クラフトコーラ専門メーカー『伊良コーラ』(いよしこーら)誕生のウラ側をお届け。もともと広告代理店のプロデューサーとして忙しい日々を過ごしていたコーラ小林さん。働きながら3年かけてコーラを研究。「最高においしいコーラを手作りしたい」彼のクラフトコーラ発売までの軌跡を追ったーー。
息をするだけで汗の流れるような、8月の日。
私たちは、西武新宿線沿いのとある工房を訪れた。
「暑かったですよね。じゃあさっそく用意するのでちょっと待っててください」
爽やかな笑顔を見せた彼は、コーラ小林さん。
その名の通り、この工房で「コーラ」を手作りするコーラ職人だ。
「どうぞ!」
「色が均等になるくらいよくかき混ぜて飲んでくださいね」
レトロでかわいらしいパッケージに入った、作り立てのコーラ。どんな味がするんだろう。口にするとスパイスが香る優しい味。どこか懐かしい甘さがクセになる。
「僕の祖父は、漢方を作る職人だったんです。この工房は、もともと祖父が使っていた場所で。材料の調合や製造工程も、漢方の作り方を参考にしました」
移動販売をすれば、毎回行列ができるほど人気の『伊良コーラ』。価格はコンビニで買えるコーラに比べて3倍くらいはする。決して安くないそのコーラの味に、多くの人は虜になる。
「最初はコーラを作れることさえ知らなかったんです。何より自分がびっくりした。コーラを手作りしたらみんなをびっくりさせられるんじゃないかって。ただやり始めたら、どんどんもっとおいしいコーラを作りたいって思うようになりました」
小林さんを突き動かしたのは好奇心──『伊良コーラ』誕生のウラ側を追った。
クラフトビールは流行っていますが、「クラフトコーラ」という言葉は初めて聞きました。そもそも作れるものなんですね。
じつは、僕もまったく同じ感覚で「作れるもの」だなんて思っていませんでした。
もともとコーラが大好きで、大学生のとき、世界を放浪しながら各地のコーラを飲み歩いていたんです。で、次第に「そもそもコーラとは何か」が気になって。
ある日コーラのことを調べていると、コカ・コーラ社の金庫から漏れ出したと言われる、100年以上前のオリジナルコーラレシピを見つけた。たしか、アメリカのエンタメサイトだった気がします。
「え、コーラって作れるの?」って衝撃を受けましたね。しかもそのレシピを見るとナツメグとかコリアンダーとかほとんどが身近な原材料。天然材料から作り出されていたんです。大学・大学院と、足掛け7年間農学を学んできた僕の血が騒ぎました。
もうすぐに足はスーパーに向かっていた。当時住んでいた家の近くに、中目黒のプレッセというスーパーがあって。材料を買い集めて、すぐ自宅のキッチンでコーラをつくりはじめました。びっくりしたんですけど、初めてつくったのにある程度はコーラの味がした。めちゃくちゃ感動しました。
ただ、どうせなら「もっとおいしい究極のコーラ」を作りたい。そこから研究の日々がはじまりました。終電で帰宅して、夜な夜なコーラを作る。出来上がったものを友人や会社の同僚に飲んでもらう。スパイスの種類や配合を変え、手順を見直したりと試行錯誤。とはいえ、趣味の範囲はでていませんでした。
それから、コーラの研究は順調に?
それが、全然思うような味にならなくて。コーラを作りはじめてもう2年くらいが経っていました。納得のいく味が見つからない。正直もうやめようかと思い始めていて。
でも、そんな時に、ある大きな出来事があって。その頃に、漢方職人だった祖父が亡くなったんです。家族に「荷物を整理したい」と頼まれ、僕は何年かぶりに工房に足を運びました。
工房には漢方や調合道具、分厚い漢方の資料が残されていて。そこには、祖父らしい細かい「レシピ」がありました。残された資料を読み漁っているうちに「もしかしたらコーラ作りに活かせるかもしれない」と思ったんです。
特に材料の調合、火を入れる工程には発見が多かった。僕は当時すべての材料を一気に煮込んでコーラを作っていたのですが、祖父の技術を参考に、材料に火を入れる工程を変えてみました。すると、びっくりするほど風味やコクが良くなって。嬉しくて会社に持っていったら、同僚に「めちゃくちゃ美味しい!」「お金払ってでもほしい」と言ってもらえたんです。
初めて、「あれ、もしかして売れるかも?」と思った瞬間でしたね。それが2018年の6月末頃。だいたい1ヶ月後の7月28日、すぐに移動販売をスタートさせました。
かなり早い展開ですね…!
そうですね。ビジネスとして成功させようって気は全然なく、とにかくみんなを驚かせたい、なら早く出さなきゃって。
できれば夏のうちに出したいとも思ったので、スピードを優先しフードカートでの販売に決めたんです。その日のうちに知り合いのカーショップに連絡し車を用意してもらって。当時、青山ファーマーズマーケットの主催者とたまたま一緒に仕事をしていたので、そこで出店させてほしいと伝えました。
実際、反響はいかがだったのでしょう?
それが…完売でした。初日は150食くらい持っていったのですが、終了前には売り切れて。気づいたら行列ができている時間帯もあったんです。自分でもびっくりしましたよ(笑)
初日から完売なんて、すごいですね!お客さんはどんな反応を?
やはり「クラフトコーラなんて初めて知った!」という声が多かったですね。コーラを作りはじめた時からみんなにドキドキ、ワクワクしてもらいたい気持ちが強かったので、驚いた表情や笑顔を見られたのは本当に嬉しかったです。
最後に、小林さんにとって「コーラ作り」とは?
そうですね、やはり伊良コーラを通して美味しさや手作りであることの驚き、そこから生まれるドキドキやワクワクを届けたい。これが何より強いです。
あと、実はもう一つ想いがあって。
ちょっと大げさかもしれないですが、僕にとって、伊良コーラをやることは“祖父へのつぐない”の意味もあるんです。
小さい頃は、いつも祖父にくっついて漢方作りを手伝っていました。でも小学校に上がってから、なんとなく工房に足が遠のいて。
自分の中で、漢方作りは「普通」じゃないと思ってしまったのかもしれない。友達が野球やサッカーをして遊んでいる中で、自分だけ違うことをするのがだんだん怖くなっていったんです。
みんなの“当たり前”から外れたくなくて、好きなのに、楽しいのに、祖父を遠ざけるようになってしまった。それを今でも後悔していて。
日本って結構「こうあるべき」という既成概念が強いというか、みんなと違うことをすると仲間はずれにされたり、叩かれたりしやすい雰囲気がどこかありますよね。
たとえば、「苔が好き」っていう女の子がいたらちょっとヘンな目で見られちゃうとかありますよね。でも、苔を研究して、すごい学者になるかもしれない。まわりにあわせて「好き」にフタをしてしまうのはもったいない。
みんなが自分の「好きなこと」に自信を持てて、人と違うことをしていても胸を張れる。そんな、自分の中にある「縛られた常識」を超えていくお手本になりたいと思うんです。
クラフトコーラは今自分がやらないと、世の中からなくなってしまうかもしれない。伊良コーラは自分にしか作れません。世の中には、ドキドキやワクワクを求めている人が沢山いる。僕が社会に対して価値を発揮できるのは「コーラ小林」としての自分。
伊良コーラが成功すれば「自分も間違ってないんだ」と思える子が増えるかもしれない。コーラづくりを通して、ささやかでも勇気を届けられたらいいなって思います。
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