独自の世界観で業界を席巻するクリエイティブ・ラボPARTY。次々と話題になる作品を発表し、その勢いはとどまるところを知らない。ファウンダーの伊藤直樹氏と中村洋基氏は、何を目指しているのか。移り行く時代で、必要とされ続けるためには。すべてのクリエイターに贈る、クリエイティブ未来図。
▼PARTY伊藤直樹氏・中村洋基氏インタビュー第一弾・第二弾
恥をかけ、挫折せよ|PARTYが考えるクリエイターという存在[1]
気持よくさせて、裸にする|PARTYの育成論考[2]
4人のスーパークリエイターが牽引する『クリエイティブ・ラボ』PARTY。ファウンダーの伊藤直樹・中村洋基の両氏は、生粋のクリエイターだ。独自の世界観から生まれる作品に乗せて、クリエイティブの価値を示し続けている。
両氏へのインタビューを通して、彼らが考える『クリエイターという存在』と『クリエイターの育成論考』に触れてきた。
そう遠くない未来、クリエイターはどうなっているのか。クリエイティブとはどんな存在になっているのか。伊藤氏・中村氏の考える、クリエイティブの未来を探る。
― クリエイティブの発揮される場面が多様になって、アウトプットも色々なカタチを持つようになりました。もしかして、クリエイティブ=課題解決と思っていた目的自体にも変化があるのでしょうか。
中村:最近では色んなベンチャーが出てきて、若い人が元気な刺激的で良い時代だなと思う反面、サービスが溢れ過ぎているところはありますよね。似たようなサービスもあったりして、課題らしい課題は存在していないように見えるときもある。
でもやっぱり、僕らの仕事は課題解決で。「もっと売上を上げたい」と言われたとしたら、こういうことが必要なんですよっていう課題を明示して、表現で解決するっていうのが仕事の作法ではあります。
ただ、例えばiPhoneが出てくるまで、これがないことが課題だと誰も思わなかった。登場してから「これこれ。これが欲しかったんだよ、僕らは」みたいになったじゃないですか。だから、どちらから入っても良い時代になったのかもしれない。
結果として課題解決になっているっていうね。「ちょっと未来にあったらいいな」というモノをつくることが、実は人類の進化にとって(笑)、課題を解決しているように見えるから、人はそれを素晴らしいと思うんじゃないかな。
複雑化しているように見えて、実は手法が変わっただけで、仕事のほとんどは課題解決だと思うんですよ。それを忘れて「オレはこれがやりたいからやらせろ」っていうのに走るのは絶対にあり得ない。まぁ課題を解決しつつ、やりたいことをグイっとねじ込むことはあるんですけど(笑)。
― 時代が変化し続ける中で、クリエイティブの価値が変わらないところで存在し続けるために必要だと思っていることはありますか?
伊藤:最近、僕が思うのは、素人クリエイターがプロを超えるというか、プロのクリエイターが「プロ」と名乗っても仕方ない時代になってきていて。例えばYouTubeで番組を配信しているHIKAKINっていますよね。あの人がヒューマンビートボックスでやる動画が、スマッシュヒットしたりする。
もはや箸にも棒にもかからないテレビCMよりも、一人の素人が自己完結ですごいモノをつくれるようになった。完全に「プロのクリエイションって何?」ってなりますよね。予算や優秀な人を集結したら良いモノがつくれるかというと、全然そうじゃない。ほんとにヤバいですよね。相当な危機感をもってやらないと、僕たちはお金をもらえない。
そういうものに出くわすことが多くて、「あーオレ、HIKAKINになれてないなぁ」とか(笑)自暴自棄になりつつ、危機感をすごく持っているんですよ。
中村:プロっていうのは、『自分自身がやりたいこと』と『絶対に当たる』というその人なりの『秘伝のタレ』みたいなのがあると思うんです。それを上手く掛け合わせることで、ハズレが少ない、つまり当たりやすく独自性のあるモノを出せるんじゃないでしょうか。
そういう傀儡(くぐつ)の技みたいなものを用いて、新しい仕組みや表現を考えたりしていかないといけないですよね。この技っていうのを、クリエイターと呼ばれる人たちが知らず知らずにやっていて。『たくさんの人を振り向かせて連れてくるっていう仕組み』みたいなモノを掛け合わせることで、見たこともないようなすごいモノが生まれるんだと思うんです。「もっといける、もっといける!」っていう掛け算を目指しているから。
危機感というのもそうですし、まだまだ現状に満足していなくて、もっと面白いものが世の中に絶対埋まっているから、そういうものに挑戦することが必要ですよね。
― プロのクリエイターとしての危機感があるなかで、今後どのような事を実現していきたいとお考えでしょうか。
中村:最近、というかだいぶ前から、面白いものが減っているなと思うんです。たとえば、昔テレビでやっていた『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』とか好きなんですけど、今見るとびっくりするんですよね。
市場に乱入して、野菜という野菜でボコボコに殴り合って、八百屋を一軒潰したり。銭湯をお相撲さんが入りまくって、風呂のお湯を全部無くしてみたり。
何で最近はそういうのが見れないんだろうって。自主規制とかルールをつくって、社会がソフィスティケイトされるほど面白くなくなる。情報が溢れているから、一見すると飽きないように感じるかもしれないけど、実は面白いものや泣けるものに巡り会える率が下がっているんじゃないかなって思うんです。
広告なんて嫌われ者でつまんないと決めつけられてるんだから、真逆で「何でこんな恐ろしいことをしてしまったんだろう」とか「すごい面白い」とか言われたい。それは、自分の人生をより豊かにして、他人の人生も豊かにしたいっていう単純な原動力だけでやっているんですけどね。僕はそれを実現したいなぁ。
伊藤:正直言ったら、インターネットやデジタルにおいて、歴史に自分の名を刻みたいという、「伊藤直樹」種の保存欲求はありますよ、それは。
中には「自分個人の作品じゃないから、名前が刻まれるかどうかはどうでもいい」という人もいるけど、それ嘘だろうって。個人的には、そんな気持ちでホントに凄いモノが生み出せるのか?と感じるところもあって。
― ただ、「歴史に名を刻む」のはそう簡単ではないですよね。
そうですね。最近、とても表現が均質化してきている印象はありますね。デジタルにしてもクリエイティブにしても、みんなのリテラシーが相当高くなっているのかもしれません。だからこそ、「誰がつくったか」が一発でわかるようなモノを生み出す必要があって。
たとえば、首都高をつくった人はすごいですけど、誰にも褒めてもらえないじゃないですか、その人。正直、誰がつくったのか知らないし、知られていない。ただ、首都高にしても、何かひとつ個性的な機能や特徴があれば…ただの高速道路からクリエイティブなものに変わると思うんです。
たとえば、Facebook。あれって、「いいね!」ボタンの発明ですよね。「いいね!」がなければ、ありふれたSNSで終わっていただろうし、個性のない、つまり名の残らない匿名的なクリエイティブで終わっていた。そう思うと「匿名的なクリエイティブ」と「個性を持ったクリエイティブ」は微差だけど、すごく大きな違いとなる。
僕はSNSでいうところの「いいね!」ボタンを発明する側に行きたいんですよ。「いいね!」があるだけで、それが歴史的な発明となり、未だにみんなが「いいね!」をポチポチやってくれる、そんな仕事ができたら最高じゃないですか。
(おわり)
[取材・文]城戸内大介・白石勝也
編集 = 白石勝也
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