2019年12月11日に東証マザーズ市場へ上場した、アタラシイものや体験の応援購入サービス「Makuake」を運営するマクアケ。創業から6年半での上場だが、その裏には幾度もの資金ショートの危機、ステルスな上場準備から来る孤独があった。中山亮太郎さんは、周囲からのイメージとのギャップに向き合い続けたーー。
「えげつないほどの赤字に、底の見えていたキャッシュ。本当はみんなにも共有したかったけれど、なかなか言い出せなかった。今さらだけれど、黙っていて、すみませんでした」
サイバーエージェントグループの新規事業として始まった、「Makuake」の運営。創業時から経営を担った中山亮太郎さんは、心の休まらない日々を走ってきた。
常にまとわりつく資金ショートの危機感と、半年に一度来る「延命処置」としての投資元面談。さらには「何かあってもサイバーエージェントに戻れるんでしょう?」という周囲からのレッテル張り。内実とのギャップに、悶々とした。
「箱入りの起業家、と思われてきたんです。でも、上場よりも随分前には自分たちの資本も投入していたから、後には引けない。上場のことは、サイバーエージェントの株価に関わるインサイダー情報にもなり得るので誰にも相談できず、ステルスに進めなくてはなりませんでした。その孤独感は大きかったです」
社員にも明かしていなかった、マクアケの苦闘。その振り返りには「HARD THINGSを経たからこその強み」と、それを乗り越えるために「Day1からできる学び」があった。
時は2013年。クラウドファンディングが日本でも徐々に広がり始め、世の中にも流行の香り(俗に言う「バズワード」というやつだ)が漂いはじめていた。
サイバーエージェントグループの新規事業としてクラウドファンディングに取り組むことが決まり、社長役として中山さんに声が掛かった。構想を聞くと、ベトナムでVCとして活動していたときに覚えた危機感が、胸のうちに蘇ってきた。
「ベトナムには2010年から2013年の頭までいましたが、世はiPhoneブーム。Appleはベトナムでプロモーションをしていなかったのに、代理店経由などで、どうにかみんなが手に入れようとしていました。日本では物が売れなくなっているとか、デフレだとか言ってましたけれど、『人は欲しいものなら買う』という人間の本質を見たようでした」
当時のiPhoneには日本製のパーツも多く搭載されていた。携帯できる通信デバイスの発想も20年以上前から日本にはあった。「なぜ、iPhoneは日本から生まれなかったのだろうか」と中山さんは思いを巡らせる。その答えの一つが「生態系」だった。
「シリコンバレーを参考に日本でも既にインターネットの新事業や新サービスが生まれやすい生態系が整えられており、IPOまでの道筋も徹底的にノウハウ化されている。しかしながら、ネット事業以外の、新しい商品が生まれる生態系がなかったのではないかな、と。そこで、クラウドファンディングで資金さえ集まればいいのではないかという仮説を持って、Makuakeを“募金サイト”の発想で始めたんです」
これが最初の失敗だった。中山さんは顔を曇らせる。
「資金調達や募金のような切り口は自分がVC出身だったからこその発想だった。実際のニーズの解像度を高めないままにビジネスを始めてしまったんです。トレンドや評論家の声ばかりを耳に、大事な現場を見なかったのが、立ち上げにおける地獄の日々の始まりです」
中山さんはサイバーエージェントの優秀な同期などを創業メンバーに迎え、2013年5月に会社を設立。8月のサービスリリースを目指し、その前後で国内400社にアポイントを取って、掲載企業を探し始める。ところが、全く相手に話が響かない。クラウドファンディングを「災害復興の募金」といったチャリティー活動と紐付けて考えてしまう人も多かった。
「その誤解を解いて、新しいものを作るためにオンラインで募金してもらいましょう!と熱心に語っても、話が食い違ってしまう。こちらの仮説を押し付けているだけでした。企業のニーズに対して、僕らのソリューションが噛み合っていないから当たり前です」
崩れっぱなしの仮説に、決まらない案件の山々。それでもアーリーアダプターをつかみ、10社ほどの企業から掲載を得て、8月にMakuakeはオープン。構想では、その何倍もの企業が集っているはずだった。ところが、想定より支援も伸び悩む。ユーザーサイドへの配慮も足りていなかった。
「世の中には良い人が多いし、これほど素敵な体験やプロダクトなら、誰もが朝起きたら募金したくなるはず……なんて思っていたんですよね。トレンドワードに甘えて、事業がなんとか成立しているだけ。戦略が拙く、マーケットにはフィットしていないままだから、瞬く間にお金はなくなっていきました」
Makuakeは決済された金額に対して、手数料が発生する仕組みだ。決済されなければ、取り分もない。ただ、新規開拓などに人件費は掛かり、運転資金は目減りしていく。2014年の2月頃、オープンから半年ほどで、中山さんは最初の追加投資をサイバーエージェントに願い出た。計画の瓦解に苦しみながら、交渉のテーブルについた。
「サイバーエージェント内のベンチャー企業として始まったので、投資も甘いのではと思われることもあるのですが、そんなことはない。独自の“撤退ルール”もある中で、なんとか延命処置をしてもらうための交渉です。注目を集める案件も出ていたし、熱量を込めて『あと半年』と。結果的に、あえて騙されてくれて、男気でチャンスをもらえたのだと思います」
この延命は、その後のMakuakeを占う大事な気づきをもたらした。メイド・イン・ジャパンの時計ブランド「Knot(ノット)」が、創業後すぐにプロトタイプを作るべく、Makuakeを利用してくれたのだ。プロジェクトの終了後、Knotの遠藤弘満社長からの言葉に、中山さんは違和感を覚えた。
「『Makuakeはお金を集めるサイトじゃないよ』って言われたんです。遠藤さんは『プロダクトを作っていく会社にとっては、在庫を作る前に顧客を捕まえられる、ありがたい仕組みなんだ』と。実際に買う人がいることが発売前に証明でき、その実績があるので流通展開もしやすくなるんですね」
新卒時代からインターネット産業に身を置いてきた中山さんには、この観点はなかった。その後も「テストマーケティング」の要望は続き、ベンチャー企業だけでなく、日本を代表するメーカーのSONYも、同じ希望をMakuakeに求めた。中山さんは「ものづくり現場のニーズ」に初めて直面し、自らの仮説がズレていたことを知る。視点が、変わった瞬間だった。
「ただ、期限の半年後でもキャッシュは足りず、追加投資を願い出ました。それでも初回よりは自信を持って交渉できましたね。Makuakeはテストマーケティングやインサイトの発掘ができるサービスである、というマーケットフィットする部分が見えたからです」
お金の悩みは尽きない。売上は伸びたが、早すぎた人員拡大などの影響もあり、また半年後に3回目の投資判断を仰いだ。サイバーエージェントは「融資」の形で応じてくれたが、事実上のラストチャンスだった。ところが、いよいよ黒字化が見えてきた2016年末に4回目の資金ショートの危機が訪れる。最後の最後で、ガソリンが切れそうだった。
「経営手腕の無さを痛感しましたし、信頼残高をマイナスにし続けての4回目の交渉は、さすがに話しにくかった。期待値を上げるコミュニケーションをしてきたことも、自分の首を締めていました。絶体絶命のタイミングに、彼が現れたんです」
──本田圭佑さんが「出資したい」と言っている。
世界で活躍するサッカー選手であり、実業家でもある本田圭佑さんの個人ファンド「KSK Angel Fund」からの出資で、マクアケは息を吹き返す。
「救世主となった彼には本当に感謝しています。ただ、初めて外部からのお金を預かることになりましたから、経営陣としても独り立ちしようと。出向扱いになっていたサイバーエージェントを退職し、自らも出資して責任とリスクを取る形式にしました」
そして、2017年9月期には悲願の黒字化も達成。10月には、サイバーエージェント・クラウドファンディングからマクアケへと商号を変更した。中山さんはマクアケが社会で成すべき役割を考え、次なる道を目指し始める。より公明正大な「パブリックカンパニー」を目指すことを思い描き、その最たる手段としての株式上場を選んだ。
ところが、サイバーエージェントの子会社である以上は、上場準備の情報もオープンにはできない。親会社の株価に関連するインサイダー情報になってしまうからだ。
CFOの招聘など、体制づくりさえステルスに進めざるを得ない。そもそも、上場を果たせるかどうかもわからない。中山さんも属するスタートアップコミュニティはあったが、他の経営者やVCにも相談できない。「さまざまな場面で二枚舌をしなければいけない」孤独な上場準備が始まった。
「本音を言えば、他の経営者を羨んだこともありました。それを言ったところで状況は変わらないけれど、一個人としては……どうしても。そんなとき、日常で抱えるストレスや苦しさと立ち向えたのは、サウナのおかげです。サウナ好きな友人から熱烈にオススメされて入ってみたら、すごくよかった。頭を真っ白にできる時間を作れる、良い手段だったんです」
サウナで心の中庸を保ち、頭をクリアにすることで、次の経営戦略を考える。中山さんにとってサウナは「葛藤と悶々を吹き飛ばす」ルーティンになったのだ。
「アニメを観るのも好きなのですが、それは映像としての表現が優れているだけでなく、仕事から頭のCPUを強制的に奪うため。サウナもアニメも、他人の時間を気にせずに取り入れられますしね」
そして、2019年12月、マクアケは東証マザーズ市場に上場を果たした。
今、Makuakeは「アタラシイものや体験の応援購入サービス」と銘打ち、創業当時に描いていた「生態系」づくりに近づきながら、さらなる付加価値の創出にも取り組んでいる。
昨今のスタートアップの流れを見ると、大型の資金調達を2回目頃に行い、事業のピポットを試みるケースも珍しくない。ところがマクアケは、常にギリギリの資金でマイルストーンを置いて事業に取り組んできた。強制的に、金銭的かつ物理的に追い立てられてきたからこそ、中山さんは「マネージメントフォーカスがとても高まった」と振り返る。
「先日、『1兆ドルコーチ』という本を読んで、AppleやGoogle、Facebookなどでもマネージメントの1on1を大切に、筋肉質な組織作りを強化していると知りました。マクアケは図らずも、1人で10倍の成果を上げるような実行力が、自然と身についたカルチャーがある。その骨組みとマネジメント体制ができたのは、大きな財産だと思っています」
社員の謀反はおろか、離脱もほとんどなく、まっすぐにMakuakeの可能性を実現していったのも特徴的だ。
「ドラマチックなHARD THINGSはなかったけれど、それはメンバーがピュアな想いでよく頑張ってくれたから。10人で100人分の成果を出すにはチームワークが本当に重要です。良いメンバーがいるから、良い人材が入ってくるプラスのサイクルも産まれる。それこそ創業メンバーに恵まれたことで、僕自身のHARD THINGSは半分にも、それ以下にもなったんです」
中山さんは「僕の経営者としての仕事の半分は、共同創業者にサイバーエージェントで信頼していた坊垣佳奈と木内文昭を迎えられたことに尽きる」と言った。事業を立ち上げるなら「絶対に一緒にやりたい」と願った二人だった。
金銭面の悩みは中山さんが引き受け、信じた道を共同創業者たちが切り開いてくれた。このDay1からの体制こそ、マクアケがHARD THINGSを乗り越えられた(結果的な)秘策となったのだ。
「あれほど財務面で大変なことがあったけれど、よく笑顔で乗り切ってくれたなって思います」と自身も楽観的な面は認めながら、中山さんはメンバーへの感謝を告げる。「生まれるべきものが生まれ 広がるべきものが広がり 残るべきものが残る世界の実現」を目指す彼らのもとには、今日も世の中をもっと良くするチャレンジが引き寄せられている。
※記事内容の表現に一部誤りがありました。訂正しております(2020年2月10日/キャリアハック編集部)
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