LINEが上場申請を行ない、来年での上場を目指している。堀江貴文氏なき後のライブドアを吸収した会社だ。このタイミングで、元社員の目線から同社やホリエモンについて考察した本を出版した小林佳徳氏に話を伺ってみた。ライブドアって?ホリエモンって?
LINEが上場申請 時価総額は1兆円か―という報道がなされたのは7月のこと。今月に入り上場時期の見直しを報道されたが、それでも注目度は依然として高い。時価総額世界一を目指した堀江貴文率いるライブドアが形を変えて、世の中に大きな旋風を巻き起こしている。報道からひと月後に、元社員によるライブドアを回想する本が出版されたのも偶然ではないだろう。
変化の激しいWEB業界において、ライブドアの名前を思い出すことはなくなっていたいま。LINE上場話と先述した書籍をきっかけに、改めてライブドアと堀江貴文氏について考えてみた。と言っても、堀江氏と面識があるわけでなければ、センセーショナルな事件について考察できるわけでもない。8月出版のライブドアについて語られた書籍『社長が逮捕されて上場廃止になっても会社はつぶれず、意志は継続するという話』著者である、小林佳徳氏に当時のお話を伺った。
小林氏は現在、ライブドアとは無関係の企業で働いているのだが、当時の仲間たちの多くがLINEで重要な役割を担っている(代表取締役である出澤氏、上級執行役員の田端氏、執行役員の池邉氏、落合氏、佐々木氏など多数)。LINE社の成長には、ライブドア社の功績(改めて功績だったのだと感じている)が関係しているのではないだろうか。ライブドアや堀江氏は何がすごかったのか。
※小林氏の書籍は、読者投稿型サイト『STORYS.jp』の記事が基となっています。
※『STORYS.jp』については、立ち上げメンバーへのインタビューを実施しています。
― 小林さんの執筆された本を読みました。堀江さんも書評を書かれていますね(笑)。そんな書籍を基にしながら、LINE上場申請の話もありますし、改めてライブドアという会社や堀江さんについて話を聞いてみたいなと。
ライブドアに在籍したことが、実は2回あるんですね。最初は2003年5月から2006年3月、そして2006年7月から2008年12月まで。社長が逮捕されたのは2006年1月なので、事件から2ヵ月で最初の退職をしました。それから3ヵ月でスピード出戻りしたわけですが(笑)。二度目の入社に際しては、元上司の出澤さん(現LINE代表取締役)が、社内で一番大きな事業部の責任者となり、「一緒に会社を再建しないか?おまえのやりたいと言っていた人事など管理系の仕事を任せたい」と言ってくれたから。
声をかけてもらえたのは嬉しかったんですが、大見得を切って飛び出した手前、出戻りすることは非常に悩みましたよ。でも数日後にライブドアに残っていた仲間と食事をする機会があって、「ぶつくさ言ってないで、チャっと戻ってきて、チャってやればいいのよ」なんて激励に背中を押されました。
― 第一期ライブドア時代は、モバイルサイトのWEBディレクターでしたよね。同じ職種ではなく、人事を希望していた理由は?
事件前からライブドアという会社に対して、開発や営業という攻めには強いけど、管理部門の守りという部分が弱点だと感じていたんですね。事件が発生したのだって、そのウィークポイントを突かれてしまったからじゃないかと思うくらいに。再建してもう一度上場したいと思っていたので、まずはこの部分に着手するべきだと考えたんです。
そもそもライブドアって、人事部の採用業務が機能していない会社でした。新卒採用というものはほとんどやっておらず、採用予算も驚くほど少なかった。当時、採用手法の代表といえば求人広告の出稿じゃないですか。各媒体に出稿するわけですから、お金がかかるんですよ。でも、「社員なんてお金をかけて採用するものじゃない」という風潮があって。その証拠に、事業部長が決済できる費用の上限が10万円。時価総額で6000億円あった会社がですよ。当時はエン・ジャパンの媒体も利用させていただいてましたけど、一番安いプランを異例の3分割という支払方法で(笑)。担当の営業さんにもがんばっていただきましたし、我ながら涙ぐましい努力をしていたな、と。
堀江さんのすごいところでもあるんですが、請求書のすべてに目を通してハンコを押していました。「この鉛筆10本で100円ってなんだ!」みたいな感じで。コスト意識が非常に高い人でしたね。社員数が増えてオフィスを増床しないと入りきらないという話になったときも、「床と天井の間に一枚板を入れたら、倍入るじゃないか」と口にするような人でしたから、他の企業のように「エン・ジャパンをつかって、どこどこを使って…300万円」なんてまかり通るはずもなく(笑)。
― 事件後は、それまで以上に採用で苦戦することになると思うのですが。
まず苦労したのは、お金を払っても媒体掲載を断られたこと。業界ナンバーワンの会社に電話したときも、やんわりと事件のあった会社なので…と断られました。いくつかは掲載させてくれる媒体もあったので、それは助かりましたね。
とはいえ、相変わらずお金をかけない方法を模索しまして。まず手を入れたのが、自社の採用ページ。それまでは技術の会社だったくせに、酷いものでした。やると決まれば高いスキルを持った技術者が在籍していましたから、2週間程度の突貫工事でもそれなりの見栄えになって。改めて技術の会社だと実感すると同時に、応募者が集まるようになったんです。
それから、今でこそ珍しくないですが、技術者向けの「テクノロジーセミナー」を開催して、集まったエンジニアにそれとなく声をかけるというイベントを行ないました。ちょうど事件後、はてなのCTOだった伊藤直也さんがブログで、ライブドアの技術力の高さについて触れてくださって。じゃあということで、ライブドアの開発部長だった池邉さん(現LINE執行役員)とのディスカッションをプログラムに組み込んだんです。こういう社外活動と並行して、エンジニア自身にブログで自社の技術力を発信してもらい、働きたい思うエンジニアを増やしていきました。
他には、これも最近じゃ珍しくもなんともないんですが、エンジニアやデザイナーは仕事で使うPCを自由に選べるようにしたんですね。当時はメジャーな話ではなかったと思います。実は事件前って、もっと自由でして。基本的にPCは自前で持ち込むスタイル。今で言うところのBYODを先取っていたと言えば聞こえがいいですが、情報漏えい問題が叫ばれる現在じゃなくても、事件を起こした会社ですから、問題どころの騒ぎじゃないですよね(笑)。きちんと情報の管理を徹底しなくちゃいけない事情があったんですが、それでも職種によっては自分の道具を選べるようにした。
採用手法でいうと、事件前からも変わったことをやっていて。今ではインターンシップからの入社って珍しくないですけど、ライブドアでは2000年代の最初からやっていたんですね。大学生とか若い子をアルバイトとして一年ほど仕事の経験をさせて、それから正社員登用するっていう。インターンシップの走りみたいなことをやっていました。
― 当時のライブドアの採用スタイルだったり、人とのコミットの仕方って、今のベンチャー企業に近いものを感じますね。
そうですね。先取りをしていたかはわかりませんけど、そういえばホリエモンもブログの中で、「色々なことを先取りして会社を使って実験していた」って書いていましたね。当時から、働き方が未来に向かっていくと、パソコンの持ち込みしかり、採用手法だって雇用形態や勤務体系だって、必然的に変わっていくよねという考えが社内にありました。「バックオフィスが稼げるようにならなくちゃいけない」と社内コンビニ事業をやったり、360度評価なんてのも10年以上前から取り入れてましたしね。
あの風土はなんて表現するべきなんだろう……自由というのもそうでしょうけど、根本は自己責任ですね。採用するために、会社として大勢を集めたセミナーを開くとかじゃなく、自分たちの力で、自分たちの方法で仲間を集めろ、みたいな。全部、自分で用意しろ!みたいな。教育というのも整っていなかったので、ある意味『ろくろ職人』のような「俺の背中を見て育て!」という感じでした。それでも「面白いです」「がんばります」「ついていきます」という人が残っていたから、何かをぶち破るようなサービスを生むことができたんじゃないかと振り返って思いますね。
― 自己責任を突き詰めた結果、新しいサービスなり採用手法を考えていけたということでしょうかね。その中でも規律のようなものはあったんでしょうか。
あんまりなかったかもしれません(笑)。例えばPCを持ち込みOKだったころって、あちこちでウイルスをばらまくヤツがいたんですよ、意図的にではなく。当然、周囲に感染する人が出てくるんですが、それも極端な言い方をすると「自己防衛しないヤツが悪い」みたいなところもありました。自宅で作業をしていて、子どもが走り回って電源コードが抜けてデータが飛んでしまう、というのと同じレイヤーで考えていましたので、自分で対策をするのが当然だ、みたいな(笑)。
― けっこう、モラトリアムな会社だったんですね(笑)。そんなライブドアが、形を変えたというか、そこで活躍していた人がLINEで要職についたりしています。そういう姿を見て思うことだったり、ライブドアという会社の存在について聞かせていただきたいのですが。
基本的にはポジティブで、良かったなと思っています。ただLINEについてはひとつの例に過ぎない、それがすべてと思われたくないという感情はあるんです。ライブドアにいた優秀な人たちが残ったからLINEが成功したんだ、というのもひとつの結果なのですが。あのときの経験を持つ人は、LINEだけじゃなくて例えば、gumiやグリー、楽天の執行役員になっていたり、ハフィントンポスト日本版の元編集長だったり、起業を含めて、大勢が成功しています。更に、ライブドアに在籍しなかった人でも、こういう業界を目指した若者がいたりと、間接的な影響まで含めれば凄いものがあるとは思いますよ。
じゃあライブドアは何をしたのかというと、これは個人的な夢物語みたいなものなんですが、時代の変化をグっと加速させる役割を果たしたんじゃないかって。パラダイム・シフトっていうんでしょうか、ライブドアの存在によって、業界やWEBサービスの進化が速まったということなんですけどね。一方で、ライブドアが時代を劇的に変える存在だったかというと、それも違うんでしょうね。ライト兄弟が飛行機を発明しなかったとしても、その後に別の誰かが発明しただろう、と。飛行機はライト兄弟の存在なくして生まれなかったのではなく、いつかは生まれていたんだろうなって。同じように、ライブドアやホリエモンという存在があったから、10年かかるところを5年になったかわかりませんが、インターネットやテクノロジーに対する理解が促進されたり、スマホが普及していったりと、時代が進んだと信じています。
― なるほど。今のテクノロジーが栄える一助になった。時期を早めることに一役買った、という認識なんですね。その結果のひとつが、このタイミングでのLINEであると。では、ライブドアがああいうカタチにならなかったら……と考えることはありませんか?
夢物語ついでになりますけど、逆説的に考えると、もし事件がなかったりとか、事件後も自粛することがなく、買収されることもなかったら……。この期間があれば、LINEみたいなサービスを10個とかうみ出していただろうと思うことはありますよ。それくらいのめちゃくちゃなスピード感でした。『たら・れば』や理想を言っても価値はないんですけど、でもそうかなって気もするんですよね。そう思わせるのは、ホリエモンやライブドアの凄さかもしれませんし、たまたま時代の流れに乗っていただけなのかもしれません。もっと言えば、それが「日本」という国の器の大きさと言えたんじゃないかなと。
まぁ、堀江さん自身に聞いたり語ったりしても「興味ない。知らない」って言うでしょうけどね(笑)。
― 色々なエピソードを伺って感じるのですが、ライブドアという会社は3000名規模になった後でも、ベンチャーだったんだな、夢を追いかけられる会社だったんだな、という印象があります。そういう意味で、現在のスタートアップやベンチャーと呼ばれる会社は、もっともっと無茶苦茶していいでしょうし、期待が持てるなと思いました。
[取材・文] 城戸内大介
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