2019.10.31
国連を辞めて見つけた「ノンフィクション作家」という生き方|川内有緒

国連を辞めて見つけた「ノンフィクション作家」という生き方|川内有緒

第16回『開高健ノンフィクション賞』を受賞するなど、ノンフィクション作家として活動する川内有緒さん。もともとは、コンサルタントや国連職員として働いていたという、異色の経歴の持ち主。流されながらもたどり着いた、ノンフィクション作家としての道を歩み出すまでの軌跡をお届けしたい。

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[全3回の連載でお送りいたします]
[1]国連を辞めて見つけた「ノンフィクション作家」という生き方|川内有緒
[2]「ノンフィクション作品は、社会を写し出す鏡」川内有緒の取材術
[3]「心を揺さぶる物語」の法則。ノンフィクション作家、川内有緒の文章術

幼少期から映像の世界に触れ続けて

川内さんと、物語。その背景を紐解くと、偶然とも言える幼少期のとある体験の存在があった。

小さな頃、住んでいたマンションの下の階に映画関係者の家族が住んでいたんです。だから、よく家族ぐるみで一緒に過ごしていたので、自然と映画やアニメーションにふんわりと興味があって。小学校の高学年に上がってからは、当時映画を制作していたその人に、遊びで作った映画を観てもらったこともありました。

高校生になってからは、小説を書いたり、音楽を聞いたり、クラブに行ったり。遊ぶのが大好きな女の子でした。ただ、幼少期の体験もあって脚本を書いては撮影したりもしていて。部活にも所属せず、学校の授業が終わると机に向かう、という日々。映画の世界に進みたい。そう思うのに、時間はかかりませんでしたね。その想いのまま、大学では日大芸術学部放送学科に進学しました。

ところが、大学に進学した途端、作品を作ることが嫌になってしまったんです。もともと団体行動が苦手で、自分で好きなように作品を作るのは好きな反面、みんなで協力して作り上げるというのは苦手だったんです。

ただ、大学を卒業してなんとなく就職することもできず、アメリカに渡りました。中南米の地域研究学を専攻し、ひたすら「社会とは何か」を研究していましたね。作品を作るよりも、もっと社会についてもっと学びたいという思いでした。

【プロフィール】川内有緒(かわうち・ありお)/1972年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒業後、米国ジョージタウン大学で修士号を取得。米国企業、日本のシンクタンク、仏の国連機関などに勤務後、フリーのライターとして評伝、旅行記、エッセイなどを執筆。その傍ら小さなギャラリーも運営。『バウルを探して 地球の片隅に伝わる秘密の歌』で、第33回新田次郎文学賞を受賞。著書に『パリでメシを食う。』、『パリの国連で夢を食う。』、『晴れたら空に骨まいて』など

「書く仕事」の経験は無かったけど、旅に出る前に出版社へ

もともと大企業に勤めてきた経験を持つ川内さん。会社勤めをやめ、メキシコの旅へ。初めての「書く」仕事を経験したことが、今にもつながる大きな転機だったそう。

大学院を卒業した後は、新卒で小さなコンサルティング会社に入社しました。3年間がっつり働いたのですが、頑張りすぎて疲れ果ててしまって。というのも、会社に入社したはずなのに、自分ひとりしかいない状況が長く続いてしまったんです。南米のいろんなところに出張に行けたりと学ぶことは多い職場でしたが、3年もすると一区切りしたくなり、退職に至りました。

2社目は、三菱総合研究所。せっかく転職したのに、さらなる激務が待っていましたね。深夜まで働き続ける毎日。続いての働き先として選んだのは、パリの国連機関。三菱総研を退職したあとに、もともと応募していたポストに採用され、半年後にはパリに行きました。

ただ、パリに行くまでには少しだけ時間があったので、何か新しいことをしてみようと思い、記事の企画を出したんです。今考えると、本当にラッキーでしたが、友人のフォトグラファーとふたりでメキシコに行き取材する企画を出したら、ANAの機内誌である「翼の王国」の方が企画書を気に入ってくださったんです。もちろん、これをそのまま仕事にしようだなんて当時は思っていませんでした。当時は、一回きりの企画だと思っていましたし、書くことを仕事にした初めての経験だったくらいなので。ただ、今振り返ってみると、このときの経験が今に生きているんだなと思うんです。

国連を辞めて見つけた“ノンフィクション作家”という生き方

川内さんが、ノンフィクション作家として歩み始めたのは、パリ・スクワットを訪れたとき。アーティストの集まる建物に足を踏み入れた川内さんにとって、スクワットは「書きたい」意欲を掻きたてるものだった。

その後、メキシコ旅を終えてからは国連に勤めていました。仕事内容はそれまでやってきたことの延長線上にあり、求められていることにはきちんと答えられていた。ただ、どこかで「このままでいいのか」と思う自分もいました。

そんな中、訪れたのがパリ・スクワットでした。そこは、アーティストが不法占拠して暮らす建物として知られていて、貪欲にものづくりと向き合っている人ばかりが集まっていたんです。彼らの姿を見ていたとき、徐々に「書きたい」という気持ちが湧いたので、スクワットで暮らす人々へのインタビューを始めました。国連で働いている同僚に翻訳をお願いして、生き様を追いかけていたんです。そこで、エツツという名の一人の日本人女性と出会い、彼女のことをきっかけに、今度はパリに住む日本人をインタビューし始めました。

ただ、インタビューをしている当時は、その聞いた話が何かの形として届けられるのかは全くの未知で。ただ、自分のPCの中に原稿だけが溜まっていく状況だったので、一冊の本にしてみたいと思い、出版社に自分で営業したんです。最初は全くうまくいかなくて、落ち込むことも多かったのですが、最終的には幻冬舎の編集者さんが、面白いからと書籍化が実現しました。それが『パリでメシを食う。』という本です。

とくに運命的な出会いだったのは、途中、ひとりの日本人、Etsuko Kobayashiさん(*1)との出会い。密着取材を通して原稿を書きたいと思うようになりました。パリにいる、多くの人たちの人生を知ってもらいたい。そう感じたんですよね。

(*1)Etsuko Kobayashiさん…パリの伝説的なアトリエで活動するアーティスト

[第2回はこちからから]
>>>[2]「ノンフィクション作品は、社会を写し出す鏡」川内有緒の取材術


※本記事は、大人のための街のシェアスペース・BUKATSUDOにて開催されている連続講座、「企画でメシを食っていく」(通称・企画メシ)の講義内容をキャリアハックにて再編集したものです。

*「企画メシ」の記事一覧はこちら

撮影:加藤潤


文 = 鈴木しの
編集 = 野村愛


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時代は平成から令和へ。そして訪れる「2020年以降」の世界。2020年からの「10年」をいかに生きていくか。より具体的に起こすべきアクションのヒントを探る連載企画です。お話を伺うのは、常に時代・社会の変化を捉え、スタートアップと共に"一歩先”を見据えて歩まれてきた投資家のみなさんや、未来を切り拓く有志者のみなさん。それぞれが抱く「これから10年間で現実的に起こり得ること」と「新しい生き方」の思索に

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