2019.08.27
けんすうは中2からの友だち。彼を支えたいわけじゃなく、面白いモノを一緒に作りたいだけ|アル 和田修一

けんすうは中2からの友だち。彼を支えたいわけじゃなく、面白いモノを一緒に作りたいだけ|アル 和田修一

「けんすう」こと古川健介さん率いる、マンガファンのためのマンガサイト『アル』。取締役CTOが和田修一さんだ。かつてはnanapiの創業にも深く関わり、けんすうさんのパートナーといってもいい?和田さんの目に「けんすう」というイノベーターはどのように映っている? 彼の言葉から「No.2論」を考える。

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連載:NO.2論
組織のトップはスポットライトがよく当たる。けれどその成果や実績の影には、必ず共に歩んだ仲間がいるはず。この連載では、とくにリーダーの二人三脚で活躍されている「No.2」に焦点を当て、ともに歩むパートナーとしての心構えを紐解いていきます。

10代の頃、モノづくりに熱狂する仲間と出会った

ー本題に入る前に、けんすうさんとの出会いから教えていただけますか? 中学生の頃に出会ったとうかがいましたが、どういう仲だったのか。

中学2年生のときのクラスメイトで、当時から仲は良かったです。中高一貫校で高校3年まで同じ校舎にいました。

印象に残っている思い出のひとつが「つくる仲間」だったこと。僕は高校生の頃からバンドをやっていて、自分で作曲したり、音源を収録したりしていました。そのときにホームページを立ち上げて、曲を配信してくれたのがけんすうです。

当時はインターネットもいい意味で無法地帯みたいな感じで、今のような規制も少なかった。10代特有の「俺たちこんなことやっちゃってる!」みたいなノリが楽しかったですね。学園祭の延長線上みたいな感じで。

ーとはいえ、なぜ「仲のいい同級生」から「創業パートナー」に?

きっかけは、大学卒業後、けんすう、僕、他の何名かを集めてインターネットで集客する劇団のようなものをやったことです。けんすうがWeb担当で、僕は音楽担当。大学在学中はさほど接点はなかったのですが、このプロジェクトで頻繁に会うようになりました。

それから、ふたりでWebサービスをつくるようになって……。

ーちなみに、どういったサービスだったんですか?

いろんな大学のサークルで配ってるチラシを集めて、検索できるサイトをつくりました。サークルのチラシをスキャンして……って、この話、久々にしましたよ(笑)。

そして、2007年。同じように個人でWebサービスをつくっているメンバーを何人か集めて法人化することになりました。それが、nanapiの前身であるロケットスタートです。

たぶんですけど、正直サービスは何でも良かったんですよね。何かをつくる過程が好きだったので、何かをつくりたかった。その結果が、Webサービスだったというだけです。法人化にもそれほど強い意思はなかった。それこそ「オフィスを借りたいよね」というレベル(笑)。けんすうが代表になったのも、周りが「やりたくない」と言ったからです。

「楽天の和田」から抜け出したかった

ー和田さんの経歴を拝見すると、2009年までは楽天にも在籍されていますよね。これはどういうことなんですか?

新卒で楽天に入社をして、4年ほど在籍をしていました。2009年に楽天を退職して、nanapiで本格的に働くことにしました。このタイミングで取締役CTOに就任をしています。

ー「誘われて2秒で起業を決意した」という噂を聞いたのですが……。

2秒かはわかりませんが、Skypeか何かで「起業しようぜ」って連絡が来たので、「いいぜ」と返しました。いきなり来たので、僕も即レスで。

ー普通、そんなに即決できないと思うのですが……楽天を退職することへの不安はなかったんですか?

何だろう……(笑)。確かに収入も下がったけど、あまり深刻に捉えていなかったんでしょうね。長い人生のなかで考えれば「会社を辞める」ことぐらい大したことなかったというか。楽天での仕事もすごく好きでしたし、今でも好きな会社だけど、起業自体に魅力があったというか。「まぁ一度やってみるか」という感じです。

あえてひとつ挙げるとしたら「自分自身で戦えるフィールドに行きたかったから」ですね。楽天にいる以上は、結局「楽天の和田」でしかないんですよ。異動しても「楽天の◯◯部署のエンジニアの〜」という肩書きからは逃れられない。別に「起業」じゃなくてもよかったんですが、自分にとって納得できる選択肢が「けんすうとの起業」だったわけです。

ーということは、けんすうさんが和田さんの人生における役割はかなり大きい、と。

大きいと思いますよ。今の時代に「けんすうと何かやりたい」という方の多くが彼の知名度や発信力に期待しているかもしれませんが、僕にとっての彼は違います。友人として長い時間を付き合っているので、一緒にいて苦痛がない。そして波長が合う。

世間からの「けんすう像」はあるかもしれませんが、僕にとっては仲のいい友人のひとりです。彼からの誘いだから、即決できたのかもしれませんね。ハウツーサイトというnanapiの構想もすんなり決まりました。

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意見の対立は、本質的な議論で乗り越えろ

ー友達から経営者になって、意見が対立することはなかったんですか?

意見が合わないことはいくらでもありますよ(笑)。「こういう機能をつけよう」とか、「いやいや」とか。

ただ、お互い表層だけでは話さずに、本質的なやり取りをするように心がけています。「今解決したいのはこういうことだよね」とマトリックスを描いて、課題や施策について整理していく。けんすうも僕もこういう議論が得意なので、苦にならないんですよね。だから、単に意見が対立するような場面はあまりなかったです。

ーエンジニアの和田さんと非エンジニアのけんすうさんが同じレベルで議論できる。さらっとおっしゃってますが、すごいことですよね。

確かに、一般的には非エンジニアが構想を語って、エンジニアが要件に沿ったものをアウトプットするイメージがありますからね。

ただ、僕たちはそういうチームではないんです。僕もエンジニアですが、開発だけが仕事だとは思っていない。求められた要件だけ見れば満たせていないけど、そもそもの構想に対しては別の方法でクリアできているケースも結構あるんです。

昔から、けんすうから「こういう機能を追加したいんだ」という相談を受けることはよくあります。そういうときこそ、壁打ち相手としてディスカッションする。

「その機能で解決したいそもそもの課題は何?」「その方法じゃなければいけない理由は?」と議論を重ねると、「でも、こういうやり方だと他の問題も解決できるよ」みたいな結論に行き着く。そのあたりは働きやすいポイントですね。

ーnanapi時代は、採用も担当されていたんですよね。

具体的には、エンジニア、デザイナー、ディレクターの採用です。nanapiとしてクリエイティブを強みにしたかったので、現場のエンジニア、デザイナー、ディレクターを採用するのは彼らを理解しているCTOが担当していました。

だから、サービスの品質を高めることと良いメンバーを揃えること。この2つが僕の役目で、苦労したポイントでもありました。

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「No.2」の意識を捨てろ

ーそして再びけんすうさんとアルを起業したわけですが、和田さんはご自身の役割をどのように捉えているのでしょうか。

主語は、僕というよりもけんすうですね。彼が、社長じゃないとできないことに集中できるようにする。それが僕の役割だと思います。

「経営」って人によって意味合いが変わる単語なので、役割もすごく流動的。ただ、会社として重要なポイントを「キメてくれる」のは社長であるけんすうしかいないと思っています。「決める」ではなく「キメる」。この微妙なニュアンスの違いがわかりますか?

ーな、なんとなく……!えっと……「しっかりやる」ということですよね。

そんなところです(笑)。

ただ、僕は彼をサポートしている意識はあまりない。会社が成功して、やりたいことを実現するために徹しているだけですね。

自分が献身する対象が人になるのは、あまり健全ではないと思っていて。nanapiで一度離れて、アルで再び一緒にやっていますけど、「けんすうと働く」ありきではなかったんです。前回もベストなチームだったので、もう一度ベストなチームをつくりたかった。それだけの話です。

ーありがとうございます。最後にお聞きしたいんですが、和田さんにとって「No.2」とは?

「No.2」はあえて「No.2」の意識を持つべきではないと思っています。「No.2」に見える人って、誰よりもチームやプロダクトをうまくさせたいと思っている人の隣にいるというだけの話なんです。少なくとも「No.2」なんて肩書きは自分でつけてほしくないと思います。もちろん、社外の人がそう呼ぶのは自由ですけどね。

同じ理由で、僕は「上司・部下」という言い方が嫌いなんですよ。物理的に上下ができてしまうので、「メンバー・リーダー」の方が好きですね。

つまり、「部下だから上司の指示に従う」という前提を無くしたいんですよね。組織としてはそうなってしまいがちですが、そうなると上司が人として一番優れていることになってしまう。でも、絶対そんなことはないですよね。メンバーのアイデアが突破口になることもあるし。チームでフラットにこれからを議論していく組織ができたら、素敵だと思いますよ。

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文 = 田中嘉人
取材 = 野村愛


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