2017.08.08
「私のすべてを漫画に捧ぐ」漫画家 トミムラコタが人生を描き続ける理由

「私のすべてを漫画に捧ぐ」漫画家 トミムラコタが人生を描き続ける理由

Twitterでのある投稿をキッカケに漫画家としてデビューしたトミムラコタさん。元々フリーのデザイナー/イラストレーターだった彼女はいかにしてチャンスを掴んだのでしょうか。「人生で起きたことは全部さらけ出したい」と話す彼女の覚悟に迫ります。

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Twitterで掴んだ、漫画家という夢

SNSの発達により、誰しもが発信者になれる時代が到来しました。SNSをキッカケに、新たな人生を歩む人も少なくありません。

しかし、誰しもに平等にチャンスが訪れるものの、結果を残していけるのはひと握り。「何かを変えたい」と思い切って発信をしても、その想いが届かないこともあります。

「人生で起きたことは全部さらけ出して、笑いに変えていきたい」。

こう話すのは、元々フリーのデザイナー/イラストレーターでしたが、Twitterでの投稿をキッカケに漫画家として活躍するチャンスをつかんだトミムラコタさん。

トミムラさんの過去を紐解くと、幼少期は経済面で苦労したり、実力不足を痛感して絵を描くことができなくなったり、リストラに遭ったり、離婚やパニック障害を経験したり…と、決して順風満帆な人生とは言えませんでした。

しかし、たった1回のTweetをキッカケに、当時1000人前後だったフォロワーは一気に1万人にまで増加。そのまま書籍化の話が舞い込み、漫画家としてデビューするチャンスを掴んだのです。

トミムラコタさん"

『実録!父さん伝説』のネーム。


そして、父親をはじめとする家族のおもしろエピソードを余すことなく描いた『実録!父さん伝説』を2016年11月に発売。2017年7月には、自身のセクシャリティの視点から描いた『ぼくたちLGBT』が発売されました。

着実に人気漫画家への道を歩み始めているトミムラさん。しかし、なぜ彼女は不遇と思われかねない自身の人生や一般的に共感されづらいアイデンティティをさらけ出すことにしたのでしょうか。そこに葛藤はなかったのか。

彼女の運命との向き合い方、そしてチャンスの掴み方に迫ってみたいと思います。


<Profile>
トミムラコタ

1990年生まれ。沖縄県出身。都立工芸高等学校卒業後、デザイン事務所へ就職。グラフィックデザイン、Webデザインといった業務を経験した後、フリーランスのデザイナー/イラストレーターに。現在は主にエッセイ漫画家として活躍している。一児の母。 Webサイト→http://tomimuracota.com/

20代前半で、リストラ、結婚、出産を経験。そして…

― 単刀直入にお聞きしたいんですけど、お父さんがゲイビデオに出演したエピソードをTwitterで発信することに抵抗はなかったんですか?


ありませんでした。人って他人のことにそんなに興味がないんですよ。あと個人的には、会社も辞めて、離婚もしたタイミングだったので、いろいろ吹っ切れたのかもしれません。

それまでは、結婚・出産を機に、フリーランスのデザイナー/イラストレーターとして働いていました。でも、そのあとパニック障害になり、家から外出できなくなってしまった。1年くらいかけてどうにか快復したけど、今度は離婚。

子どもを養っていくためにも、私がきちんと稼がなければならなくなってしまったんです。「どうにかしなきゃ」という状況で真っ先に目に止まったのがTwitterでした。

インターネットでの発信を通じて、仕事を得るイラストレーターや漫画家が出始めた頃だったんですね。ただ、彼らのTwitterを見ると、フォロワー数が数千~万単位なんですよね。当時の私のフォロワー数は1000未満。ものすごくうらやましくて、どうにかして現状を打破したかった。一気にフォロワー数を増やすために何か一発当てる必要があったわけです。

トミムラコタさん"


そんなとき、以前一緒に仕事していたWeb編集者の方が声をかけてくれたんです。「お父さんのエピソードは絶対にバズるから、Twitterに投稿したほうがいいよ」と。

結果、あっという間に拡散していって、フォロワー数も10倍に。Tweetの2週間後には書籍化の話が飛び込んできました。

だから、10代の頃からいろんな人にお父さんのエピソードを面白おかしく話していたのが良かったんですよね。自分にとっては家族の日常に過ぎないんですけど、他人が聞いたら笑いになるということに気づきました。

「絵を描き続ける」という運命

― トミムラさんの原点ってどこにあるんですか?


子どもの頃から絵を描くことが好きで、夢は漫画家だったんです。

中学3年生までは本気で目指していたんですけど、世の中のレベルと自分の力量の差を感じるようになっていて。たとえば少年ジャンプの漫画賞でも、エントリーするためには読み切り32ページを描かなきゃいけないわけです。どうがんばっても、当時の私には描き切ることができなかった。

その後、都立で唯一のデザイン系の高校に進学したんですけど、中学で一番絵がうまかった人が集まっているような学校だったので、自信喪失して。漫画やイラストの類は一切描けなくなってしまいました。

再び絵筆をとったキッカケは、高校3年生のときの卒業制作です。久しぶりにイラストを描いたんですけど、先生や同級生に褒めてもらえたのがすごく嬉しくて。忘れかけてた気持ちや自信が蘇って「イラストレーターになりたい」という想いが強くなっていきました。

先生に進路相談したら「卒業していきなりイラストレーター一本で食べていくのは難しいから、まずはグラフィックデザイナーになって、空いたスペースにイラストを描いたりしながら仕事の幅を広げていけば?」って。それでデザイン事務所に就職したんです。

― 一見遠回りですが「絵を描いて生きていく」ための選択だった、と。


ところが、全然遠回りじゃなかったんですよ。

というのも、私が入社して1年を過ぎた頃から事務所の経営が傾いてしまって…。会社には行くけど仕事がないという状況に陥ってしまったんです。

毎日出社する私を見た社長が申し訳なく思ったのか「就業時間中に好きな絵を描いていいよ」と言ってくれて。半年間は、出勤してパソコンの前でひたすらに絵を描いて、イラストをTwitterにあげたり、自分のWebサイトをつくったり…という日々を送っていました。

今思い返すと私にとってはその半年間がめちゃめちゃ大切だったんですよね。海外のイラストレーターの作品をマネして描いたり、デザインの本を熟読したり。そんな生活を毎日8時間×半年間も続けていれば、やはり上達するんですよ。事務所が安定経営を続けていたら、今のトミムラコタはいなかったかもしれません。だから、逆に運が良かったのかも(笑)。

「悲劇でもBGMをつければ喜劇になる」

― デザイン事務所を辞めて、Webデザイナー、フリーのデザイナー/イラストレーターを経て漫画家になるわけですが、一度は諦めた仕事を始めることに不安はなかったんですか?


それがなかったんです。おそらく、身の回りに起きたエピソードを描くエッセイ漫画と、ゼロから創作するオリジナルストーリーの漫画ってつくり方が違うんですよね。

私は家族が仲良くて「あのときおもしろかったね」みたいな笑い話はよくしていたので、ネタには困らなかった。むしろ自分はエッセイ漫画に向いている…というかエッセイ漫画しかないんじゃないか、と。

だから「自分の人生で起きたことは全部さらけ出しちゃえ」という考えに変わっていったんです。自分に関するエピソードに関してはむしろ描いていきたいくらいの気持ちなんですよね。好きな海外ドラマに『ブログ犬 スタン』という作品があるんですけど、そのなかの「悲劇でもBGMをつければ喜劇になる」というセリフが大好きで。

別に同情してほしいわけじゃなくて「こんな人もいるんだ(笑)」くらいに気軽に受け止めてもらうことが私にとっては最高に嬉しいことなんです。

トミムラコタさん"

『The Hours and Times』


― 最近ではLGBTをテーマに描いた作品も発表しています。どういう想いで描いているのでしょうか?


私を含めたLGBTの人たちのリアルな日常を伝えたいと思ったからです。

私自身どちらかというとストレートよりのバイセクシュアルで、人生のなかで付き合った人も男性のほうが多い。でも、その話を発信すると、LGBTコミュニティーの人たちから叩かれてしまうことがあるんです。「変わり者アピールのためにバイセクシュアルって言いたいだけでしょ?」「どうせ最終的には男のところへ行くんでしょ?」って。

私のように肩身が狭い想いをしているセクシャリティーの人って少なくないんですよ。だから、私が漫画を描くことでそういう人たちが少しでも暮らしやすくなればいいな、と。

― 反響はどうですか?


私にカミングアウトしてくれる人が増えましたね。「ゲイでもレズビアンでもないけど、同性と付き合ったことがあるよ」とか、「中途半端なセクシャリティなので”自分って何?”と思っていたんですけど、気持ちがラクになりました」とか。

これからも読者が不快な想いをしないよう表現に気をつけて描き続けたいと考えています。

トミムラコタ、そしてお父さんのその後

― これからトミムラさんはどこへ向かうのでしょうか?エッセイ漫画を描くとなると、いつかネタが枯渇してしまうのではないか、と。


「こういう星の下に生まれたのかな」というくらいにいろんなことが起きた人生だったので、ネタが枯渇する前に勝手に何か起きるんじゃないか、と楽観視しています(笑)。日常をコマ割りするだけでもおもしろくなるんですよ。

オリジナルの漫画を描きたいという気持ちもありつつ、この先もエッセイ漫画を描き続けるんだろうなと思っています。

― 日常といえば幼少期に経済面で苦労したり、リストラを経験したり、セクシャルマイノリティーだったり…というご自身の境遇を恨んだことはないですか?


全くないですね。大体の出来事は「仕方ない」で片づけられますし、ギャグ漫画として昇華できますから(笑)。

私の場合、これから父をはじめとする家族がどうなるかわからないし、娘もいますし、私も再婚するかもしれない。だから、ネタがなくなってしまうという不安もありませんしね。

― トミムラさんにとって漫画ってどういうものなんですか?


ひと言で言うと、大好きなことですね。たとえば自分の表現したいことを映画にするとなると、脚本、構成、美術、キャスティング…と大勢のスタッフが必要なわけですが、漫画なら紙とペンがあれば事足りる。こんな表現方法って他にはないんじゃないかな。

トミムラコタさん"

『Movie Illust』


― 最後にお聞きしたいんですけど、お父さんはご自身のエピソードが漫画化されたことを知ったときにどんな反応だったんですか?


友達の家で遊んでいるときに急に電話がかかってきて「お前、描いただろ?」と。私はとっさに「お兄ちゃんに描けって言われた」と答えて、兄は「妹が勝手にやった」と責任をなすりつけ合ったんですけど、結局うまく丸め込まれてくれて。そうしたら、「そういえば、こんな話もあるぞ(笑)」って自らネタ提供してくれるようになりました(笑)。

最終的には『実録!父さん伝説』の出版イベントにゲスト出演してくれましたよ。最初は「恥ずかしいから、顔は見せない」とサングラスをかけていたんですが、イベントが進行するにつれてお酒も入って上機嫌になっちゃって。結局サングラスを外して、お客さんのテーブルに乱入したり、得意の下ネタを炸裂させたりしていました。

もうね…なんというか…これからもますます楽しみですよ……(笑)。

― 素敵すぎる親子関係ですね。いずれにせよ、勇気を出して発信した一回のTweetをきっかけに、一度諦めた子どもの頃の夢をつかんだというのは本当にすごいと思います。これからもトミムラさんの漫画を楽しみにしています。今日はありがとうございました。



文 = 田中嘉人


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