栄枯盛衰の激しいWEB/IT/ゲーム業界と言えど、ソシャゲバブルが謳われたのはわずかな期間。その裏側には若き新鋭ゲームクリエイターたちの知られざるドラマあり。彼らはそこで何を掴み、今を生きているのか。元gloopsのヒットメーカーであり、20代にして執行役員に駆け上がった加藤寛之さんに伺った。
【PROFILE】
株式会社Cloud9 代表取締役 COO Executive Producer
加藤 寛之 Hiroyuki Kato
2007年、株式会社はせがわに入社。お仏壇の営業を経験後、2008年に株式会社グローバルメディアソリューション(現gloops)に入社。「大乱闘!」シリーズ他、ヒットゲームのプロデュースを行い、執行役員・ソーシャルゲーム事業本部長を経験。2014年7月、株式会社Cloud9を設立。
― いきなりですが、WEB/ゲームの世界に入る前は、仏壇の営業だったって本当ですか?
そうですね。あまり将来のことを深く考えず、就職したのがお仏壇の「はせがわ」でした。学生時代は、ゲーム、バンド、飲み会に明け暮れていて、就職活動を始めるのも遅かった。なので、会社名がある程度有名で、潰れない大企業に滑り込めればいいなーと思っていたところ、ご縁があったというか(笑)
入社してみると、それまで知らなかった仏具の知識が増えたり、お寺の方と仲良くしてもらったり。2年目に入って、仕事は面白かったんですけど、ちょっと自分の志向とは合わないかもなと思い始めました。
― どんな志向が合わないと思ったんですか?
お仏壇の会社って、日本の伝統文化を守っているんですよね。どんなに時代が変わっても、そこは変わらない。ということは、自分もずっと変わらない仕事をしていくことになるな、と。自分は新しいもの好きで、悪く言えば飽きっぽい性格。なので、変化があって、刺激のある会社への転職を考え始めました。
で、ネットで求人を探し始めたときに目に飛び込んできたのが、「フェラーリに乗りたい」「世界を変えたい」という文字。ギラギラしてる!?何?この会社!?と思ったところが、グローバルメディアソリューション(現gloops)。惹きつけられました。
WEB/ITの知識や経験なんか何もなかったんですけど、導かれるように応募しました。堅い業界にいたため、面接官がデニムに白シャツ、ジャケットだったことに衝撃を受けたり、会う人会う人かっこよくて…。めちゃくちゃ憧れましたね。「絶対にこの会社に入って、成長したい!」という想いを、全力で伝えました。入社が決定した時は、天にも昇る気持ちだったことを覚えています。
― グローバルメディアソリューション(現gloops)に転職。そこからは一気に拡大路線に乗ったんですか?
いえいえ、それがそんなことはなく。その年の暮れごろにリーマンショックがあって、広告事業が一気に萎んだんです…。同時に、事業の柱としようしていた自社開発のCGM(消費者発信型メディア)「nendo」の開発が上手いこといかず、停止せざるを得なくなりました。つまり、収入源ゼロ。にっちもさっちも行かない状況に。
「nendo」に携われないなら辞めるというエンジニアをはじめ、他にも退職者が出て、30人近くいた社員が、一気に6人まで減りました。
― gloopsさんの今の姿からは想像できない危機的状況ですね。加藤さんは、辞めようと思わなかったんですか?
僕も当時の社長から「加藤には残ってほしいけど、今の給料の保証はできない、どうする?」と聞かれたんですが、結婚したばかりでしたし、前職は1年ちょっとしか働いてないし、ここで辞めたら次のキャリアが見えないなと思ったんですね。社長のことも好きだったので、どうせだったら潰れるまで見届けようと思って「残ります!」と答えました。
その後、大塚の2部屋しかないアパートにオフィスを移転。1部屋はサーバールームに使って、ユニットバスでも仕事して、すし詰め状態。しかも1階が海外のスパイス屋さんで匂いがすごいという環境でしたが、不思議と悲壮感が少なかった。
翌月の給料が足りなくなりそうになると、「加藤、なんでもいいから営業して、お金取ってきて」と言われて、「ええ?!今からっすかあ!?」と文句言いながらも、印刷物でも、フリーペーパーの枠でも、代理業で売れるものは何でも売って。面白かったなあ。毎月ギリギリでしたけど(笑)。
― 危機的状況のベンチャーに「残る」という選択肢は勇気がいりますね。
そうですね。でも、残っていなければ、その後の展開もなかったかもしれないわけで。その時、mixi、モバゲー、GREEが開発プラットフォームをオープン化して、サードパーティの募集を始めたんですよね。「nendo」開発時に作ったミニゲーム「渋谷クエスト」をちょっと改良して応募したら、審査に通っちゃった。
ゲーム会社でもなんでもなかった素人の僕らが作ったゲーム。それがモバゲーを通して、世の中に出る。正直、実感が沸かなかったんですけど、リリースを迎えたら、売上がドカーンと跳ね上がったんですよ。その瞬間、全員で「これだ!」と、モバイルゲームの世界へ本格的に突入していきました。
― 文字通り起死回生となった「渋谷クエスト」。ここからgloopsさんの快進撃が始まると思うのですが、ゲーム作りの裏に、どんなドラマがあったのでしょうか?
「渋谷クエスト」がモバゲーでヒットした後は、会社もイケイケモード。「ソースはあるので、キャラクター設定変えて2本目を早く出そう!加藤、やって!」と社長に言われて、気づいたら自分もゲームプロデューサーとして認められたというか。
ただ、せっかく任せられるなら、コピーものより新しいことをやりたくて、当時好きだった「ラグナロクオンライン」のギルドシステムを、モバイルソーシャルゲームに組み込もうと発案したんですよ。でも社長をはじめ、開発メンバーは元々WEB/ITの人で特にゲーム好きでもなくて、「ギルドってなんだ?」「ファンタジー?やっぱヤンキーでしょ」と、散々衝突してましたね。
― クリエイターとしての気骨のようなものが芽生えた時期だったとか?
やりたいことを実現したい、と強く思っていただけなんですが、モノづくりって喧々諤々が大事で。その結果、「大乱闘!!ギルドバトル」が生まれて、ヒットしたんですよね。それ一本だけで、月間の売上が1億円超え。当時の僕らは、え?これヤバイと。で、そうしたら社長がまた言うんですよ。「ギルドバトルのキャラクター設定を変えて」と(笑)。
そこからは、所謂ソシャゲバブルに突入した時期。誰かが新作を出して、売上記録を更新すると、翌月は別の人が記録を追い抜くとか。新しいシステムを入れた作品を出したら、それまでの全タイトルの総売上をあっという間に抜き去るとかの繰り返し。開発チーム同士のクリエイティブによるデッドヒートがめちゃくちゃ楽しかったですね。自身がプロデュースしたゲームの売上で、「加藤さん、勝負しましょうよ」と挑んでくる新人プロデューサーもいましたし、僕も「おぅ!いいよ!」と応える。そんなやりとりが社内中にあって、クリエイターたちが躍動している感覚がありました。
― それだけゲームつくりに没頭して、執行役員や事業本部長にもなった。その地位を捨てて独立・起業。勿体無いとは思いませんでしたか?
それは思いませんでした。何故なら、自分がgloopsで一番得たのは、ゲーム、ひいてはモノづくりの熱狂なんですよね。情熱を持って、ワクワクしながら、面白いものを作り続ける。そんなクリエイター集団を自らの手で作りあげたいと思って。それでgloopsから独立して、Cloud9を設立しました。
Cloud9という社名には「I’m on cloud nine! めちゃくちゃ気分が良い」という意味があります。9番目の雲は天国に一番近いという事から、パイロット達の間で使われていた言葉遊びです。また職人のインスピレーションが爆発し、傑作を生み出す無我の境地をCloud9と呼ぶ事もあるそうです。
決まった枠に捕われず、雲の様に時流に合わせて形を変えながら、自由気ままに流れていく。だけども一番高い所にあるから、誰の目にも止まる。そんな会社にしたいという想いを込めました。
すでにソーシャルゲームやアプリの世界はレッドオーシャンで、どの会社も強くなった。ヒットが生まれにくい状況ですよね。だからこそ、本当の実力が試される環境。楽しいですよね。集まった業界最高レベルのクリエイター達と一緒に、上昇気流に乗っていく感覚をもう一度味わいたいと考えています。
― ありがとうございました。20代の激動のキャリアや、今後の目標など、刺激になるお話でした。今後の更なる活躍をお祈り申し上げます。
文 = 手塚伸弥
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