「東大卒」「元AV女優」「元日経新聞記者」と異色のキャリアを持つ文筆家・作家、鈴木涼美さん。自身の体験を冷静に分析する視点と、ユーモア溢れる語り口が持ち味だ。小手先の文章テクニックとは一線を画す「文章の極意」をお届けする。
AV女優として働きながら、東京大学大学院へ。これだけでもギャップを感じるが、さらに日経新聞の記者となり、現在は文筆家、作家として活躍。経歴だけを見ても「キャラ立ち」している、鈴木涼美さん。
「ギャルが遠藤周作を読んでたら、おもしろくないですか?だから、かばんにいつも古典を持ち歩いていたんです。いかに自分ならではのポジションをつくるか、狙っていました」
キャラと文章で尖りきる、そこには彼女の戦略があった。
【プロフィール】鈴木涼美 作家 / 社会学者
1983年生まれ。東京都出身。慶應義塾大学在学中にAVデビュー。東京大学大学院修士課程修了後、日本経済新聞社に5年半勤務した。著書に『「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』。近著『おじさんメモリアル』、『オンナの値段』が好評発売中!
どんな仕事であっても「キャラ付け」って大事だと思っていて。文章を書く仕事もAV女優も。自分のポジションを意識し、戦略的にキャラ付けしていくことで、コミュニティの中で立場をどんどんつくることができます。
たとえば、高校時代にやっていたのは、ギャルの格好しながら遠藤周作を読む(笑)かっこいいなと思って。よく日本文学の本を持ち歩いていました。
とにかく本を読んできた数ならギャルの中で負けていない。もともと両親から「どんなことがあっても1日に本を読む時間をつくれ」と言われてきたんです。
じつは自分では気づいていないけれど、人が評価してくれることっていろいろあって。わかりやすく評価されるのは「容姿端麗」とか「お金持ち」とか「高学歴」とか。でも、それだけじゃない。
「有名なギャルサーに入ってる」「女友達から人気がある」「ちょっとへんな男性にモテる」とか、コミュニティが変われば評価されるポイントも違う。いろんな人からの評価を知ると、どこを打ち出していくと勝てるか、ヒントになるはず。
たとえば、私が高校生で、仮にブルセラショップでパンツを売るとして(笑)じつは私よりも、地味な子のほうが売れたりするんですよね。普段いじめられている子のほうが人気があることも。コミュニティが変われば評価の軸も変わる、おもしろい例ですよね。
新聞社での仕事って、ほんと死ぬほど興味なかったんですよね。地方自治法改正関連の話をひたすら書く。産業新聞のコラムにねじの話をひたすら書く。…全くおもしろくなかったです(笑)
ただ、文章を書く体力を鍛えることができた。ネタになる情報をリサーチし、定型文にのっとる。情報を分かりやすくまとめていく。やっていて本当によかったなと思っています。
文章を書く仕事してると、応用できることが結構ありますね。これは余談ですけど、以前「文春オンライン」で渋谷について書く機会があって、前職の仕事のつながりから、渋谷区にアポが取れました(笑)
別に記者じゃなくても、例えば営業だってそうですよね。興味ないことを担当させられたり、興味のない商品売らされたり。ただ、そういうことができるっていうのは、やっぱり企業に勤める強み。今やっておくとすごく力が伸びやすいと思います。
人は興味あることってどんどんやっていけるけれど、企業や学校でやりたくないことをやらされる経験は、自分自身に負荷をかける最高の機会になる。興味のないところから、自分自身も見たことのない引き出しを開ける可能性もあると思います。
よく、私の文章は「特徴的だ」とか「個性的だ」と言われることがあるのですが、文章を書くときに心がけているのが、「文体」から決めることです。ー生に一度出会える一文になれるかどうかって、内容よりも「言い方」だと思うんですよね。文体が文よりもモノを言うと思う。
『身体を売ったらサヨウナラ』は、これまでの作品のなかでも一番文体で遊んでいます。女の子の会話に近い文体にしました。脈絡がなくて、すぐ違うところに飛んでって、主語から結論まですごく長い。しかも、結論は最初の話とは全然違うところに着地する。
女の子の夜の雰囲気を保存したいと思ったんですね。貧困生活の現状とか、風俗やってる女子大生がこれだけいるとか、データの話じゃなくて、もっとリアルを伝えたかったんです。貧困でも楽しく過ごしている人もいるし、お金を稼いでも楽しくない人もいる。それなりに気だるく、楽しくやっている。独特の空気感みたいなものを商品化したかったんです。
ただ、読みづらいので、アマゾンのレビューでは「この人文章書けないんじゃない?」みたいに書かれていたんですけどね(笑)
いろんな文体を使えるということは、作品の表現の幅を広げることができることだと思うんです。文体はツールの一つ。たとえば、絵を描くときに、油も使えるし、水彩も使えるし、グラデーションの技術があるということだと思うんです。ゴッホがひまわりを書こうと思ったときに普通の鉛筆画しか描けなかったら、あの名作は誕生しなかった。
私だったら、「AV女優」のことを書くといっても、小説で書ける部分もあるし、論文で書ける部分もあるし、エッセーで書ける部分もあるし、漫画で書ける部分もある。重なる部分もあるけど、その方法でしか書けない部分ってあると思うんですよね。
文体から決めて書いていくと、表現の幅が広がるだけでなく、内容自体も変わってくるように思います。文体から内容が出てくることもあります。
削ることに対して、もっと勇気をもって欲しいですね。何を書くかも重要だけども、何を書かないかって結構重要。だから取捨選択ができてないと、本当に膨大に膨れ上がっちゃう。無駄がすごく多いと、やっぱり読んでもらえないんですよね。
お気に入りのエピソードでも、いらないと思ったら削ぎ落とす。ごちゃごちゃ色々入ってる文章も私は好きだけど、意識的に「これは主旨が揺れちゃうから、ここは削っとこう」ってよくやります。
私の場合は割と短いものだと、1.5倍くらいの長さを書いてから削ってって文字数合わせています。だから例えば、映画のコラムは600字のを書いてますけど、あれは大体いつも800字書いて、いらないところを削る。800字のコラムだと大体私は1400字ぐらい結構書いて削る。
最初からコンパクトに書こうと思うと、なかなか結構難しくて、すごく誰でも分かってるような事しか書けなくなっちゃう。なので、情報は書ききってから、いらないところを後から削るっていう方が、重要な情報が残ると思います。一発で書くよりも手間はかかりますけどね。
私の場合は、割とジャンルは問わず、どんな依頼が来ても書くようにしているんですけど、いつも自分自身に課しているルールがあります。それは、「なぜそれを自分が書くのか」ということ。答えのあるものではないけれど、自分自身に問い続けながら書くことは、読者にとっても自分にとっても大事だなと思ってます。
私はこういう知識があるからこれを書くんだとか、私はこれについてすごくこれを問いたいとか、これをリサーチするからこういう風に書かせてくれとか。ほかの誰でもなく「私がそれについて書く意味がある」っていうふうに人を納得させるものでなければならない。
コラムに必要なものって、3つあると思っていて。「情報」、「批評」、「独自性」だと思っています。自分なりの切り口や視点、分析があってこそのもの。それらが一体なんなのかが不明瞭なまま書き出してしまうと、誰にでもかける平凡な文章になってしまいます。
文章のなかにも、「なぜ私が書く必要があるのか」が書かれているのが理想ですね。有名人とか芸能人だったらいいですけど、基本的にみんな書き手のことを誰も知らないし、興味も持っていません。自分が何者であるからこれを書くんだっていうところがはっきりしているほうが、読んでもらいやすいと思います。
※本記事は、大人のための街のシェアスペース・BUKATSUDOにて開催されている連続講座、「企画でメシを食っていく」(通称・企画メシ)の講義内容をCAREER HACKにて再編集したものです。
撮影:友田和俊
文 = 野村愛
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