24歳でベルリンに旅立ち、スタートアップ修行へ。帰国後、北國悠人さんが見つけた居場所は食のスタートアップ『TastyTable』。彼はベルリンで何を見てきたのか。なぜ日本で戦う道を選んだのか。「25歳までの失敗は全てプラス」と語る表情は晴れやか。彼の冒険のストーリーを辿ってみたい。
25歳までに、どれだけ攻めることができるか。尖れるか。ひとつの決断が、その後の人生を大きく左右するのかもしれない。
北國悠人さん(26)が歩んできた道は、異端だったといっていい。賛否はもちろんあるし、褒められたものではないのかもしれないが、新卒で入社した会社をわずか1年で退職。彼が目指したのは、ベルリンの地だった。
「ヨーロッパのスタートアップカルチャーを肌で感じたかったんです。世界を獲る。そんな勝負を海外で仕掛けていくつもりでした」
当時、24歳での決断。高校時代に「いつか起業しよう」を誓った友人との挑戦だった。調査をかねた4ヶ月間の滞在。プログラミング学習アプリ『Pocket Programinng』を開発し、リリース直後より右肩上がりのダウンロード数に胸を熱くした。
100カ国以上の人々がアプリをつかってくれた。ただ、彼らの野望はもっと遥か先にあった。
「日銭を稼げるアプリが作れても物足りない。ぼくらは世界をより良くしていける、そんなサービスを生み出したかったんです」
そしていよいよ海外での起業を本格的に…という時、彼の心境には大きな変化が訪れていた。誰とやっていくか。なにをやっていくか。葛藤の末に選んだ道とはー。
彼の決断、挑戦の物語から「自らが歩む道を自ら切り拓くヒント」を探る。
ー まず勤めていた会社をやめて、ベルリンに向かわれた経緯から教えてもらってもいいでしょうか。
そもそもは、高校時代に友人と交わした約束があったんですよね。それは「いつか起業して、ぼくらで世界を変えていこう」というもの。青臭いと思われてしまうかもしれませんが、ぼくらにとっては「あたり前にやること」だと思っていたし、ぼくら2人なら出来ると考えていました。
だから、1社目の会社に入社するときにも「いつか辞める」「起業したい」ということは事前に会社側に伝えていました。その彼とも「いつやるか」「どうやるか」といった話を大学時代も、働きながらも、ずっとしていたんですよね。
彼はエンジニアリングを得意としていたので、ぼくはデザインのほうを勉強して。ただ、「技術もわかったほうがいい」と新卒ではエンジニアとして採用してもらい、プログラミングも学んでいきました。そして、2人で話していたのが「スタートアップが盛り上がっている海外で勝負しよう」ということでした。
で、働きはじめて1年くらいの時にターニングポイントが来たんですよね。その共同創業を考えていた彼から「ヨーロッパの市場調査に同行しないか」と声をかけてもらえた。しかも渡航費は調査企業が負担してくれるので無料。彼のプランとしては「ぼくらはそのままヨーロッパに滞在し、現地でサービスを開発する」というもので、願ってもないチャンスでした。
…ただ、新人だったので、さすがに会社の方々には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでしたね。恩をちゃんと返さなければいけないのに…。
同時に「このチャンスを逃したらいつやれるかわからない」と決断しました。いつかやると決めていたことなので、会社のほうをやめさせていただくことにしました。
ー なぜ「海外でスタートアップがしたい」と考えたとき、ベルリンという地を選んだのでしょうか?
一番大きかったのはビザの問題ですね。ビザが取りやすくて人件費、家賃、固定費も比較的安い。そしてやるからには、インパクトの大きいことがしたい。地球規模でビジネスを仕掛けたい。そう考えたとき、スタートアップが盛り上がっているベルリンが一番いいと思いました。
…ただまぁ「ベルリンでのスタートアップ」というラベルに対する憧れも正直ありましたね(笑)現地のスタートアップ文化に触れてみたかったし、その空気を吸いながら開発がしてみたかった。こういった思いも強かったです。
ー その気持ち、すごくわかります!ちなみに現地ではどのような生活を?
まず、いきなり就労ビザを取得するのはハードルが高かったため、まずは観光ビザでベルリンに3ヶ月間、それから1ヶ月間、ロンドンに滞在していました。
家はAirbnbで探して…かなり貧乏でしたね。部屋もすごく狭い部屋で、ベッドにしても1台だけ。さすがに狭いベッドに男2人で寝るのは抵抗感があったので、ソファとベッドで、それぞれ順番を決めて一人ずつ寝ていました。プログラミングしようと思っても部屋の机の幅が50cmくらいしかないボロで。ガタガタ揺れて、気が散るし(笑)
ー 青春の延長というか…楽しそうでもありますね。
そうですね。毎日朝から晩までけっこうストイックに開発していて。それを含めて「楽しい」のほうが大きく、刺激的な日々でした。
なにより、はじめて自分たちでリリースまで持っていったスマホアプリがヒットしたのが嬉しくて。『Pocket Programinng』というスマホでプログラミングが学べるアプリなのですが、どんどん世界中でダウンロードされていって。「今日はジンバブエからダウンロードされてる!」とかあって、めちゃくちゃテンションがあがりましたね。結果的には100か国ぐらいの人たちがダウンロードしてくれて最高でした。
あとはMeetupに行くことも多くて。どんなスタートアップがあるのか。どんな風に開発しているのか。情報交換もかなりできました。Meetupに来ている現地の人たちってめちゃくちゃ気さくで「どんなサービスをやってるの?」とそれだけで盛りあがれる。率直なフィードバックがもらえてかなり勉強になりました。なによりいろんな国の人が集まっていたし、世界に向けてビジネスをやっていく感覚は、現地だからこそ得られた気がします。
ー その後、いよいよ本格的にベルリンに移住し…とならなかったのでしょうか?
そうなんですよね。アプリで実績はつくれたと思っていました。ただ、現地での開発、サービスリリースを経験したからこそ、冷静になった部分もあって。
というのも、ぼくらが目指していたのは「バイオテックで世界をアップデートする」ということでした。ぼくを起業に誘ってくれたその友人の夢でもあって。
ただ、あまりにも研究開発にコストがかかるのと、さまざまな機関やキーマンとのコネクションも必要になる。もしかしたら軌道にのるには、10年では足りないかもしれない。
友人と一緒に、ベルリンでやっていくうちに「本当にこの道なのか」という疑問が大きくなっていって。なによりもその友人と性格やタイプ、価値観がまるで違うということが、一緒に働くなかでわかってきました。
たぶん彼はたとえ数年間は採算があわなかったとしても、目標に向かって突き進むことができるタイプ。没頭ができる。ぼくはアプリでの成功体験もあり、早いタイミングでビジネス・事業としてスケールさせられることがやりたいという思いが強くなっていました。
すごく迷ったのですが、一時帰国したタイミングで、ぼくのほうから「やめたい」という話を切り出しました。彼からすれば、高校時代からずっと一緒に過ごしてきたし、同じ夢を語ってきたなか、寝耳に水だったかもしれません。だから、やはり空気もすごく重かったし…かなり辛かったですね。ただ決断をしないとお互いにモヤモヤを抱え、先に進めない。率直な話し合いをして、それぞれ別の道を歩むことになりました。
ー そして『TastyTable』を立ち上げに加わっていった、と。
そうですね。前職時代の同僚…というか上司だった方なのですが(笑)一緒に起業しようということになりました。
ー なぜ「食」という領域だったのでしょうか?
CEOである田尾が構想を持ってきたのですが、すごく熱がこもっていて。ぼく自身は正直「食」ってあまり実感がわかなかったんです、こだわりもあまりなくて。ただ、ネットがどんどん「リアル」に近づいているなか、Webだけで完結しないビジネスってすごくおもしろいんじゃないかと感じていました。
やってみて、やっぱりめちゃくちゃおもしろいんですよ。自分たちで「モノ」を仕入れ、企画にして、届けていく。ユーザーさんとのやり取りもあるから、喜んでくれるフィードバックがダイレクトにきて、温度が感じられる。サービスをつくるってこんなにうれしいことなんだって。…まぁ工場や作業場が必要だったり、法律が絡んできたり、レシピ開発に手間がかかったり…大変なことも多いですが、勉強になっています。
ー ミールキットサービスは群雄割拠、大手もスタートさせていますが、勝ちどころとしては?
他社サービスと比較すると多少割高ですが、さまざまなシェフが監修してくれているオリジナルのレシピでとてもおいしい料理つくれることですね。さらにレシピも毎週新しいものをご提供しています。最近だとシェフにファンがつくなど、リピートいただくユーザーさんも増えているのが特長です。
つまり「ブランドを大切にする、育てていく」ということだと捉えています。
ミールキットサービスは、主婦の方々の手間を減らしてあげる「問題解決型」が多い。ぼくらが目指しているのは、あくまでもエンターテイメントです。ユーザーの方が『TastyTable』に触れていると楽しいって思ってもらえるようにしていきたい。そのためにも料理はもちろん、レシピカードから搬送用のダンボール、アプリの見せ方までにもこだわって作っています。
ー ありがとうございます。では最後にベルリンでの経験を経て、今回のスタートアップで活きていることがあれば教えてください。
まず「2名」ではなく「3名」のチームでスタートさせるということ。2名だと意見を分かれたとき、落としどころを探すのがむずかしいから。そして「ビジネスサイド」と「開発・デザインサイド」がきちんと役割を分けていく。それぞれ得意なところで最大限のパフォーマンスを発揮できたほうが強い。どこを攻めるか、事業ドメインも重要ですが、何よりも勝負ができるチームか。これは前回から学んだことでもあります。
もうひとつ、チームで自分をどう活かしていくか。ぼくはスキルセットやキャリアに対して、少しコンプレックスもあったんです。デザインとエンジニアリング、両方、やれることはやれるのですが、体系的にスペシャリストとして学んできたわけではなくてどれもそこそこ。自分は何者になれるんだろうと思いはずっとありました。
ただ、前回つくったアプリの成功体験から考えたのは「モノをつくるという観点で、ビジネスに携われる存在になろう」ということでした。スタートアップだと、とにかく早く手を動かせるということが強みになる。しかも、ぼくは「つくる」ことそのものが好きなわけではなく、ビジネスにリンクしてこそ燃える(笑)。
たとえば、「こんなサービスはどうか」「こんな機能はどうか」となった時、サッとモックをつくって検証ができます。ダメなら潰してまた作ればいい。ぼくのようにエンジニアとデザイナーの中間で生きてきた人間が、ビジネス的な成功に携わっていく。そういったロールモデルにもなっていきたいですね。
ー できること、求められることの掛け合わせで道を切り拓く。そんな北國さんのキャリアは若い方の参考にもなるはず。今後のご活躍も楽しみにしています!本日はありがとうございました!
(おわり)
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