2014.03.06
「面白いのしくみ」を追いかけて|研究者/映像作家・菅俊一の視点。

「面白いのしくみ」を追いかけて|研究者/映像作家・菅俊一の視点。

ある時は会社員、ある時は研究者、ある時は映像作家。異色のクリエイターである菅俊一氏が次のキャリアに選んだのは、「教育者」の道だった。その歩みを追うことで見えてきた表現者としての思い、そして「世界との向き合い方」とは?

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会社員、研究者、映像作家、そして教育者へ。

知育玩具メーカーに勤務しながら、映像作家/研究者として活動を続ける菅(すげ)俊一氏。NHK Eテレ「2355/0655」ID映像、modernfart.jpでの連載「AA’=BB’」、DOTPLACEでの連載「まなざし」、著書「差分」(共著・美術出版社)など、幅広い分野で活躍するクリエイターだ。

そんな菅氏が2014年4月より、多摩美術大学に新設される美術学部統合デザイン学科の教員に就任する。就任予定教員は他に、深澤直人氏、永井一史氏、中村勇吾氏、佐野研二郎氏など錚々たる顔ぶれだ。

会社員、研究者、映像作家といった様々な顔を持つ彼が、新天地として教育機関を選んだのはなぜなのか。これまでの歩み、創作活動に対するスタンス等も伺いながら、クリエイターのキャリアについて考えてみたい。

人間の思考を解き明かしたい。

― まずは、菅さんのバックグラウンドやこれまでの活動などを伺えますか。


大学は慶應義塾大学・環境情報学部です。佐藤雅彦研究室で『ピタゴラスイッチ』などの番組に関わらせていただきながら、人間の思考や表現方法について研究していました。卒業後はピープルという乳幼児向けの知育玩具メーカーで商品企画をしながら、個人で研究や作品づくりを続けていたという感じです。自分の名前を出す活動が増えてきたのはここ2年ぐらいですね。


― 映像・展示・文章など色々なスタイルで作品を発表されていますが、一貫しているのは「人間の知覚能力」や「思考プロセス」といった観点からのアウトプットであることだと思います。非常にユニークな視点ですが、ここに至った原点は何だったのでしょうか?


菅俊一氏

菅俊一氏

興味の原点は、大学院での研究ですね。平たく言うと、人間が「なぜそれを思いつけるのか」「なぜそれを面白いと思うのか」を解き明かしたいと思っていたんです。わかる・理解する・興味を持つといったメカニズムにずっと関心があって。医学部と共同で、ある映像を見た時の脳の反応を見る実験などもしていました。もっと大元は、高校の吹奏楽部で「仮説を立て、プロセスを分析・検証することで結果を出せる」という経験をしたからなんですけどね。音の出る仕組みや曲の構造を分析して、良い音楽をつくるための方法論を見出していくという。知育玩具のメーカーに就職したのも、面白い商品が生まれるプロセスに興味があったからなんです。

面白いものを生み出し続けなければ、生きていけない。

― いち会社員として働きながら、個人で活動するスタイルになったのはなぜでしょうか?


こういう風に活動しよう、と殊更に思っていたわけではないんです。ただ「面白いものに貪欲であり続ける」ということは最初から決めていました。常に自分が何に対して「面白い」と思っているのか意識し続けるために、論文を読んだり、展示に行ったり。特に入社1年目は気になる展示に全部行こうと思って、年間100本ぐらい見ました。

そうやって色々なものを見ていると、「好きだな」とか「これはダメだな」とか思いますよね。じゃあ、なぜ「好き」「ダメ」と思うのかを、Tumblrなどで逐一記録し始めたんです。すると、面白いものを嗅ぎ分ける精度がだんだん上がってきたりするんですよ。そういう訓練を個人的に、ちまちまとやっていたのが出発点です。


― ご自身の思考プロセスも解き明かそうと。


そうですね。会社勤めをして分かったんですが、重要なのは継続性なんです。面白いもの、イノベーションを生み出し続ける仕組みをつくらないと、会社は存続していけない。いつか来るまぐれ当たりを期待していてはダメなんです。しかも僕は天才ではないので、すごいアイデアが突然天から降ってきたりはしないわけです。じゃあどうするかというと、なぜ面白いのか、どうやったら面白いものを生み出せるのか、何が面白さを生むのか、仮説を立てて検証していくという方法を続けるしかないんですよ。


― 映像などのアウトプットも、仮説検証の場なのでしょうか。


完全にそうですね。仮説を表現という形にして、世の中に「こういう見方もあるけど、どうですか」と問う。そこに対する反応で、検証をするということをやっています。それは自己表現とは違うものだと思います。

クリエイターが、教育機関に身を置く意味。

― 会社員としての仕事と、表現活動はリンクしていますか。


仕事と表現活動は別なものとして切り替える、という感覚はないですね。会社員として培った考え方というのは、かなり自分自身に影響を与えていますし、表現にもフィードバックされていると思います。

例えばクリエイターという言葉は、一般的には映像やデザイン、芸術などに従事する人を指すことが多いですが、どんな仕事、どんな場面でもクリエイティビティは発揮できると思います。例えばコピーを取るだけでも、ひと工夫すればすごい効率化になったり。スーパーでレジ袋に商品を詰める時だって、入れる順番を瞬時に判断するものすごいクリエイティビティが裏にはあると思うんですよ。そういう風に、日々の仕事や暮らしの中から面白いことや発見を常に見出すことが大事だと思っています。


― 教育者になるという選択も、ご自身の中ではつながっていますか。


「思考プロセス」への興味という意味では一貫していますね。教育というのは、人間が物事を考え、理解するプロセスを探求するということでもありますから。それに、Eテレの番組に関わったり、知育玩具のメーカーで働いたりと、色々な形で「教育」という軸はずっと持っていたんです。ですから、「大学で教えてみないか」という話をいただいた時も、また違う形での教育への関わり方ができると思ったので受けさせていただくことにしました。今考えると、ずっと興味の対象は変わらず、居場所が変わっているだけという感覚ですね。


― 研究・教育機関という場所で、どんな活動を展開されていくのでしょうか。


美術大学という環境で研究活動を行うということは、論文とは違った形で成果をアウトプットできる可能性があると考えていて、そこに意味があると思っています。例えば表現として研究成果を世に問えば、色々な人がその表現を体験し、表現の裏にある研究内容に興味を持ってもらうきっかけにもなるのではないでしょうか。やり方はたくさんあると思いますが、「仮説とその検証」という自分のやり方をより磨き上げる形でモノを作っていきたいなと考えています。

人生を楽しくする、分析的思考のススメ。

― これから出会う生徒たちに、どんなことを伝えていきたいですか。


頭を使うこと、発見することの楽しさですね。0から1を生み出すことって、かなり困難だと思うんです。でもよく見てみると、面白いものはすでに世界に存在している。先ほど言ったようなコピー取りやレジ袋の話のように、意識化されていないものを違う見方で分析してみれば、新しい発見になるんです。発見できれば、そこから生まれるアウトプットも変わりますし、毎日が楽しくなります。嫌いなものや失敗したことでも、分析すれば理由が分かるし、次はそうならないように対応できますしね。学生たちにも、どうすれば頭を使うことが楽しくなるか、呼吸をするように頭を使うことができるかを教えていけたらいいですね。


― 菅さんのブログなどを拝見していても、日常にすごく発見があることが分かります。


僕だけが見ているものではなく、みんな同じものを見ているんですよね。例えば、駅にある電光掲示板とかでも、みんな普段から見ているものなんだけど、ちょっと「どうなってるんだろう」と観察しながら仕組みを考えてみると、その裏には新しい発見があったりするんです。なので僕だけができることではなく、誰でもできることなんだと思います。

脳や目の機能を学んだり、思考のプロセスを分解していったりすると、人間ってすごいなと思います。無意識のうちに、自分も結構すごいことやっているんだなと。人間の思考を観察していると、小さな判断の集積なんですよね。例えばコンビニに並んでいる商品も、多くの人達の膨大な思考や判断、知恵が集積された結果、一つひとつの商品ができあがっているんです。そしてそういった物たちが集まってできあがっているのが、私たちの社会なんです。そう考えると、みんなが日々の仕事を通じて、社会を変えることもできるんじゃないかと思います。特別な人だけが頑張っているのではなく、一人ひとりの思考や行動が社会をつくっているんです。


― 目の前の世界を分析的に捉えることで、人生が楽しくなる。あらゆる人が取り入れやすい考え方だと思います。今日はありがとうございました。


菅俊一氏


[取材] 松尾彰大 [文] 星野香



編集 = 松尾彰大


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