Zooomr、t.freeの開発者として知られるクリストファー・テイト氏(帝都久利寿)へのインタビュー第1弾。彼のキャリアを振り返ってもらいながら、「ハッカー」としての考え方に迫ります。
2012年の夏、話題をさらった「t.free」というサービスをご記憶だろうか。
iPhoneを利用しMacOS X端末をインターネットに接続できる、いまでは当たり前となったテザリングサービスだ。1ヶ月という期間限定のサービスながら、日本のネットユーザーに大きな反響を与えた。
そのt.freeを開発したのが今回お話を伺ったコネクトフリー株式会社の創業者・クリストファー・テイト氏(帝都久利寿)。
1988年生まれの彼は、5歳にはプログラミングをはじめ10代で起業。シリコンバレーで注目を集めるサービスを次々と発表した後、ヒョンな理由で来日してからは日本・京都を拠点に活動するハッカーだ。
世界レベルの天才ハッカーはなぜ来日し、革新的なサービスを生み出し続けるのか?インタビュー前編では彼のプログラマとしてのキャリアにフォーカスを当てる。
― よろしくお願いします。まずはテイトさんのプログラマ・ハッカーとしてのキャリアにフォーカスを当てさせてください。
こちらこそよろしくお願いします。
私がコンピュータと出会ったのが3歳の時。ある日、父が「すごいやつが家に届いたぞ!」と見せてくれたのがMacintoshとの出会いです。もう起動音の「ジャーーン!」ってやつを聞いてから興味津々でした。
シアトル近郊の田舎に住んでいたので遊ぶ場所も少なく、ずっとPCに没頭していたんです。HTML、C言語を学んだり、ツテで手に入れたワシントン大学のUNIXリモートアカウントを使って、大学教授とコミュニケーションをとったりしていました。
リアルではなく、コンピュータを通じて誰かとつながる、会話するという経験は今の自分につながるとても大きな経験でした。
それから8歳でLinuxに触れたんですよ。Windowsは高くて買えなかったけど、Linuxなら買ってもらえるんじゃないかと。友だちは「おもちゃ買って~」って言ってるのに、僕は「Linux買って~」って駄々をこねたりしてね(笑)。しかも幸いなことに隣人がUNIXのシステムエンジニアで、インストール方法なんかを手取り足取り教えてもらったんです。
― すごい少年ですね(笑)。そして高校は飛び級したと伺っています。
高校にあがる頃には、既にとある技術を開発して、父の友人の会社に売却するという経験もしていたんです。たいした額じゃないけど、当時の自分にとってはある程度大きな金額でした。だから高校で勉強する意味とかあまり見いだせなかったんです。学校にチタニウムPowerBook G4を持参するスゴくゴーイングマイウェイな少年でした。
飛び級のテストに合格してから、2-3ヶ月パワーブックにも一切触らず寝てばっかりの生活をしてたんです。燃え尽き症候群なのかデイドリームばかり見て。けど、ある日スゴくきれいな日の出を見てから一念発起して、シリコンバレーまで家出したんですよ(笑)
それから一度帰って、友だちとシリコンバレーに家を借りて好きなサービスを開発しはじめました。実は、最初は自分でサービスを作ったり、起業しようなんて思ってなかったんです。ヤフーやGoogle、MSの試験をパスして最終まで行ったんだけど、「未成年じゃないか!」って入社できなくって(笑)。
― 当時、テイトさんが17歳の時に開発された写真共有サービス「Zooomr」は大きな反響を呼びましたね。
写真自体がユニバーサルなものなのに、なぜ共有サイトは言語の縛りを抱えているんだろうと思ったんです。そこで、複数言語に対応した写真共有サービスZooomrを開発しました。もともと写真が大好きだったし、写真を通じて人と人をコネクトしてみたかったんですよね。単に多言語対応するだけじゃなく、ジオタグやいま数多くのサービスで使われているヒューマンタグのアイデアをいち早くサービスに実装しました。
Zooomrがシリコンバレーを中心に拡大している頃に出会ったのがマイケル・アーリントン(TechCrunch創始者)。彼が取りあげてくれたことで、投資家からも良い話が舞い込みはじめたんです。
そして、いろんなタイミングが重なって、日本にやってきて。それが18歳の時。実はそれから一度もアメリカ本国には帰ってません。来日歴は8年になりますね。
― 来日に不安などなかったんですか?
片道の航空券だけ取って「もういっちゃえ!」って感じで(笑)。空港にはZooomrのユーザーが迎えに来てくれたのは嬉しかったですね。それからまずは日本語の勉強をスタートさせて。
― そして、いくつかのウェブサービスを立ち上げた後、2012年にt.freeを期間限定でリリースされました。まさに「ハック」したとも呼べるサービスで話題を集めましたが、アイデアはどこから来たんですか?
ある日、京都駅近くのカフェでMacを開いた時、モバイルルーターを忘れてインターネットに接続できなかったんです。その時「あー、ネットつながらないわ」って思うだけじゃなくて、なにかつなげる方法ないかって考えてみたら一瞬でアイデアが浮かんだんです。「iPhoneとMac OS X、Safariのウェブソケットを使えばなんとかなるかもしれない」って。
突飛なアイデアなんだけど、理論上はいけるって。その日のうちにプロトタイピングしてみるとSkypeでコールできたんですよ。その時はもうスゴく興奮したのを覚えています。それからプロダクトを完成させるのに1ヶ月、関係する省庁とかにリリースの確認を取るのに1ヶ月かけて、予定通り期間限定でリリースしました。
― t.freeの開発の背景にはやっぱり、テイトさんが日頃から持たれている「ハックの精神」みたいなものがあると思うんです。
そうですね。まずはゼロベースに思考してチャレンジすることが第一なんじゃないかと思います。「できるはず?できないわけないよね…?やってみればできるよ」って。僕はいつもそんな感じです。
HACKってスゴく面白くて、チャレンジやプロトタイプがあってはじめて正式な製品になるじゃないですか。だから全てはHACKから生まれるんです。だから開発者は「HACK FIRST」ってずっと意識してもいいんじゃないかと思います。「もしも」「もしかして」っていうところから全ては始まる。
いま僕たちもIoTの領域で新しいチャレンジをしている最中なんです。いつまでもHACKし続けたいですね。
▼インタビュー後編はこちら
コネクトフリーが指摘するIoTの本質。「モノが自律して会話する」未来とは?
[取材・文] 松尾彰大
編集 = 松尾彰大
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