚悟は決めているかもしれません。

どっちの選択が「おいしい」か。

小国さんのNHK時代キャリア選択がNHKから電通にはじめて出向した異端児でもあった。彼のキャリア選択の軸とは?

判断の基準は、その選択は自分にとって「おいしいかどうか」だけです。たとえば、広告のないNHKなのに電通に出向する。このキャリアって僕が初めてだったんですよね。誰も経験していないし、人によってはすごく抵抗感のあること。ただ、僕はすごく「おいしい」と思いました。

なぜなら、誰もやっていないことなので、成功か失敗かを誰も判断できないから。上司も判断がつかない(笑)だから、僕が「成功でした」と言ったらそれは成功なんです。たぶん。

もちろん誰も経験していないからこその大変さはあります。でも、『プロフェッショナル 仕事の流儀』という番組でも、視聴者から最も共感が得られるのはプロたちの「どん底」の話。壁にぶちあたって、這い上がるときに流儀が生まれていく。いつか「あのときのどん底が大逆転の1歩目だった」と言える日がくるかもしれない。そう考えると、どん底とか大変な時って後々プラスのストーリーにつながる可能性が高いんですよね。

もう少しだけ言うと、電通に行く前、僕は突然心臓病を患いました。生死の境をさまよって、幸い生きながらえたわけですけど、リスクがあるということで、大好きだった番組制作を諦めなくてはならなくなりました。さすがに、ものすごく落ち込みました。番組を作れないディレクターなんて、存在価値があるんだろうか…と何か月も思い悩みました。

でも、ある日「番組をつくれない、ディレクター」じゃなくて、「番組を“つくらない”、ディレクター」っていいなって思ったんです。そう思った途端に電通行きの話が舞い込むわけですから、人生っていうのは面白いです。

チャップリンが「悲劇というのは引いていれば喜劇である」という名言を残しています。本当に今、点で見ていたら大変かもしれないけど、物語になった時、10年後自分史を語ろうとした時、「貴重な1年だった」に自分自身でしていく。もちろんその時、その瞬間は本当につらい。ただ、そう考えると少しだけ前を向けると思うんです。

今は「ぼーっと生きる」のも大切

2020年4月7日、外出自粛が促されているなか、ぼくらには何ができるのか。小国さんに、取材者自身が感じていた「何もできない自分」その無力感にどう折り合いをつけていくべきか、聞いてみた。

もしかしたら、いま「なにもできない自分」に苛立ち、無力感を抱いている人もいるかもしれませんね。でも、それは当たり前のことなんじゃないかと思います。

たとえば、自分に少しの余裕があって、自分のもっている知識、スキル、リソースが何かの形で貢献できるのであれば、どんどんしていけばいいのだけれど。でもそれがなかったり、わからなければ、何もしなくいいと思うんです。無力な自分を責める必要はないと考えています。

僕もそうなんです。「いま」というタイミングで貢献できそうなことが、まるで浮かばない。「今のコロナの状況に対してどんなアイデアを考えますか?」と、ときどき聞かれるんですが、ごめんなさい、と。

むしろ、今は無理せず、じっとしておくことも大切にしたいと思っています。言ってみたらぼーっと生きているだけ。ただ、悲観しているわけでも、諦めているわけでもなくて。

今できることは、このモヤモヤとか、鬱積とした気持ちとか、何か悔しい気持ちとか、気持ちを忘れないで取っておくこと。ピン留めをしておくこと。そしていつか「ここだ」というタイミングがきたら、希望を作っていけることをしたい。そう考えています。


取材 / 文 = 野村愛


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