2012.11.08
デザインは“世界観”を築くためにある ― WOW 鹿野護のUI・デザイン論。[1]

デザインは“世界観”を築くためにある ― WOW 鹿野護のUI・デザイン論。[1]

理想的なUIとは何か? WEB業界でも常に議論の的となるこの問いを、世界にその名を知られるクリエイター集団 WOW を率いる鹿野護氏にぶつけてみた。UIとは“境界”であると定義する鹿野氏。UIの良し悪しは、そこに“世界観があるか”で決まるという。

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ビジュアルデザインの新たな地平を切り拓く、トップクリエイター。


東京・仙台を活動の拠点として、ロンドン・フィレンツェなど国際的にも活動の場を広げている、ビジュアルデザインのトップクリエイター集団「WOW」。

その取締役兼チーフビジュアルアートディレクターを務める鹿野護氏に、このところWEB業界のキーワードとしても注目を集め続けている「UIとは何なのか?」を伺おうと、スタートした今回のインタビュー。

しかし話題は、細胞膜、認知科学、さらに禅の思想など幅広い領域を横断しながら、最終的には「今後のビジュアルデザイン」に関するヒントを示唆するような内容となった。長時間にわたったインタビューのごく一部分を、インタビュー記事を通じて、お伝えしていく。

「細胞膜」の役割にみる、インターフェースの意義。

― WEBの世界でも、長くキーワードとなっている「UI」。まず、鹿野さんが考えるUIの定義を、ぜひ教えていただきたいです。


テーマが大きいですね(笑)。「UIとは何か?」というのは、「アートとは何か?」「デザインとは何か?」といった概念的な問いに近いものだと思います。私自身、もとは映像を創る人間で、WEBにおいて「UIはこういうものだ」という確固たる定義のもと開発を進めている方とは、ちょっと“違う視点”からUIを考えているところがあります。ですから、UIを固定的に定義するのは、なかなか難しいと考えています。


― なるほど。それでは、鹿野さんの視点からみる「UI」とは、いったい“どのようなもの”として捉えられているのでしょう。


異なる文化やシステムが交わる「境界(interface)」の“面”であり“場”であると、広く捉えています。ユーザーが利用するUIに限らず、たとえば細胞を取り囲んでいる「細胞膜」も“境界のひとつ”だと言えるでしょう。何を取り入れ、何を外にだすのか、非常に繊細かつ緻密に“入出力をコントロール”している。それが60兆個集まると人間になるのですが、その“入出力の境界の組合せ”により、ヒトのような複雑なものが形作られる事実に強い興味を持っています。

光の陰影ひとつで、人の動きは規定される。

― なるほど、細胞膜ですか…。そういった俯瞰した視点から“UIが語られること”は、私が知る限りではなかったので、非常に興味深いです。これまでずっと、そのような視点からUIを捉えてこられたのでしょうか?


突然、「細胞膜が…」と言い出すと、皆さん混乱してしまいますよね、すみません。そんなふうに考えるようになったきっかけは、ある機会があって「空間のなかに映像を展示する」というプロジェクトに関わってからでしょうか。天井から床へと映像を投影し、そこに一脚のイスを置き、人に入ってきてもらうインスタレーションを行なったんです。その経験を通じて、映像が「人の行動を規定する」具体的なマテリアルになっていることに気がついたんですね。矢印やボタンがなくても、たとえば光の陰影や緩やかな光の流れだけで、人の行動が驚くほど規定されるんです。こうした映像的な視点にもとづいてインターフェースをデザインしたいと考えるようになってから、自分の中でのデザインの目標が、「表現する」という地点から「体験させる」ものへと大きく変化していった気がしますね。


― 光の陰影だけで人の行動が規定される。とても興味深いエピソードですね。


そうですね。現在ではこうしたインスタレーション作品のデザインも、インターフェイスデザインの領域に含まれていると考えるようになりました。「見てもらう」から「体験してもらう」、そして「感じてもらう」。そうした経験全体のデザインが重要だと思います。そしてその経験を確固たるものにするのが「世界観」であり、その世界観をくるむ膜のようなものをデザインするのが、我々にとってのユーザーインターフェイスデザインとなります。そのサービスだったりプロダクトが「どういった世界観を持っているのか」というコンセプトから、“膜のようなもの”をつくっていくイメージでしょうか。

製品やその背後にあるサービスに「どんな世界観をもたせるか」という大きな目標を掲げながら、並行して具体的なGUIの設計に取り組みます。人の生活に寄り添い、人生を支えていくような「境界」をデザインするためには、まずは美しく、心地良い雰囲気をもち、人を魅了する「世界観」を構築することが大きなルールというか、法則なんじゃないかと考えています。

すべては、“世界観”を構築するために。

― 具体的なデザインの前に、まずは“世界観”がある。そうすると「世界観を持っている」という要素が、良いUIとそのほかを分ける、大きなポイントになる?


ええ、そう思います。UIがビジュアル的に、あるいは操作感的に優れていることももちろん重要にはなるのですが、そこから生まれる体験だったり、その奥にある世界観こそが人を魅了するんです。


― 実際のアウトプットとしても、“世界観”は表れてくるものなのでしょうか?



クリエイターの意識の問題もありますが、やはり世界観という軸を維持したまま、最後のGUIまで落とし込んでいけると良いでしょうね。我々はビジュアルデザインを行なう会社なので表現力を求められる仕事も多いのですが、単に「表面だけを化粧しました」的なものとは一線を画したデザインをしたいという理想を掲げています。極端な例ですが、GUIが「壁紙」的な要素だとして、UXは「建物の構造」であり、その建物から導きだされる「経験」そのものだと思います。そしてUIはそれら全体を包含する世界のようなもの。

もちろん、素敵な壁紙で「カワイイ!」といった点も重要ですが、アピアランスだけだと、即時的な魅力になりがちです。やはり構造や仕組みが重要ですし、さらにはその奥にある、世界の法則のような軸が必要だと思います。


― たしかに、ある種の美学というか、“一貫した世界観”を持ったサービスやアプリは、普段からよく利用している気がしますね。


カフェやお店なんかでも、そうですよね。「この店、すごく自分に合ってるな。居心地が良いな」という感覚って、おいてあるコップのセンスが良い、というだけの要因だけで生まれるものではないですよね。テーブルも良くて、店員さんも良くて、他のお客さんも雰囲気が良くて。いわば“膨大な非言語情報の集合体”としての印象が居心地の良さを形づくっているわけで、それをいかに創りだせるかが、世界観をデザインする上での大きなポイントになる。

たとえば、良いレストランなんだけどお醤油差しだけ家で普通に使うものが置いてあったりすると、興醒めしてしまいますよね。細部のこだわりや全体の調和といった視点も交えながら、最終的に一つの“世界観”を体感させることが、私たちクリエイターの役割なのだろうと思っています。



(つづく)
“記憶に残るデザイン”の作り方 ― WOW 鹿野護のUI・デザイン論。[2]はこちら


編集 = CAREER HACK


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