2019.10.30
オリジナルソングまで作っちゃった?! 『五味醤油』が新企画にかけた思い

オリジナルソングまで作っちゃった?! 『五味醤油』が新企画にかけた思い

「『五味醤油』って名前ですが、すみません味噌屋です(笑)」とニカっと笑う五味仁さん。35歳で継いだ、創業151年の家業。母親に怒られながら、商品の名前が全く入っていない『手前みそのうた』を制作?そこにあったのは、たとえお金にならなくても、やりたいことはやり抜く、真っ直ぐな思いだった。

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※本記事は、大人のための街のシェアスペース・BUKATSUDOにて開催されている連続講座、「企画でメシを食っていく」(通称・企画メシ)の講義内容をキャリアハックにて再編集したものです。
*「企画メシ」の記事一覧はこちら

きっかけは、ファンキーすぎる醤油屋との出会い

1982年、明治元年創業の味噌メーカーに生まれた五味仁さん。最初から家業を継ぐつもりだったかというと、そうではない。

農大出身なのでもともと家業を継ぐ気でいたと思われるんですが、そんなことはなくて。東京農業大学に行ったのも、「東京に行ける」っていうすごく安易な考えだったんです。

あんまり座って授業受けるとかが得意な方ではなかったので、入学してからもわりと学校をサボっていましたね。

でも、大学2年か3年のときに、父親が結構大きな怪我をしたことがあって。学校をしばらく休んで実家に手伝いをしに帰った時期があったんです。

そこで、一応言われた作業はできたんですが、この作業がどういう意味を持つのかとか、全然わからなくて。「もし親父が亡くなってたらやばかったな」って、そこではじめて「継ぐ」ということをリアルに考えた気がします。継ぐ決意をしたというよりは、「継ぐ準備をしておこうと思った」という感じですが。

東京に戻ってから、ちゃんと勉強しようと思って研究室の先生に「今まで真面目じゃなくてすみませんでした。2年分取り戻したいです」って謝りに行きました。

継ぐことを決定的にしたのは、ファンキーすぎる醤油屋さんとの出会いですね(笑)大学4年のときに、卒論を書くために味噌屋さんや醤油屋さん、酒屋さんを回っていて、奈良で醤油屋さんをやっている農大の先輩に連絡したんです。

研究室の4~5人で行きますって連絡したら、その人、ボロボロのポルシェみたいなめちゃめちゃ変な車で迎えに来て(笑)

でも、蔵に行ったらすごく真剣に醤油の話をしてくれた。なんかそれを見て、「あ、自分もやりたいな」って思ったんです。カッコよかったし、良い意味でハードルが下がったというか。真剣にものづくりと向き合えば、真面目じゃなくてもやっていいんだって。たぶん、そのファンキーおじさんに出会わなかったらやってなかったんじゃないかなって思います(笑)

実家でのはじめての仕事は、楽曲制作だった

大学を卒業しタイの醤油メーカーで3年間経験を積んだのち、家業を継いだ五味さん。実家に戻って最初に手がけたのは、製造・販売ではなく、母親がずっと続けていた「小学校での味噌作りワークショップ」だった。

最初は母が食育の一環として長年続けてきた小学校でのワークショップを引き継ぐことになりました。そのとき、「ただ味噌作りをするだけでは、小学校低学年の子どもは飽きてしまうだろうな」ってなんとなく思って。

何かキャッチーなものがあれば、子どもたちはもっと味噌作りを楽しめるかもしれない。そう思い立って、妹、そしてもともと交友のあったデザイナーの小倉ヒラクさん、あと地元のクリエイターさんと一緒に『手前みそのうた』という曲を作ったんです。歌って踊って、味噌づくりが3分でわかるっていうアニメーションを。

じつはこの歌、「甲州味噌」とか「五味醤油」という単語が一度も登場しない(笑)会社のお金を使って作るんだから、こういったキーワードを入れるのが普通ですよね。母親にも「五味醤油の“ご”の字も出てこないなんて何事よ!」と怒られました(笑)

でも、とにかく汎用性のあるものをつくりたかった。日本中どこでも使えて、五味醤油を知らない誰が聞いても楽しめるような。

結局、母親には「5年後くらいにはわかると思うから、黙ってお金を出してくれ」と頼み込んでなんとか歌を完成させました。

信じて続ければ、世の中が味方してくれる

『手前みそのうた』をYouTubeにアップロードし、動画を使って地道に食育活動を続けていた五味さん。あるとき、転機が訪れる。

『手前みそのうた』をつくってからは、妹と「発酵兄妹」というユニットを組んで発酵や味噌の魅力を発信してきました。ワークショップをあちこちでやったり、ラジオ番組をやったり。

何年か地道に活動を続けていると、ある日出版社から連絡があって。『手前みそのうた』の絵本を出版しませんか?とお声がけいただいたんです。すると絵本の出版をきっかけに徐々に評判が広まり、全国紙からの取材なんかも舞い込むようになって。

その辺りからですかね、両親が色々やらせてくれるようにもなりました。「工場の横に喫茶店を開きたい」とダメ元で言ったら、「いいじゃん、やりなよ」って快くOKしてくれたり。「風向きが変わった」感覚がありました。

『手前みそのうた』でこんなに状況が変わっていくなんて、正直自分でもびっくりしましたよ(笑)でも、世の中にとって良いと思ってやったことって、「良い」と気づいてもらえればちゃんと仕事になっていくんだなって。

最近だと、雑誌にも取り上げてもらえるようになりましたね。僕らが「発酵」っていうキーワードを言いまくっていたら、Web雑誌「OZmagazine」が甲府を発酵の街として取り上げてくれて。あとは甲府市役所から「発酵マルシェ」をやりましょうって、イベントを企画してもらえたりもしています。

こうじブームとか、発酵ブームとかがあったおかげもあるんですが、10年くらいかかってようやくここまで来たような感じです。最初は全部ボランティアみたいなもので、お金ももらえなかったですけどね。信じてやり続けていれば、いいことがあるもんだなって。

ちなみに『手前みそのうた』は、7年経ってやっと18万再生ぐらいになりました。目指せ20万再生でやってたんで、あともうちょっと……皆さん良かったらまた見てください。

やりたいことを、”心地よく”続けていくために

「やり続けること」で、道をひらいてきた五味さん。迷わず自分が信じた道を進み続けるには、どうしたらいいのだろう。

続けていくにもエネルギーが必要ですからね。僕としては、やっぱり「自分が好きなことをする」ということと、「一緒にやるなら雰囲気が合う人とやる」、この2つだけは決めているんです。『手前みそのうた』も、好きなことを好きな人たちとやったから地道に続けてこれたわけで。

本当に好きなこと、これはやりたいと思ったことなら利益度外視で仕事を受けるようにしています。逆に言えば、これをやっても世の中のためにならないとか、自分の気持ちが乗らないなってことはちゃんとお金がもらえるとしても断っているかな。

もちろん失敗したそのときは凹みますけど(笑)ちゃんと自分が好きだと思うこと、やりたいと思うことはやる。その筋だけは通したいですね。これからも、失敗を楽しめるくらいの気概でやっていければなと思います。

そうそう、「麹菌」っていろいろな菌と仲良しで、みんなを巻き込むスターターなんですよ。僕も、麹菌のような存在になれたら嬉しいですね。

撮影:加藤潤


文 = 千葉雄登
編集 = 長谷川純菜


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