2012.09.26
被災地のためにコードを書く― ハッカー集団《Hack for Japan》の挑戦。

被災地のためにコードを書く― ハッカー集団《Hack for Japan》の挑戦。

2011年3月11日、未曾有の震災が東日本を襲った。多くのボランティアが現地へと赴きガレキ処理などに奮闘していた裏で、ITの技術と発想を活かし、被災地支援を進めるエンジニアたちのコミュニティ《Hack for Japan》が生まれた。企業・組織の枠を超えて動いた、彼らの一年半に迫る。

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企業・組織の枠を超えたハッカーコミュニティ《Hack for Japan》。


今回お話を伺ったのは、中核メンバーの一人である関さん。ベンチャーの経営者であり、オープンストリートマップ・ファウンデーション・ジャパンという一般社団法人で地図を使った復興支援にも携わっているエンジニアだ。

そして個人としても、《Sinsai.info》という震災情報を整理するサイトを立ち上げている。サイトがリリースされたのは2011年3月11日の18時27分。震災から、わずか4時間後のことだ。

それと時を同じくして、《Hack for Japan》も産声をあげた。Googleのシニアエンジニアリングマネージャーである及川卓也さんを中心に「企業の枠を超えて、ハッカーたちに出来ること」を探り、エンジニアたちにメーリングリストやTwitterで呼びかけ誕生したコミュニティだ。コミュニティは当初から自分たちが常日頃行っているアイデアソンやハッカソンを行なうことにより、震災復興に役立てないかと考えていた。アイデアソンとは、サービスやアプリケーションのアイデアを参加者同士で出し合うミーティング。ハッカソンは、アイデアソンで出し合ったコンセプトをもとに、短期間で一定水準のサービスに仕上げていくプログラミング会合の場のことだ。

そして震災翌週の3連休、最初のハッカソンが京都・福岡・岡山・徳島の4会場をオンラインで結んで開催された。これが、《Hack for Japan》の記念すべき第一歩となった。

何ができるかは分からなかった。でも、ITで何かできると思った。

― 《Hack for Japan》は「復興支援」を目的としたコミュニティなのでしょうか?

今でこそ復興について考えることもありますが、立ち上がったのは震災直後。当時は復興を意識できる状況ではなかったですね。デマも含めて莫大な情報が飛び交っている中で、とりあえずやれることをやろうといった具合です。アイデアソン・ハッカソンに集まったメンバーの中には、復興までを意識して参加していたメンバーもいたとは思いますが、全員がそういうわけでありません。多くが「何ができるかわからない。でも、ITで何かできるはず」という、被災地にボランティアにいくような感覚で集まりました。正直、コンセプトが固まっていない状態でしたから、アイデアソン・ハッカソンが大きな機能を果たしたんです。各々がアイデアを持ち寄って集まり、みんなで考え、プロジェクト毎にプロトタイプをつくっていく。そういう動きを期待できるものなので。

僕が《Sinsai.info》を立ちあげ、Twitterでボランティアを募った際、知人だけでなく面識のない方々からも「力になりたい」という声をもらいました。きっと多くのエンジニアたちが、被災者や被災地のために何かやりたいが、何をすればいいのか分からない。そんな無力感も同時に感じていたんでしょう。そんな彼らの想いを実現するための、アイデアソン・ハッカソンでもあったんです。

一回目の成果としては、100を超えるアイデアが集まり、そのうちのいくつかがプロジェクトとなり進んでいきました。実際にリリースされたアプリなども多数あります。中でも、よく利用されたと聞いているのが、元々別のプロジェクトから Hack for Japan の活動に賛同する形で合流した《風@福島原発》ですね。これはその名の通り、福島原発付近の風向きと放射線量をはかるものです。他にもグーグルマップをつかって新たに開設された避難所をマッピングし、被災した人が探せるようなサービスや、Twitterに流れるデマ情報を判別するアプリなど、 多くのサービスがアイデアソン・ハッカソンで生まれました。

ITにできること・できないこと。現地に行って初めて分かった惨状。

― 実際に、関さんたちが現地に足を運んだことは?

ええ、数回足を運んでいます。最初のアイデアソン・ハッカソンのあと、まず2011年の5月に現地へと足を運びました。岩手県釜石市出身のメンバーがいたので、彼女の実家から幾つかの地域を巡ったんですが……沿岸部に近い前線のボランティアセンターでは、ガレキ処理、泥かきの人員が足りない状態。現地の方、ボランティアの方などから様々な意見を聞かせてもらいましたが、ITを使って何かできるという状況では正直ありませんでした。プリンタやPCのセットアップはできるかもしれませんが、そんなことよりもガソリン、食料のほうが必要とされている。ガレキの山の前では、正直、ITは無力でした。

ただ、後方支援の部分で役に立てると感じることもありました。内陸部の遠野市に行った時のことです。《遠野まごころネット》というNPOが後方支援基地の役割を担っていました。ここに泊って、次の日の朝に釜石市などにボランティアに行って帰ってくるような場所です。「まだまだボランティアの数が足りない」「寄付や物資を集めたいがホームページをうまく活用できない」、そんなニーズが拾えて、それが次のアイデアソン・ハッカソンのヒントにもなりましたね。

そして7月に遠野市でアイデアソン・ハッカソンを開きました。地元のボランティアセンターを会場にハッカソンを開催できたため、ボランティア作業経験者や、被災地の支援活動を行っている方などにも参加していただき、ニーズを直に聞き取ることができました。少しずつインフラが整ってきた中で、初めてITの力が必要になる。ある程度、経済的に自立の芽が出てきている地域をITでいかにフォローできるかということを話し合い、《Hack for Japan》の次の新しい試みがスタートしました。

元に戻すのではなく、新しい東北を、地域の人々と一緒につくる。

― 《Hack for Japan》だけでなく、他の企業や団体でも被災地の支援を行なっていますよね。何か協力してプロジェクトを行なったことは?

昨年の7月に、《Hack for Japan》の立上げメンバーであるGoogleの及川さんと《ISHINOMAKI 2.0》、そして《Yahoo!JAPAN》がタッグを組み、現地の高校生と一緒になってAndroidアプリをつくるというハッカソンやブートキャンプを開きました。《ISHINOMAKI 2.0》とは、石巻を震災前の状況に戻すのではなく、新しいまちへとバージョンアップさせるために生まれた専門家集団です。地元の若い商店主やNPO職員、建築家、まちづくり研究者など様々なメンバーで構成されています。

ブートキャンプは石巻工業高校を会場にして行ないました。このブートキャンプでは、学生たち自身で実際にアプリを作ってもらい、発表してもらいました。三日間という短い期間ですから、世の中を賑わせるような話題のアプリをつくれるわけではありません。ただ、未来のエンジニアが及川さんのような豊富な開発経験を持つエンジニアの指導を受け、開発を行ったことは今後の彼らのキャリアに対しても良い経験になったことでしょう。今後も、《ISHINOMAKI 2.0》と協力して現地の高校生達をサポートし、蒔いた種がいつか大きな芽になればと期待しています。

また《Hack for Japan》と、私が所属している《オープンストリートマップ・ファウンデーション・ジャパン》共同で、「復興マッピングパーティ」というものを開催しました。オープンストリートマップというのは、商用のベンダーがつくる地図ではなく、CGM型のマッピングサービスです。GPSロガーで記録したデータなどをサーバにエントリーし、ユーザー自身で地図をつくるというもの。これには即座にデータが反映されていくという特徴があります。復興が進み仮設店舗ができても、他社の地図アプリケーションには即座に反映されず、認知してもらえない。手書きで広報するのも大変です。そこで、自分たちで現地の情報を編集・公開できるように、地元の人たち向けのワークショップを開催しました。いわゆるクラウドソーシングですが、ITの力だけでなく、現地の方々の力を借りないとできないもの。エンドユーザーである彼らの声を聞くことも必要ですが、これからは彼らを巻き込んで、一緒にサービスをつくっていくことが求められていると感じます。

ITの最大の武器である“オープンさ”を活かした、新しい支援活動へ。

─ この1年半、ITを軸に支援活動を展開してきた関さんだからこそ思う、復興のためにITが出来ること、そしてその可能性についてお聞かせください。

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日本は今、少子化問題を抱えていたり、多くの地域が過疎問題や経済的な悩みを抱えています。東北の幾つかの地域も、そんな課題と向き合っていたと思います。そんな中、あの震災が起こり、その問題がより加速しました。東北の主力産業は農業・水産業といった一次産業でしたが、復興を目指す今だからこそ以前の姿に戻すのではなく、東北という地域だけで経済がまわるような仕組みを、新たな成長産業をつくることが必要になってくると思います。そういう点で、《Yahoo!JAPAN》が石巻に復興ベースを立ち上げたことはすごく大きいですね。新しい産業の一つとして、ITが果たしていく役割は大きいと思います。

そしてもう一つ。私自身、今回の出来事を通じて“オープンソース”というカルチャーがもつ“チカラ”を改めて感じることができました。もともと私はオープンソースソフトウェアの開発プロジェクトに携わっていて、その素晴らしさについてはよく分かっていたつもりでした。ですが、今回の震災後のアクションからは今までにないものを感じた。何というか、オープンソース的な考え方がソースコードを書くという枠を超えて、より広い“社会的に意義のあることをする”という目的においても応用できるんだと強く実感できたんです。

オープンソースの開発って、通常の一社の中で完結するソフトウェア開発とは全く違ったものじゃないですか。特に営利目的ではなく、高いモチベーションを持ったエンジニアが純粋に“より良いものを作る”という目的で動くわけで。震災が起きた直後から組織や場所の制約を越えた《Hack for Japan》や《Sinsai.info》のようなプロジェクトが生まれたのも、オープンソースというカルチャーがITのエンジニアの中にそもそも根づいていたからだと言えるような気がします。実際、《Sinsai.info》に集まってきた有志の多くがオープンソースのプロジェクトに関わったことのあるエンジニアばかりでしたから。

“オープンである”ということには、とてつもなく強力なチカラが秘められていると思いますし、オープンなカルチャーが深く根づいていることこそがITの本質的な強みだとも言えると思います。今後も、その強みを活かしたアクションを続けていきたいですね。


編集 = 松尾彰大


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