31歳・プログラミング素人という立場から、わずか3年で30本のiOSアプリをフルスクラッチで開発。さらには技術書を執筆し、海外で活躍するまで自らのキャリアを築いている堤修一さんへのインタビュー第2弾。彼がスキルや実績、自分のキャリアを考えた上でとってきた選択と行動とは一体?
▼iOSアプリ開発者・堤修一氏へのインタビュー第1弾
失敗続きの窓際エンジニアが掴んだ最後のチャンス|iOSアプリ開発者 堤修一に訊く
iOSアプリ開発者として世界で活躍する堤修一さん。WEB業界への転身はなんと31歳。しかもプログラミングは、ほぼ未経験という立場からわずか3年で、30本のiOSアプリをフルスクラッチで開発。技術書を執筆・海外で活躍するまで自らのキャリアを築いている。
これ以上ない成功体験を積んでいる彼でも、WEB業界に飛び込んでからは、失敗の連続だったという。数々の賞を受賞したDomino's Appの開発をきっかけにiOSアプリ開発専任のエンジニアとしてキャリアを歩み始めた彼が実践したこと、そして現在思い描いているこれからのキャリアとは?
― 堤さんはカヤックで、Domino's Appの開発を機に、当時のWEB制作会社では珍しいiOSアプリ開発“専任”のエンジニアになったと伺いました。どんなことを意識して、自らのスキルを伸ばしていったのでしょうか?
なによりも意識したのは「自分の手を動かす時間を最大化させる」ことですね。手を動かせば、スキルだけじゃなく、同じく自分に足りていない『実績』もついてくる。なので、とにかく徹底的に量をこなそうと。
例えばまず、通勤時間はゼロにしました。既婚でしたが、入社初日から「独身寮」に入らせてもらって(笑)入社前から、「必死にやりたいので試用期間の間だけでも寮に入らせてもらえないか」と打診してあったんです。そして試用期間が終わったらすぐ、オフィスから徒歩5分のところにアパートを借りました。電車に乗るのは1ヶ月に1回あるかないか、という感じでしたね。
それと、とにかく実績が欲しかったので、「仕事は買ってでもしたい」という感じでした。たとえば、土日に数万円出してとあるワークショップに参加申し込みしてたときに、iPhoneアプリの案件があることを聞きつけ、ぜひやらせてほしいと手を挙げて、有料ワークショップの方をキャンセルしたこともありました。あと、その頃は友人からのご飯の誘いも、常に断っていました。「じゃあいつなら空いてるの?」と聞かれて、「2年後ぐらいかな…」と答えてそれから連絡がこなくなったこともあります(笑)もちろん友人と過ごす時間も好きなのですが、それよりもとにかく、手を動かして何かをつくっていたい、という気持ちが強かったです。
― 量をこなすことで、スキルと実績を積み上げていく。その為に開発に充てる時間を最大化すると。
そうですね。そして、自分の『実績』を強く意識していたので、多くの人が忌み嫌う「仕様変更」もまったく苦ではなかったです。良いものをつくれば強い実績になるので、どんどん変更して良くしていきたいと。
― 昨年カヤックを退職された後、どんなつながりでAppSociallyへ?
カヤックを退職した理由は、長年の憧れだった、海外で働くことにチャレンジするためでした。ずっと、ただの憧れでしかなかったけど、スキルと実績を鍛え上げてきた今なら、iOSアプリ開発者として海外でも通用するんじゃないかと。ところが退職したものの、本当に何のつても当てもなかったので、たまたまお話をいただいたiOS技術書の執筆をずっとやっていたんです。執筆はどこでもできる仕事なので、スペインで1ヶ月アパート借りてそこでやってみたり、現地の企業を探してスカイプ面接を受けて5分で落ちたり(笑)そんなことをブログに書いていたら、それを見たAppSociallyのメンバーから「アメリカで起業するので、一緒に働かないか?」という誘いを受けたんです。
既に、AppSociallyが500Startupsのアクセラレータ・プログラムに採択されることは決まっていた状況。「海外で働けるなら」、とLead iOS Developerとして参加を決意しました。
― エンジニアとして、シリコンバレーで開発を行なったり、アクセラレータ・プログラムに参加した感想は?
すごく面白い体験でしたね。フロアに同期が約30社いて、エンジニアというよりは経営者が多かったんですが、いろんな国からいろんな人が来てて。毎日のように成功した起業家や投資家が来て講演やワークショップをしてくれたり、FacebookやGoogleの本社をみんなで見学しに行ったり、週末はみんなでパーティをしたりと、本当に「スタートアップの学校」という感じでした。
それと、Airbnb、Path、KickStarterなどの、有名なサービスの中の人たちが本当に身近にいるので、「あのサービスをつくったのは世界のどこかにいる誰かではなく、すぐ近くにいるあの人」ということをリアルに感じられて、「自分もやればできるはずだ」と、クリエイターとしての目線が上がるような感覚もありました。
あと、シリコンバレーの体験について日本で良く聞かれるのが「向こうの技術力はどうか?向こうでも通用したのか?」ということなのですが、これについては僕は、「日本のエンジニアのスキル・実績共に、世界で十分通用する」と感じました。住所を米国にした途端、いろんな米国企業から週に何通というペースでスカウトのメールがくるようになったのは、カヤックで必死に獲得した「スキル」と「実績」がシリコンバレーにおいても十分に魅力的だということですし、現地のハッカソンに出て賞をいただいたりもしました。賞品を受け取る際に「よければJOBもあげるよ」と言ってくれてましたし(笑)
― 帰国され、現在はどのように活動されているのでしょうか?
AppSocaillyには引き続き携わっていく予定ですが、シリコンバレーには戻らず、リモートでプロダクトを開発していきます。
― それでは、いま堤さんが興味を持っていることは?
いま考えているのは、単なる「iOSアプリをつくれる人」から、「iOSアプリ開発者、堤 修一」という "色" を付けていくこと。
たとえば、今年始め、前職を辞めたばかりのころに、まだ海外で働くためのつてもなかったので、「海外に行って日本の仕事をやる」という可能性も考慮して、とりあえず仕事を募集してみたことがあるんですね。
その際、たくさんお仕事のお話はいただいたんですけど、どの依頼も、根っこに求められているのは労働力と技術力だけで、そこに僕のパーソナリティのようなものは必要とされてないな、と感じたんです。もちろんそれだけでも十分ありがたい話なんですが、僕としてはもっと、「個」の立ったエンジニアでありたいなと。人間的な面でも、技術的な面でも。
そんなわけで最近は、人生初の講演をして自分のことを話してみたり、ちょっと変わった個人名刺をつくったり、iOSアプリとデバイスの連携をテーマにした連載を始めたり、といったことをしています。それと、NTTデータやキヤノン時代に携わっていた画像処理や音声処理も、自分の強みとしてもっと前面に出していきたいと考えていて、そのあたりも今いろいろと進めています。
― 新しい挑戦を既に始めてらっしゃるんですね!スキルや実績、自分のキャリアを考えた上で堤さんとってきた選択と行動は、多くのエンジニアの方にとっても参考になるお話だったと思います。
今後のご活躍も楽しみにしております!ありがとうございました!
(おわり)
[取材・文] 松尾彰大 [撮影] 城戸内大介
編集 = 松尾彰大
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