2018.10.11
 BASE 鶴岡裕太の回顧録「サービスは好調なのに、仲間が去ってしまった」

BASE 鶴岡裕太の回顧録「サービスは好調なのに、仲間が去ってしまった」

学生時代に起業し、『BASE』を飛躍的に成長させてきた鶴岡裕太さん。じつはサービス好調のウラ側で「組織課題」と直面したという。それらの困難を経て、これから向かっていく先とはーー。

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▼鶴岡裕太の「迷いと決断」
・2012年 「BASE」リリース。のちに法人化(鶴岡さんは当時22歳の大学生)
・2013年 ドメインが落ちて、サービス不能に
・2014年 
  ~   サービス・会社ともに順調に成長
・2015年
・2016年 創業当初からのメンバーが辞めていった
・2018年 400万ダウンロード・60万ショップ開設。六本木の新オフィスへ

マンションの一室、仲間と開発に明け暮れた日々

「誰でもカンタンにネットショップがつくれる」

2012年、『BASE』は立ち上がった。つくったのは、当時大学生だった鶴岡裕太さん。3LDKのマンションを仲間たちとシェアし、寝る間を惜しんで開発に明け暮れた。家入一真さん(以下、家入さん)率いる『CAMPFIRE』でエンジニアとしてインターンを経ての起業だった。

「気づいたらエンジニアから経営者になっていた」

穏やかな口調と表情で語ってくれた鶴岡さん。ただひたすらにプロダクトを伸ばすことに一生懸命だった日々。サービス拡大に伴い、起こった数々のトラブル、そして「これから」について、赤裸々に語ってくれた。

いち大学生が、起業家になった日

『BASE』を法人化しよう、そう決めた日のことって今でもはっきり覚えているんですよね。使ってくれる人がどんどん増えていて。「起業したら?」と言ってくれたのが松山太河さん(以下、太河さん)でした。

当時はただただサービスを作るのが楽しくて、とくに野心もなかったし、会社にするつもりはありませんでした。このままずっと楽しんでいられたらいいなって。

ただ、「会社にした方がもっとたくさんの人に使ってもらえる」「世の中のためになる」と言葉が胸に残って。自分のつくったサービスが人の役に立つのはうれしい。

同時に、いちエンジニアに「会社を立ち上げてください」と言われても何もできない。…正直、立ち上げるときはほとんど僕は何もしていないんですよ(笑)『BASE』の資本政策は家入さんと太河さんに任せっきり。「好きなようにしてださい」と。ただひとつ、「僕が困るようにはしないでほしい」とだけ伝えて、おんぶにだっこだったと思います。

100%信頼していたし、決められたことに対しての違和感もない。心から信じられる人と出会えたことが財産だと思っています。

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独自の「決済」なくして『BASE』は成り立たなかった

学生時代にCAMPFIREでエンジニアとしてインターンをしていて。そのあとに『BASE』をリリースしたのですが、もともと独自に提供できていたのは「ショッピングカート機能」だけでした。

とくに何とかしたいと思っていたのが「決済」のところ。リリース当時は僕の名義で契約した決済サービスのアカウントを『BASE』上の全ショップに組み合わせて提供していて。ユーザーさんは決済アカウントの登録の手間が省け、すぐに決済機能が利用できて便利だよねって。

ただ、僕名義で契約した1本のアカウントしかないっていま考えるとやばいですよね。万が一、危ないショップが入ってきても、特定のショップだけ決済を止めることもできない。知らないってこわいことなのかもしれません。

それでも「BASEから決済機能を外す」という選択肢はありませんでした。

決済が実現できなかったら、世の中にある他のサービスと同じになってしまう。『BASE』が作りたい世界観を作れない。できなかったら『BASE』をやめていたかもしれないです。

そして模索をするようになったのが、独自で「決済機能」を提供していくこと。当然、決済業界に知り合いはもちろんいないし、ルールもわからない。いわゆる「大人な業界」に挑むことになる。すごく苦労しましたね。

3社が同じ船に乗り、最大の難関を乗り越えていく

自分たちで決済をやろうと思ったとき、一番大変だったのは情報がなかなか得られなかったこと。ブラックボックスになっているところも多い。たとえば、決済手数料のような決済レートは一般公開されていません。

まずは決済会社の営業さんに会うところからはじめて。何度もヒアリングして、やっと決済の組み込み方や決済条件などの情報がもらえるという状況でした。

ある意味、閉ざされた業界なんだな、と。それでも僕らは「今までにない決済」にこだわっていきました。たとえば、ショップ開設時の決済審査スピードについて。一般的には審査に2~3週間かかるのですが、即時審査で使えるようにしたかった。自分たちにしか提供できない価値を提供しよう、と。

最初のブレイクスルーポイントは確実にここです。

結果としては、三井住友カードさんとソニーペイメントさんが協力してくださり、ショッピングカートと決済が一緒になった新しい『BASE』ができました。関係者全員が同じ船に乗ってもらう。『BASE』を含めた全3社で新しい仕組みを作っていく。利害関係が一致している関係というか。この5年間を振り返っても、この提携が一番大きかったと思っています。

よかったと思うのは、中途半端で妥協せず、理想を追求しつづけたこと。まだ大学生だったし、僕個人でいえば、信用ってほとんどなかったと思うんです。ただ、『BASE』というプロダクトがちゃんと伸びていた。ユーザーに求められているという事実がどんどん大きくなっていた。

たぶん『BASE』が構想段階だったり、サービスが全然伸びてなかったりしたら、決済は実現していませんでした。僕個人を救ったところでどうしようもないですからね。

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「イケてない自分が不甲斐なかった」

こうしてどんどんサービスが大きくなっていくなか、出てきたのは「組織」と「人」の問題でした。

2016年頃から、社員数が50名を突破し、そこから70人くらいまで増えた時期はすごく大変で。オフィスも変わって大きくなったけど、制度や仕組みは全く整っていない。今でこそ社員数も100名を超えて、制度も整ってきているけど、当時は組織運営について何もできていなかったと思います。

誰も50名を超えるような組織運営について知らないし、経験したこともない。サービスを成長させることに精一杯で、何も知らずに突っ込んでいった。

僕はまわりが全然見えておらず、会社が変化していくなか、現場との乖離が大きくなってしまったと思います。現場のみんなからすると「あいつは変わった」と感じたこともあっただろうし。

意図せず、どんどん経営者っぽくなっていたというか。ある意味、経営者は得だと思うんです。会社が成長すれば勝手に育ててもらえるから。会社のフェーズが変われば、課題も見えやすくなる。逃げる選択肢はないので、学習していくしかない。ただ、見ている景色はどんどん変わる。

で、気付いたら「経営者としての自分」と「現場でプロダクトを企画・開発するメンバー」の間で、何を目指すのか、成長のベクトルが別々になっていったのかもしれません。

たとえば、お金がないとか、サービスが立ち上がらないとか、僕が個人で悩めばいい話。けっこう淡々と「やるべきことやればいい」というタイプで。

でも…人に関する悩みだけは、自分だけでどうにかできることではないですよね。

自分の「イケてなさ」が要因で、誰かの人生の大きな選択を迷わせてしまう。本当に不甲斐なくて。言葉にできないもどかしさがありました。

創業近くから一緒に頑張ってきた仲間も立て続けに辞めていきました。右も左もわからなかった時から手伝ってくれていた人もいる。どうせだったら、もっといい思いをさせてあげられるところまで一緒に行きたかったなって今でも思うことがあります。

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「プロダクトを伸ばし、使われつづけること」が全て

今でも習慣になっているのですが、毎日夜0時に『BASE』の数値を見ること。ユーザー数だったり、トランザクションだったり。

もしかしたら「数字が伸びてなかったどうしよう」っていう強迫観念があるのかもしれません。ウラを返すと「プロダクトさえ成長していれば大丈夫」と。プロダクトが伸びていれば事業が続けられるし、社員の給与だって払えるし。

そう思うと『BASE』としてずっと変わらないのは、いかにユーザーさんに使いつづけてもらえるプロダクトであれるか、そこに尽きるんですよね。

今でも忘れられないのが、『BASE』ユーザーの農家さんがスイカを送ってくれたことがあって。「いつもありがとう、お世話になっているから」って。農家さんだけじゃない。ものづくりをされているユーザーさんが多いから、みなさんからいろんなモノが送られてきて(笑)感謝を伝えてくれる。本当にうれしいんですよね。

たとえば、これから200名、300名、400名といった規模の会社になった時、たぶんいろいろと問題は起こるんだろうと思います。その都度、組織にも向き合っていかないといけない。同時に、立ち上げた当初、毎日朝から晩まで開発することが楽しくてしょうがなかったし、それは今も変わっていません。最高のプロダクトを作って、ユーザーさんに使いつづけてもらうためにやるべきことやる。ここに尽きると思っています。

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文 = 大塚康平
編集 = 白石勝也


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