2018.12.26
クラウドワークス 社長 吉田浩一郎が「孤立」の先に見つけた希望

クラウドワークス 社長 吉田浩一郎が「孤立」の先に見つけた希望

「正直、思い出したくないんですよね」。そう苦笑いを浮かべながら、過去を振り返ってくれた吉田浩一郎さん。創業来初の黒字化を実現したクラウドワークスで起きていたのは、社長の孤立。今初めて明かされる吉田さんの想いとは。

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通年黒字化までの苦難、ぐちゃぐちゃだった組織を経て

2018年11月、創業来初の営業利益黒字化を実現したクラウドワークス

従業員数29名での上場から約4年。

字面だけで見れば「たった4年」だが、この男にとっては「長く苦しい4年」だった。

クラウドワークス CEO 吉田浩一郎。

上場の追い風を受け、オフィスを移転。さらに上場から約9ヶ月の間に約100名のメンバーを採用するなど”攻め”の事業展開を目指した吉田さん。そんな彼を待っていたのは組織崩壊の危機、そして自身の「孤立」だった。

なぜ吉田さんはひとりになってしまったのか。そして、いかにしてどん底の精神状態から立ち直り、組織をまとめ上げ、営業利益黒字化を実現できたのか。

「……正直、思い出したくないんですよね(苦笑)」

独白は、このひと言から始まった。

飛躍的な成長のための大勝負、のはずだった

“これまでの苦難について教えてほしい”

そう編集部が切り出すと、吉田さんは、

「正直、思い出したくないんですよね」と、苦笑いをした。

少しの時間、考え込むよう俯き、ひと呼吸をおくと意を決するように語り始めてくれた。

「2015年1月、上場直後のことです。その時、私は会社で完全に”孤立”をしていました」

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2015年1月、29名だったメンバーを、10月には新卒採用を含めて130〜140名へ。

そして、同年11月にはオフィスを恵比寿ガーデンプレイスへ。

この意思決定は、吉田さんにとっての大勝負だった。

「ところが、全く社内からは賛同を得られなかったですし、むしろ信頼が底に落ちました。『今の事業にこんなにリソースは必要ないのに100名も採用すべきではない』『ガーデンプレイスのような坪単価の高い場所に引っ越すべきではない』『新卒採用の意味がわかっていない』などなど。私への非難はあげたらキリがない。それ以降、あらゆる僕の意思決定は社員たちから非難され続け、信頼してもらえないようになりました

経営陣との意見の相違

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もうひとつ、信頼していたはずのエンジニア、そして経営陣との関係性も悪化していったという。

「ある事業の撤退を決めた時、エンジニアから『吉田さんの指示で納得できたことは、これまでにひとつもなかった』と言われましたね。特にショックだったのが、経営陣との関係性が悪くなってしまったこと。今は雪解けしたからお話しできるのですが、もうあの時は最悪な状態にまでなっていきました。本人たちも認めるところだと思います」

経営能力に対して、信頼が揺らいでいた吉田さん。一体どのような失敗があったのだろう。

「たとえば、5000万円をつぎ込んだ広告施策を私の“ひと声”で決めたのですが、見事に大失敗しました。まったくユーザーが獲得できなかった。『5000万円はありえない』『社長には経営センスがない』と。ある経営陣から『もう限界です』『このままでは自分がやる意味がない』と言わせてしまった。僕がアレコレと口を出すから、思うようにやれていなかったんです。彼をそこまで追い詰めてしまった。気づいたときに手遅れになる寸前でした。今だから言えますけど、お互いよく気持ちが折れなかったと思います」

もちろん、吉田さんは自身が意思決定することで、さまざまな反対や軋轢が生まれることは予想していた。そこにあったのは「今までどおりではいけない」という焦り。それらは見事に空回りをしていった。

「従来のやり方だと、クラウドワークスを社会的なインフラ企業へと押し上げていくことは難しかった。これまでの業績の成長曲線を未来に延長しても、ソフトバンクや楽天、サイバーエージェントのような企業にはなれない。飛躍的成長のためには僕らの延長線上にはないやり方が必要だ、と私なりに必死でした。ただ、何をやっても上手くいかない。どん底でしたね」

渡米。圧倒的な孤独が教えてくれたこと

この状況を打開するために吉田さんが選んだのは「いったん会社と距離を置く」ということ。しばらくサンフランシスコへ渡り、語学を学びつつ、投資家と会う。物理的に日本から離れ、約2ヶ月の滞在することに。

「海外なら物理的な距離も生まれ、必然的にコミュニケーションも減る。経営陣にとってもやりやすくなるかもしれない」

そして、経営から一度離れた吉田さん。アメリカで待っていたのは「あまりにも無力で弱い自分」と向き合う日々だった。

「ひとりは心細かったし、精神的にも辛かったですね。もともとが社交的なわけでもない。パン屋さんでベーコンサンドイッチを注文したのに、ベーグルが出てくるんですよ。『俺はサンドイッチひとつ注文できないのか』と…まったく嫌になっちゃいますよね」

相談できる友だちも、知人もいない。彼は文字通り「独り」だった。

「休日に公園で休んでたら、街はスーパーボウルで熱気に包まれていて。ボランティアスタッフが『どう?楽しんでるかい?』と声をかけてくれた。これがね…ものすごく嬉しくて。何てことのないひと言なのに、自然と涙が溢れちゃいましたね。今だから笑って話せるけど、いい年の大人がひとりぼっちでまさか泣くなんて、思ってもみませんでした。ああ、そうか。こんな一言でも救われる気持ちがあるのか、と気付かされましたね」

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耐え忍ぶ日々のなかで見えた光明

ただ、当然、渡米を終え、帰ってきたところでメンバーたちとの関係性がよくなるわけではない。

「みんなの反応は冷ややかで。遊びに行ってたんじゃないかと言われもしました。でも何も言い返せないんですよね。僕は結果を出しているわけではないので」

追い打ちをかけるように、2016年9月期の目標を下方修正。組織の崩壊、そして業績も低迷…それでも吉田さんが立ち続けたのはなぜなのだろう。

「正直、こう振り返っているだけでも…涙が出そうになるんですよ。ただ、そんな状況に耐えられたのはおそらく自分の幸福を感じるラインが低いからなんですよね」

どこか哀愁のある笑顔で、クラウドワークス創業以前のことを語ってくれた。

「実は、クラウドワークスの前に事業で失敗したことがあります。事業がなくなり、仲間が去り、最後の1ヶ月マンションのオフィスでひとり過ごしていた。その日々を思い出すと、圧倒的にマシだったんでしょうね。だから、一時的に経営から離れることも、気持ちが折れることもなかったんだと思います」

耐え忍ぶ日々だったと振り返る吉田さん。すると、少しずつ潮目が変わってきたという。

「経営陣が少しずつ私のことを頼ってくれるようになったんです。経営陣自らが相談をしてくれた。『2016年の10月からは、吉田さんと各責任者が密にコミュニケーションをとってほしい』と。もしかしたら、思いきって全てを任せたことで、私がつまづいたところ、壁を乗り越えたところ、クラウドソーシング業界の難しさについて、体感してもらえたのかもしれない。少しずつ目線があってきたような気がしていた。1年耐えたおかげで、ようやく役員たちと腹を割って話せる雰囲気になりました

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本読み合宿

経営層とは少しずつ足並みが揃ってきた。次はメンバーたちとの関係を再構築する番だった。吉田さんが提案したのが「本読み合宿」だ。

「以前、私のことを批判する経営層が、やたらと本を引き合いに出してきたことを思い出しました。『このビジネス書にはこう書いてあるのに、クラウドワークスはできていない』と。ウチはその本の中にある会社じゃないぞ、とカチンとは来ましたが、個人攻撃ではない。ひとつの意見として受け止められた。もしかしたら“本”を手がかりに、お互いの価値観を共有できれば、相互理解が深まるのではないか、と」

吉田さんの見込み通り、本読み合宿は一定の成果を見せた。さらなる気づきもあった。

「私たちはお互いだけで話すと主観のぶつけ合いになってしまい、客観的に見ることが全くできなかった。しかし、本のように一定客観性があるものによって対話が進んだのです。ということは、社外のコンサルタントのような客観性のあるポジションを入れるとさらに変化があるのでは、と。外を知る人のアドバイスが必要だ考えたんです」

社員エンゲージメントで最高評価を獲得、業績も通期黒字化へ

社外コンサルタントに組織上の課題を共有、まずは経営層からそれぞれの本音を引き出すことから始めた。会社として向かうべき方向性のすり合わせから丁寧に行なっていった。さらに社内エンゲージメントを数値化し、自分たちの存在意義や価値観の言語化を進めていった。

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「その過程は非常に興味深いものでした。たとえば『目標』の定義ひとつを見ても、目標を『何が何でも達成しなければいけないもの』と捉えているメンバーと『高いものだから未達成でも仕方ない』と捉えているメンバーがいるわけです」

つまりそれぞれがバラバラの認識、バラバラのミッションを追いかけていた、というわけだ。

「まずはミッションカードをつくり、目標の定義を明確にしました。じつは私自身、会社員時代が長く、こういうカードによるカルチャー作りは苦手で避けてきた。ただ、メンバーの毎日を幸せにするためにも、形にしてメンバーへ浸透させることが重要なのだと理解できました」

会社と社会との約束、組織の価値観やメンバー個々人への期待を明文化する。そうすることで、吉田さん自身にも変化があった。

「組織づくりがものすごく楽しくなったんですよね。何かトラブルがあっても、ミッションカードに基づいて、検証、課題解決ができる。もし新しい価値観が生まれたら、刷新していけばいい。ミッションカードができてからは3ヶ月ごとにアップデートしています」

その結果、外部コンサルタントに調査を委託した社内エンゲージメントのスコアが2017年1月から2018年3月、1年3ヶ月でマイナスからトリプルAに改善された。離職率も大幅に改善し、業績も通期黒字化を実現したというわけだ。

トップの幸福は、組織に伝播する

最後に吉田さんは上場直後の苦難について、このように振り返ってくれた。

「当時は本当にツラかったけど、結果としてはプラスですよね。今思えば、上場から今までの紆余曲折は経営戦略的には必要なステップだったと思います」

そう振り返ると、吉田さんは一枚のTシャツを取り出した。

「私自身もいろいろ経験して強くなった。先日の誕生日にはメンバーから『ヨシダ2.0』というTシャツをつくってもらったんですが、メンバーにも『吉田がバージョンアップしている』という印象を持ってもらえているんじゃないかと思っています(笑)」

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吉田さんの顔からは気づけば自然な笑顔がこぼれていた。

「先日、メンバーの前で『これから2〜3年以内にもう一度大きな勝負に出たい』という話をしたんです。すると、あるマネージャーが手を挙げて『また事業や組織がぐちゃぐちゃになるかもしれないけど、私は楽しみです』と発言してくれて組織としての成長を実感しましたね(笑)」

組織の成長は、吉田さん自身にとっても大きな喜びにつながっている。

「本音を言うと、今はめちゃめちゃ幸せなんです。人生で初めてといえるくらいの幸福感があります」

そして、メンバーたちが働く執務スペースへと吉田さんはまなざしを向ける。

「周りを見渡せば、一緒に走ってくれる仲間がいるし、新規事業やM&Aなども徐々に立ち上がりつつある。こんなに幸せなことはないですよ」

「これまでは『こんなんじゃだめだ』って気持ちをバネにしてきた。コンプレックスドリブンって言ったらいいのかな。でも、トップがコンプレックスドリブンだとメンバーが幸せになりにくい。上場までの過程はコンプレックスドリブンで一気に突き進めばいいのかもしれませんが、今は350名規模の組織ですからね。トップが日々楽しむこと、そして希望に満ち溢れていることのほうが大事だと思います」

実際に社内からも「トップが楽しそうにしている会社で働くのは楽しい」といったフィードバックがあるという。幸せな気持ちは、確実に伝播していくはずだ。

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文 = 田中嘉人
編集 = 大塚康平


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