2019.01.21
食べチョク 秋元里奈が「農業変革」に注ぐ情熱。365日オリジナルTシャツで宣伝しまくる!

食べチョク 秋元里奈が「農業変革」に注ぐ情熱。365日オリジナルTシャツで宣伝しまくる!

農家を稼げる職業にするべく、DeNAを退職し、25歳で起業した秋元里奈さん。最初の1年は、農家を訪ねてもなかなか話を聞いてもらえず門前払いの日々。仲間集めにも苦戦し、向かい風や批判を1人で抱えた時期があった。それでも、農業に生きると覚悟を決め、前に進んできた彼女。まっすぐな生き方がそこにはあった。

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真冬に彼女はTシャツで現れた|『食べチョク』秋元里奈

取材日は、12月某日。天気予報で「大寒波到来」と言われる日、彼女はTシャツを着て現れた。話を聞けば、365日、休みの日でさえも、自社で制作したオリジナルTシャツを着ているという。


「自社Tシャツつくりすぎちゃったのをきっかけに、もったいないからTシャツを着始めたんです。そしたら、良いことしかなくて。電車で、私の後ろにいるカップルが『食べチョクってなんだろうね』とスマホでサービスを調べ始めたり。飲食店の店員さんから『何のサービスですか?』と声を掛けていただいたり。先輩起業家に相談するときも、本気度合いが伝わるようになりました」


秋元里奈さん(28歳)。もともと、おしゃれが大好きなOLだった彼女。毎日自社Tシャツを着てまで、情熱を注ぐのは「農業」だ。「農家を稼げる職業にしたい」という思いを胸に、25歳でDeNAを退職。農家直送で野菜を届けるECサイト『食べチョク』を立ち上げた。

『食べチョク』で実現しているのは、新たな「流通経路」の開拓。特に伝統野菜や無農薬野菜など、小規模で農業を営んでいる農家さんたちの抱える課題に向き合っている。


「どんなにこだわって野菜をつくっても、スーパーや市場に並ぶとき価格は全て均一にされてしまいます。味わいも、肥料のこだわりも考慮されていません」


+++スーパーの売り場では見えない、農家の顔、野菜へのこだわりを感じられる


『食べチョク』では、農家さんたちは自慢の野菜を自分で価格設定。ユーザーはお気に入りの農家を選び、新鮮でおいしい野菜を最短で収穫当日に食べることができる。リリースから約1年半、現在契約農家さんは200軒を超え、軌道に乗りつつある。

しかし、ここまでの道のりは、決して平坦なものではなかった。


「農家さんたちを尋ねても、最初はなかなか話を聞いてもらえませんでした。」


仲間も集まらない。投資家の支援も集まらない。それでも、農業に生きると決め、情熱を注いできた彼女の軌跡をお届けしたい。

+++
【プロフィール】秋元里奈(あきりな) 株式会社ビビッドガーデン 代表取締役CEO
神奈川県相模原市の農家に生まれる。慶應義塾大学理工学部を卒業した後、株式会社ディー・エヌ・エーへ入社。webサービスのディレクター、営業チームリーダー、新規事業の立ち上げを経験した後、スマートフォンアプリの宣伝プロデューサーに就任。2016年11月に株式会社ビビッドガーデンを創業。

実家に帰ったある日、畑が変わり果てた姿になっていた

農家は稼げない、継がないでほしい。両親からこう言われて育ってきた秋元さん。その言葉通り、新卒では農家を継がず、DeNAに入社。営業、サイト企画、新規事業...さまざまな仕事にチャレンジし、やりがいを感じていた。


最初は全然「農業」に興味も関心もない人でした。

ある日実家に帰って、畑を久しぶりに見たら、すごく思い悩んでしまったんです。

幼い頃から実家の畑で弟と一緒に遊んでいて、祖父母が育てた野菜が大好きでした。目の前の畑にはもう何も植えられていない。その光景を見たときに、「ああ、もうあの時の風景は戻ってこないんだな」と、なんだか大切な思い出までも消えてしまったかのような、寂しいような虚しいような、複雑な気持ちになりました。

+++楽しかった思い出は、弟と一緒に農園を駆け回ることだった。

私は実家が好きだし、農家出身であることが誇りでもあったんです。だから家の農地も農業自体も、廃れていくのは悲しかった。

なぜ私の実家は農業をやめらければいけなかったんだろう?どうして、私に「農業を継ぐな」といったんだろう?

その疑問が頭の中を駆け巡って、気づけば農家さんへのヒアリングしていました。すると、どの農家さんからも同じ言葉ができたんです。「自分がこだわって創った野菜が、高く売れない」。「儲からないから、子供には継がせられない」。変わり果てた実家の農地と重なって、農業への思いはどんどん強くなっていきました。

DeNAでは3年半で4つの部署を経験して、どの部署でも仕事がすごく楽しかったんです。ただ、同時に「どうしてもこれをやりたいんだ」って自分の内から湧き出る強い動機がないと感じていました。人から言われたことを楽しくやることはできるけれど、私が本当は何をやりたいのかわからない。そんな中で唯一、農業が初めて自分でやりたいと思えたことだったんです。

それに、私だからできることが農業の分野にあるように感じて。農業って華やかな業界ではないので、私のようなITのバックグラウンドを持っている若い人はまだまだ少ない業界なんですよね。私にしかできないことがありそうで、かつやりたい領域だから、挑戦したい。そう思いたって起業の道を選びました。

+++DeNA時代の秋元さん(撮影 関口達朗)

やるからには自分で責任を負いたい。

農業に関われるスタートアップに入ることも考えたのですが、結果的に起業を選んだ理由は自分で責任を持ってやりたかったから。

DeNAで新規事業を担当していたきに、会社の意向でクローズすることになってしまったんです。もしかしたら伸びていたかもしれない、個人的には可能性を見出していたからこそ、とても悔しかった。

このとき、自分が本気でやりたいことの意思決定権は自分で握っていたいと強く思いました。失敗するにしても成功するにしても、全ての理由が自分にある状態がいい。じゃあ自分で責任を負ってやるしかないって。

+++

門前払いされる日々。農作業の手伝い、関係構築きからはじまった。

農家へのヒアリングを重ね、『食べチョク』を構想。リリースに向けて本格的に準備を進めるも、多くの壁にぶつかったという。


サイトに掲載してくれる農家さんたちへの商談は正直かなり苦戦しました。アポを取って、プレゼン資料をまとめて、説明するんですけど、なかなか良い反応を得られなかったんです。立て続けに「今回はごめんなさい」と断られる日々でした。

農家さんのために、良いサービスをつくる自負や自信はあるものの、全く思い通りに進まない。なんでだろうと頭を悩ませました。

そしたら、あるとき農家さんに「生半可な気持ちの人に、俺たちの力を割きたくない」っていわれたことがあってハッとしました。

これまで似たような産地直送のサービスが複数あるなかで、なかなか続いていくものがなかった、と。農家さんからすると「本気じゃないんじゃないの?遊びの起業なんでしょ?」と全然信頼がない状態だったのだと思います。

まずは「人」として、私のことを信頼してもらわないとなにも前に進まない。その日から、資料を持ち込んで、プレゼンするのは止めました。まずは「人」として、私のこと信頼してもらわないとなにも前に進まない。一緒に農作業の手伝いをして、会話をして私のことを知ってもらって、私も農家さんのことを知っていく。すると「秋元さんのサービスなら一緒にやろうかな」と協力してくださる農家さんが次第に増えていきました。

農家さんの判断基準は「人」なんです。今振り返ると、私の覚悟を伝えきれていなかったんだと思います。

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たった一人の創業期を乗り越えて。

「社会的意義があると思う」「おもしろそうだね」って言ってくれる人はたくさんいたんですけど、そこにフルコミットで飛び込めるかというとそうではない。ビジョンを共有する仲間集めはかなり難航しました。ようやく1人目の社員が入ったのは創業から10ヶ月立った、2017年9月でした。

『食べチョク』を正式にリリースしたのが2017年8月だったので、農家さんへの営業ももちろん一人。そういう時期に私が一番支えたいと思っていたはずの農家さんに厳しい言葉を言われてしまうと、今やっていることが誰のためになるのかを見失いそうになって。その痛みを共有できる仲間がいなかったので、「辞めようかな」と思う瞬間も多々ありました。

でも、なんとか無事にサービスリリースにこぎつけて、ユーザーからはじめて注文が入ったとき、PCの前で手が震えるほど嬉しくて。まだまだ道半ばですが、関わる農家さんたちに少しでも力になりたい。その気持ちは創業から今まで全くぶれていませんし、これからもぶれません。

より多くの農家さんたちに「『食べチョク』に関わってよかった」とか「未来が変わった」と思ってもらえるように、そして農業界全体に価値を還元できるように、引き続き頑張っていきたいです。

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文 = 菊池百合子
取材 / 編集 = 野村愛


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