月間アクティブユーザー数(MAU)が、2000万人を突破した「note」。大躍進を牽引してきた影の立役者が、デザイナーの松下由季さんだ。彼女の原点にある、知られざる挫折とは。そして、いかに活路を見出してきたのか。「非天才型プレイヤー」の生存戦略に迫る。
2019年9月、メディアプラットフォーム「note」の月間アクティブユーザー数(MAU)が、2000万人を突破した。1000万人を突破したのが、2019年1月。わずか8ヶ月で倍増した。
CEOの加藤貞顕さん、CXOの深津貴之さんを筆頭に、noteの躍進を牽引してきたデザインチーム。そんな中で確かな“推進力“を輝かせたのが、デザイナーの松下由季さんだ。
2000万MAU突破のカギとなった職種横断型のカイゼン会議では、加藤さん・深津さんを中心に発信される、豊富な経験と知見に裏打ちされた意見をロジカルに取りまとめ、実現までを取り仕切った。その姿を見るたびに、彼女の存在の大きさを実感したメンバーもいるという。
「デザイナーになりたての頃は、優秀な先輩たちのすごさにいつも打ちのめされてましたよ(笑)」
当の松下さんに話を聞くと、返ってきたのは意外な答えだった。今やnoteの重要メンバーとして活躍する彼女にも、知られざる挫折があったという。
では、松下さんはいかにして苦悩を乗り越え、今の自分に行き着いたのか。彼女の原点となった「天才たちとの差を痛感した日」にさかのぼってみたい。
ーキャリアのスタートは制作会社だったんですね。いまピースオブケイクでバリバリ活躍されている松下さんのデザイナー新人時代、すごく気になります。
それが……がけっぷちな思いで入社して。日々プレッシャーを感じながら過ごしていました。
というのも、景気の影響で当時は今よりも就職難。「ある程度のスキルはここで身につけないと、デザイナーとしてキャリアを続けることができなくなる」という危機感を持っていました。
大学時代はグラフィックデザインの勉強に加えて、映像やアニメーション、音楽などの制作もしていたのですが、Webやアプリに関しては一切ノータッチ。そんなわけで、会社員はWebの基礎を学ぶところからのスタートでした。大学で学んだことが全く通用しない。
思えば、新卒特有の「自分が何も会社の役に立ててない感」状態でした。ゼロから覚えることばかりで、貢献もできず、自信やプライドも完全に折れていました。
もともと、学生時代の課題や活動などではそれなりに評価されてきたという自負はあったのですが……現実とのギャップがすごかったです。
ーでも、辞めなかった。
ツラかったけど「辞めたところでどこも雇ってくれない」と思ってましたから(笑)。
自信やプライドがなくてもそうして続けていれば、それなりに仕事ができるようになるんですよね。すると、それまでは目先の仕事だけに全力を注いでいたのが、視野が広がって、他メンバーの様子も見えるようになる。刺激的な仕事に、楽しみややりがいも見いだせました。
さらに、成長するための情報収集の習慣がついたので、トレンドの作品や話題のクリエイターもわかってくる。
ただ、そうやってある程度経験を積んだからこそ、自分の実力を客観視できるようになったんです。
イメージソースはカンヌライオンズを狙いにいくタイプのパワフルな会社でしたし、クライアントから指名される才能あるアートディレクターもいました……本当にすごい環境なんです。
ところが、自分が将来そのアートディレクターのように業界内で名前が知られて指名されるようになるイメージが全く浮かばなかった。
イメージソースのような「かっこいいクリエイティブ」が重視される業界では、なんだろう、自分は「まあまあいいよね」というものまでは作れても、「すっごくいいよね」と言われるレベルのものが作れるようになる気がしなかったんです。
「このままがんばったところで彼らのようになれない。そもそも彼らのようになりたいかもよくわからないし、自分はココでは1位になれない」と、3年目になる頃から悶々とした気持ちを抱くようになっていきました。結構、自己肯定感も下がっていたと思います。
ーその後、3年働いたイメージソースを去り、Yahoo!へ入社されています。どういう思惑があったのでしょうか?
今思い返すと「自分の能力が発揮できる働き方を探さなければいけない」という危機感みたいなものは漠然と抱えていたような気がします。
自分はもともと考えることが好きだったし、理屈っぽいところがあって、何か相談されると「こういう理由で、こうしたほうがいいよ」といった話しかたをすることがあって。本当に何となく……ですが、議論を取り仕切って推進したりすることはできるんじゃないかという感覚はありました。
ちょうどYahoo!が新規サービス部門の立ち上げで、デザイナーの求人を多く出していました。いままでいた制作会社ではなく、事業会社という、デザインのために議論することも必要とされる環境なら自分の力を発揮できるかもしれないと考えました。
結構、必死でしたね。「何か別の武器を見つけなければいけない」と。
ー自分の武器。
任天堂の元社長・岩田聡さんが、「自分がほかの人より少ない努力でできることは才能だ」という意味合いの言葉を残しているんです。人より頑張って人よりもできないことってツラくなるんですよね。
Yahoo!で働いてくうちに、目的意識を持って周囲をまとめたり、デザインすることは人よりも得意な気がして。自分の才能と言ったら大げさかもしれませんが、得意なことを体験できたのがYahoo!でした。制作会社から事業会社への転職だったから、文化や考え方の違いにギャップは感じたけど、思いの外うまく馴染めたし、手応えもありました。
ー話を聞いていると、Yahoo!での仕事はやり甲斐があったし、条件面も満足いくものだったと思います。それにも関わらず、なぜピースオブケイクへ?
大きく分けて2つあります。
1つは、自分の発想の引き出しを増やしたかったから。Yahoo!のような規模の事業会社だと、すでに柱になる超強いサービスがあるので極端な話自分の新規事業がコケてしまったとしてもそこまでの危機的な状況にはならないし、その強いサービスとシナジーを作ることが発想の中心になるんですよね。
無意識のうちに環境に依存してしまって引き出しがワンパターンになってしまうのを危惧して、Yahoo!を出ることにしました。
もう1つは、もっとシンプルで、自分が共感できる事業領域を体験してみたかったからです。もともと学生時代から映像や音楽、小説が大好き。事業を「自分ごと」として捉えられるような環境で働いてみたい気持ちは常に抱いていました。
ある程度デザイナーとして積みたい経験も見えてきた中、一方で、「好き」に素直に従うことも私には重要かなって。過程はロジカルに考えてたんですが、最後はフィーリングで決めちゃいました(笑)
ーこれまでを振り返り、今の松下さんを支えている過去の経験があるとしたら何でしょう?
イメージソースでの経験でいうと、ビジュアルのクオリティ追求に触れられたことですよね。経験と才能のある先輩デザイナーたちと一緒に働いて、彼らの仕事ぶりのいい意味でのヤバさを見てきたからこそ、妥協をしないとはどういうことかがわかる。
実際、あのときの経験があるからこそ、noteのビジュアルの細かなトーンへの意見をすることができています。
Yahoo!での経験は、今のピースオブケイクでの仕事に直結しているんですよね。目的を決めて、関連しそうなサービスの状況やユーザーのみなさんの声を収集する。さまざまな意見を目的と照らし合わせ、「じゃあコレをやりましょう」と決めて、実際にデザインもする。
イメージソースでの挫折とYahoo!での模索、両方が、今のわたしをつくっているのかもしれません。
ー最後に、松下さんと同じように挫折によってキャリアに悩んでいる方にエールを贈るとしたら、何と声をかけますか?
「打ちのめされることは決して無駄ではない」ですね。できないこと自体は決してダメじゃない。「それはできない」ってわかったというだけなんです。自分にできないことも、できることもある。それを理解したうえで、そんな自分には何ができるのか・したいのかを内省することが重要です。
できないことはいっぱいあるかもしれないけれど、自分だからできることも絶対あるんですよ。どんな小さなことでもひとつずつ集めていったら、いつか武器になるはず。それが結果的に、才能って言えるんだと思います。
自分ひとりでは見つけられなければ、客観的に見てくれている人に話を聞くのも有効だと思います。私自身Yahoo!のときは、自分のメンターやロールモデルになりうる方にお願いして、割と頻繁に話を聞きに行っていました。周りに助けを求められることも、大切な能力のひとつだと思います。
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