WEB・IT業界を縦横無尽に駆け巡るカッチャマンこと、勝屋久氏へのインタビュー。2010年に25年務めたIBMを退職し、スタートアップの相談役・大学教授・アーティストという様々な顔を持つ勝屋氏。プロフェッショナル・コネクターの肩書で新しい職種、働き方を実践する彼は、どんなキャリアと転機を経ていまの生き方に辿り着いたのか。
【 PROFILE 】
プロフェッショナル・コネクター/ペインティング・アーティスト
勝屋 久 Hisashi Katsuya
上智大学工学部数学科卒。1985年に日本IBM入社後、ベンチャー企業の営業隊長、IBM Venture Capital Group パートナー 日本代表などを歴任。IPA 未踏IT人材発掘・育成事業PMなどを経て、2010年に独立。『つながりで人がもっと輝く』をコンセプトにプロフェッショナル・コネクターとして活動を開始。2013年からは本格的にアーティストとしての活動もスタート。
― まずは勝屋さんのキャリアについて伺わせてください。人生の転機となったのはどんなことだったのでしょうか。
大きな転機は3回ほどでしょうか。まず1つ目はベンチャーとの出会いですね。とてもいい意味で僕の人生をおかしな方向へと変えてくれました。
キャリアのスタートとなったIBMでは泥臭い営業からスタートしたのですが、その後マーケティングの仕事を経て、1999年にネットベンチャーをクライアントとしたチームを率いることになったんです。いまでは上場してグローバルに展開している企業たちが生まれたばかりで、とてもエキサイティングな仕事でした。
それが発展してIBM Venture Capitalの日本代表にも就きました。当時(2000年)はバブルもはじけてCVC(コーポレートベンチャーキャピタル)に力をいれる企業はほとんどありませんでしたから、そのはしりですね。ベンチャー企業とIBMのビジネスアライアンスやマーケット調査などを担当し、これまでに8,000人くらいの経営者や数百名の投資家の方がたとコミュニケーションをとってきました。
2つ目は祐子さん(奥さん)との出会いですね。彼女は僕のメンターでもあり、仕事も生活も支えてくれるパートナー。なんでもお金の価値なんかで判断する嫌らしい人間だった僕に、出会った時から「世の中には目には見えない大事なものがある」ということをずっと伝え続けてくれたんです。彼女なくしていまの僕は絶対にないですね。
最後はやっぱりリストラですね。「1週間後に辞めてくれ」と、48歳の時にクビになって(苦笑)。あまりにも衝撃的なことが起こって、明日食べていけないような状態になるとホントに「絶望」するんです。当時は死刑宣告された気分でした。
でもその結果、人生で初めて自分と向き合うことができた。何ができるかではなく、何をしたいのか、自分と自分の周りの人がどうなれば喜びを感じるのか。そんなことを考え、試行錯誤を続けた結果、いまのプロフェッショナル・コネクター、ペインティング・アーティストという仕事、生き方を見つけられたんです。
― リストラ後になぜプロフェッショナル・コネクターという新しい職業にチャレンジしようと?
ありがたいことにお誘いもいくつか頂いたのですが、コンサルタントは違うな、人材紹介もちょっと…と悩んでいたところ、「勝屋さんは人と人をつなげるのは得意なんだから、プロフェッショナル・コネクターっていう名前で職業作ってみるのがいいんじゃないの?きっとそんな職業、日本にはないよ」と友人の佐藤さん(株式会社セプテーニ・ホールディングス 代表取締役社長 佐藤光紀氏)からお言葉をいただいて。面白いかも…、そう思ってはじめたんです。
それから税務署にも「プロフェッショナル・コネクター」という職種で届け出たら通っちゃって。でも、自分の中では悶々とし続けるんです。本当にない職業だったので、1年ぐらいかかってようやく自分がやりたいことっていうのが言語化できた。それがこの絵なんですけど、僕は「つながりで人が輝くお手伝いをします」と自分自身のミッション・ステートメントを定めたんです。
振り返ってみるとたしかに、僕がハブになって人と人をつなげると喜んでもらえることが多かったんですね。それが何故か紐解いてみると、その人が本当にやりたいこと、魂が喜ぶようなやりたいことに出会った時にパンと光が放たれる瞬間があることに気づいて。対象は人でも自然でもモノでもなんでもいいと思っています。もちろん自分にメリットがあるものじゃなくてもいい。むしろそっちほうがずっと少ないですね。
― 自分のやりたいこと、役割がほんとに腹落ちできたと。
そうです。そうして、「つなげる」「つたえる」「つくる」を軸に活動を始めると、どんどん仕事が来るようになって活動の幅も広がってきたんですね。具体的には「つくる」ではスタートアップの応援団や顧問を、「つなげる」ではKATSUYA SALONというコミュニティづくりや仲間の渦を生み出す活動、「つたえる」ではブログや大学での講義やアーティスト活動などです。
― 勝屋さんはなんだかすごく自由だなと感じます。なににも囚われず、生き方をプロフェッショナル・コネクターという職業にしているというか。
生き方を職業にしている感覚はすごくあります。まだまだいろんなことに囚われまくりですが(笑)。
先程も触れましたが、僕が20代の頃って「出世」とか「お金」でしか価値判断できない人間だったんです。つまり、社会のヒエラルキーの中でしか自分自身を測ることができなくて。
でも、いろんな転機を経ていまの仕事を始めてからは、「カッチャマン」という自分を完成させるプロセスを味わい楽しもうと考えるようになったんです。子どもの頃から絵を描くのが好きだったのに、色弱だからと諦めていたアーティストの道も、誰かと比べるものじゃないから50歳を超えてからチャレンジできた。個展をすると、ありがたいことにほとんどの作品がお客様の元へわたるのです!人生、考え方を変えるだけですべてが変わるんです。
― 社会のいろんなヒエラルキーから逃れて、なりたい自分になることを目標に置き換えた。
自分ヒエラルキーですね(笑)。競争相手もいないから、目の前のものをちゃんとしっかりやるしかなくなる。
― 若い時に社会のヒエラルキーから逃れられていれば、なんて考えることはありますか?
それはありません。どんな社会、考え方を持った生き方でも必ず学びがあるので。僕がこうした活動ができるのも、若い時に社会にもまれがむしゃらに働いていろんな出会い、経験を経たからなのは間違いありません。
一番大事なのはやっぱり、自分が何に感動するのか、自分の魂は何を喜びと感じるのかをきちんと知ること。みんな自分を自身の創業者だと思ってみるのも、キャリアをハックするきっかけになるかもしれませんね。
― 「生き方を職業にする」という考え方にとても共感しました。刺激的なお話、ありがとうございました!
文 = 松尾彰大
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