HTML5エキスパートのメンバーである斉藤氏だが、大学時代は編集者を志していた。ジャーナリズムを学ぶためにアメリカへ留学。帰国後にWEBメディアの編集という職を手にしたと思いきや、初日からフロントエンドエンジニアとして働くことに。異色のキャリアを持つ氏には、20代に遠回りをして培ったスキルがある。
「文系出身のWEB系エンジニア」と聞いても、今や珍しさはない。業界の黎明期を経て、また技術が爆速で進化したこともあり、活躍の裾野が広がったと考えることはできる。そう。文系出身で活躍するエンジニアは、確かに増えているのだ。
今回お話を聞いたのは、編集者を志望しアメリカの大学にまで学びに行った斉藤祐也氏。帰国後にWEBメディアの編集(補助)という仕事を手に入れたハズが…。本人も理解できないうちに、フロントエンドのエンジニアとして生活をしていた。
気がつけば、『HTML5エキスパートのメンバー』『html5j英語部 部長』『「HTML5とか勉強会」スピーカー』など多面的な活躍をしている。他にも、GitHub上でオープンソースのソーシャルドキュメント翻訳を行う「en.ja OSS」の主催者でもあるのだ。
現在は、リッチメディアにてUXエンジニアとして活躍する斉藤氏。ジャーナリストを志してアメリカにまで渡った彼は、なぜフロントエンドエンジニアとして今の地位を築けたのか。遠回りと思える道で手に入れたという、かけがえのないスキルとは何なのか。
[プロフィール]
斉藤祐也 Yuya Saito Twitter@cssradar
米国の大学を卒業後、インターネットメディア運営会社に編集者として入社するもウェブデザイナ兼フロントエンドディベロッパーとして従事。その後株式会社サイバーエージェントにてモバイルウェブアプリの開発をメインとした部署にて専業フロントエンドディベロッパーに転向。株式会社リッチメディアにUXエンジニアとなるべく転職し、現在にいたる。プライベートでは、個人ブログ「CSS Rader」をはじめ、技術系ブログを複数運営。オープンソースソフトウェアのソーシャルドキュメント翻訳をGitHub上で行う「en.ja OSS」を主催。HTML5エキスパートのメンバーであり、html5j英語部の部長。「HTML5とか勉強会」をはじめ、様々な勉強会にてスピーカーとして登壇。
― 斉藤さんは、技術系でも理系でもなく、ジャーナリスト志望だったと聞きましたが、何故WEB業界に飛び込んだのですか?
中高時代にバンドをやっていた経験から、音楽雑誌の編集者になりたいと思ったんですね。でも、編集の勉強ができる場所が日本にない。それならアメリカの大学で、ジャーナリズムを学ぼうと留学しました。新聞記者になるための記事を書いたり、編集したり、レイアウトデザインを学ぶ学科です。
でもいざ就職となったとき、インターネットが爆発的に拡大していて。新聞メディアは衰退し、就職先として選ぶのは厳しい状況になっていたことがあり、日本に帰ってきました。その時に目に入ったのが、インターネットメディアの運営会社。自分が就きたかった紙メディアの仕事をインターネットが滅ぼすのならば、こちらからインターネットの世界で戦ってやろうと思ったのです。しかし、「編集補助」として入社後に任された仕事は、WEBのデザインやフロントエンドの開発。1秒も編集の仕事はできませんでした(笑)。
― 未経験で、デザインやフロントエンドの仕事に就いたのですか!?
いや、それが…留学中にすごく時間を持て余したことがあり、自分の文章を発表する場を兼ねてホームページを作成していたんですね。なので、HTML、CSS、JavaScript等をいじった程度の知識と経験はありました。それが大きく捉えられてしまって(笑)、「WEB少しできますよ」と言ってしまったばかりに、部署内のWEBの仕事が全部僕のところに回ってくるようになった。これには驚きましたね。それから7年間、WEBデザイナーと、エンジニア・デベロッパーの仕事を並行してやっていました。ジャーナリスト志望だったのにおかしい、何故こうなった、と思いながら(笑)。
とはいえ、できると言った以上やるしかない二足の草鞋生活。仕事の合間にWEB技術について調べまくっていました。海外の記事や、業界の動向、時にはブラウザの仕様書まで探しては読み込んで。調べて、開発して、また調べて。20代の大半を費やしましたし、「遠回りしているなあ」と何度も思いながらやっていました。
― 30代でサイバーエージェントに転職し、エンジニアからマネジメントへとキャリアチェンジ。その仕事と並行してブログや講演という活動にも力を入れ始めましたね。
複数のブログを書いていたこともあり、講師をやって欲しいという依頼を多くいただけたんですね。そこで優秀なエンジニアと沢山知り合えて、「一緒に外部からの依頼ではなく自分たちで発信しよう」と、サイバーエージェント内で「Frontrend」という勉強会を立ち上げました。フロントエンド技術に関しては日本で最大級の規模と言える、300人の動員記録も作ったほど。そこでスピーカーとして2年間しゃべり続けた結果、「HTML5とか勉強会」、「HTML5のカンファレンス」といった大規模イベントでも講演できるようになりました。
― 20代と比べ、30代では情報を発信することが増えましたね。何か狙いがあったのでしょうか?
個人目標なのですが、英語の世界のWEBと、日本のWEBの時差を減らしたいと思うようになりました。WEBの公用語はやはり英語で、情報発信の質・量・スピード全てで日本は遅れてしまいます。技術面での差は、昔はあったでしょうけど、今ではほとんどありません。しかし英語が読めないので、海外で解決したような問題の解決に時間を使っている場合がある。逆に優秀なエンジニアなのに英語が書けないため、海外から注目されるような情報発信ができていない場合も。そんな時差を減らしたいという想いがあります。
具体的には、html5j 英語部の部長として、英語を翻訳するグループを2つ立ち上げました。オープンソースプロダクトの解説書の部分を翻訳するグループと、W3C、HTML5 RocksなどGoogleが翻訳の許可を出している情報や、文字ではないドキュメントサイトを翻訳するグループがあり、言葉の垣根を減らす活動をどんどん推進しています。
こうした活動の結果、もっと情報を取得したり発信する人が増えれば、業界で働く人たちの仕事時間を減らすことができるかもしれない。早く帰ることができるし、生産性も上がる。給料が上がるかも知れないし、浮いた時間でイノベーションが起きる可能性もある。みんなハッピーになるような活動を続けていきたいと思っています。
― 斉藤さんとまったく同じ経験を積むことは、他の人にはできないと思いますが、もし斉藤さんのようにWEB業界の最前線で走りたいと思う人がいたら、どんなアドバイスを送りますか?
僕の20代は遠回りの連続でした。しかし、その遠回りに思えたことが力になった、無駄ではなかったと、20代の後半以降感じられるようになってきた。
留学時代に身につけた英語力により、毎週チェックする記事の数は英語のものだけで200~300件に上りました。技術もわかって、英語もわかる。両方わかることは武器になると思いましたね。もう1つは、情報の取捨選択力。気がついたら、膨大な情報の中から、必要なものだけを選べるようになっていたんですよ。これは、ジャーナリズムを勉強したことが活きているんじゃないですかね。
その経験を生かして、若いエンジニアにアドバイスをするとすれば、まずは、英語を読んでみましょう、ということ。どうしてもWEBの最新情報は英語圏にあるわけで、一日一件ずつでも読んでいけば、一か月で30件の情報をインプットできる。英語が苦手という人は多いでしょうけど、そこをなんとか努力することで、充分な情報を得られるんですよ。
英語での情報収集に慣れたら、次に意識したいのは情報の取捨選択。山のような情報の中から、自分が欲しいものをフィルタリングしていくようにすると、情報の取捨選択のスピードが上がります。発信された時期や、発信者の名前、発端となる記事なのか、発端へ回答した関連記事なのかなど、情報を見て瞬時にフィルタリングできれば、「これは結果を知っている記事だから読まなくてよい」とか「これは絶対に読む」という取捨選択ができるようになりますよ。
― 斉藤さんのように留学をして、英語とジャーナリズムを勉強して…ということは難しいですが、日本で働きながらでも貴重なスキルを身につけることができそうですね。ありがとうございました。
[取材] 城戸内大介 [文] 手塚伸弥
文 = 手塚伸弥
編集 = CAREER HACK
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